忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

はいっていたのは

2011-03-31 | 平和を
 夜中風呂の湯に浸かってから、郵便受けに封筒が入っていたのを思い出した。もう取りに行くのは明朝でいいか、昼間ちらっと中を見て地方選挙関係だとわかってもいる。
 たぶん現職の出陣式参加の呼びかけなど。最初は顔と名前だけを見て誰かな何する人と忘れていたが、前回の選挙に出る前の集まりに友人に誘われ行ったのだ。
 『皆さんのために 頑張りますので ぜひ』 あの時頭下げたが、もしかしてその後私の記憶から消えた程度の存在感だったのかと疑問がわく。今回のパンフレットなどを届けてくれた知人とは前回の会場でも会話を交わした。
 ふだんのイメージからも今回の積極的応援が理解できないでいる。まあ応援するから支持者か、その候補者に投票するかは別のこと。でも当選有力候補の現職だからで支持者になり応援するなら、政治そのものを駄目にしかねない。候補者の本音が聞けるなら集まりにも行ってもいいが、投票だけは家族と将来のためにも自分ために1票をの信念は曲げるつもりはない。

みとめれば

2011-03-30 | 共に
 近くで仕事をする人たちの話を聞くのがおもしろい。重機も使った危険をともなう工事作業だが、それぞれに楽しんでいるかに見え連帯意識を持ってのいい進行ぐあいがわかる。
 関連作業等でその場離れた同僚の失敗談や時間の遅れもさぼりでも、複数なのに『○○だったらしかたない』 『それって ◇◇だろう』 誰が原因かその名前はすぐ当てた。
 その人を非難する言葉にはならずに納得すればあっけなく終了には、それだけって感じ。同様の場に何回も居合わせたのに毎回同じ態度で変化なし、仲間同士のをからかいや冷やかしでの笑いはあるが悪口は言わない。
 私の体験した職場は全くの逆で、関係者が個人的にも仲良くなるのを嫌う面があった。もちろん気の合う仲間内の会話や助け合いはしていたが、定年退職を含め職場を去った人が再び訪れるのは例外で数えるぼど‥。
 その場に居る人居ない人の批判と悪口に告げ口を毎日よく聞いた。パワーハラスメントを代表にいじめもあった。上の人は告げ口をした人の名前と内容まで、口がかたいと私に話す。
 じっさいごますりと噂話をするのは苦手で批判を聞けば、つい良い面を言って機嫌を害した。いい雰囲気の職場環境であれば、お客さんなど外部との関係改善もできるのにと残念だった。
 短い期間ではあったが近くの工事現場の人たちの明るい人間関係にふれ時々加わることができた。

ゆれていて

2011-03-29 | 平和を
 電話で話している最中にも『また地震の揺れが来てる‥』と間に状況説明が入る。関東在住の東北・関東大地震の当日を東京で体験した知人もあの日は記憶に焼きついているようだ。
 『揺れているビルを初めて見た』 『座り込んだ女性が 怖がり しがみついてきた』 『JRには乗れず、1晩を水一杯で過ごす』 『いまでも1日に 6回は地震が来ている』
 でも大丈夫だから安心してとの長電話の終わりに、知人の不安定感が伝わる。知人の町のガソリンスタンドにも自動車の行列はできたと言う。風評被害には政府や東京電力の情報と決断の揺れでも見える信用性の欠如も大きい。
 『原発さえ来なければ‥‥』テレビ画面に避難民の声。原発事故での原発安全神話の崩壊による、原子力発電の痛手を減少さすために御用達学者や専門家に報道関係までが安心を口にする。
 だったらなぜ半径10㎞避難が20㎞になり、30㎞内の自主避難と農産物等出荷自粛なのか。欧米?では原発事故が起これば、まずは半径80㎞圏外に避難とか。そのため日本在住の家族を帰国させているとの話を聞いたが、これも国や原発には風評被害だろうか。
 多数の犠牲者を出した巨大津波の被害は自然災害であっても、原発事故はあくまで人災。この辺りは近くの原発の事故に不安を抱える地方でもあり、今朝の休憩時間でも津波と福島原発事故の話題がほとんど。
 原発に行っていたり知人のいる人もいて原発に知識はあり、早い時点で真実を伝えることも政府や東電と報道機関等に求められる責任だと感じた。

栄養補給のために

2011-03-28 | 追憶
 隣りの山の人が開墾を始めたのかと勘違いしていて笑われた。だがそう思うほど、見上げた放任園には新しい土と石などの部分があちこちにできている。
 『イノシシが葛(かずら)の根っこを食べるがに 掘ったがやろ』 そばまで行けばそのとおり。かずらで覆われていた元果樹園の半分は荒らされていた。根っこの澱粉は動物の栄養源で、敗戦直後の食糧難の時代にはこのでもかずらの根っこを加工する人がいて澱粉を村人が食べていたと今日知った。

小さいけど たくさん

2011-03-27 | 平和を
 近所の桜の花は先ずは1本だけが6分か7分咲き。それにしては冬並みの衣服を着ても、日陰に入ると寒く感じる。傾斜地の果樹園内の折れ曲がった小道に、名前も知らない何種類かの草が大きくても1cmもない小さな花を見つけパチリ。別の場所では スミレも、咲き乱れる野草の花を見て東北・関東大地震の巨大津波の被災地を思う。町でも募金をする気になる花に会う。

わかりあえる

2011-03-26 | 追憶
 わが家で冗談を言えば通じず、叱られてばかり。『またバカなこと言って』を口にせず、無視すればいいだけだと思うのだが‥笑いではなく怒りの種にされてしまう。
 家でも笑顔で冗談を言えばと少しは違うかとはわかっていても、その気分になるのは難しい。もともと子どもの頃から笑いは好きで、外ではつい出てしまう私の冗談に笑顔を見るとうれしくなる。
 冗談名人の先輩と職場で冗談を言い合っていた年月も長い。あの頃、他にも冗談を言い合える年輩者が何人いた。それも名人に職場や地域の人たちと多少でも明るさを共有できればとの気持ち感じたからだった。
 私が年上の人ときわどい冗談を言っているのを見て真似した人が、『同じことを言ったのに、がいに(すごく)怒ったがどしてやろ?』。何回もあったがふだん身近に感じてない人だと、冗談がからかいになり怒るのは当然。
 その職場で冗談を言える雰囲気が奪われ人も随分変わり始めても、機会を見つけ話を聞いたり冗談は言い続けた。人聞きに現在では朝出勤しても挨拶を交わす人も居ないとは‥‥。
 近くで工事をしている人たちは大きな音の仕事中でも、冗談が飛び交っている。あんな時代が私にもあったなと懐かしく思い、仲間に加わりたくなり話しかけた。
 私の冗談が楽に通じて、休憩中のちょっとしたことがうれしくなる。冗談も言って気分よく仕事をすれば安全にも通じる。冗談だけにすませず、今回の東北・関東を襲った巨大津波と原発事故も身近な被害ととらえ、業者としての復興支援や義援金など真剣な話題も聞き力強く思う。

ふりむいてる

2011-03-25 | 追憶
 卒園式を済ませた後に誕生日が来た孫、娘に「もう 幼稚園行くと言わんようになったやろ」 冗談に聞いた。ところが 孫には休みでもなく通園できないのが不思議。
 まだ幼稚園に行きたいようだ。3月中旬生まれだから、来年小学生の可能性は母さんのお腹の中ではありはした。もうすぐ入学式なのに、孫の気持ちは過去を振り向くことで落ち着ける。
 昔は幼稚園児だった期間もある私の入学式前とはずいぶん違う。卒園を特別だとも思わず、小学校入学に少し緊張した程度だった。いま想えば年の離れた兄が上級生でいたはずなのに学校での兄との関係は記憶から消えている。
 村に分校1と他2校の小学校では大きい方で学級50人余で松と竹の2クラスあった。敗戦後の民主主義華やかな明るく自由な学校生活を充分に楽しみ、下校時の道草で年上年下に一緒に遊んだ。
 兄や弟とは家に帰ってからのことで、それも家の仕事がない農閑期に限る。兄と同年齢のガキ大将とその仲間たちともよくしてもらった思い出もある。何もなかったあの時代だけど 明日があった。

10時35分まで

2011-03-24 | 追憶
 先に仕事から片づけのために帰してもらったとはわかっているので、けっこう無理して頑張ったつもり。朝から片づけをする予定の勘違いが、まさか夕方からだけの残り時間になるとは思ってもいなかった。
 かなり片づけたつもり、あとは明日朝すればいいしそれで間に合わなければ業者に任せる方法もある。私の楽天的考えは薄暗くなって帰って来た仕事人に話すより前に甘いと知る。
 『たったのこれだけかな いままで 何しよったんよ。これほどにでけんとは 知らなんだ。ご飯食べたら 片づけてしまうぜ 早よ済まさんと 他の仕事もせないけんがやけんな』
 夜中まででもやる気だ。電気は昼間に切断したので各自小さな灯りを頼りに、必要なものと分別ゴミと運ぶ場所と袋も違えて片づけていく。握力充電式の明かりを持って行ったり来たりは集中力によく、早く片づけようとも思いだす。
 いっしょにすればおかげであと少しになり『もう明日の朝したらええけん 止めろや』 やさしい言葉で散歩に行った。1人になれば選別や探し物は自由、ピアノの後ろからは子どもたちが使ったトランペットも、天井裏には母の貼った弟のアルバムを見つけた。
 娘の命名の元であるテレビアニメ新造人間キャシャーンのプールも天井裏に隠したのに、見つからないのは私が移動したはず。片づけで想い出をたくさん掘り出した。疲れと興奮で眠れなくても気分は悪くなかった、

言うだけのことはある

2011-03-22 | 追憶
 雨音を聞き朝食後また午前中の数時間は布団の中で過ごす。眠れるどうかはどうかは別にして、何も考えない時間を必要になることがある。起き出して倉庫の片づけを始めた。
 隣りの倉庫の吊り引き戸が少し開いているのは、中は見えなくても忙しい仕事だともわかる。その倉庫にも私の片づけたい場所はあるけど、物音と私の存在自体が一生懸命の最中の仕事人を苛立たせるので気を使う。
 それでも片づける物によってはその前を通る。『どこへ持って行きよるがよ どこまり置いといたら またいつまでもそのまんまにして 白アリわかすがやけんな』
 お言葉のとおりでその可能性は高い。『なんで早よせんがよ』 決定権が私にないので、実行すると『まだ早かろ どれを先にせんといけんか(しなければ駄目なのか)わからんが』
 判断は鈍く能力に欠け何事にも批判され続けていると、寝るのが逃げ場なのかも。忘れやすく遅いけど片づけの最終期限は残りわずか、母屋の押し入れに長女の誕生や幼児期の衣服もつめ込み化石化させて、孫のために発掘できる仕事人。
 自分の衣服など部屋によっては一見するとゴミ屋敷。二女の帰郷で少しきれいなる部分はあるが倉庫は別。ああ これは長女が遊んだ積み木 これは二女の小学校の‥今になっても時間ばかりかかり片づかない。
 だがさすが仕事人 自分の縄張りと決めた部分だけだが、見事に分別し掃き掃除までした。私の分はまだたっぷり残ったままなのに、明日半日の時間を奪われる。