忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

きになって

2011-10-31 | 日々
 小学校の廃品回収日の朝はあいにくの雨。中学校PTAの廃品回収の方が先にあったので、どうしても後のは量も減る。少しでも多く小学校に役立てばの気持ちはある。
 朝になって集めていたダンボールと雑誌を紐で結び束の新聞紙などと、倉庫の戸を開け道路から見える場所に積み置く。
 各家庭を集めて回るのは児童の親たち、その声を聞くと一安心して一休みしたくなる。私流人差し指耳栓で雑音を防ぎ眠るつもりが「早よ しなはらんか もう行くぜ」
 雨の日は睡眠不足や疲労回復のためにも家で休んでいたいのが本音。「あれを倉庫に持って行って、あっ!これも こっちのはそこにのせて」 気忙しいいつもの外出。
 私の指定席は後部座席、前の助手席から話しかけられ物の手渡しもするので目的地までのんびりうとうとは無理。どうしても緊張感はある。
 ガソリンスタンドで給油し満タンでスタートしたが、少し走って思いだす。 さて倉庫に持って行った電気ポットの電気コードを差し忘れたのでは‥。
 ポットの残り湯を捨て洗って水を入れたが、その時はコードは外している。ポットと他の品は持ったが、倉庫で電気コードをコンセントに差した覚えはない。
 わが家の好意ではあっても、忘れたのは私の責任で申し訳なく思う。帰ってのお詫びの言葉も考え気が重い。夕方帰宅し倉庫の戸を全開にして、電気ポットの小さな赤い明かり見て記憶の間違いがとてもうれしかった。

だれのことかと

2011-10-30 | 共に
 「おじいさん‥」の声に一瞬だれのことかと考えながら振り向く。私が歩いて通り過ぎた道路脇の石に、親子に見える2人の女性が腰かけてはいた。
 ふっくらとした年上のほうの女性が私に話かけてきた。「あそこの畑にあるのはなんですか」私もさっき近くを通り、トラクターで掘り起こしあちこちに盛り積まれた作物は見た。
 地元の人だと間違えられたかと思いながら「芋なんでは」と答える。それでさつま芋だと理解できたということは、2人も予想はしていたのだろう。
 白いライトバンが2人と私の間に割って入り停車した。運転していたのは私より年輩者らしい白髪の多い男性。「おとうさん、やっぱり芋だって」女性が知らせている。
 ストレスのせいもあり?確かに顔も老化中なのは認めるけど、他人から「おじいさん」と呼ばれたのは初めてと気づく。私は年齢差を意識した言葉での呼びかけはしないが、実際どう言えばいいのだろうか。
 帰り道で立ち寄った街中にある道の駅で「おばあちゃん、それ要るの」と地元のお馴染みさんなのか女性店員の声を聞く。高齢のその人は黙って店員と一緒に店に入りレジに並ぶ。
 「おばあちゃん パン食べた? 昼にも買うたよ あれ食べた?」 「おばあちゃん 昼のパン(まだ 食べずに 家に)あったら これは明日の朝 食べるんよ」
 大きな声で何度もゆっくり語りかける店員、わかったのかどうか結局は支払いを済ませた。まるで孫娘と祖母のような微笑ましい光景にうれしくなった。

であいに おくれて

2011-10-29 | 日々
 テレビでは仲間由紀恵主演の再放送を時々だけど見ていた【 ごくせん 】 私としては映画ではヤクザもの、極道の妻シリーズとかセーラー服と機関銃などかなり根強い人気があった時代を想いださせる。
 でも治療に通っていた医院の受付のある待合室の本棚で原作のコミック作品[ごくせん] 作者/森本梢子 出版/集英社を見つけ待ち時間には夢中で読み始めた。
 白金学院は男子高の学級担任になった新任女性教師の山口久美子は、仁侠社会黒田一家組長の孫娘。幼い頃に両親を交通事故で亡くし、祖父とその一家の組員たちと共にたくましく成長する。
 何かとごたごたあってもクラスの生徒たちを守りぬく。『極道の妻たち』を略すと『極妻』だが、極道先生で『ごくせん』 か!?
 集英社の女性誌『YOU』に連載されていたコミックとあとで知りびっくりする。性別年齢に関係なく楽しめる漫画、とにかく『ごくせん』を読めたおかげで 医院の長い待ち時間を短すぎると感じていた。
 心残りは15巻まである『ごくせん』の最後の一冊を数ページ読んだところで、その医院の治療が終了したこと。その日に読み終えてから帰宅する方法はあったが我慢する。通院をはじめての数回は、コミックでなく週刊誌などめくっていたのが影響した。

たかい いちに

2011-10-28 | 追憶
 小学生のころ学級ごとに級長とか班長に放送係など児童にも役割分担があった。何年生だったか母親から「○○は何係になっとるが?」と尋ねられた。
 順番にはニワトリやウサギなどの餌やりや校舎の窓下に植えた花や野菜の水やり、寒くなると水を入れたバケツを下げ小使いさん(用務員)の宿舎兼仕事場である建物にお湯をもらいにも行った。
 大きなかまどで薪(たきぎ)を焚いて大きな釜で沸かしたお湯をバケツに入れ足せば、教室の床に机や廊下に階段と木造校舎の拭き掃除をするとき手が凍えず多少温かく嬉しかった。
 隙間風は入っても暖房はなく霜焼けにあかぎれになる寒さは手を擦れば忘れ、夏になれば窓を開ければ暑さも平気。学校帰りに川で水遊びとか水浴びもした。
 話がかなり飛んでしまったのでもとに戻すが、考えたすえの母に言ったのは「ガラス拭き係」 それでもにっこりしてくれた。
 その後大人なったが地域のグループやに職場でも目立つ役には付いたこと がない。順番に近くて選ばれる程度、地位を狙う野望などとも無関係。
 野山は好きだが野望は嫌い、地位でなく位置には高いのや低いのにも興味がある。今日は1日木に登っての仕事、先日は別の山で木登り、帰り間際に山の上から見たオレンジ色の横に長い夕焼けがきれいだった。

うごく ときでは

2011-10-26 | 平和を
 菅さんが首相を辞任し同じ民主党の野田内閣、より一段と以前の自公政権との違いが見えなくなって来た。与野党協議とは3党会談のこと…?やらせを思ってしまう。
 フクシマ原発事故を受け目覚めた脱原発の流れへの期待も、原発依存症の推進派の世論への巻き返しに、国民の安心・安全・平和より、相変わらず一部の者たちの欲得優先のまかり通る国。
 これからは地球にやさしい原子力発電!? と反核運動の拡大を阻止し弱体化さす戦略が、核の平和利用名目での原発建設だったとようやく公表。
 よくぞ騙し続けて きた結果が原発の爆発をまねく。東西冷戦時代は核実験の数でも軍事力を競う。それは大気圏内の核爆発、日本漁船が放射能で被曝し死者が出た。
 反核運動の盛り上がりは当然のこと。その被曝国で地震国の日本に原発をの発想が怖いだけでなく、隣り町に原発できてしまう。
 無知と飴に将来を売ったと、今回の人災原発事故でどれだけ近隣住民は気づいたか。結局大多数が建設賛成、だが引き抜き寝返りにも負けず信念を捨てず反対運動をした人たちもいる。
 ある時期に運動仲間とは離れたと噂は聞いたが早期の反対運動に参加した知人が、今回のフクシマ後に脱原発か何かで行動を起こしたかどうかを気になっていた。
 人にも尋ねるが「知らんぞ」 先日偶然本人に会った。話が最後のほうでやっと原発問題に、『取材をうけたが 断った』 少々自慢気にも感じる。
 「昔を知らん人が 多なったがじゃけん フクシマがあった今こそ みんなに伝えてや』 『若い人らの学習会でも 立ち話でも何でも ○○さんやけん話してもらわんと』 反対運動は想いでではないはずだが。

よりそう

2011-10-25 | 平和を
 [寄り添う二人!? ヒーターの前では 仲良しです。 離れると喧嘩ばかり。 子供が動き出すと メルは危険を察知するのか 子供に向かって ニャォーとなきつづけ 戦闘モードに入る。 子供も 引っ掻かれ慣れしたのか 少々の攻撃では へこたれません。]
 わが家は寝るとき、布団に昨夜から毛布を一枚追加しただけ。でもその毛布、犬が貰い使っている毛布の方が温かそう。子供と猫の喧嘩も寒さ対策?今日大山に初冠雪。

なにしよる

2011-10-24 | 平和を
 『何しよるがよ』 の言葉と同時にドアを開けスイッチのカチッと鳴る音がガラス戸の外で聞こえた瞬間、真っ暗闇となった。私の返事を待つ様子などまったくない。
 家族の中で1番最後に風呂に入るのは私、好きでそうしているのではなく『私が先に 入るけん』と言う人のため。昨夜はテレビを見てるので「入らんが?先に入ってええか」と尋ねた。
 『いけんぜ! もうすぐ入るけん 30分過ぎたら入っといてもええ』 その30分以上が経ったので「どがいな」 『入らい』と着替えの用意をするようなので、今度はほんとにすぐだろうと私の居場所で待っていた。
 ドアの外で犬と遊んでいる声がする。それにしてもしつこいほどに遊びの間が長く、風呂を忘れているかのようだ。声をかけると今にも入るような同じ返事を聞く繰り返し。
 「今までの時間があったら (私が)先に風呂に入っとけたがに」 と言いケンカではない誤解で一騒動が付属したのちご入浴。順番は1時間以上待ってそれでも私は最後を守れの形。
 やっとこれからを私がのんびりできる時間にと湯に浸かっていたのに、初めてではないが突然真っ暗闇に包まれる。
 浴槽での裸で入浴中のせいなのか、閉所恐怖症かのように不安で長湯などできない。楽しみにしていた入浴の季節なのに『何しよるがよ!! 』 暗闇にして素早く去るので長湯の心配は忘れたようだ。
 現在の日本の状況では庶民的ぜいたくなど非国民だと、政治屋と財界人や官僚から言われた気分にもなる。わが家の風呂の残り湯に浸かるのにも気を使う秋の夜。

ききながす

2011-10-23 | 平和を
 近くに口癖のように皮肉たっぷり相手を傷つける悪口雑言の投球名人、いや迷人がいる。相手がどこを向いていようが、受ける気がなくても関係なく、体に当たって痛がれば喜んでも受けて投げ返されでもすれば次々豪速球を体めがけて投げつけるキャッチボールのできない人。
 いつから趣味が癖になって来たのだろうか。生まれつきではないはずだから歳を取れば治る可能性に賭けていた予想は、どうやら外れて先がない。
 好き嫌いなど危なさはあるげど、それなりに人づき合いは上手。でも演技力に欠けるところを相手が知らんぷりしてつき合ってもらっていたりなどあっても、本人気づかないのかと不思議。
 その人を非難しようとは思わないけど治せばほんとに人に好かれるのに、ただ自分が人から言われて嫌な言葉は自分も人に言わないこと、それだけで気分よくなれるはず‥。
 ほんとのことだと言われればそうかも知れないが、馬鹿!!やボケ!とか阿呆!(関西人じゃ無いけんな)などはとくに直接聞きたくない言葉。
 たとえ私に対してでなく他の人にであっても、それを平気で言える人柄を疑問視する。八方美人の器用さなど無縁だが、誰とも一緒を感じたいので人を傷つける発言にはわりと敏感。
 「人のふり見て わがふりなおせ」 まとも人間のランク落ちだとしてもだからこそ自分の方からは、それらの言葉にだけは反論を止めようと決めた。
 火に油では解決から遠ざかるだけ、冷静な気持ちで話ができればと思う。売り言葉に買い言葉、私も怒ったような喋り方になっている。これも早く無くしたい。

きせつの おとが

2011-10-22 | 共に
 毎年練習を見に行っていたのに今年は祭り当日の踊りだけとなる。早朝から力強い太鼓の音が聞こえて来ると、巡まわりに入り込んだ地形と音の高低差などでおよそ居場所は想像できる。
 わが家では事情もあったが、今回手伝いは別だが唐獅子と五ツ鹿を各1回見るだけで、祭り気分は捨て仕事をすることになっていた。
 唐獅子の他にも祭りの音や声はいくらでも聞こえて来る。それでも唐獅子の太鼓の音には特別気持ちが行く。今があの家だとすれば次はあそこで、その次に何軒かあって‥と時間と移動を予測する。
 例年の到着をかなり過ぎ、待ちきれずに帰宅した。それがちょうどよい時刻で、お隣で踊り始めた音は聞くが見る隙などない。
 部屋にいるときに外から『こんにちは唐獅子ですが 踊らせてもらえますか』とていねいな声がした。「どうぞ お願いします」 返事して急ぎ廊下を走って外に出た。
 自動車が人と道具類を下ろし通過すると、定位置に大太鼓を据え叩きと踊りをする子供が立つ。向かって2つの小太鼓が並び腰かけに座り2人の子供が太鼓を叩く。化粧をし鉢巻を締め着物にばれん、襷を着けてその他慣れない衣装だけでもたいへんだ。
 大太鼓の子供の後ろで大人2人が唐獅子を舞う。荒々しい激しい踊りが多い。1つのだけで受け継いで来たが、特に子供の減少は限界ぎりぎりの厳しさと聞いている。少ない人数で朝早くから夜遅くまで2日間を踊るのは凄いと思う。
 隣り町から来た人たちも見終わって拍手。『こんな獅子舞初めて ほんとにうれしい 見れて良かった』 自分がほめられたようで私も嬉しくなる。

そこでみてたよ

2011-10-21 | 日々
 機能が速いのもほどほどに、今夜のブログの文章ができて数文字だけ消去するつもりが一瞬で全文をなくした。頭の反応が鈍いので文章になるのに時間がかかり、再度完了させるには今日が短すぎて諦める。
 昨日もだが今日はとくに朝から頭がずうっと重かった。朝食を済ませタイマーで1時間の睡眠を取り山に行くと待っていたかのように雨が降り出す。
 昼前まで仕事したが本降りの雨に濡れながら帰宅、風呂でお湯をかぶり昼過ぎまで眠る。昼食後にテレビを見ていると、『なにしよるが!! 病院に行くがやないんが!』
 あわてて用意し大雨の中身の送迎を頼む。病院の先生も『この天候だから、そうでしょうね 気をつけて』 頭痛とぼぉっとしているのは毎度のこと。
 病院から帰って夕食まで眠り、送信間際のブログを消去。残念なので言い訳の文を作ったのに朝見ると送信忘れをしていて、やっと送信する。