忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

忘れたい

2019-04-30 | 画像
 昨日29日は昭和の日、それまでのみどりの日を昭和天皇誕生日と変更し2007年に創った政治的な日とか?。昭和の日など机のミニカレンダーを見るまで全く忘れていた。満州事変、日中戦争、十五年戦争、アジア・太平洋戦争、大東亜戦争、朝鮮統治など。米国の朝鮮戦争、ベトナム戦争にも加担した。私にとっては戦争の時代でもある。
 明治生まれの祖父母に父母は、戦前・戦中・戦後と昭和の苦しい期間を生きた。二度と繰り返してはならない年月がそこに。

移動になくては

2019-04-29 | 画像
 「行けなくなった」と電話があったと聞いて、いろいろ想像していた。「あの朝、自動車事故をして…」予想外の話を本人から聞いてびっくりする。車対車だがお互いケガ無く、車の損傷だけで済んだと知り、日数が経っていたこともあり笑い話に。
 後部座席の幼児2人もチャイルドシートのおかげで無事。「なぜ事故ったかは わからない」!?事故るってそんなものかと思う。自動車が生活に欠かせない土地柄、ペーパードライバーの娘にほっとする?

ちっちゃいけど

2019-04-28 | 画像
 大きな不動明王が睨みをきかせていた。わが家にも鉛製だか古い黒ずんだちっぽけなのと私が買ったニ体がある。[悪魔を下し、仏道に導きがたいものを畏怖せしめ、煩悩を打ち砕く…]その力に縋(すが)りたくなる歪んだこの国。

再開したいが

2019-04-27 | 画像
 手術入院とその後のこともあり、ブログを送るの避けがちになっているのを気にしてはいた。だが、1日休むと生活の変化もありつい休み癖もつく。昔、日記帳を買っては毎年数日しか続かないのが多かったのを思い出す。
 手術直後は、とても書ける体調ではなかったがその後、書きたいことは増えるけど、休み癖にプライバシーと文章にするのを遠慮した。だが、書き残してないと忘却は間違いない?。

ただいま お帰り

2019-04-20 | 画像
 学校の帰り道、村の人に出会うたび「ただいま」と言い、「お帰り」をもらっていた。村人誰もに身近かさを感じていた。家に帰り家族は山仕事で留守のはず、誰も居ないとわかっていても「ただいま」が声に出る。
 蒸してあるさつまいもを幾つかおやつに持ち食べながら山に行く。祖父母や母に「ただいま」と言い優しい「お帰り」を聞き作業に加わった。

『ただいま』

2019-04-19 | 画像
 今回は期限切れで追い出されての帰宅??。だが『ただいま』気分をあじわえるだけよいのかも…。同室の超高齢者?は一足先にたらい回しの転院だった、うらやましい?のは毎日何人もが頻繁に様子見に訪れ、手助けし声かけされていた。奥さんが帰ると寂しくなるのかよく大声を出していた人、それに気づいていてからは気にならなくなった。親戚、同級生とも会えた部屋。

知ってる人に

2019-04-17 | 画像
 昨日は元同僚、今日は元上司と思いがけない出会いがあった。一人は数十年ぶり、カーテン越しに名字と声に付き添う家族関係であの人かと想像した。何度も声かけしようかと思いながらも機会を逃した。
 もう一人は向こうから数年ぶりの声かけにびっくり!!完治していなかったんだ?お互い出会ってあまり喜べない場所ではある。葉桜が多くなってきたとの情報も聞いた。