忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

だれにおみやげ

2009-09-30 | 日々
 観光など遊び目当ての旅行に出かけることはほとんどない。だから誰に何をおみやげに買って帰るかと考えずにすむ。小学生の孫娘は修学旅行で関西方面に行ってきた。
 出かけるずいぶん前からいろいろと悩んでいたが、一番がおみやげをどうするか。お菓子や飲み物類持参は禁止されているのに、お小遣いは4000円までと決まっている。
 今どき少なすぎるのではとおばあちゃん「たぶん他の子たちも余分に持って行くと思うよ。それだけ別にして使わなければいいのだから。必要になることがあるかも知れないよ」
 修学旅行前日の電話で「やっぱり4000円だけ持って行く。だれかが話していたのを聞いたようで、先生が『もしも余計に持って来た人がいれば、後で親に学校に来てもらいます』って」
 「おばあちゃんたちには何も買わなくていいから、帰って旅行がどうだったかみやげ話をたくさん聞かせて」を孫娘に言っておくのは忘れない。それでも予算内で工面して残金わずかまで使い、楽しい修学旅行の話を聞けた。ちょっと大人になったかとも思う。
 孫たちと別れる日に持って帰るための買い物をする。1つの安売り店でまとめ買い、遠い他県で飲み物と食料品だ。私が留守番役におやつをおみやげに探して いると、同じコーナーで連れが「これ安い」ドッグフードの大袋を追加する。愛犬だけはおみやげをすぐにはもらえないので、私たちが早く帰った方が大喜びはしてくれるのもわかっている。

初めて見る顔

2009-09-29 | 平和を
 ケータイの呼び出し音がなった。登録アドレスが表示されるが、誰からの用件まではわからない。だが声を聞いてすぐにわかる。『○○です。私の声を聞けば いい話じゃないのですが』と彼も言う。
 知人が早朝死去され今夜のお通夜だとの連絡だった。彼らの会社の創業者の1人でもあり経営者の肩書きの時期もあったが、存在感の薄い影武者のような印象を持たれてもいた。
 日本帝国の敗戦後すぐ若者仲間で事業を始め大きくした人だ。仲間内の別の1人からは当時の様子をよく聞いていたのだが、なぜか知人の名前はほとんど出なかった。
 本人から当時や敗戦前の話を聞きたいとずっと思っていた。ちょっと離れた関係ですれ違いでの挨拶程度、そんな時気さくな会話ができそうな気持ちになる人だった。変わり者と陰口をたたく者もいたが、それは個性と身近に感じる。
 蝋燭の火を移した線香を立て、遺影を見ながら手を合わせる。何時の写真なのか記憶にない知人の顔。棺桶は顔の部分だけ開いており、末期の水を唇にあてる。
 ふっくらとして心地良い眠りに入った健康そうな顔は、痩せた遺影同様初めて見る顔だった。隣りの知り合いたちも初めての顔だと驚いていた。もしかしたらあの顔が彼の素顔かも、彼がもっと早く自由を選択していれば私もあの顔の彼と会話できたのに…。彼と話ができたのは数回だけで、その1つ『戦争は絶対に駄目だ』の体験者としての言葉が強く残る。

ほんとに見えたって

2009-09-28 | 共に
 『バイバイまたねー!○○くんバイバ~イ』いつも○○姉ちゃんと言っている伯母さん家に、いとこで幼稚園児の運動会の応援がてら私たちが連れて来た孫娘を送り届ける責任がある。
 小3孫の方は春に少年野球チームに入ったので、土曜日曜は親子共々練習や試合があり姉弟が1日一緒に行動することは減少した。家に1人も淋しいだろうと今回も途中立ち寄り孫娘だけ連れやって来た。
 最近では孫たちが出会えば、男の子どうしの遊びが多くなっていた。今回の相手は孫娘だけだがさすがお姉さんで、1人っ子の孫と上手に仲良く遊んでいた。疲れているはずなのに、2人共お昼寝も休憩もとらずに遊びの時間。
 外出の自動車にも2人並んで腰かける。降りての移動は手をつなぐか抱っこと甘えんぼう。別れの時間ぎりぎりまで遊んでいた。もうお別れが分かっていない。
 お父さんに肩車されてのお見送り。『バイバイ』の声も小さく笑顔を見せる余裕はない。10mも走らずすぐカーブで別れ。しばらく進んでケータイで様子を聞く。やっぱり悲しくて涙を流し、お父さんとゲームに出かけたところだった。
 そんな話を聞いて孫娘も悲しくなり、おばちゃんの膝枕で涙を我慢しながらぐっすり眠る。家に帰ると孫もいた。話してぎゅっうと抱きしめ、別れの時。何度やってもきりがない。走り去る車に向かって手を振る姿が暗闇の中に見えるようだ。後部座席の私は小さいライトを振っていた。通じていたのをあとで聞けた。

かんちがい

2009-09-27 | 日々
 吉田遠志・動物絵本シリーズ◆アフリカ◆ 発行所/ベネッセコーポレーション 孫が地区の公民館で借りて来た絵本を読ませてもらった。孫も同じ本も何回も借りているのだが、母親は『本人わかっているのだかどうだか』
 内容は結構深く、大人向けともいえる絵本だ。4歳児が繰り返し本を借り読み聞かせをせがむのは私も理解できすにいるが、孫がこのシリーズに興味を持っているのは事実。

 〈5〉【かんちがい】はサイの親子の物語。親子はゾウの群れに出会い、勘違いから母サイは大けがを負う。サイの背中にとまって行動するサイドリ(ウシツツキ)がいるのも知った。
 [ダニや虫やときには傷口で固まった血を食べて、動物たちのからだをきれいにする。とまる相手がきまっていて、…]大自然の中でサイと小鳥が共存するうれしくなる光景が浮かぶ。
 〈13〉【じひびき】は、水と食物を求め命がけの移動をする、ゾウの群れに起こる悲劇。ゾウの知恵と家族愛によるつらく悲しい行為は、そこまでゾウならできるかもと思うお話。
 〈15〉【いなびかり】 仲間とはぐれ1匹になったヌーと、ヌーを獲物と狙うハイエナたち。逃れ疲れ切ったヌーの前ライオンが‥。連帯感と孤独感、弱肉強食と自然の脅威。色鉛筆?で描かれたアフリカの大地と動物たち、お別れまでに3冊を読めた。

遠い所で元気を

2009-09-26 | 共に
 招待状が届いた幼稚園の運動会にやって来た。まさかこんなに暑いとはわからないから応援は長袖シャツ、それでもテント下の来賓者と敬老用の椅子席に座れ感謝する。
 数回入った印象では、きく組とそら組で園児30数人の私立幼稚園の狭い運動場で運動会ができるのだろうかと心配になる広さ?今日の運動場と周囲に観客席まで見れば、こんなにあったのかと意外に広い。
 家族のビデオ撮影役を買って出たが、始め使用法を忘れていて教えてもらって写せるようになった。さすが主役の園児たちは、張り切って元気いっぱい演技や競技を見せてくれる。
 種目の組み合わせも上手くできていて、応援席を飽きさせることもなく賑やかで楽しい半日を過ごせた。孫のこんなに頑張るのかと感心する一面も見れ、私たちも参加できた。
 運動会で疲れ眠そうにしていた孫、昼食と今朝私たちの車に加わり応援にやって来た県北の孫娘がうれしい相手。運動会同様はしゃいで夜更かしまで。そう、今日の撮影したビデオも夕食前後にみんなで感想を言いながら見て楽しんだ。いい思い出の1日が増えた、幸せを感じる時間の積み重ねを大切に思う。

ことばを使い分け

2009-09-25 | 共に
 友人から役所に電話したさいの担当者の応対について、ちょっと腹が立っているとの報告を聞いた。『何度も問い合わせの電話をされても…‥ あと2~3ヵ月待ってもらえは‥…』では返事解答になってない。
 昨日の電話に出た人も名乗らないが同じその人だった。昨日の市民からの疑問に関して担当者は調査しているだろうから、わかった所だけでも知りたいと再度電話する。よくあることだと思うのだが、その担当者は理由を言わずに迷惑そう。
 以前に何度か用件を受けた女性担当者は、最初に部署と姓名を言って丁寧に話を聞いて説明する。市民に対して当然かも知れないが、感じが良くてまだその人の名前を覚えていた。
 『1ヵ月から2ヵ月はかかるかもわかりませんが‥‥』とは聞いている。だから2ヵ月経って確認の電話をしてとこが悪い。なのに市の段階では『県に聞いてもらえば…』県の段階に問えば『それは市の方に訊ねて…』
 そのあげくがまだこれから2~3ヵ月待ってでは納得できない。彼の腹立ちはわかるが、怒りのぶつけ方には冷静に気持を落ち着け考える必要がある。人を見下げた応対をする相手に、こちらから例えことばで厳しく言っても逆に反撃されかねない。
 いつも彼の話を聞いて私の考えを話すだけ、問題は大きくならずに代わりに担当者と話しのできる人が見つかった。相手によって態度を変える人は意外に多い、出会うとその人の貧しさが見える。

もっと向こうに

2009-09-24 | 平和を
 信号待ちで停車中の自動車のサイドミラーをいきなりガクッと乱暴に閉じたのは、後ろから走って来たバイクの男性だった。ドアのガラスごしに睨みつけ、きつい口調で文句を言う。
 「もっと向こうに停めろ! こっちを空けて停めれるやろ!」車内を覗き脅しをかける。申し訳ないが締め切った窓では大声も響いまでは聞こえない。こちらは脇道で前方は大通りの三叉路でしかも赤信号、停車義務を守っていただけ。
 そこに遅れて走って来たバイクは自動車後部で停車せず、より前方に出ようと左側から無理やり追い抜きをかけサイドミラーが邪魔だと無断で閉じた。スピードを落とし注意すれせば、通れる幅はあったはず。
 サイドミラーが壊れていなければと思いながら、興奮した相手の目をじっと見つめていた。自動車の2人は黙ったままバイクの男性の次の ことばを待つ。バイクが動き出すのと助手席の私がバン!と強く窓ガラスを叩いたのがほぼ同時。
 暴力で返すつもりはないが、相手がもっとごたごた言うのなら私も黙っていない気持ちになっていた。「ガラスを叩かないで」運転席からそれだけ注意された。バイクの男性は青い信号で横断歩道を渡り曲がって歩道をと、ずっとバイクを押して歩いていた。なんだ急いでいたからでも無かったのかと拍子抜け。必要ない乱暴と大声に出会った。

本当に緑のカーテン

2009-09-23 | 追憶
 山里育ちに近い暮らしも、さほど変化していないとも言える。道路は根を張ったように延びて、家々は多少だが減り新しくなった。開墾され山林は標高の高い部分で残っている。
 何軒かあった製材所も今はない。農家の栽培する主な農作物も変わって来たが、緑に囲まれた山里の雰囲気は昔の気分に戻れる。果樹園が所々で廃園となり、雑草に覆われた景色にもまた別の緑がある。
 朝、道路を歩いているとプレハブの物置倉庫の窓ガラスの内側が気になる。緑のカ-テンが閉じてある。いや野草が室内でこんなに茂るとは、中を覗き確かめたくなった。

思い出ずれたが

2009-09-22 | 共に
 町の大きな行事が開催された。各別のテントもずらりと並ぶ。日陰にすれば心地良い風を感じ、風のわりには土煙も気にならない程度で助かる。他ののテントの後ろに立っていると、誰かに声をかけられた気がして振り向いた。
 「お久しぶり、元気だった?」の言葉に、私も挨拶を返しながら誰だったかと考える。名前も住んでいる所もよく出会っていた知人とまではわかる。だが何関係での知り合いだったか忘れていた。
 『』差別問題の座談会仲間とも似ているが違う。お互いに親しみのある関係で会話は続く。彼から私の兄のことを聞かれ、職業も思い出し話がひろがる。立派な体格だが体の調子はよくない部分がある。
 だけど地区の関係する行事には無理してでも参加する。今日も幾つかこなす予定だとも言う。元々小さななのに、高齢者や体の不自由な人はいても若い人が少ない。
 人数が足りない(増えない)理由の1つが、に来て住む人たちはいても『』入りしないから‥と聞いた。義務ではなく自由ではある。「」とは[①比較的少数の家を構成要素とする地縁団体。共同体としてまとまりをもった民家の一群。村の一部]と広辞苑。 『』と人権を考えるひとときともなった。

招待状が届いた

2009-09-21 | 共に
 夫婦宛てに届いた封筒表側の下の部分に広島市立の印刷文字を見て、どんな内容かとちょっと考えた。その2行目に幼稚園名とその下には詳しい住所があり、それがわかればおよその予想はできる。
 先日絵を送るからと娘から電話があった。多分その絵だろう。封筒の裏側には差出人の名前と住所で、孫の名前が書いてある。幼稚園から持って帰った絵と手紙を封筒に入れ投函したものだとばかり思っていた。
 おじいさま おばあさまへと書かれた手紙文は、幼稚園長さんからの運動会への案内状だ。[…「敬老の日」にちなみ、「おじいちゃん、おばあちゃん、いつもありがとう」「いつまでもお元気で」の気持ちを込めて、絵手紙を送ることにしました。…]とある。
 絵手紙はA4の紙いっぱいに野球場が描いてあり、バットを持った孫がいる。代筆の説明文には『ばあちゃんとじいちゃん  おとうさんとおかあさんとやきゅうをみにいっているところ こんど あそびにいったら ガンバライトを いっしょにしたいな』この文のおかげで、どうにか何の絵だかわかる。
 [かけっこや鬼ごっこが大好きな○○くん 力いっぱいに走っています 運動会にむけてとてもはりきっています]これには署名がなく先生の文章にも見える。後で娘に電話しているのをそばで聞くと、全て幼稚園で実行したうれしい気配り。だが、おじいさま おばあさまへの文字を見ると、後期高齢者と仕分けする異常な組織は変われるかも気になる。