忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

年末の灯り

2005-12-31 | 日々
 出し遅れた年賀状をポケットに入れ、郵便局のポストまでバイクを走らせる。一枚だけだがせめて年内に出したかった。
 国道との交差点まで行くと、この時間にしては自動車もまるで通勤時かのようにいつもより多い。
 近道になるかと考え、真っ暗な脇道も走る。本通り前方の学校正門前辺りに一台の車が停車している。なぜこんな時間に?
 その町が数年前から始めたイルミネーションの会場の学校だ。まだ長く高く明かりが灯っていた。前に見た時よりきれいに広くなっているようだ。
 まずは年賀状が先だとポストまでの途中にも何か所にもイルミネーションがあった。年賀状を出しに来る人も他に。
 学校前に戻りしばらく眺めていた。お仲間もいた。きれいだけど、年賀状のせいか楽しさの感じがどこか違う。
 新年には似合わないかな、とも思った。冬休み期間中くらい飾られていると後で知った。この町だけじゃない、我が家のも今も毎晩点けている。やって来る子供や孫たちにも見て欲しいから、そうなんだ同じ気持ちかと納得する。

また永さん

2005-12-30 | 日々
 永六輔さんの本をまた読んだ。【明るい話は深く、重い話は軽く】知恵の森文庫 光文社発行 永さんのラジオ番組のTBS「土曜ワイドラジオ東京」
 この地方では放送していないのか聴いたことはないが、それを本で読めるのはうれしい。おしゃべりなのはわかっているが、話題の豊富さには関心する。
 甘い話辛い話うれしい話にほろりとする話。旧いのも新しいのもある。内容は全く異なるが、永さんの話とダブル記憶があったような気がした。
 むかし子供の頃に、祖父母のや母の話し方にも似ている。大人の話も一緒に聞いていたのは、本も少なくテレビなど無かったからこそ話が貴重だった。
 年齢に差が無く話をしたり聞いたりするのは大事。それを気軽に深く教えてもらう永さんのおかげで、祖父母のことも思い出せる。

物入れの片付け

2005-12-29 | 共に
 不自然な形でいつの間にか退職していた元同僚のロッカーを片付けた。いまだに惜しまれる彼がいた頃の仕事ぶりのまま、きれいに残されていた。
 明日の朝からまたやって来て仕事を始めても、なんの不思議もない状態なのにそれは夢だと知っている。
 できればそのまま置いておきたいが、そうもいかず次の人の利用が決まった。思い出を片付けるのは、けっこう疲れる。
 一つ一つの品で、記憶が甦る。次第にここでの存在感は少なくなっていく。でも共に過ごした人たちがいる。彼が忘れられることはないだろう。
 一人である程度片付けたころに次に使う人の荷物が運ばれて来て、説明だけして後は任せた。長居は無用さようならと言いたい気分のままでいたくて、その場を離れた。

欠席届

2005-12-28 | 共に
 行事予定は来春なのだが、出欠確認の締切日が数日後に迫り欠席に印を付けただけでポストに入れた。
 欠席の人は近況報告なり一筆をとの文章もあったが、年賀状の追込みのため白紙ですませた。このようなとき何かは書き添えていたのに、今回書けなかったことが心残り。
 数か月も先の出欠を問われたら、前もって欠席としておくのが後で問題にならない答え方だと思ってしまう。どうせ先のこと何が起こるか分からない。だから、まずは出席としてダメなら予定を取り消せばよいのにそれができない損な癖だ。
 ときには逆もあり、参加しようと思ったらほとんど休まず出かけたりもした。あの頃はそうだったのだ。
 その後出席が減った。人との付き合いは、ヘタなだけで会いたい気持ちはあるから重荷にもなる。出席に印を付けれたらどんなによいかとは思うのだが、休むのが長すぎたようだ。

犬の挨拶

2005-12-27 | 日々
 帰りが暗くなってしまった。気を付けながら交差点を曲がる。後ろの車も同じ方向に付いて来ているので、バイクをできるだけ左に寄せて走る。
 一台目が追い抜き、前になった。ふと目をやるとドアのガラスの隙間から、犬の顔が覗いた。えっ!なんでと一瞬思う。我が家の犬だ。他に注意して走っているので自動車も夜だと似たように見え、犬を見るまで判らなかった。うれしそうな顔をこちらに見せて去って行く。
 信号で前に停まったバイクで気付き、窓を開けてもらったのだろう。寒いのにごくろうさま。間に数台の自動車か入って、バイクは遅れて走る。
 橋の上に家の車が停まっている。何かあったのかと心配になり横に付けると、窓が開き挨拶させてやるのだとまた犬が顔を出す。頭をなぜてやった。「なにしてる。早く帰らないと」少し強い口調で言ったが、喜んでいる犬と同じに私もうれしかった。

手紙を書いてと

2005-12-26 | 日々
 夜の十時を過ぎた頃になって、手紙を書いてと頼まれた。もっと早ければどうにかなったかもしれないが、今夜はとても無理たと断った。
 手紙やはがきを書けないのは知っているはすなのに、せめて手紙にする文章でも言ってくれれば書きはする。
 手紙やはがきは書きたくないのではなく、書けないのだ。書きたい気持ちはいつも持っているのに、なぜなんだろう。
 メールやブログをするようになって、そのうち手紙も書けるかと思っていたが別物のようだ。今も苦手は続いている。
 今回の指示は許してもらえたかとホッとしたが、甘くはなく翌日書かされた。ただ手紙でなくメモのような文でよいことになり、救われたがメモでもつい考え過ぎて、時間はかかってしまった。なんでこの程度の文にと自分でも格好悪い。

歩道トンネルを

2005-12-25 | 日々
 その朝は出かける予定があったが、あいにくの雪になった。除雪作業の人たちも、この冬二度目の出動のようだ。
 道路登り坂の途中の場所に車を置いて、歩きなれない歩道を行く。通勤通学時間は過ぎてはいたが、二人と出会っただけでは寒さもあり少し寂しく感じる。
 やがて歩道トンネルに入る。雪が吹き込んでいるのは僅かの部分で、乾いたコンクリートの路面に足早になる。トンネルはカーブしていて、両側の入り口近くからすぐ外が見えなくなる。かなりの長さ、誰かに会っても会わなくても不安になる距離だ。
 トンネルは曲がっていても風はかなりの強さで吹き抜け、予想外の寒さだ。自動車がすぐ横を走る大きな音に危険を感じる。
 となりのトンネル内の音があれほど響くとは知らなかった。やっと出口で雪を踏みながら少し国道添い行き、細く急な道を下りた。
 遠い昔、祖父母や母とよく歩いた道でもある。そこを歩きたくて、「この車に乗ったら」との親切な誘いも遠慮したのだった。歩いても疲れは感じなかった。

プレゼント

2005-12-24 | 日々
 24日夕方になってケーキを買ってきてくれた。クリスマスツリー?は飾ってはあった。夕食の後ローソクは灯さずケーキを食べた。
 そこへ孫からのファックスが届いた。メリークリスマスと姉弟の共同作品、思いがけなくうれしいプレゼントだ。
 おばあちゃん孫に今夜のサンタさんはとたずねていた。うちにはサンタさん来ないのと意外な返事があったよう。よい子でないからプレゼントはもらえないと諦めている。おばあちゃんが外に出てサンタさんに頼んでみてあげると聞いて、可能性に喜んではいた。
 私が幼稚園児の頃、日曜学校に行っていたのでサンタさんは見てお話は聞いたけど、プレゼントはもらっただろうか。我が家ではあてにもしていなかった。さて、孫たちの今夜はどうなるのだろう。

厄払い

2005-12-23 | 共に
 隣町の神社に厄払いに行かないかと、友人から電話があった。なぜ隣町かと思ってしまう。この町にも神社も寺もあり、お互い氏子に檀家なのに。
 地元でなく他へ詣ろうとの気持ちが分からなくはない。村の鎮守の神様のと唄ったころとは様変わりして、神社も寺も身近に感じなくなった。どこでもたいした違いはないのか。はたして大きく立派だから私たちを守ってくれるとは限るまい。
 権威一番の強いものの味方であっては、庶民にはただの観光対象だけにもなりかねない。神様だったら遠く離れて手を合わすだけで、充分気持ちは通じご利益は同じと信じたい。もちろん神様を裏切らない生き方をする努力を無視してはならないだろう。
 占いなど含め不安だからの神頼みも増えそうな時代かもしれないが、厄は個人だけの問題なのだろうか。厄として悩まなくてもよい世の中であって欲しい。
 神も仏もほんとうはずっと身近にいると思っているから、来年に期待して皆さんの御多幸を祈ると賀状にも書き添えた。

残したら

2005-12-22 | 共に
 あることに長く携わってきた人の遺品が見つかった。押し入れの床が抜けるほどの貴重な資料が残されていたという。ノートに書かれた日記から小さな紙切れのメモ、使えなかった勝訴の文字まで・・・との記事。
 社会に自分がどう関わったか、その生きざまのほとんどを残し託せる人は幸せだと思う。自分の信念を持ち続けた証しでもある。
 個人もそうだが組織やグループ等が活動を停止する時、その集団の財産とも言える行動の指針や実情など含め伝える価値のある資料はどうなるのだろうかと気になる。
 その場所に資料館とかとして残せるものができればよいが、遠く初めての町を通るときなどにそのような施設を見ることがある。たまに立ち寄り特別の思いに会えた感情。自分も一緒にいたような身近な気持ちになれることがある。残してあるからこそのこと。
 過去を消してたり作り替えたりした方が都合がよい人たちが目立つようだ。だからこそ小さくても消さず残すことも大切だと思う。