忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

体と心の傷の深さを

2017-05-31 | 平和を

 2007年3月第一刷発行とある。ドライブ中に読もうと本棚から手に取ったが、よくあることで以前に数回読んだと思い出す。【 写真で伝える 東京大空襲の傷あと・生き証人 】 著者・鈴木賢士 発行所・高文研
[ 一夜にして10万人が命を奪われ、100万人が焼け出された。東京大空襲とは、何だったのか?60年を経て、なお癒えぬ体と心の傷の深さを、カメラと、生き証人の証言を通して伝える!]
[ Ⅰ、今も残る空襲の傷跡 Ⅱ、爆弾と炎に傷ついた人々の痛み Ⅲ、今に残る肉親への思い Ⅳ、「生かされたもの」の責任を背負って Ⅴ、ついに国を訴える東京の被害者たち Ⅵ、東京空襲につながった重慶大爆撃 ]([ ]内、表紙と帯より転記 )
 170余ページの本書には、大空襲を今も伝える各地の物証や、生き証人本人の傷跡や自身の写真が証言とともに記されている。
 この本に載り証言で来た人たちはまだよい?とも思う、語り継ぐこともできず、無差別爆撃の惨状に巻き込まれ命を奪われた人々が 、悔しい思いをした人々がどれだけいたことか。
 軍人・軍属には国が補償し、毎年追悼式典も行うが、一般市民が軍国主義日本の戦争で、どれだけ犠牲になったかは詳しい調査もせず、祈念碑を建てず慰霊祭も行わないまま。
 敗戦後70年を経て、先の大戦の主要戦争犯罪人(A級戦犯)で起訴された岸信介元首相を祖父に持つ安倍晋三首相は、反省どころか再び戦争をする日本へと、憲法違反の暴走を続ける。
 従軍慰安婦と南京大虐殺を否定し歴史を捻じ曲げる宣伝に躍起な政府や日本会議と神社本庁系極右組織。南京大虐殺で日本軍は占領した。そこで国民党政府は首都を中国奥地の重慶に移す。今度は重慶が日本軍の航空機による爆撃目標となり、5年半で延べ8400機の爆撃機が出撃し、爆弾焼夷弾を投下した。
 それを真似たのが米軍による東京大空襲など日本各地の無差別爆撃。後ろめたさがあるので東京裁判でも日本軍の重慶爆撃は取り上げなかっただけ。

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教育ほど恐ろしいものはない

2017-05-30 | 平和を

 【 教育勅語検証し戦争阻止を 】 東温市 男性( 84・無職 )

 ◇教育ほど恐ろしいものはない。戦争が1年長引いていたら、私は特攻兵士としてゼロ戦に乗り散華していたかもしれないと思うと背筋が寒くなる。当時の小学校上級生は、みんな少年飛行兵に志願すると決めていた。
 ◇修身(道徳)の時間には教育勅語を暗唱したり、戦争で勇敢に戦った武将や兵士の話に耳を傾けたりしていた。教育勅語っは徹底的に叩き込まれた。毎月の8日(太平洋戦争開戦日)は、全校生徒が運動場に集合し、奉安殿から教頭先生がささげて運んできた教育勅語を校長先生がうやうやしく奉読した。寒い冬の朝礼は大変だ。鼻水を流し、震えながら直立不動の姿勢で、奉読が終わるまで物音を立てず聞き入った。奉読中、ある生徒が鼻水を音を立ててすすったことがあり、ひどく注意され立たされた。
 ◇5年生になると、全員が勅語を暗唱せねばならず、毎日放課後2、3人が立たされた。今、教育勅語を軽々しく語ってほしくない。勅語がたどった後を検証し、戦争への道は断固阻止したい。]
                                    《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 私の周囲にも軍国主義教育で洗脳された戦争体験者は多くいて話を聞いた。海軍志願は分からないでもないが、特攻隊員となれば無駄死にと分かっての行動。高学歴の優秀な若者を国家の命令で多数殺したのだ。
 お国のため天皇のためと子どもの頃から洗脳され、軍隊に憧れる人間作りに教育勅語を利用した。私がよく話を聞いた人などは嫌な時間や式などが始まる前に、悪ガキ仲間たちと逃げ出しずらかったと言っていた。多分それに、毎月8日も含まれていたのかも。
 先生に叱られたこともないようだったのは、持て余す悪ガキの彼らがいない方が、学校にとっても都合良かったのだろうと私は思う。兵隊に召集されたり、志願することもなく戦後を迎えたおかげで、お人好しの頑固者の私も出会えた、怖いものなしの個性的な頑固者を生き抜いた先輩。

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上手に付き合おう

2017-05-29 | 共に

 【 夫の介護 怒りと決別したい 】 新居浜市 女性( 79・無職 )

 ◇1カ月ほど入院していた夫が退院すると、見事に足腰が立たなくなり、さらに認知症も進んだ。私にかかる介護の負担はますます悲惨な状態になった。予想もしない夫の行動が次々と見られ、私の心は常に怒りに振り回されイライラ感でいっぱいになっていた。
 ◇そんな中、13日付本紙記事「怒り 上手に付き合おう」を読んだ。怒りに支配されないための第一歩はそのメカニズムを知ることで、「ああすべきだ」「こうあるべきだ」の「べき」が他者に裏切られたときに怒りが湧き上がるという。では、怒りが湧いたときはどう対処すればいいのか。それには「イライラを頭から切り離して、6秒をゆっくり数えること」だという。その間、言葉を発するなどの衝動を抑えられれば、怒りの表出はソフトになるらしい。
 ◇私はこれで悩みを解決できると実感した。とにかく今の怒りと速く決別したい。今後、先の見えない介護生活をいかにうまく切り抜けられるかが大きな課題である。]
                                    《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 私はまだ生きているが、母は父がもうすぐ死ぬことを知らず二カ月余、看病した。知れば母が耐えられるかと心配した母方の看護師の妹たちに、私も説得され納得した。
 なので、私の兄弟や父の妹たちに叔父他誰にも言わないで通した。看護師などの経験のある母がどう思っていたかは分からないが、近くに暮らす義理の男性からは、父の代理に私に対し汚い言葉も聞いたが反論はしなかった。
 後になって、「死ぬと分かっていたのなら、言わなかったのに」と言い訳を聞く。叱られなくても、死ぬのを知らせずにいた叔母たちの気持ちは分かる。
 母は夫を亡くした後。言葉も話せない寝たきりの義理の祖父母の面倒を見た。私は脳梗塞で祖父母と同様になった母の介護を病院と家で体験した。イライラ感や怒りは1度もないのは親子だから当然との思い。
 身近な特に大切な人とは他にも、別れの来ることを知りながら共に過ごした。思い出に残せる別れでありたい気配りを感じ、亡き人の代わりにときおり短く伝えている。

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黒潮町の堤防で

2017-05-28 | 日々

 近所からの散歩だと分かる飼い主の服装。抱っこはむり、太り気味の犬が毛並みで、よけい大きく見える。暑くないか、目は大丈夫かと余計な心配をする。

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麦刈りの光景に

2017-05-27 | 追憶

 裸麦では愛媛県が生産量日本一とか?県内消費ではなく麦みそや麦焼酎の原料としての栽培だ。 国道沿いの平地に色付く大麦畑の地方がある。コンバインでの刈り取りが終わった畑では、刈り株?を焼く真っ白い煙があちこちで上がってもいた。
 人は見当たらず、人家や工場か資材置き場に会社の建物などが点在する中でのあの煙。苦情が出ないのが不思議、消防署への許可はもらえるのだろうかとも気になる。
 子どもの頃私の住む中山間地の村では主食は麦ごはん。主食裸麦の自家用栽培をほとんどの農家で行っていた。寒かった真冬には濃い緑色の麦苗を霜柱が持ち上げるので、朝には麦踏をしたものだ。
 段畑の麦刈りは私も祖父母や母と一緒に鎌(かま)を手にして刈り、運こぶ。束ねた麦を家まで背負い、庭でセンバで麦藁(わら)と穂に分け、広げた筵(むしろ)の上に穂を広げ、竹で作った道具でよく叩き、木製の農具の唐(とう)みで風を起こしてごみなど吹き飛ばし、麦と分けた。
 厚みのある大きく四角内面にトタンが張られた木箱が2つあり、それに収穫した麦を入れふたをして保存し、1年分の家族の主食となった。減って来ると麦を炊く時そら豆や干し芋を混ぜ増量する。
 麦藁は、牛小屋の敷き藁用に全て積み上げ保存した。子どもの私の寝床にもなった。牛小屋の後ろにあった藁置き場から牛小屋に運ぶ手伝いもした。大声で呼びかけると向かいの山から山彦が帰ってくる環境がそこにはあった。

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国民と国連の「共謀罪」への懸念は同じ

2017-05-26 | 平和を

 「辺野古の問題と『共謀罪』は根が同じ。国が戦争国家へ突き進もうとしている表れだ」と警鐘を鳴らす。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設への反対派リーダー、沖縄平和運動センターの山城博次議長が22日新居浜で講演した。
 「私たちは暮らしと命を守るという当たり前のことを考え行動している。政府が怖いからと言って縮こまると先がない。自信を持って国際社会へ訴えていきたい」と抗議活動に取り組む思いを語った。]
 『共謀罪』に関しては「憲法違反で、政府に反対する多くの市民の活動を抑えるのが狙いだ」と批判。「この国が、間違っても民主主義を捨てて戦争に走ることがないよう、力を合わせよう」と訴えた。(5/23地方紙記事より)
 プライバシーの権利に関するケナタッチ国連特別報告者が「共謀罪」法案に関し、プライバシーや表現の自由を制約する恐れがあるとの書簡を18日付で安倍晋三首相あてに送った。
 それに対して日本政府はすぐ「不適切」と抗議したという。だが、共同通信社が20、21の両日実施した全国世論調査でも「共謀罪」に関し政府の説明不足との回答が77・2%に達した。北朝鮮にオオカミが来たぞと吠える安倍政権、だが、安倍首相らをオオカミと見る戦前回帰を恐れる諸外国もあるのでは。
 南京大虐殺や従軍慰安婦の歴史からの削除で明らかなように、軍国主義日本が起こした無謀で残虐な侵略戦争の反省もしない国。「共謀罪」は治安維持法と同類。「プライバシーの権利や表現の自由を制約する恣意(しい)的運用がなされることは全くない」大本営発表が信じられない過去を持つこの国がある。
 

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平和な世界の実現には何が必要

2017-05-25 | 平和を

 【 戦争の悲惨さ学べる機会を 】 松山市 男性(53・大学教員)

 ◇4月23日付本紙は、同月初めに東京で開かれた「子どもしんぶんサミット」で、愛媛の小学5年生福原さんが「平和な世界の実現には何が必要か」を全国の仲間と考えたことを報道している。
 ◇私は10代の子どもを持つ親で、愛媛大学でおじいちゃん、おばあちゃんの戦争体験を学ぶ平和学を担当していることから、福原さんとその母、祖母と松山市の西堀端以西を見聞きし、松山空襲の様子を共に学ぶ機会を得た。手がかりは昨年8月の本欄「終戦記念日に思う」特集への祖母の投稿だ。小4だった祖母は妹2人と避難し、妹の服に付いた火を必死に消した。一緒に避難した少年は背中に焼夷(しょうい)弾子弾が刺さり死亡。イモ畑に隠れながら宮前川へ潜伏するなど、大変な不安と恐怖を体験した。福原さんは祖母、母から受け継いだ命の大切さと、死傷した少年や多くの人、愛媛の自然、景観、貴重な品々などを思いやったようだ。
 ◇子どもや学生は戦争と平和についての学習に関心を持っている。戦争体験者の協力を得て、戦争の悲惨さ、命の大切さを学ぶ機会を呼び掛けたい。]
                                    《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) けがれた欲望のために戦争大好きな一握りの大人たちにとって、平和な社会と戦争の反省から生まれた日本国憲法は一番の邪魔な存在。
 子どもたち、若者たち、これから日本の将来を背負っていく世代が、戦争の悲惨さや命の大切さに気付かせないように、日本の近代史を書き換えたり、戦争を美化する教育勅語を道徳に滑り込ませたりまでする。
 お国のために血を流せ、命令する立場のお偉い方々は戦国時代の武将の様に、自らが武器を振りかざしと先頭を駆ける気など全くない。親族を含め犠牲からは逃れる。血を流し死ぬのは格差社会の落ちこぼれたち?…。

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1人の歴史が残ります

2017-05-24 | 平和を

 【 地 軸 】 2017/5/14 地方紙1面下段コラムより

[ 沖縄県石垣島の旧盆行事「アンガマ」のユニークなふれあいに見入った。おじいさんとおばあさんの面をかぶった「祖霊」が家に上がり、共に食べ、踊り、子供らの質問に当意即妙に答えて、あの世の様子を語る。
 ▲「自衛隊はあるの?」「アメリカ人もアフリカ人も、あの世に来たら順に兄弟になって仲むつまじく遊んで暮らしているんだよ。だから武器を持つ組織なんていらないんだよ」。
 ▲松山で上映された沖縄の基地問題を描くドキュメンタリー映画「標的の島 風(かじ)かたか」の一場面だ。島特有の世界観に基づく豊かな文化は「先祖から受け継いだ命だから、子や孫に平和な島を残す責任があるー。基地建設のトラックに立ちはだかり、ゲート前で座り込みを続ける90歳にもなる「おばあ」たち。強さの根源をそこに見る。
 ▲毎日毎日座り込みをし、機動隊に力ずくで排除される。いったい何になるのかと無力感に打ちのめされる青年の問いに「おばあ」は答えた。「「戦争に反対した1人の歴史が残ります」。誇り高く生きる姿に背筋が伸びる。
 ▲沖縄本土復帰から、明日で45年。本島だけでなく宮古、石垣、与那国の各島に自衛隊が配備され、暮らしを脅かすミサイル基地化が進む。題名の「風かたか」は防波堤。沖縄が国を守る防波堤とされる中、平和と民主主義を守る「風かたか」となって闘う人々がいることを、胸に刻みたい。]

 ( 忘却への扉 ) 沖縄の本土復帰が本物となるためには、先の大戦で地上戦の戦場となった沖縄に米軍基地はもちろん日本軍基地である自衛隊基地の必要ない。
 安倍首相の報道への圧力効果かあまり見なくなったが、基地建設反対運動で、ゲート前に懸命に立ちはだかる「おばあ」たちの姿は焼き付いている。
 [ 毎日毎日座り込みをし、機動隊に力ずくで排除される。いったい何になるのかと無力感に打ちのめされる青年の問いに「おばあ」は答えた。「戦争に反対した1人の歴史が残ります」。誇り高く生きる姿に背筋が伸びる。]
 「1人の歴史が残る」。沖縄住民の4人に1人が犠牲になった過去があるからこその国家と戦争へに対する抵抗。「おばあ」の言葉に胸を打たれた。最近浮かんで離れずにいた自死の気持ちが、私にも1人の歴史を残すことがまだあるのでは…と気づかされたようにも思う。5/21 だが、「おばあ」の力は私にはない。

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政治の無関心を扇動されてはいけない

2017-05-23 | 平和を

 【 安倍政権下 改憲気運に不安 】 東温市 男性( 80・無職 )

 ◇私が子どもの頃はモノ不足で、消しゴムさえ店に置いてないことがあり、指につばを付けて文字を消した。戦後、時代が進み、徐々に米国並みの文化的な生活が送れるようになった。スーパーやコンビニなどに品物がいっぱい並んで大勢の人が楽しそうに買い物をしている姿を見るにつけ、この平和がいつまでも続いてほしいと考える。
 ◇若い人たちは生まれた時から今の文化的な生活に慣れてしまっているが、いったん戦争が起これば、これらは全て崩壊しかねないことを強く認識してもらいたい。集団登校の子どもたちを見守っているときも、この子たちの将来がいつまでも安全であってほしいと願っている。
 ◇しかるに、安倍政権が長期になり何としても憲法を変えようとする機運が高まっているようで、不安がよぎる。国民の知らないうちに、内容のよく理解できない法律が次々と制定されるのも不可解だ。決して戦前の日本に戻してはならない。戦争のできる憲法にしてはならない。言論統制など敷いてはならない。国民は政治に無関心になってはいけない。]
                 《 こだま 読者の広場 【 憲法施行70年に思う 】 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) コンビニにスーパーやドラッグストア、隣り町に出ればこれほど必要かと思う数の店舗ができた。だが、村が町となりあちこちにあった文房具店も全て姿を消して数十年がたつ。
 コンビニなど利用するし見慣れたはずなのに、違和感があるのはなぜだろう。商品の種類も増え若い店員たちの客への対応する言葉は、どこも変わり映えがしない。
 接客サービス教育で教えられた言葉の範囲でしか話せない店員が多い。分かってはいるけど、時に私の方から話しかけてみると、たまに、個人として話してくれるちょっとしたことに、うれしくなる。
 安倍晋三政権で言論統制は厳しさを増し機能を発揮し、国民に無口を強いるようになってきた。国民弾圧だけでなく、安倍政権を支えるはずの自民・公明+維新ら党内さえも言論統制で自由がない。政治に対する無関心は危険な今後を表している。犠牲になるのは無関心でいるわれわれだけなどありえず、一般大衆を引きずり込む巨大なアリ地獄、今あるのは虚構の平和。 

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地獄の日本兵

2017-05-22 | 平和を

 【 地獄の日本兵 】 ニューギニア戦線の真相 著者・飯田 進 発行所・新潮社・新潮新書 2008年7月発行 2008年12月5刷
 オーストラリア大陸の北方にある世界第二の大島。西半分がインドネシア領、東半分はパプアニューギニア。熱帯雨林に覆われたニューギニアであの戦時下で何が起こったのか体験者が記録に残す。
 [米軍より恐ろしかったのは餓死(がし)だった 85歳の元兵士が暴く戦争の『醜いはらわた』
 [敵と撃ちあって死ぬ兵士より、飢え死にした兵士の方が遥かに多かったーーー。昭和17年11月、日本軍が駐留するニューギニア島に連合軍の侵攻が開始される。西へ退却する兵士たちを待っていたのは、魔境と呼ばれる熱帯雨林だった。幾度となく発症するマラリア、友軍の死体が折り重なる山道、クモまで口にする飢餓、先住民のうらみと襲撃、そして更なる転身命令……。「見捨てられた戦線」の真実をいま描き出す。]
 海を渡り各地へ進軍した軍国主義日本の兵士たち戦没者と呼ばれる二百数十万人にも及ぶ死者の大多数は、飢えと疲労にマラリアなど伝染病の発症による「行き倒れた兵士」。
 [20万以上の兵士が上陸したあの島の三年間の戦火の流れと戦場の光景を、再現しようと試みたのが本書です。
 何度パソコンのキーボードを打つ手を置いて、謳吐(反吐)の出そうな思いを抑えたことでしょう。想像し得るかぎりの地獄絵図を、遥かに超える実態が明らかになって浮かび上がってきたのです。]
 戦場は違っても悲惨な状況体験はよく聞いた。カエルにトカゲやヘビはごちそうなのは私でもわかった。人肉を食べた兵隊から味の話は、人からのまた聞きだったが、本当だろうか、当人ではと疑った。死なないで帰還はしたがマラリアなど病気を持ち帰った人も多くいた。
 「共謀罪」も自民・公明・維新で強行採決。順序が狂っているが、次は憲法の改悪を強行採決の番。いくら屁理屈を並べても、安倍晋三首相の強権暴走に追随するのが公明・維新の両党の存在価値と競っている醜い現状。見捨てられた一般国民。

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