忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

ホタルの光

2005-05-31 | 追憶
 蛍の光窓の雪と歌にもあるが、どちらかといえば蛍だったら電灯代わりに使えるかもしれないと、子供の頃手の中で光る蛍を見て何度か試したことがある。
 そうあの頃蛍は、夜が明るいくらいたくさん飛び交っていた。虫かごに露草を入れ、夜を待ち蛍を集めた。点滅はしているが、まとめると期待が持てそう。
 暗い部屋の机の上に虫かごを置き、本を開いて近づける。目を凝らし読もうとするのだが、結局諦めることになる。役目を果すことなく、蛍たちは開いた窓からもといた野山へ帰って行った。
 蛍が村中にいた頃には、今のように蛍祭りなど行われなかった。蛍の育つ環境づくりをするわけではなく自然に委ねるだけだから、蛍は次第に減ってきて蛍は僅かの蛍祭りとなる年もある。
 ほとんどいない年だと、他所から蛍を見にやってきた人たちの側を通る時など恥ずかしく申しわけない気分にもなる。
 先日も蛍を見に行ってくると出かけた家人たちが、一時間ほどして帰ってきた。いそうな場所をずっと歩いて八匹の蛍に逢えたという。蛍探しで運動にはなったようだ。
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旅立ち

2005-05-30 | 日々
 三月にこの地で誕生した孫が、迎えのパパの車でわが家を離れる日の朝、庭で抱っこしながら記念に一枚。愛用の従兄のお下がりを着て眠っている。
 痛わしいほど細かった手足も、太り過ぎかど気になるほどずっしりし踏張る力もかなりある。泣き声はあまり聞かなかったが、最近ことばに反応し会話の真似事ができだしたりと、日々の成長が楽しみだった。
 いつものように?どたばたしながら帰って行った。心配していたフェリーにも無事間にあったとメールが入りほっとする。
 静かな山の中の一軒家での暮らしから、都会は駅前アパートでの生活と激変する。電車や自動車の騒音と、パパのイビキ。その環境の中大きくなる。

 昨日は、犬に孫の名で呼びそうになった。今日は帰って来る時わが家が見えてきたら、ああもうすぐ孫に会えると思ってしまった。
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気分転換

2005-05-29 | 日々
 周りにパチンコ好きが多い。愛好会状態で仕事が終ると毎日のように状況報告、攻略法や上方好感で盛りあがっている。
 私は聞くだけのお付き合い。あんなに夢中になれるものを持っている人が、羨ましい気もする。やっていたことはあったが、いまの台にはついて行けない。頭を使う遊びはしたくない不精者だ。
 まあ中には借金まで作って、病気だからと言いながら楽しんでいる人もいる。パチンコ依存症の人たちのウェブサイトを見ていたことがあったが、かなり深刻なゲームにもなるようだ。
 一喜一憂、自己制御ができる人には、気分転換や集中力とか判断力を高める?効果もあるかと聞くがどうなのだろう。
 パチンコのような即効性の気分転換法は持ち合わせていないが、休みの日の山仕事はかなりの気分転換効果となっている。それと毎日の愛犬とのつきあいなど、どれも夢中になることはないが遅効性が性にも合っているようだ。急がずのんびりが楽。
 
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ミニコミ紙を

2005-05-28 | 追憶
 ドライブ中などで立ち寄った町で、その土地に根ざしたミニコミ紙を見つけ開いて見ることがある。時にはもらって帰る。
 知らない町の人々への興味が湧いてくる、個性溢れるミニコミ紙との出会いも楽しい。冊子よりも新聞の方が手軽で身近な感じがする。
 小学六年生の時、一枚の壁新聞らしきものを作ったことがある。手書きで子供らしさのない4コママンガをつけた。見られるのが恥ずかしかった。
 青年時代には定期発行の内数回だが、4ページの新聞作りを体験した。記事の依頼から編集やカットなどほとんど一人。上の目を意識しなくてもよい紙面作りは、責任は感じたがおもしろくもあった。 
 団体組織の編集方針はあるとしても、自由な真実に興味があるのであって検閲や監視の入った紙面は見たくはない。
 家族新聞などを作りたいと思ったこともある。いまならパソコンで手軽にできるだろうが、未完成のまま終った。もらった近代孔版技術講座やその他の本と、新品同様のガリ版セットはいまもある。
 
 

 
 
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地震で

2005-05-27 | 日々
 ズンッ!という重い音と共に突き上げるような感じ、地震だと身構えるが一度だけで揺れも一瞬だけ次はなかった。
 外にいてこれだけに感じたのだからと急いで帰ると、家族から震度3との報告を受け安心する。他県に暮らす弟からも、早々と被害を気遣う電話があったと聞いた。
 地震でも台風でも、この地域の名が全国放送で流れると、あちこちから電話がある。短い会話に気持ちが伝わる。気にかけてもらえる人がいることが、心強くありがたいと思う。
 異常気象で片付けられないほどに、近年の大災害はひどい事になったと不安が付きまとう。昨年の台風で倒れた我家の山の木もいまだにそのまま。
 いままでに被害を受けられた人たちを思うと心が痛むが、無事に過ぎるとほっとする。今年の台風をもう心配している。
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枇杷の木に

2005-05-26 | 追憶
今の季節の枇杷の実には、袋が被せられている。害虫や日焼けを防ぐため、摘果をしながら一個とか二・三個ずつ紙袋に包んでいく。遠目で見ると花のようでもある。
子供の頃、春になるのが 待ちどうしかった。新芽が伸び樹液が活発な時季、真っ直ぐで手ごろの枝を選び切りとる。
 刀を作るのだ。祖父や兄、年上の子供たちからも教わった。そんなことにも皆自分なりの技術とこだわりを持っていたようだ。
 柄との境にぐるりとナイフで切れ目を入れ、鞘になる部分を樹の枝などを使って十分に擦ってやる。そして鞘と柄とを別々に握り、力を込めて逆に捻ると鞘がはずれ筒となって抜けるのだ。
 あとは刀身となる部分の形を削り出して完成となる。小さい頃には小振りの枝で、年齢に応じて自分の限界に兆戦した。
 子供たちは誰もが自分の小さな鋸やナイフを持っていた。怪我もし痛さや治療法も果物の皮むきも身につけた。作るのは木の刀など木や竹のおもちゃだ。武器として使うことは考えもしなかった。
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けんまくで

2005-05-25 | 共に
 ある人が長となる最初の集まりの席で、前任者をすごい権幕で非難したと数人から聞いた。怖かったと言う人もいた。
 長になったその人に、何がそこまでの態度をとらせたのだろうか。その権幕の爆発にあきれ、残念がられてもいた。お陰で裏?の経緯も見えてきた。
 似たような話はよく見聞きすることではある。仮に問題があったのなら、今後全体に理解され受け入れられるよう、どのように改善して行くかを示せばよいだけ。
 政治の場や団体組織、会社などでも派閥で固めたり報復人事まであったりとも聞く。どのような理由があろうと恫喝的権威の誇示となっては、人格にも関るかっこうの悪い判断材料ともなりかねない。
 取りまとめというか世話役は重要で、頼りにし感謝や尊敬もしている。それは私たちのための重い責任を担ってもらっているから。
 指導的立場の職責に、権力もくっ付いていると勝手に誤解してもらっては困ったことにもなりかねない。お手柔らかに。
 
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貢献の賞状

2005-05-24 | 平和を
 海軍水兵服姿の男性の写真と賞状が入った額がかかっていた。先の大戦で、軍人として御国の為に貢献したのでこれを賞すということらしい。
 戦死した弟さんのだと思って聞くと、うちのお父ちゃんのだと言われた。平成五年と総理大臣の名前。なぜ死ななかった人に今ごろとの疑問。
 そうかこれも戦争ができる国造りの一環としての行為なのかと一人納得する。自らも被弾し引き攣った傷を持つ。何度かその傷を見せてもらったことがある。
 過酷で悲惨な軍隊時代しか懐かしむ青春を持たない人に罪はないが、今更あの侵略戦争に貢献したと?賞状をもらってもと思うが本人は嬉しかったのだろう。ただ額に寂しさを感じる。
 君が代を唄えない、国旗に頭を下げられない人を非国民視するような首都での学問の現場。このような傾向が強まろうとしている。戦争に青春を奪われる若者たちを再び育てようとしているのか。
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とまどい

2005-05-23 | 日々
 付き添いの奥さんから頼まれた用紙を届けに、長期入院中の知人の病室を訪ねた。奥さんは不在で、六人部屋のベッドで一人寝ていた。
 半身不随でことばも不自由、一人でいる不安が見えた。声を出さずに口話での彼のことばは、理解できない部分が残る。
 会話が一方通行ことばの分離帯がつらい。判ったふりしている自分が寂しい。彼の表情から擦れ違いが見える。
 何度か奥さんを探しに部屋を離れたが、戻るとどちらも黙ってはいられない。あんなにしゃべりあった二人なのに、いまはどう会話したらいいのか戸惑っている。
 メモを書いて奥さんへ置いているからと彼にも伝言を頼むが、夜の電話で奥さんには伝わっていなかったことを知った。
 みんなが手話をできたらと思う。挫折している手話をものにすることは無理としても、自分のためにも指文字だけでも使えるようにしておきたい。
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ばかのくにで

2005-05-22 | 平和を
 裏の上の段の石垣の端で、大きく伸びすぎた三太郎桃の枝打ちをした。雨の降る中下までだと6・7mはある処まで登り、いつものようにポケットのラジオをイヤホーンで聞きながら作業をする。
 山へ出る日はラジオを離さない。日曜のこの時間はOBSおはなしワールドだ。本の朗読でトルストイの【イワンの馬鹿】の最終回だった。
 よかった家ではラジオを聴かないので、雨でも仕事をする気になったからこそ聴くことができたのだ。おかげで木にしがみ付き恥ずかしいくらい笑った。
 イワンをやっつけようとする老悪魔。「わしらはたいていの仕事は 手や背中を使ってやるんだ」イワンの国の人達にはそれがあたりまえ。
 老悪魔は言う「賢い人は何で働くか知っているか?・・手で働くより頭を使った方がどんなに得かわかるだろう」馬鹿の人々を説得できず悪魔は負けた。
 イワンの国のならわしは[どんな人でも手のごつごつした人は食事のテーブルにつけるが、そうでない人はどんな人でも他の人食べ残りを食べなければならない]こと。
 馬鹿ということばを何度も聞き本で読み返した。幸せって何。純粋さがあたりまえのイワンの国で暮らせたらと思った。
 
 
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