忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

どっちにしても‥‥

2009-03-31 | 平和を
 先日偶然聞いた報道番組での『政治屋に選挙屋か』の言葉が耳に残っている。ちょうど居間のテレビの前を通る時に、画面の中で言っていた。
 前後の会話の流れはわからないが、現在の国会議員や献金問題などを含めていることだけはなるほどと判断できる。
 ニュースを見聞きしても、あまりに国民無視の感覚の酷さに呆れる人物までが議員を名乗る日本でもあることを悲しく思う。
 有権者の数十%足らずの票で得た、議員という重大な責務を守る義務が課せられているはず。何も白紙委任状をもらってはいない。
 自身と強大な力の損得ためを一番に行動し、遵守すべき日本国憲法さえねじ曲げ、保障すべき国民の現在から将来までも不安にさせて平気でいれるのか‥。
 なるほど「政治屋と選挙屋」という職業か会社と考えれば、認めはしないが納得はできる。この世の中は袖の下がまかり通る国だとすれば、有権者にも大きな責任がある。
 この町にも各政党のポスターが多数貼られているのに加えて、来月の地方選挙のポスターを貼るスペースも確保されている。
 国民は国に依存せず自助努力を義務と、強要される道を選ぶのか。私の自らのための一票が試される時が近い。

大好きなのに

2009-03-30 | 共に
 お母さんが家に居なかった数日間、とってもいい子だった孫娘。自分で考え手伝いもこなし、ふざけて騒ぐ弟にもそれなりに相手をする頼りになる子供でいた。
 明日は帰って来る日の夕方、孫と孫娘に「もう少し静かにして自分で片付けるなり、お母さんの手伝いなどできるといいな」と話しておいた。
 孫娘は大丈夫だが、下の弟は早々の爆発が心配だった。でも実際は意外、帰宅した母親に甘えるのは下の孫だけ。孫娘はどこかよそよそしい。
 そのあげく、母親のちょっとした言葉に腹を立てる。「わけがわからない」孫娘は言うが、私たちも同じ気持だ。鋭い目付きで睨み、怒るのが数日続いた。
 夕方、二人で買い物に行く機会ができた。孫娘の気持を知りたくて聞いてみた。「○○、ほんとはお母さんのこと大好きなんじゃろ」小さくうなずく。
 以前のやわらかい表情に戻っている。「お母さんが家に帰りとっても嬉しいのだけど、○○はどう態度に表せばよいのかわからなかっただけ‥違うか?」
 「間違ってない」とぽつんと返事する。お母さんに抱き付きたかったのだ。やさしく撫でて欲しくて、弟の次が来るのを我慢して待っていたのに弟だけが一人占め。大好きなお母さんにぶつける気持に抱きしめたくなる。

見上げる姿で

2009-03-29 | 日々
 10日ほど前にわが家から届いた、庭の花桃と愛犬の写真。最初は見て花だけだと思っていた。犬を見つけたのは、しばらくしてのこと。
 花を見上げる犬がいるのは、そばに犬小屋のある本来の居場所。もう母屋の玄関廊下での寝床は外へと移動したのか、それも気になる。
 犬って満開の花を見て、どう感じるのだろう。ふと考えてしまうほど真面目な表情をしている。遠くの私を想ってくれているようにも見える。愛犬と一緒に花見ができた。

お好み焼き屋さん

2009-03-28 | 日々
 バス停前の道路を横断して路地を抜けた場所に、そのお好み焼き屋さんはあった。もうすぐ正午、近くで簡単な昼食にするつもり。
 「おいしいと評判の店。でも古くて狭くてちょっと汚く感じるかも」案内する本人も、もちろん食べたことがある保証付き。
 だが何年も経って「確かこの道で間違ってないと思うんだけど」と不安気味。少し曲がって細い道路に出ると向かい側にお好み焼きの文字。
 他も古い家並み、その中でも古く見える建物だ。思っていたよりもっと小さい。店に入ると男女2人の先客がある。
 無理すればあと1人座れるかどうか。席を詰めようとする先客に「いいですよ」と後ろで待つことにした。その時間は店内の観察を。
 なるほど店全体が古い雰囲気。本棚の本も壁のポスターもメニューの価格表も古い色。皇室一家のカレンダーもかなり古そうだが、年度を見れば今年のだった。
 お世辞にも、きれいと言える部分はない。途中電話注文があり、私たちに断ってその品も焼く。応援におじいさん、手が振るえている。
 長年夫婦でやって来た店なのだろう。客が自分で焼く店ではない。 熱い鉄板を前にする毎日‥。先客と挨拶を交わし、私たちがお好み焼き食べる番。熱いけどおいしかった。

さあお掃除だ

2009-03-27 | 日々
 「これからお掃除するから」姉ちゃんが指示をする。だが弟は拒否して自分のも片付けず、簡単な場所を勝手に決める。
 春休み2日目になると夜更かしも連続で、遊び疲れて朝になってもかなり長く熟睡は続く。今朝も声はかけなかった。
 朝食?を済ませての掃除と言っても、時間はあまり残っていない。午後は遊びの予定が詰まっている。一階の掃除は子供たちにまかせる。
 姉ちゃんが廊下と玄関を掃いている弟を、何度もほめている。いつもは怠け者の弟が、ほめるとたまにその気になり頑張るのだと見抜いている。
 初めて見た子供たちの掃除は、のんびりしすぎているが黙っていた。私も用事を片付け「しばらく2階に上がって休むから、後で呼んで」と言っておく。
 1階からの声に下りて見ると、思っていたより片付いていた。でも昼食後出かける準備で、また散らばってしまう。
 「家を引っ越ししたい」とか「物をきれいに片付けたり、掃除してくれる人が僕だけのために居ればいいのに」とか自分に都合の良い夢を口にする弟のほう。「片付けなさい」の注意に「だって置く場所がないから、できない」と逃げる。勉強机も玩具とマンガで山積みだ。「ちょっと待って」も口癖だが実行はまれ、だから今朝にはびっくりした。

有り余る自由を

2009-03-26 | 日々
 目覚めて二階を下りると居間の外がどこか違う。カ-テンを少し開けるとガラス越しに雪景色が見えた。寒いはずだ。白い雪になおさら寒さを感じ暖房を入れた。
 子供たちは起きて来ない。今日から宿題もない春休みでたっぷり朝寝坊ができる。でもなぜか、いつもの休日よりも早く下りて来た。
 昨夜寝るのも遅かったのに、下の一人に危ない予感。春休みがうれしいのか、朝食もそわそわと落ち着かずミルクをたっぷり振り撒くことに。
 床やマットにまで散らし、ズボンを脱いで駆け回る。予感的中だがその後午前中は叱る人も居なくて、テレビにパソコンとゲームに夢中で過ごす。
 約束の午後の準備も何もせず、正午を過ぎて大騒ぎ。昼食に姉さんが作った料理の味見にまで因縁をつける。
 この宿題のない春休みは、全ての時間を自分勝手に使える自由な休みと誤解している。全てが自分の思い通りに成らなければダメだの強情な駄々っ子に疲れる。
 やっと準備ができた子供たちと出かけた場所に「ここでは静かにしてないと、迷惑になるから駄目‥」と頼んでから入る。
 ここでは我慢するだろうとは甘い願いで、私は冷や冷やばかりの長い時間だった。その後休憩が取れたからよかったが、先が思いやられる楽しみな日。

丁寧語と方言で

2009-03-25 | 共に
 雪の予想は外れ昼過ぎても雨で寒さを感じる。山に囲まれた町にあるビルの二階の窓から下を見下ろすと、数軒の人家の庭に紅梅と白梅の花が咲いている。
 満開の木と咲き始めた木。水仙の咲いている庭もある。わが家の地方とはずいぶん季節にずれを感じる。先日通った公園池の桜並木も、電球はずらりとぶら下げてあるが桜の花は見れなかった。
 この建物は何階建てなのか、4階までは上がっている。人の出入りは多く、今日も広い駐車場で空きスペースを探し待ってやっと入れた。県北の町だけに、他県ナンバー車はいない。
 ビルの中でも方言が飛び交う。ほんの一部の人が仕事柄標準語を使っているだけ。特徴はかなりあるが、私が話せないだけで意味はわかる。
 この県の方言のイントネーションが好き。できればこの方言で話せればとも思う。今日は廊下で話かけて来た人との会話の中に、一つの言葉にその抑揚を真似てみたがダメだった。
 普段の家での会話では、私はお客さんに近い存在か標準語気味な丁寧語も聞く。方言の丁寧語にも私は私の片言方言で話している。子供たちはこの地に根付く方言そのもの。ここで暮らして改めて方言の良さを知った。

満面の笑みに

2009-03-24 | 共に
 もうお昼12時半を過ぎていた。いつもの総合病院駐車場の狭い出口を出ようとするところに、道路を横断しながら自転車の若い男性が向かって来る。
 こちらは再び一時停止した。「病院の事務員さんだ」どうやら昼食を済ませた帰りのよう。停車した私たちの車を見て、満面の笑みでちょこっと頭を下げる。
 「職業的笑顔ね」横の席からその感想。違うだろう。職場内でも仕事中でもない外で、あれほどの笑顔を義務的にするのは無用のこと。
 だとしても私たちが返した程度の軽い自然なお辞儀で十分だ。あの笑みは、彼の感謝の気持の表れだと信じたい。
 満面の笑みを浮かべる。言葉は知っていても瞬間の出会いの、その自然な表情を過去に思い出せない。もちろん私など演技でも無理。
 誤解されては困るが、まるで赤ちゃんの笑顔を見ていた時の気分に近いものを記憶に残す。職場での仕事ぶりから性格まで想像しかけて止めた。
 笑みを忘れずにいれば良い。病院からの帰り際こちらは笑顔も見せられなかったが、もらった満面の笑みには励ましが込められていたともとれる。時にはこんなすれ違いもある。

生きている言葉

2009-03-23 | 共に
 反抗期なのか、小説「ジキルとハイド」の人格分離のようにとまではいかないが、孫たちの態度に戸惑うことがある。
 数分前のいい子から、突然鋭い凶器の言葉を聞かされもする。自分の思うようにならない不満にたいする反抗ばかりでもないようだ。
 昨夜も一人がいら立ちを大きくしはじめ注意される。それまで普通に宿題をしていた。疲れかストレスか、今回の子供の原因がわからない。
 当人は私たちが悪いと納得の行かない理由言い、ふて腐れ夕食を放棄し二階に上がる。寝るため私も上がる頃、まだ並べた布団の端で勉強中。
 落ちてた消しゴムを拾い、手渡すと笑顔の「ありがとう」をもらった。食事前の騒ぎが嘘のよう。寝る時には明日のお願いをして、ありがとうとおやすみなさいもあった。
 今日の夕方約束どおりに迎えに行く。帰りの会話の途中から、昨夜のことを聞いてみた。お互い冷静に話す時間が必要だ。
 「言葉は生きていると、おじいちゃんは思うんだ」私自身が軽い冗談で人の心に傷つけた過去の体験が、今も私の傷となり残っていることなど話す。
 ニュースで政治家の失言や暴言も知っていて、共通の話題となる。家の横まで帰ってからも二人の話は続いた。話の終わりに「ありがとう」のうれしい言葉が。

届いた荷物に

2009-03-22 | 日々
 「郵便屋さんのようだから行ってみて」と私を指名。印鑑は子供に後からでよい、「は~い」玄関外の呼びかけに返事して急いで2つ目のドアを開ける。
 前回同様また雨の日の配達、ご苦労さま。15㎏余ダンボール箱に入った荷物だ。何が入っているのかは、開けてからのお楽しみ。
 居間に持って入りさっそく箱のテープを剥がす。宛名が私になっている。お菓子に野菜や果実に私用の品が。
 全てわが家が関わっているうれしい懐かしさ。荷物の一番上に自宅で購読している新聞があった。娘が私に代わって希望してくれたようだ。
 たかが新聞だが、読みなれた新聞に対する思いがある。再会の喜びは大げさな気持ではない。これだけの文字と内容があれは、何日でも満足できる。
 わが家の部屋や物置の整理とか掃除をしていて見つけた、古い過去の新聞との再会の気分にもなる。
 その新聞との最初の出会いと購読まで、そして現在までの年月。毎回家まで届けられる新聞だからこその想いがある。
 こちらへの郵送とか購読方法は選べても、やはり違う。わが家からまとめて送ってもらうほどでもないので言わずにいた。荷物のついでにすき間に1日か2日分を、それでいい。