忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

寝る子は

2005-03-31 | 日々
 赤ちゃんはよく寝ている。居間に寝かせているのだが、朝晩の家にいる間もう二日寝顔しか見ていない。寝顔も良いが、おじいちゃんとしては目を開けた表情の変化も楽しみたい。
 今夜も寝顔だけかと思っていた。夜になって長女と孫たちが到着した。中でも下の4歳になったばかりの子が、赤ちゃんが気になってしかたない。
 男の子同士、世話を焼きたくて遊びたくてたまらない様子。遠慮がちにそばに来ては、覗きこんだり触ったりに赤ちゃんも目を開けた。
 今夜から二階に引っ越しするので、ママに抱かれて挨拶に顔を見せた赤ちゃんかなり眠そうだった。静かに寝かせてよと言いたげだ。おやすみ
                                                

マジ!

2005-03-30 | 共に
 広げてあった新聞の人権・同和の集会の記事を横目で示し「こんなもん」と一言。差別を口にはしないが、身体が拒んでいる。
 私もこの会に行って来たと言うと、「えぇ~」と信じられないという表情に変わる。本心から差別が無くなればと考えるものなど、いるはずがないと思っているのか。
 差別を必要とする人々に誤魔化され、水面下での差別推進を気付かない内に手助けしている。それが自分の人権の価値を、下げることに繋がるのに気付かない。
 差別とは広辞苑によると、差をつけて取りあつかうこと。わけへだて。正当な理由なく劣ったのもとして不当に扱うこと。・・・
 差別する側だけに立てるのは一部の人たちだけ、ほとんどの人は程度の差はあるが差別者と被差別者の両面を持たされている。
 差別なら被害者になることなく、安全圏にいることができると考えているなら甘過ぎる。他人事では済まないことに敢えて目をつぶっている。
 
 
 

逢えない朝

2005-03-29 | 日々
 朝七時過ぎ、いつもと同じ道を通っているのに淋しい気持ち。県道にも国道でも自動車が走っているだけで、人の姿が見えないのだ。
 子供たちが春休みに入り登校時に出会えないただそれだけのことで、こんなに気分が違うのだろうか。子供たちから貰っていたものの多さに気付く。
 後、十日余りの我慢ではある。桜の蕾も膨らんできた。春と一緒に新一年生ともご対面だ。暖かい朝が待ち遠しい。    
                                               

厳しい笑い

2005-03-28 | 平和を
 【世界反米ジョーク集】ルポライター早坂隆著 中公新書ラクレ読了。帯の表に、困った超大国 危険で矛盾だらけの超大国 アメリカを笑う!
 帯の裏には、[後々まで・・・・・・] ブッシュ大統領がクリントン前大統領に言った。「イラクも一発叩いておけば、これで大丈夫です。この痛みはしばらく忘れないでしょうから」 するとクリントンが首を振りながらいまいましげに答えた。「私も昔、一度だけ女房に手をあげたことがあったがね。あいつはいまだにそのことを忘れてやしないよ」――本文より
 裏表紙に、放漫で独善的な外交政策、人種差別を始めとする深刻な国内問題。アメリカの病根は深い。唯一の超大国を揶揄した傑作ジョークに的確な解説を交えて「病めるアメリカ」の核心を衝く。とある。

 納得できる笑いの深刻さ。笑いの中から世界の実態が見える。風刺が効いてのジョークだと思う。これは本物、お薦めの一冊。

よろしく

2005-03-27 | 日々
あらためまして、我が家にようこそ。お腹の中ではかくれんぼ、はっきりした姿を前以って写真で見ることなく本人誕生、ありがとう。
ここはママの実家。おじいちゃんおばあちゃんたちの家でもうしばらく一緒。初めて目を大きく開いた時、パチリ。
 貴重な写真かもと新米ママも言うように、まれに細目を開くがほとんど眠っていた。早めに生まれたので、もっと休んでいたかったのだろうか。
 目を見開く顔を見たのも泣き声を聞いたのも、これが初めてだった。表情が豊かになり楽しみが増える。仲良くなろうと、両親が早くから名付けていた名前で呼びかける。
 

兄弟が

2005-03-26 | 共に
 外は真っ暗、仕事も終り他は皆帰ってしまったのにまだ一人残っている。二人だけになる機会も滅多にないので、話かけた。
 今では冗談も言い合えるが、入社後も長らく声をかけ難い感じもあった。兄弟がまだ帰ってこないからと気にしている。
 落ち着かない時間が過ぎて行く。あちこち電話も掛けるが判らないので、一緒に心配していた。やっと見えたライトの明かりにほっとする。
 「かえります。ありがとうございました」笑顔のことば。動きかけた自動車の中から、もう一人が手を振っているのが判った。
 いつも兄弟双方思いやりが強いと感心している。親子兄弟、最近珍しく仲が良い。あんな関係がうらやましい。早く帰りたいなと少しは思ったが、帰り際の挨拶を聞けていっしょに待っていて良かった

道案内

2005-03-25 | 日々
 「じゃあ、赤い橋を通って次の橋を過ぎた所。分かると思う。途中で待っているから」急に初めての場所に荷物を積んで付いて行くことになった。
 前の車後部の方向指示器をよく見て、なんとか見失わないように追いかける。曲がって赤い橋を渡るはずが、前方の車両は直進する。
 危なく迷子になるところだった。道を教えてもらう場合、口頭はもちろん手書きの地図をもらってさえ道を間違えることがある。
 目的地までの要所毎の目印、分かれ道、方向、特徴のある景色や状況など。何をどう組み合わせるか、手短に判り易くは難しい。
 尋ねられる立場になると、私の説明で果して相手に地図として見え、目的の場所まで行けたかどうか気になる。なかなかうまくは伝えられない。
 帰りは別の道を教わり、少し脇道に入ったが無事海沿いの国道を走った。海は荒れ道路まで波が上がる所もあった。

削除に

2005-03-24 | 日々
 書いて半年ほどになる文を、ココ(ブログ)に載せることなく削除した。下書きとかで消すことは時にあるが、この生存期間の長さは例外だ。
 少し差し障りがあるかと気になり、表に出さないでいた。気持ちは揺らぐ消してもよみがえりの可能性がある内容ではあったが、引き摺らないため思いきって削除した。
 対人関係などの話をその日に書くと、感情がキツク出てしまうこともある。忘れるので書いてはみても、間を置くと気分も落ち着き思いも変化し書き換えたりする。
 文に書くとなると好い加減にもできない。自己責任や自己批判も伴うが、意識し過ぎても書けなくなる。だからほどほどのところでやってきた。
 書きたいが書かない書けない部分は残っているが、言ったり書いたりしただけで気の済むこともあるから削除の有効活用もして溜め込まないようにはしたい。表に出さない自分探しがあっても面白い。

湯たんぽ

2005-03-23 | 追憶
とある倉庫の軒下に、俯せにされた石臼の上に置かれた陶器の湯たんぽを見つけた。高さのあるこの型は初めてで、持ち上げてみる。
 湯たんぽ、暖かそうな響きの名前だ。子供の頃使っていたのは、円みのある小判型の鋳物製だった。寝る時間になると祖母か母が、お湯を入れ布で包んで渡してくれた。
 布団の中の温もりのある足元が、明け方まで続く。他に型は同じだが凹凸のある陶器とブリキの湯たんぽもあった。
 全部を使っていた記憶も毎日使った記憶もないので、特に寒い季節に子供たち優先で順番に使用していたのかもしれない。
 センベイ布団に入った時の冷たさを、湯たんぽが薄めてくれた。今は足元に電気アンカを使っている。温度は高くできても、あの湯たんぽの温もりと優しさを感じることはできない。

マンモスの地で

2005-03-22 | 平和を
 イラク戦争への自衛隊派遣で、隊員の孫を気遣う祖父から相談された人の話は、日本軍のシベリア出兵に跳んだ。
 ロシア革命をつぶすため、日・米・英・仏が軍隊を送り込んだ。その干渉戦争に他の各国が七千人に対し、日本は最大の7万3千人を派兵した。シベリア出兵には、私が親しくしてもらった人たちも加わっていたことを知り、酷寒の地を想う。
 海外派兵に正当性をもたすためどんなに綺麗な言辞で飾っても、いつの世でも相手国にとっては侵略の記憶で残る。外国では消えない記憶が、日本では消せるようになってきた・・。

 愛知万博で、シベリアの冷凍保存状態だったマンモスが見られるという。あのマンモスも、怖いのは人間だったのだろうか。