忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

コジュケイの行列

2006-09-30 | 日々
 朝仕事に出かけるために犬小屋の前を通ろうとした時、犬のすぐ近くで小鳥たちが遊んでいるのを見つけた。
 犬は目覚めたばかりなのか丸めた身体はそのままに、顔だけこちらを向けたが私は無視した。鳥にも関心がないのか気が付かないのか知らんぷり。
 コジュケイのひな鳥だろうか、30センチほどの石段に一匹ごとに上って行く。親鳥は見かけないがどこにいるのだろう。ひな鳥を放っておくはずはない。どこかに隠れてひやひやしながら待ってるはずだ。
 まさかカルガモ?そんなはずはない。この辺りでは池も川も遠すぎる。見間違いそうなほど、テレビニュースのカルガモの引っ越し場面と同じだ。
 可愛い等間隔の一列縦隊で5~6匹のひな鳥は歩いて行った。あわてる様子はまったくない。山ではコジュケイの親とかもっと育ってからの姿はよく見るが、まさかひな鳥が家の庭に来てくれたのがうれしい。

新追悼施設より

2006-09-29 | 平和を
 靖国は国家の野望による戦争を、美化する意図もあって造られたものであることは歴史からみても否定することはできないだろう。
 近隣諸国の批判を取り敢えず交わすためや、中には良心的意味も込めての国営追悼施設の設置をという声もある。今ある戦犯まで祠る軍国主義の亡霊を想像させる場所よりはましかと思っていた。だが本当に新たな施設が必要なのだろうか。
 世界で軍事作戦を展開するアメリカとは特に近い協力関係に我が国が、また多くの戦死者をだす日が来なければいいが。
 新たな追悼施設が二つ目の靖国とならない保障はない。お国のためにとは、死ぬことではなく生きること。
 国家施設よりも先に大切にしなければならないものがある。戦争の反省から生まれた、平和憲法を守り奪われないこと。二度とお国の為になどの名目で、死にも殺しもしないで欲しい。破滅は昔と比較にならない。

写真が届く

2006-09-28 | 日々
 少し厚めの封筒だなと思いながらペーパーナイフを使う。中に孫の写真と手紙が入っていた。この孫からの初めての手紙だ。
 白い紙全面に、いやかなりはみ出して書いてある。文字なのか絵なのか、おじいちゃんには分からない。1歳6カ月では文章はまだ無理か。あとからママの電話で、猫や犬の写真を参考に描いた絵との説明を聞きなんとなく納得できる。
 孫が主役の写真もいっぱい。初めての海が宮島の砂浜とは遠くに赤い鳥居。回廊そばでのゴミ掃除だと思ったのは、鹿に触っていたのだった。
 三度目との平和公園で遊んでいるベンチは、もしかして私たちの名前も刻んであるもの?行きたくなる会いたくなる気持ちが強くなる。
 自宅での写真もいい。どこも知っている場所だけど、いっしょと感じることができる。一枚一枚の裏側に短いことばが書いてある。
 メールとは一味違った、ほんのりとするうれしい便りだ。私も何人かに送りたいのに、まだ送れずにいる。先日写真を入る封筒と便箋も買ってきた。あとは書くだけなのに、孫にも先を越された。

浴槽のふた

2006-09-27 | 日々
 やっぱり風呂に入って寝ることにした。と言ってもシャワーだけだが、それでも気分良く眠れそうだと浴室のドアを開けた。
 あれっ浴槽にふたがしてある。昨夜までずっとふたは、使われないまま浴室の壁に立て掛けてあったのだ。
 手を浸けお湯だと確認して、裸のまま本の部屋から一冊選んで持ってくる。まだ入ってないのに、なんとなく温もりを感じるうれしい気分だ。
 風呂に浸かれると分かっただけで、もう安らぎを感じるのか。同じお湯だがシャワーとは思いが違う。
 先日五ヱ門風呂に惚れて、今も使っている人があると聞き懐かしく思った。でも修理ができなくなり、諦めることになるようだ。あの湯加減は忘れられない良さがある。
 さて久しぶりに入浴の感想は、慣れないせいか少し興奮気味で、本は開いたがのんびりはできなかった。そろそろ浴槽の本番も近い。シャワーの時期では本は無理、また違った楽しみ方が風呂のふたが動きだすこれから始まる。

好かれる蚊

2006-09-26 | 日々
 隣の部屋の人が何か言っている。覗いて見ると蚊取線香があればとのこと。あるはずないのが分かっていての言葉。
 「どうせならもっとたくさん吸ってもらえば痩せるのに」でも蚊に血を吸わせるなんてもったいない。それなら献血を勧めたい。
 毎日ではないが、今年はなぜだか蚊を見ることが多い。耳のせいか羽音までは聞こえないが、姿を見るだけでかゆくなる。
 私はどちらかと言えば、蚊に嫌われるのかあまり血を吸われない方のようだ。だが近くには蚊に狙われ困っている人もいる。冗談どころではない。
 かゆい蚊だが、可哀相との気持ちが全くないわけでもない。ドラキュラやヒルと違って小さな虫だが、刺されて血を抜かれるとなると情けも消える。
 蚊にとって子孫を残すための命懸けの挑戦でもあるのだ。飛んできたのを掴んだり叩いてやっつけようとしても、不器用だから失敗が多い。逃げられてくやしいけど、ホッとする気持ちもある。

地下トンネルに

2006-09-25 | 日々
 特別な作業でない限り、トラックで犬も一緒に山に行く。木に繋がれたまま仕事の終わるのを待っているだけなのに、それでも家に残され留守番するより好きなのだ。家族の近くでのんびり半日を過ごすが、帰る時間になってイノシシの穴堀りを真似始める。
 山の畑はまた全園イノシシが耕し、ミミズもモグラもいないはず。しばらく頑張るが、モグラのトンネルにも入れず鼻を汚しただけで収穫なしは当然だ。

広島からの音を

2006-09-24 | 日々
 休みの日にはいつも小さなラジオをポケットに入れ、山仕事などすることが多い。片耳のイヤホンで聞いているので、虫や鳥の声に風に揺れる木々などの自然の音も聞こえてくる。ラジオは時間帯の番組に合わせて、主に二つのラジオ局を選ぶ。今日はいつもは諦めている局を探してみる気になった 。
 すると広島の中国放送が、少し雑音は入るが聴けたのだ。電波状態の違いでこんなこともあるのだ。滅多に無いのが残念だけど。
 せっかくの広島からの音なのに、気づくのが遅く聴いた時間は短かった。広島のあちこちで暮らしている身内たちを、近くに感じる音がする。
 また以前のようにはっきり聞ける日を待っている。そうだ広島のラジオなら、どんな日にでも良く聞けるはずだ。いらなくなったラジオがあれば、いつか子供に持って帰ってもらおうか。

例えの気配り

2006-09-23 | 共に
 ある集まりに出席したとき発言者の男性が、品物の状態を例えて県名と「沖にある島の療養所にいる人のような」という言い方をした。
 何のことかと思ったがその後の話に関心が移ったまま終わり、聞いたことさえ忘れていた。かなり経ってから、そうかあのことかと気がついた。
 言うに事欠いてハンセン病で表現するとは、あの時「例え方が少し悪いかもしれない知れないが」とか聞いた気がする。
 日本では悲惨な症状の感染力の強い遺伝性の病と、誤認させられた時代が長すぎた。1950年代にはWHO(世界保健機関)が開放外来治療を提唱し、国際らい会議でも日本の取っていた強制隔離政策は全面破棄を勧奨されてからも継続する。
 1996年まで「らい予防法」が存在し、人権無視が続いたのだ。2001年に[悲惨な事実を悔悟と反省の念を込めて深刻に受け止め、深くおわびする]との一文を盛り込んだハンセン病補償法が成立した。
 あの発言のことを思い出せて、人権侵害・差別について気づかせてもらった。例えて使うことばにも、心の貧しさとしないような気配りをしたい。

交通安全茶屋

2006-09-22 | 平和を
 秋の交通安全運動の初日は、交通茶屋があったりする。見知った人が参加協力しているのに出会うと、安全への度合いが高くなる。
 取り締まりがあるからでは無く、自分のため人の為にも注意しなくてはと思う。普段が速くもないのだが、いつもよりスピードを落として走しっていた。
 しばらく行くとパトカーと乗用車が並んで停まっている。こちらは交通茶屋ではなく、本物の交通違反の取り締まり。信号無視かシートベルトか携帯かの場所ではあるが、よりによってこんな日に違反しなくてもいいだろう。
 違反がクセになる人もいる。運転中の携帯電話の使用もまたよく見るようになった。飲酒運転の常連となれば、言語道断の行為だ。
 マスコミでも飲酒運転の逮捕や事件が、最近多く報道されている。件数的にはさほど以前と変わらないのだろうが、関心の度合いの違いなのか。
 人の命の価値はみな同じ、ある出来事を大きく取り上げ重要な問題を小さく見せたり隠してはいないだろうか。
 たとえば戦争にも繋がる憲法改正への動きとか。国民にとっての安心・安全とは平和であること。市民による憲法の安全茶屋や平和の安全茶屋が、今からでも各地に建てばよいのだが。

7匹のクマ

2006-09-21 | 追憶
 我が家に7匹のクマがいる。小さなクマたちのみんな違った可愛い格好。陶器製とは思えないほど?ふっくらとして、いつも笑顔で遊んでいる。
 サッカーやバレーと得意なポーズを続けているが、身体を自分で動かすことはない。時々きれいに拭いてやるとき、向きや居場所が移動する。
 家で一番小さな窓にみんなで並んで、誰かがやって来るのを待っている。部屋の隅には造花だがきれいな花も咲いていて、幸せを感じる日差しも受ける。
 100円ショップの大都会から、こんな田舎の家にやって来た。もう何年経つのか、なぜあの時7匹の子グマたちを連れて帰ろうと思ったのかも覚えていない。
 家族に加わってからずっとホンワカいつも変わらぬ笑顔でいてくれる。賑やかな楽しく遊ぶ声を聞けないのが不思議なほどに元気そう。