忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

1年生の机

2007-01-31 | 追憶
 知人のホームページが、長男の小学校入学準備の進行状況を写真付きで見せていた。遠くの私の孫も、今年入学で机やランドセルを注文済みのようだ。
 そんなに特別な品で無くてもいいと、子供の品を買った時の反省もある。子供の数だけ新しく買ったが、使わなくなって何年も倉庫に置いていた。それら机は、他の家の子供たちに再利用してもらった。
 私も新しい机は使わないで来た。小学時代までは、板を組み合わせた玩具のような小さな机かリンゴやうどん箱。どれも子供で運べてどこでも勉強?できる品。椅子の要らない正座用だ。
 中学で自分の部屋らしき場所ができ、出窓などが机になった。その後は父の大きな机を、新しい椅子は買わないで使っていた。その古い机は今も有るが、小学校入学時の机?はもう無い。


ナイフ

2007-01-30 | 共に
 【ナイフ】重松清・著 新潮文庫 新潮社・発行 いじめに関する5作品が詰まっている。長い間机の置いたままにしていた。
 読んだら辛くなるかと、表紙のナイフの文字を見て思った。それから時折動かす程度で、一度も開いていなかった。
 その本を借りた相手の到着予定日を前に読み始めた。そこでやっといじめが主題とわかる。ますますひどくなるいじめの実態。
 今の自分には重すぎるか、読むのを止めようかとも思う。でも読み始めると関心は深まる。深刻だけど、どこかに救いのある話でたすかる。
 人権・同和の集まりにも行くが、どこかいじめや差別を人権の言葉で隠していると感じることがある。
 するなら上手にすればよいとか、大勢でいじめ強い者がいじめる側に回る。大人社会と同じなのか。せめていじめたことを悔やむ人生であり、社会であって欲しい。

よつばと!

2007-01-29 | 共に
 【よつばと!】著者・あずまきよひこ 電撃コミックス 発行所・メディアワークス [いつか おとなになるこども。と、かつて こどもだったおとな。 かわらないまいにち。] 6巻まで読んだ。
 左から引っ越して来たとっても元気な女の子。とーちゃんと二人暮らしだが、本当の親子じゃないけど大の仲良し。
 有ったらいいなと有るかもしれないとも思いたい、複雑なのにうらやましくなる家族。よつばを外国で拾ったと言う話は冗談なのかどうか。
 よつばにとっては全てが新鮮、興味津々そして実行してみる。とーちゃんの友だちやお隣さんたちとも、すぐ仲好くなる。
 こんな子供といつも一緒にいる、とーちゃんもすごい。現在わが家に娘と孫が来ている。やっと単語を少し話す孫の、予想外の行動に振り回されてじーちゃんも疲れ気味。
 孫を見ていて、よつばちゃんと同じかと思う。純粋な自由の表現は、何歳までできるのだろう。【よつばと!】に憧れる。

きつねうどんだ

2007-01-28 | 日々
 外出先での食事は、一人だったら食堂で素朴な和食にしたい。庶民のレストランでも苦手で、自分では行けない。カタカナや中華のメニューも避けていたい。
 若い頃にはあちこち仲間と出かけたので、いろいろ食べてはいる。特に嫌いなものもなかった。でもどちらかと言えば、安い和食が好きな育ちだ。
 町ではよくうどんを食べた。なれてきてからキツネうどんも好きにになる。店によるキツネにひらがなとカタカナの違いに意味はあるのだろうか、食堂でめったにキツネうどんを見なくなった。仕方なく肉うどんを選ぶことになる。
 うどんに限らず、いつも注文するので好物なんだと思われている品が、実は代用品の場合も多いが、教える必要はない。
 先日久しぶりにうどん屋の看板の店に入った。メニューにキツネがあり、もちろん注文はそれ。楽しみに口に入れる。
 あれ、うどんと油揚げに味がない。歯触りも違う。だし汁の味はおいしいのに、勿体無い。食べ終わる頃にやっとうどんや揚げにも味がついた。食事時にお客の少ないお食事処の理由はこれか。

こわい怖い

2007-01-27 | 日々
 港まで迎えに行った車から、現在位置のメールが入る。もうすぐ孫たちがやって来る。到着まで一休みするかと横になった。
 玄関近くの声を聞いた。親子で犬との再会を、まず喜んでいるのは理解できる。犬も久しぶりの二人に、吠えたりしない。
 みんなが居間に入ってから、留守番役の私も起きて行く。まだ荷物の整理が始まったばかりで、娘の背中の陰から孫の顔が見える。
 部屋はすぐ入れないほど乱雑なので、ドアだけ開けて待っていた。じいちゃんを見た孫は緊張気味な表情だ。こちらの笑顔にも顔を隠す。
 見て隠れてを何度か繰り返し泣き顔になったのを、ママが気づいて振り返る。「おじいちゃんだぁ」と抱いてもらって初めて「こわい怖い」とママに訴える。
 結果として孫をびっくりさせてゴメン。幾つかの話せることばの中での、怖いと言わせたことを反省し子供に理由を伝える。孫にはまだ分からない。しばらくすると仲直り「じぃ」と言ってくれた。

駅前から

2007-01-26 | 日々
 青空に小さなぼやけた雲が、一つだけうかんでいる。ぐるっと建物が建ちその広い部分のほとんどを道路が並んで占めている。すぐ後ろはぐるっと山だ。
 バスを待ち交番横の、陽当たりの良い場所に立っていた。久しぶりの駅前だ。電車の止まる音が聞こえたが、何人の乗客が降りたかさえ気づかない。
 寂しい小さな町だと、初めて来た人は思うだろう。タクシーたちも待ちくたびれている駅は、町外れにある。道路を走れば幾つもの商店街や港にも通じるがそこも静かだ。
 やっとバスが来た。3人乗ったが、1人は数メートルで間違ったと言って下りた。その後もずっと、座席はガラガカラだ。時々学生たちと高齢者の乗り降りがなければ、貸し切りに近い状態だ。
 地元で路線バスに乗る機会はなくなっていた。「お年寄りに席を譲って…」とか「お立ちの方は気をつけて」との車内放送は無駄とも思う。満員の路線バスを見ることはない。
 生徒たちの登下校には必要なバスも、いつまで走るか心配になる。後部座席の方で、明るい元気な声を聞いた所でバスを降りた。


過去の証明

2007-01-25 | 追憶
 夜になり家に帰ると、友人から随筆集が届いていた。朝、街で偶然出会って短い挨拶を交わし別れている。でもいつも留守の間にポストに入っている。
 数十年間会うことの無かった彼の文章に出会うようになり、たくさんの遠い過去を想いださせてもらっている。
 お互いの異なる過去の部分に会うことには、新鮮さを感じる。忘れない何人もの名前が登場して、私の記憶にまた別の一面を付け加えてもくれる。
 こうして読んでいると、私も子供の頃の文集とか残していれば良かったと今になり悔やむ。母は持っていてくれたのだ。
 若さがそれを捨てさせた。価値の理解できない未熟者には不要品だ。証拠隠滅をと処分した物もある。他人が関心を持つ品でもなかったかと後で思う。
 探せばまだ少しは有るのだろうか。想い出だけでゴミになるのはわかっている。自分の物はなくしたが、母と同じに子供たちの品は捨てられなくて残してある。


勝ち馬に乗る

2007-01-24 | 共に
 宮崎県知事選挙で、タレントそのまんま東さんが当選した。それも他候補者に大きく差をつけて。他県の無関心派としても、まさかとちょっと驚いた。
 結果が出てからのマスコミなど報道を見ていると、嬉しいというかうらやましい気分にもなってくる。選挙民が自分の気持で一票を投じたらこうなるのか。
 当選までのそのまんま東さん、名前だけでない身近さが支持を増やして行ったのだろう。今回は自分のため家族のための一票を入れるかと、変える気持にさせただけでも意義がある。
 政治家としては未知数でも、県の体質が変わる可能性をやっと持てたとも言える。他でもだが勝ち馬に乗ることが、組織や動員で繰り返されて来た。
 それは勝ち馬の所有者と馬に乗った人に、当選の恩恵が戻ってくるのが当然との気持も強くさせる。一票の重さを感じなくさせる。
 その自分たちだけの満足できる保守的な県民性への安心感は、県民にとっての生活の安心感とは矛盾することもあり勝ち馬の敗北もあるのだ。私の一票の大切さがわかる。


ニッケの木に

2007-01-23 | 追憶
 瓢箪形の小さな瓶に入ったニッケ水。遊びに出かけた先で見つけるとつい買ってしまう。他の家族に人気はなく誰も飲まない。
 私には子供の頃の祖父の土産物の想い出でもある。先日も一本買った。今までのと瓶の形も少し違い。味まで似ていなかったのは残念だ。
 我が家にはニッケの木がある。40年ほど前に、兄が同級生から苗木をもらって植えたもので、大木になった。
 「倒れている枝が、邪魔になるから切っておいて」と頼まれているが、以前強風に折れた幹の一部を片付け、伸びすぎた枝を切り落してすませていた。
 切れと言われても、簡単にできることではない。崖の途中のような場所に、兄は祖父の許しをもらい植えたのだ。切るのも大変なほどに成長した。
 そのニッケの木の細い根を乾燥させ、オヤツとして噛んでいた。あの味に近いのが、私のニッケ水。風に折れたら仕方ないが、兄の植えたニッケの木を覚えていたい。

広島の月桂冠

2007-01-22 | 平和を
 ラジオのスイッチを入れると、いつもの番組をやっていない。全国都道府県対抗男子駅伝の実況放送に変更になっていた。
 もう最終区間に入ったところのようだ。そうか、お昼にテレビでも走っていたか。でもどこでの駅伝なのかも知らずにいた。
 県名や走者名に順位といっしょに、宮島とか平和記念公園の地名を聞く。広島だとわかると関心が強くなってきた。
 ラジオでは物足りなく、テレビ画面で見たくなる。子供たちや孫たちの暮らしのある都市を走っている。近くだからもしかしたら、旗を振ってるかも。
 見えるはずもないそんな姿を想像して、テレビを見るために帰った。アンカーの順位争いもだが、応援している人たちとその場所や建物が気になる。
 もう数年行ってはいない。覚え見分けられる建物もないが、ゴールの平和記念公園だけは別だ。トップチームの頭には月桂冠が被せられる。
 戦いではなくスポーツ競技の勝者への賞賛の冠に、平和の大切さを思う。海外派兵に憲法改正まで近づいて見えるこのごろ、平和のタスキを手渡しできる日々が続くことを切に願う。