忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

見せない自分

2006-05-31 | 日々
 自分が何を書いたのか、全てはとても覚えていない。もともと物覚えは悪く自信が無いので、このブログが私の記憶のメモでもある。
 パソコンを使わせてもらうようになってから、ここに以前書いた文を読み返している。検索も利用してそのことを書いているかどうかの確認ができるのも便利だが、物忘れの再確認ともなり戸惑う。
 昨日友人からの随筆集を別の友人に届けてもらった。私のなど比較にもならない彼自身が見える。うらやましく思うほど彼がいる。
 全てを見せることはないだろうが、彼は見せれる自分を生きてきたのが分かる。私はどうかといえば、隠しているつもりはないが自分を見せずにここまできた?
 自分を強く出したことがあっただろうか。見せない自分を再確認しないとずれたり忘れたりしがち、私が私で無くなりそう。書くことで一部を残しておくのも必要かとも思う。

悪口言ってる

2006-05-30 | 共に
 無意味な批判もそうだが、特に悪口は聞きたくも言いたくもない。人を馬鹿にしたり、陥れる言葉はなおさらだ。
 ある人があなたのことでかなりな非難を口にしていると何人もから教えてもらう。気に入らないからだけとか納得のいかない理由に、くどく聞かされる方も反発してみたくなったのか。
 非難なんて正当な理由がなければ逆効果にもなりかねないこと。まして相手が自分より弱いとみての発言なら、言葉の暴力を意識した行動ととられかねない。
 反論しないからと攻撃相手に選ぶのも変だ。意見は何度か伝えたが、聞いてもらうことはまず無いなら黙るようにもなってくる。
 誤解されがちだが、発言の一時停止であって相手への敗北受諾や非難を認めはしない。我慢が溜まるだけなのだ。
 以前別の人がもっと厳しいことになったと聞いたとき、争うなら協力したいと思ったことがある。悪口も加減しなければ、我慢にも限界が来かねない。できればのんびり無口が好き。

乗せてもらって

2006-05-29 | 日々
 昼前から雨が振り出す。明日も雨の影響が残ったら、隣の町まで行きたいのだけどと昼食の時言ってみる。どうせならこれからにすればと許可をもらった。
 雨はあがったようで少し遠いがバイクにするかと考えていると、頼んでみたらと声が聞こえた。結局は車で家族全員出発することになる。
 予定の用件を済ませたところで、時間を延長して先へ進もうかとの案が出る。毎度のことだが、目的無しの行き先の決定者無しが多いのはなぜ。
 今回は運転者の自主行動?に何度か同行させてもらえて良かった。ちょっとした違いが加わる楽しさがある。
 時間に許される範囲となれば同じような場所になることが多い。でも方向や季節の違いや短い脇道など加わるだけで、初めての土地に来たような気持ちにもなれる。
 これも乗せてもらっているからこそ感じられるプラスなのだろう。山の多い町に住みながら、幾つか離れた町の山腹の道路を走るだけで山の緑の豊富な美しさに感激した。

イモリさんと

2006-05-28 | 日々
 昔、農薬を調合するために父が造った小さなタンクがある。水の表面はハスの葉で覆われ雄だか雌だか分からないいもりが時々顔を覗かす。
 私が連れて帰ったのは一匹なのに、家の近所に住んでいたのがやって来たのか4・5匹には増えている。
 お腹の赤と黒のマダラには不気味と言えるが、なれるとかわいい。いたって簡単に手にすることができる。無理して逃げようともしない。
 時折触ってみたくなる。イモリは遊ぶのを喜んではくれないが、動きはかなりのんびりしている。水の住みかに帰してやろうか。その前にタカイタカイをしてやった。

大切だと

2006-05-27 | 共に
「たった一人にあなたが大切だと言ってもらえたら生きられる」番組は忘れたが、そんな言葉をラジオで聴いた。
 いつも大切だと思ってはいても、言葉で伝えたことはほとんどない。飼い犬には言え態度でも表現できるのに、どうして身近な相手にさえ口にできないのだろうか。
 けっして犬が一番大切なのではない。大切と想う人が増えてくると、一人一人に順番なんて付けれない。その人によって大切さは異なっても、大切なことに違いはない。
 誰にも大切な人がいて、大切だと想って欲しい人がいる。その気持ちを伝えたいけど、言葉にできるかできないか。
 心の中では一人じゃないとその人を傍に想っている。いつも一緒と忘れないのに、黙っているから伝わらない不安。
 会えない人の声を聞きたいと、長く想った日々もある。私にとって、あなたが大切とのことばは言いたい言葉のまま残されている。

弱者に対して

2006-05-26 | 共に
 また子供の命が殺人によって奪われた。一つ起こると同様な事件が続くことも多くなる情けない世の中。上も下も相手が自分より弱いと視ての、攻撃をかける。
 猛獣でもやらなことを人間がしているいるようで、豊かさを見せかけてはいるこの国だが、心が歪んだ人たちや心の貧しい人たちが増えているのだろうか。
 国でも組織や個人にしてもその力を誇示しようとすれば、自分達より下の多数を利用してこそ成り立つ仕組みを作り上げる。社会の歪みが必要なのか。
 それで得る利益をどうできる限り独占するかが、主目的である社会なのかとも思えてくる。自分のものも人のもの自分のもの。社会のために使うなんてもったいない。
 庶民は自分にぶつけるか、そのまた弱者に憂さ晴らし。弱い者いじめが恥ずかしくない人々、見つかからなければ良いじゃないか。どこかに悪魔が潜んでいるとは思いたくないのだが。

田んぼを忘れ

2006-05-25 | 平和を
 雨、雨、雨、「よく降りますね」やって来た知人と外を見ながら立ち話。これからの季節、誰とも似たような話で始まる。
 彼は隣の町からこの町の会社に勤めているが、休みの日には農作業に精出す。となり町には野菜畑や田んぼが多い。
 もう田植えは終わったのかと尋ねてみる。五月に入ってすぐ行った隣の県では、田んぼに水が溜められ稲苗がきれいに並んで植わっていた。
 雨は田植えにもってこいだと思っていた。その返事は、まだ植えていない。雨が降り続くと土が湿り過ぎ、田んぼを耕すこともできないでいるという。
 できるだけ良い米に育てようと例年なら二・三回は耕すとは、田んぼを見ることの無くなった町に暮す者としては無知が恥ずかしい。
 世界には飢餓に苦しむ国が多くある。この国ももっと農業を重視して欲しい。国を守るとは憲法を改正して軍事力を強化することではない。
 国産の農産物自給率増加こそ、異常気象時代への国防であり平和の守りではないか。耕作を数年休んだ田んぼでも、稲作りはできない。再開には大きな手間と費用が必要となる。我が家も祖父母家族は稲作をしていた。日照不足も心配だ。

じょうまえを

2006-05-24 | 追憶
 テレビ・ドラマなどは見なくなった。本やマンガのほうがましと思ったりもする。時代劇が好きと云う訳ではないが、他の代わりに見ることがある。時代劇の小道具の中に祖父母たちと共に暮した、日々の暮らしと重なる品を見付けられるからかもしれない。
 たとえば盗賊が押し入る土蔵の扉にある錠前。あれほど大きくも立派でもないが、同じ形の錠前を使用していた。
 実際に家を留守にする時に錠前を閉めていたのは、家族の住居だった母屋と蚕室だけ。下納屋などの錠前はぶら下げてはあったがいつも閉めた訳でもなかった。
 子供の頃はあの古い錠前で戸締まりをしていたが、新しく建て替える以前には、もう錠前を使わなくなっていた。鍵を閉めることを止めたのだ。
 敗戦から時が経ち、世の中が落ち着きもしたのだろう。安心できる村になったのだ。貧乏仲間の我が家にさえ、ドロボウが入る時代だから錠前が必要だったのだ。
 それから家に鍵をかけない年月が長く続いたが、現在はまた安心が減り始めて出かける時は、戸締まりを確認し鍵をかけることを忘れない。庶民にとって錠前も暮らしの平和と関わる品だ。戦争にも永遠の鍵をかけたい。

少女の夢

2006-05-23 | 平和を
 【平和への夢】自爆攻撃にまきこまれた少女の日記 原詩 バット・ヘン シャハク 著者 「平和への夢」出版委員会 発行所 PHP研究所 に逢った。
 [平和の実現を祈る子どもの切なる詩を世界の大人はどう受け取り、立ち上がるのか。]と帯にはあったが、大人にこの少女ほどの理性があれば、平和が夢ではなくなるのに。
 ちょうど十五歳の誕生日に友だち二人と共に、自爆テロの犠牲となったイスラエルの少女バット・ヘン。生きていて欲しかった彼女の姿を本の中に見る。
 小学校二年生の時の祈りには[戦争がありませんように。平和でありますように]ともある。そして無くなる三ヶ月前、[わたしにも夢がある――この世が平和になること。]と詩の一節に書いている。
 なぜこんなにまで願い続けた命が奪われたのか。少女の両親は悲しみや恨み続けるのではなく、娘さんの心と共に行動する。
 「和平へのイスラエル・パレスチナ遺族の会」もその一つ。[愛する人を亡くした「痛み」を共通項にして、分かり合おうとしている会]ご両親の広島平和公園での写真もあった。

見舞いの部屋で

2006-05-22 | 日々
 長い間申し訳なく思っていた見舞いに、やっと行くことができた。一番上の階まで歩いて上がるとすぐの部屋の奥に顔が見えた。
 ちょうど昼食の終わったころで、まず短い言葉を交わす。交替の付き添いは娘でもある妻の日で、窓際の椅子に腰掛けている。
 高齢にしては思ったよりも元気そうでホッとする。話をしたいことは幾らでもあったのだが、長い入院に少し弱気のようにもみえあまり話すのは遠慮する。
 相部屋で他に三人の患者さんがいっしょにいる。時には世間話でもするのだろうか。そんな気持ちがあればよいのだが。付き添いのいない向かいのベッドの人に妻が話し掛けたら、すごく元気な話が返ってきた。話のできる相手を待ち焦がれているかに見えた。
 義母も母に似たところがある。身体の不自由になった自分のために、人にできるだけ心配や迷惑をかけたくない。頼んでいいのに我慢する。
 みんなのためにと精一杯働き通してきた。子供や孫や曾孫たちをいつも気遣ってくれた。これからは子供や孫たちに笑顔で甘えてもらいたい。