忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

大衆食堂

2007-02-28 | 日々
 滅多に通らない一方通行の道を、駅の方向へと歩いて行く。時間は正午を過ぎていた。食堂を探しているのだが、見当たらない。人にも滅多に出逢わない。
 仕方なく引き返す。古くて営業中かも疑問の店を見てはいた。ペンキの剥げ落ちた横壁と、小さな入口にある大きい暖簾に大衆食堂の文字がある。
 不安のままドアを引き中に入った。先客が3人いたのでホッとする。お世辞にもきれいとは言えない狭い店内。
 テーブル席を選ぶが、8脚並んでいても8人座るのは無理がある。仲間で全員丼物だと何とかなるのか。など考えながら、親子丼を注文した。
 後から店に入った客が、すぐ注文すると冷蔵ケースから飲み物を取り出しコップに注いだ。店の人が出て来て同じようにペットボトルから私の前に置いたコップに注ぐ。
 お茶が入っているのだ。出前の行き来に支払いの声。必要以外の話はしないが馴染みの客はいるようだ。大衆食堂久しぶりに見る暖簾の店だった。

異人たちとの

2007-02-27 | 日々
 新潮文庫【異人たちとの夏】著者・山田太一の名前にひかれ買ったのだと、過去形になってしまう本。昭和62年末に新潮社より刊行の、文庫版だ。
 脚本家である主人公と著者が重なり現実味を感じる。離婚したばかりの彼は、都会の夜は人気の無くなるビルで暮らすことにする。
 孤独な生活の夜の街で、12歳の時事故で亡くした父母によく似た夫婦に出会う。ほのぼのとした憧れるような時間がある。
 いつもだと一冊を読むのに1週間や10日はかかって当然なのに、数日で読めた。作家としての文章に、鮮明な映像を見ているような気がする。
 怪奇現象とか怪談を信じてはいない。だがこんな出会いならあってもいいなと思わすところがこの作品にはある。冬なのに読みたくなったのはなぜだろうと今思う。


短い親離れ

2007-02-26 | 日々
 里帰り中の娘は、こちらで初めてになる朝の買い物予定が決まっていた。子供は連れて行かないのでよろしくとたのまれる。
 最近特に母親を追いかけている孫に、居ない時間が我慢できるだろうか。まず始めに家を出る時見つかれば、それで中止も予想の内だ。
 昨夜はいつもより長い時間眠っているので機嫌は良い。維持できるかどうか、手持ちの方法はおやつにDVDか絵本だ。
 一人遊びは無理がある。とにかく母親の不在に気づかなよう乗り切りたい。次第にごまかしは効かなくなっている。
 まずは孫が選んだ「アイス・エイジ」が始まり、行動開始でお出かけが成功した。私の膝に腰掛けて、画面に集中している。終了近くになり急に母親が恋しくなったのか、呼んだり探したりして慌てさせる。これはおやつで母親に勝った。
 何とか無事に一本分の時間が経過する。本日は特別に許可して孫の希望で「トムとジェリー」を追加した。
 時計を何度見たことか。娘の帰りが待ち遠しい。落ち着かないのは、私だけ。そしてやっとのお帰りで孫が出迎えに立ち上がり、孫の短い親離れと私の子守りもひとまず終了した。

1ポンドの福音

2007-02-25 | 平和を
 【1ポンドの福音】著者・高橋留美子 サンデーコミックス 発行・小学館 作品のパワーあるハチャメチャさが好きだ。
 ボクサーの主人公にボクシング関係者とシスターに修院長他、大勢の人間味あふれる人たち。ボクシングジムはいいとしても、教会は大丈夫かと最初は少し気になった。
 読んでいるうちに、本当の信仰の世界ってこんなのではないかとも思ってくる。もちろんこの漫画で表現しているのは、脇役の仕事。
 脇役がいてこその主役だ。信仰を持たない人たちをも救い見守るのが、真の神や仏。それには平和な暮らしが欠かせない。
 この漫画もそうだが、あくまでも人が主役で神や仏は脇役だろう。ある場面で登場し、大切な手助けを想像できる存在か。
 信仰を拒否するつもりは無いが、戦の神を知ってから深入りはできなくなった。戦争で軍人が名誉の戦死を遂げるように、敵国人を一人でも多く殺せるようにと祈る神の大きな矛盾を認められない。・・・こんなことこの本で考えることか?

空き地の

2007-02-24 | 日々
 街の交差点の角にある、空き地の横を通った。以前その場所に有った建物が、解体されるのを見たことがあった。その後整地された状態が長く続いている。
 いつもは車で走りながら、ちらっと見るだけだった。歩いて立ち止まると空き地はまた別の顔を見せる。
 一定の間隔に立てられた鉄棒にそって、安全のためかロープが張られている。その一ヵ所の鉄棒に車でも当たったのか、ロープと一緒に曲がっていた。
 それだけでも淋しく見える。平らに新しく土が入れてはあるが、もうひょろ長く痩せた雑草が一面に生えている。
 街でも条件の良い場所だ。空き地が早く店舗でも建ててと言っているようにも思える。解体される前の、空き家の期間も長かった。
 想い出に関わらない場所や窮屈な所にできた空間とか、次の活用がわかっていれば気にならない。だがあの場所の空き地には不自然さを感じた。


見なくなり

2007-02-23 | 追憶
 明日、映画を見に行きます。と予定のメールが入っていた。自分のことでもないのに、なぜか「映画」という言葉がうれしい気持ちにさせてくれた。
 大画面で映画を見るのが、想像か想い出の中になってからかなりの年月が経つ。少年時代は大は無く中画面で白黒か。
 映画など見れるだけで贅沢だと、テレビや娯楽の少ない頃には喜びや感激の感覚も強かった。移動映写とでも言ったのだろうか。村の学校の講堂で見たのが最初になる。
 満員の映画館で同じ映画に夢中になれた。そんなに回数を見てもいないが、雰囲気だけは今になっても忘れずにいる。
 村の映画館が倉庫になり、やがて町のも姿を消して一軒もなくなった。隣の街まで行けば、新しい大きな建物がありいくらでも映画を見ることができる。
 ポスターを目にすれば、見たくはなるが入ったことはない。新しい場所への苦手意識もあるが、地元の映画館にあった雰囲気を残していたい気持ちのためにも、テレビやパソコンの小さな画面で我慢している。

わらべ歌

2007-02-22 | 平和を
【うしろの正面だあれ】原作・海老名香葉子 長編アニメーション映画「うしろの正面だあれ」より 発行・金の星社
 アニメ映画の場面と文章の入った、子供向け絵本だ。初版は1991年で、今の本で39版発行となる。読もうとして再度本棚を探すと、10年ほど前の新書版の原作「うしろの正面だあれ」を見つけた。
 知っておきたい戦争・平和と帯にある。重ねた本の中に紛れ込んでいた。まだ読んではいないが、今回は絵本を選んだ。
 東京の下町で産まれ、両親とおばあちゃん、兄たちと弟のいる家庭。かよ子は当時なりの幸せな暮らしの中にいた。
 伯父が戦地に出兵していても、戦争を実感する日々ではなかった。日本がアメリカとの戦争を始めても、子供たちは万歳万歳と喜んでいた。
 やがて戦争は日本本土を空襲するようになる。かよ子は一人縁故疎開で東京を離れる。そして東京大空襲のために、兄一人を残して家族を失う。
 [亡くなった人たちの冥福は、永遠の平和だと信じます。のちのちまでも、戦争の無惨さを語り、命の大切さを伝えたい、それが残されたわたしの使命だと思っています。]あとがきに香葉子さんの言葉がある。

食べ物番組

2007-02-21 | 共に
 なぜこんなに各局同じような番組を、制作し続けるのだろう。例外はあるが、テレビ番組全体が軽くなった気がする。
 どれも似たようものの繰り返しと真似になると、中にいい番組があっても目立たなくなる。それも手口の一つなのだろうか。
 食べ物系など、あちこちで一日何回も見ることになる。もちろん見飽きているので、すぐ移動するがその手間を省きたい。
 無駄やもったいないと思う場面も多すぎる。世界では飢えに苦しむ人々が大勢いる。これらの番組で処分される食べ物の量は、合計すると……。
 孫の食事は大変だ。やっとフォークやスプーンを使って食べるようになったが、手も使いパラパラこぼす。落とすと自分で拾ってたべる。親も諦め許してている。
 私も子供の頃、祖父母から食べ物を大切にと聞いて育った。孫と同じで、落としたものも拾い食事は必ず残さず食べた。
 この国にも食糧に困った時代があったのだ。食べ物番組が嫌いではないが、もったいないや大切にを壊してしまう番組制作には納得できない。

変わり様

2007-02-20 | 追憶
 そこを通る必要など無かった。何となく商店街を歩いてみたくなっただけ。過去の賑わいの名残のアーケードの有るのは、Tの字になる二つの商店街。
 青春時代は月に何度も来た場所だ。昼夜いくら歩いても平気だった。一年間の休みがあった後から、行く回数が減る。そして仕事意外に行くことはなくなった。
 行動の手段と範囲も変化した。歩くことを止めていた間に、過去によく出かけていた店は全て閉店している。
 特に一方の歩行者専用道の商店街は、よく来ていただけに龍宮城から帰った浦島太郎の心境にも近くなる。
 想い出を辿るために歩いているのに、無くなったものが多すぎる。そうなっているのは知っている。でも自分で確認したくて側にまで行く。
 月に一度の特別販売の日だ。人通りはあるが、買う側よりは売り手の人数が多く見える。だが普段だったら淋しくなっただろう。
 よい日に歩いたのだ。次の予定が買い物の品を持って入れる場所ではなかった。でも知り合いの店で、少し話をして目立たない品を買った。

消えた笑い

2007-02-19 | 共に
 知人が亡くなって日数が経つのだが、こうして時々思い出す。仕事の先輩でもあったが、もうあのように一緒の仕事をする人に出会うことは無いだろう。
 遅くなり親族の人たちだけになった通夜の席で、若返った優しい顔の彼を見る。一月ほど前にも会い、以前より良くなっていると楽しみにしていたのに。
 苦しみが消えた彼、そのそばに座る奥さんとも一緒に仕事をしたことがある。働き盛りのお二人だった。
 「毎日笑いながら仕事をしていたのに」奥さんへの挨拶の中で、つい言葉にしていた。言ってから通夜の席でとは思ったが、私の正直な気持だ。
 近くの数人から笑顔を見れた。彼は日々笑いを振り撒いていた。難しい人と言う者もいたが、それは仕事上でのことでその技術力は誰もが認めていた。
 彼は主役の仕事をこなしながら、周囲の仲間たちの笑顔への気くばりを欠かすことは無かった。記憶には元気に笑い話をする彼がいる。