忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

すすめるみなおし

2013-09-30 | 平和を
 安倍晋三首相が設置した安全保障に関する有識者懇談会は議論を再開させ、日本国憲法が禁じている集団的自衛権の行使容認を全面的に盛り込んだ報告書を年内にもまとめる段取り。
 それは解釈改憲の積み重ねでの専守防衛政策からの大転換となる。[武力行使の領域が際限なく拡大され、海外での戦闘行為にも道を開くことになりかねない。平和憲法の下値、日本が戦後一貫して堅持してきた平和主義の否定であり断じて許されない。]
 [歴代政権は、日本は国際法上、集団的自衛権を有しているが、憲法9条で許容される自衛のための必要最小限度を超えるとして行使を認めていない。政府の「法の番人」である内閣法制局の長官経験者らも、解釈改憲には否定的な見解を示している。]
 [それなのに政府は、行使容認の目的を国民に十分説明しないばかりか、真正面からの憲法改正を論じようともしていない。衆参で過半数を制した余勢を駆って、歴代内閣が積み上げてきた憲法解釈を独断で変更しようとする姿勢には危惧を感じざるを得ない。] (中略)
 [日本が取るべき道は、唯一の被爆国、戦争を放棄した平和国家として、国際社で核兵器廃絶や軍備削減、外交による平和的紛争解決を主導することだ。強引な政権運営によって、国民を再び危険にさらすような対応を急ぐことではない。]

これもさいかい

2013-09-29 | 追憶
 先日の原発廃棄のシンポジウムの講演などに参加できた。それを原発を抱える地元で開催した身近に感じる裏方の人たちや知人を見て、講演と質疑応答からもだが、私も原発問題に限らず行動しなくても気持ちだけでも強く持ちたくなった。
 それ以前に別の知人からは小冊子をもらっていた。若いころに買ってよく読んでいた冊子の改訂版で、懐かしさもあり簡単にすぐ読み終えると甘く考えてめくり読み始めたのに、最初の数ページで戸惑う。
 最近は後がなくなることも考え、これまでより多少は読書の時間を増やしていた。元々乱読系だったので能力以上の本にも興味を持ち読むことはあり、本棚にもずらり並んでいる。
 関心があったからこそもらった小冊子系も読んだり見たりは多い方、あのころ普通に読めたのに何故と戸惑う。初日は数ページで止め翌日 読むと理解できまた驚く。
 改訂版に大きな基本の違いなどあるはずもなくよくわかって当然なのたが、受け止め方には変化を感じる。この社会で日々を人々共に生きていることを認識したい。
 学生時代から勉強など意識せずに来たが後れ馳せながら自分に、学ばなければという気持ちが芽生えている。「知は力なり」を活用できない私かもしれないけど、無駄にはしたくないが余裕が欲しい。

みみもとだけなら

2013-09-28 | 共に
 [まだまだ暑さが厳しいようです。 朝方は寒いらしく 毛布の中に入れるまで 耳元で ニャアニャアなくようになりました。]
 先日、犬とネコを飼ってる友人が「猫の方がかわいい 足元にすり寄って来るし 座れば膝に乗り 夜はわしの布団にだけ入って眠る。」 「朝は5時前には 外に出る戸を開けてとミャアミャアせがみ、わざと無視すれば爪でわしの顔を爪で引っ掻く」と笑ってた。話を聞きながらメルに会いたくなる。

もったいないごかい

2013-09-27 | 共に
 同じ地区の人から82歳だと聞かされまさかと思う実行力を持っている人。あの戦時中と敗戦時に学生だったのだから間違いはない。
 若い頃から親の影響もあってか、新しい知識を積極的に取り入れていた。ワラ草履を履きつぶしながら幾つかの山を越えて、片道2時間弱を毎日歩いて、職業学校にも通った。
 敗戦後の少ない道路をたまに荷物を運んでいたのは牛か馬で、人は背負うか大八車かリヤカーを人力で引いていた。製材所とタオル工場などは三輪トラックを持っていても、自家用車は村に数台あっただろうか。
 村で自動車を買い乗りはじめたのも早かった。東京など県外にもよく出かけ、珍しい人脈?を得て情報を基に村に新たな風や流れを生み出そうと努めた。
 でも村では変人扱いとまでは行かなくても浮いた状態だった。「確かにええこと 言いよるが この地方では 早すぎる」理解されてもその程度、私も納得はしても実行はできないまま聞く立場だけ。
 彼はずっと自分を通し実践し、とくに地区外に広めて来た。彼の昔を知る私の年代はまだいいのだが、より歳の差がある若い世代となると彼の話を「はったりを言ってる」と誤解しているのではと気になる。
 数カ月前もある懇親会で席を移動しながら彼は話しかけてきた。大企業の創業者や全国規模の会とのつながりに加え、米国における市民と専門家の脱原発での国際フォーラムでの講演に渡米した菅元首相の名前も出た。
 その会議の内容と一緒に同行した人とのつながりまで話が進むと、相づちを打ちながらも若手が数人席を立った。別の席で脱原発批判を話題にしている。
 私は先日の菅さんや前米原子力規制委員会委員長と草の根市民が行動するきっかけを最初に作った人を招いての日本の原発廃炉に向けたワークショップに参加できて、彼の生き方に改めて感心し私も実行できなくても気持ちだけでもやりたいことにつて関心を深めようとの気にさせてくれた。

だれでもお互い

2013-09-26 | 共に
 青空のあちらこちらに白い雲が浮かんでいる。すぐ下では小学校の運動会が行われているはずだが、標高差約200mと地形の関係か音楽も声援も全く届かない。
 あれ!何かな?1人で木に登っていては、携帯電話の呼び出しにポケットとから取り出すのもすぐにはできない。雑音の混じる女性の呼ぶ名は私と違うと数回言って、やっと分かってもらった。
 「すみません」の一言も山では出会いを感じる。帰宅し午後からは地域毎に分かれての町民運動会に参加する。午前中の涼しさとは打って変わって暑すぎる日差しの中、競技は進む。
 途中抜け出し近くの、会社の後輩だった友人の家を訪ねた。玄関で彼のお母さんに「上に居ますから どうぞ」 の言葉。勝手知ったる他人の家ではあってもドアはノックした。
 「たぶん来なはる思て 今年は掃除して待っとったがよ」 どうりできれいに片付いている。まあ普段でもわが家とは比べものにならない部屋でもある。
 彼はベッドに私はソファーに座り運動会のマイク放送を聴きながら、まずは彼の日常と病気についての話題に入る。できるだけ外に出ないようにと一目を気にしているのが心配になる。
 競技の進行状態を上から眺め順番を確かめ、名残惜しいが帰ることした。「季節外れの七夕みたいに、1年に1回来るだけで すみません」と私。見送りに奥から出てきたお母さんから「いつでも また来てやってください 待ってます」をもらった。

おこるとにんしき3

2013-09-25 | 平和を
 とても仲の良い友だちと前米原子力規制委員会(NRS)委員長グレゴリー・ヤツコさんが紹介した、都市計画・建築家で個人として草の根市民と共に原発廃炉問題に取り組む、3人の小さな子どももいるトーガン・ジョンソン氏の講演に入る。
 テレビで福島原発事故を見て、カルフォルニアではどのような影響がでるのだろうかと心配になった。事故後3~4週間経ちガイガーカウンターを手に入れ計って見ると、日本から8000kmも離れたカルフォルニアの牛乳から放射能が感知された。
 そのとき私は自分たちが思っていたより重大な事故だと認識した。このサンディエゴの私の家より約50km?になる。原発は海に面し海岸は公共の場で、暖かく子どもたちを連れ泳に来る。
 すぐそばにカルフォルニア・ハイウェイがある。原発を中心に80km圏内に880万人が住んでいる。福島原発事故を知るまではこんなに恐ろしいと思っていなかった。
 私たちは勉強し資料を集め市役所に相談し、安全性に関する心配を外で話した。州の議員の所にも行き連邦議会にも安全性の問題を訴えた。
 原発事業者とは近い関係にある原子力規制委員会は、きちんとした規制を出すのは不可能と言った。その規制委員会にいた1人の人が、個人として私たちの所にやって来て話し合った。
 その人がグレゴリー・ヤツコさんで私たちは米原子力規制委員会のトップが来て話を聞いてくれたことをとても力強く思った。しばらくして残念なことにヤツコさんは委員長を辞めることになる。
 私たちは州・連邦・市の議員の所に原発から50km圏内の各家々の価値を(政府調べ)持って行った。米国では家が経済・所有物として1番大事なものと考えられているから。
 繰り返し理解を求めているうちに、市の議会議員たちも次第に耳を傾けてくれるようになった。それが実を結びサンディエゴでは全会一致で「住民の安全を1番に最優先する」ことを決議した。
 原発所有者に原発を廃炉にさせる運動・市民運動のために、前米原子力規制委員会委員長のグレゴリー・ヤツコさんや各専門家を招き『カルフォルニア5』を開催した。
 その後原発所有者は株主の特別会議をもったが、意外にも結果は廃炉にするということだった。住民側は『カルフォルニア5』など住民のためにと動いた人たちに感謝し、新聞に米国では珍しい全面広告を載せた。

たよらないしゃかい

2013-09-24 | 平和を
 原発シンポジウムには元首相の菅 直人氏も講演し、討論にも加わり熱く語った。[2011年3月11日2時46分、東日本大震災が発生した。原発は無事すべて停止したという最初の報告から1時間足らずで東京電力福島第1原発の全電源が喪失し、冷却できなくなった。そして実質4日間でコントロール不能、メルトダウン(炉心溶融)、水素爆発という事態に直面した。
 多くの問題があったが、事故処理に当たる専門家集団である経済産業省原子力安全・保安院(当時)の責任者が原子炉のことを知らなかった(略)のには、背筋の寒くなる思いがした。
 (原子力委員会に試算させると)日本の人口の4割に当たる5千万人が逃げないといけない最悪のケースまで紙一重だった事故を経験し、私は考えを変えた。
 今、いろんな人が事故をゼロにする努力をしているが、誰もゼロにできるとは言わない。事故の可能性が少なくなっても、いつかどこかで起こる。事故をなくすには原発を使わなくするしかない。
 また原発を稼動すれば核兵器、原爆の材料となるプルトニウムが生み出される。日本の処分方針はでておらず、そんなに危ないものを子供や孫だけでなく、何百世代先の子孫にまで残すことになる。
 事故を考えると原発のコストは高い。例えば除染費だが、1兆円や5兆円では済まない。それらを計算すれば、原発は最も高いエネルギーだ。(中略)風力や太陽光などの発電技術が発達しており、原発に頼らない社会の実現は十分に可能だ。]
 危険な原発と原子力むらを維持存続させる資金も税金と電力使用料と、元々無計画な核廃棄物最終処分先送りなどで成り立っている。

おこるとにんしき 2

2013-09-23 | 平和を
 ――南予とエネルギーの未来像――と題する【八幡浜・原発シンポ講演詳報】などを地元紙はかなり大きく取り上げていた。
 だが今年6月にカルフォルニアのサンオノフレ原発廃止きむけた地道な草の根運動を進め事業者に決断させた、トーガン・ジョンソン氏に関する重要な記事が無い紙面には不満も持った。
 ◇前米原子力規制委員長のグレゴリー・ヤツコ氏は [原発に関わる者として福島の事故は大変なショックだった。(略)二度と同じような事故を起こさないという大きな責任を感じている。(中略)
 原発事故の収束は大変難しい。除染少なくとも50兆円かかるという試算もある。しかも何十年もの期間が必要で、その間も被曝は続く。
 事故から学ぶべき最も重要な教訓は、原発事故が起こらないと信じてはならないこと。(略)原発事故は起こると認識しなければならない。(略)
 原発を運転するのであれば、福島のような事故が起きても、誰も避難する必要がなく厳しい生活に陥らないという条件がなければならない。
 しかし世界で運転しているほとんどの原発はこの基準に合わない。だからこそ、原発は全て止めるべきだ。
 これからのエネルギーは、福島のような悲劇を生み出すものであってはいけない。人のために利用されるエネルギーであるべきだ。私たちは今、新しい方法を考えなければならない。]

おこるとにんしき 1

2013-09-22 | 平和を
 知人に誘われて原発の在り方をテーマにしたシンポジウムに出席できた。今年6月に米国カルフォルニア州にある原発廃炉の契機ともなった国際フォーラムに参加した主な人たちの活動に強く励まされた。
 各30分間ゲストの講演の後に質問書提出時間帯があり、ゲストと参加者の意見交換も1時間半が予定され突っ込んだ話を聞けた。
 アメリカからのグレゴリー・ヤツコさんは福島原発事故にあたって当時原子力規制委員会(NRC)委員長として、米国政府の事故対応への助言をするなど重要な立場にあった。
 事故後、福島を訪ねた時の様子が、NHKのETV特集『“原発のリスク”を問い直す~米・規制元トップ 福島への旅』で放映された。
 トーガン・ジョンソンさんはカリフォルニア州の原発立地サンディエゴ市近くの住民で、都市計画/建築家。福島原発事故をきっかけに個人として草の根市民と共に原発問題に取り組む。
 ジョンソンさんの脱原発運動に関心を持ちヤツコさんが個人として現地を訪れたのが最初の出会いで親しい友人となる。
 これを知った松山在住で翻訳家の阿部純子さんが菅元首相に電話したことが先の菅さん参加の国際フォーラム開催となり通訳者として同行し、それが四国電力伊方原発を抱える地元でのシンポジウムを企画開催実行にとつながる。

やっとおもてに

2013-09-21 | 日々
 [本日 室温23度。急に寒くなったので メル専用の毛布を出しました。] とのメールが届いたのは9月4日14:41だった。季節限定ものを表に出すのが遅くなり、メルを睡眠過多にさせた。