忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

問題の解決と原因

2010-08-31 | 共に
 地域の集まりで、ある関係者の1人から要望があった。別の共同設備の活用方法に地域の協力をとの話だ。最初は他の組織の設備だけど、同じ地域に住む仲間だからできれば手助けすればとの意見もでる。
 当然 その関係者たちで相談しあって解決することではと言う人もいる。要望の発言をした人の組織に関係する軒数は、1つの地域では少数の場合もあるが全体では多数を抱えている。
 問題点をのべる場が違うのではないかと思いもするがよくわからない。でもその関係者だけではなくても、地域の人が集まれば知恵も出る。設備と型式の違いもわかってきた。
 何よりはっきりしたのは設備は有るが、活用するため追加しても実際に使用するには無理がある可能性大とのこと。なぜ手間とお金をかけて設置したのか不思議。
 どうであれ地域としても無関心ではなくという結論で、とりあえず議題はかたづく。その後偶然にもその問題に関係する話を聞いた。今回要望の出た設備は元来予定に無かったものだったとか。
 しかも今回の要望を発言した家よりのたっての要望があっての設置で、追加用具などは自費で購入設置するとの約束の工事だったはず …。古い過去だが本人も元気で健在の家庭。当時はどちらも忙しく頼んだのは知っても、発言者はもしかして個人の自費購入までは聞いてないのかも。
 他の個人的話になるが、わが家でも嘘のない会話を普通にしたいと思っているが、いまだ普段の会話にずれを感じる。聞き役に徹して相づちをうてばいいともわかっていても実行は難しい。会話は大切、いつになれば自分を伝えられるか気にはしている。

思い起こして

2010-08-30 | 平和を
 NHKの連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』を楽しみに見てきたが、もう最終回を迎えようとしている。それまでも妖怪ものではないけど、水木しげるの本は私の本棚にあった。
 テレビドラマの中に水木しげるの回想や漫画化に会話での戦争シーンなどを見ていると、テレビ人気の影響か再び水木しげるの本は書店でも増えた。この本も持ってはいるが文庫本のをまた買って読む。
 【 敗走記 】 水木しげる [ 戦争を生き抜いた著者がつづる生と死の物語 ] 完全!戦記ドキュメンタリー 講談社文庫 発行社/講談社 この敗走記は水木しげる自身も好きな作品だとか。
 [ 昭和19年、南太平洋ニューブリテン島中部、部隊は壊滅的打撃をうけたものの、ひとり生き延び、仲間の鈴木と合流することに成功する。そして断崖を通り抜け道なき道を進み、敗走を続けた。敵に追われ、飢えや渇き、暑さに苦しみながらも九死に一生を得た著者が綴る、生と死の物語。
 戦記漫画の傑作を6編収録。 ] 目次/敗走記/ダンピール海峡/レーモン河畔/KANDERE/ごきぶり/幽霊艦長 あとがき 生死の境に″美談あり…… 水木しげる
 戦後65年の今年。侵略者であり加害者であり、被害者ともなった戦争体験者は減少し続ける。だがここまで来てやっと、これまで語れなかった戦時中の体験を黙っていては日本の平和を壊してしまうと気づいたか口を開きはじめた。現在の日本は戦前に入っている。

久しぶりの出会いに

2010-08-29 | 共に
 故郷の県都にある温泉街の旅館に、親戚が集まっての再会をと招待があり出かけた。駅前まで車で送ってもらい高速バスに乗りそこで他のメンバーと合流する。
 長距離にしては1200円の低料金が意外の全員バス利用も久しぶりの面々だ。県都に入ると全区間150円の市電に乗り換え終点まで。古く洋風の駅舎の外で誰もホテルの場所を記した手紙を持っていないことがわかる。
 結局は短距離を初乗り550円のタクシー2台でホテル玄関まで。私たちと数分違いで愛知県や大阪組み少し間をおき、県内の自家用車での2台も到着ロビーに全員集合した。
 部屋割りで612号室の私は愛知、大分と男3人部屋。女姉妹は6人が1つの部屋に他とまとまった。1休みし温泉に浸かりゆっくりし、18時半から大宴会場での食事会。
 司会者兼資料作りと配布兼進行担当者挨拶で、大阪の兄夫婦の次女の結婚と長男誕生を祝う会が始まる。結婚当時の故郷の事情から予定していたお披露目が延期されていた。

 誰が見ても広々とした和式の会場にnの字形に25人分の座席が並び、離れた向かい側の席の声など聞こえない。左右の席を中央付近に寄せてもいいとの意見もあった空間は、すぐ幼児たちの運動場と化した。
 金屏風の後ろ側まで駆け回る。歌も踊りもなく会話だけで時間延長の21時をを過ぎた。身内の雰囲気プラスはじける幼児たちのおかげで、楽しい2日間になったけど短か過ぎた気分。

新しい道かのように

2010-08-28 | 追憶
 修験道の霊場でその辺り県を含めても第1の高峰山頂には、先輩と2人で数10年前に2回他に1回登っていた。その後は中腹にある神社まで、ドライブするだけだった。
 今回もう年齢的には最後かもと誘われ家族で行った。登山口から片道1時間半余の道程を黙々と歩く。最初の砂利道にまず驚いた丸太で土止めした階段、丸太を並べ橋のように伸ばすとか、一部の急勾配だけが鉄板に手すり付き。
 昔の懐かしさを残す土と石の道は一部分が残るだけ。あの山道では物足りなくて自分でも途中危険を感じ一休みしたが、200m余の岩場の錆びてやせた鎖もなんとか登れた。

ほっとする短い時間

2010-08-27 | 日々
 真っ白で大きくこんもりした積乱雲の近くには灰色の薄雲も見える。「昔だったら 夕立が降るのに」 ひと雨欲しくて待ち望んでいる毎日。遠くに雷の音も聞こえる。
 奥の方に見えるこの町1番高い山の付近が霞始めたのは、もしかして雨かと期待する。多分雨から確かに雨へと変わっても、直線距離でほんの数kmとはいえ下りて来るとは限らない。
 間違ってほしい予想は的中し奥と向かい側の山の雨は、こちらに来そうでいて結局1滴も降らずにすんだ。空に愚痴ってもどうにもならない。それより幾つか見れた大きい入道雲の動きは、懐かしくも想いほっとする気分をくれた。
 体中だるくなるほど暑い気ぜわしい日が続いても、たまにある数分いや数秒間のほっとできる時間に救われている。先日の夜はスズムシとコオロギの鳴き声と川の水音。
 小さな草花、小学校校舎に運動場とプール、町を流れる川とその両側に繁茂する緑の雑草、町を囲む山々と木々、1番遠くは2つに分断されたかに見える海など幾らでもある。
 歩いていてとか走行中の車内から、仕事中や移動中、立っている時にかがんでいたり、私の目とは極近距離だったりかなりの遠距離。その多くが見下ろした形になるのは山の中腹だから。ほんとはいつでも見れる対象物なのに、ほっとできることが滅多にないのは精神的にも夏ばて気味か。

棚に上げての勝負

2010-08-26 | 平和を
 一般国民に選挙権は無いが、民主党の代表選挙はこの国の首相を選出する投票でもある。最後の判定は国会まで持ち越しだが、まあ民主党の代表選挙の結果次第で決まるも同じ。
 民主党と自民党の2大政党が与党と野党で衆参ねじれの現状、投票率も得票数が下がっても議員になり政権を取れる便利な仕組みを自らつくった。次の選挙でひっくりかえる可能性はある。
 まだまだ政権政党としては未熟者集団とも言える民主党、その活かし方では国民目線の政治ができる利点ともなる。 だがここにきて小沢一郎の党代表選挙出馬とは、自民党の古さに逆戻りの印象は否めない。
政治とカネの問題など自民党時代から別名「闇将軍」。その後「壊し屋」をも拝命している。だから政治とカネの問題で共に辞任した前首相鳩山由紀夫の菅直人支持表明には喝采気分だった。
 ところが翌日には一転し小沢支持に転換とはいい加減過ぎる。 小沢一郎も前日まで菅首相にも会おうとせず無視しての鳩山代理のお使いか。しかも小沢先生塾長自身が教育の場で語っている。

 「この政治塾は下世話な政局話をする場ではありません」 小沢先生らしくない発言。日本の首相を選ぶとも言える代表選挙に関して「下世話な政局話」とは自らも当事者のはず。
 なのに翌日になると小沢先生は鳩山由紀夫のの支持が決め手と、民主党代表選挙に出馬を表明した。 街の声でも 厚顔無恥とか 内輪のゴタゴタいい加減に 政治とカネの決着さえつかないでとか評判はよくない。どうなる民主党ではなく、どうなる日本どうする生活を知りたい。

振り向かないと

2010-08-25 | 共に
 いいポーズだから1枚写してとデジカメやケイタイを持てば、無視するかのようにシャッターチャンスに他を向く。孫はおじいちゃんが困って面白いからだとわかる。
 でも犬も孫と同じに他を向くのはなぜだろう。犬に写真が嫌いは、理由にならない。動く動かないはもちろん犬の勝手だけど、その時に限ってよそ見しているようで気になる。
 もしかして犬の意図的な行動だとしたら、少しさみしい。写真だけでなく時おり知らん振りをする。散歩道での1人と1匹、語りかけるが反応しないときは犬は自分の世界にはまっている。
 夜も電灯を消した薄暗い玄関の廊下で横になり足を伸ばしたまま動かない。心配になり背中を撫でるがピクリともしない。静かにそっと顔を犬の鼻に近づけると息はしていた。
 目を閉じていれば眠っているのだとわかると思い、暗さになれて来た私の目でじぃっと犬の顔を見た。よく見れば目を開いているのがわかる。犬には私が見えなくても、匂いと声で私をはっきり体感しているかわいい安心が見えた。無視されてはいないとわかれば、うれしくなる単純さ。

生 き か た

2010-08-24 | 日々
 仕事をしながらラジオを聴いていると、テレフォン相談が始まった。高齢の夫が明日をも知れぬ命で、医師から延命治療をおこなうかどうかの決断を求められた妻からの相談。
 元気なころに夫婦2人のどちらかが延命治療を必要とする状態になった場合でも、お互いにそのような治療などせず自然に死にたいと話し合っていたという。夫婦の意志に変化はないのだけど ‥ 。
 回復の見込みがなく延命治療をどうするかの立場に私がなれば、延命治療は希望しない。あまり体を傷つけずに死ねればよいがとの気持ちもある。『献体』の会員として最後の実行は家族に託す。
 死に近づいたことは数回あるが、もし病気などで意識があって逝くのであれば教えて欲しい。病名はどうでもいいが残された月日を知れば、今までのいい加減の自分を変える時間に使えるかも。

 確率的にはわずかだろうが、もらえる自由があるなら私のやりたいことにやっと気づいた。鎌田實さんの本でも読んだ緩和ケア(治癒を目指した治療が有効でなくなった患者に対する積極的な全人的ケア。痛みやその他の症状のコントロール、精神的、社会的そしてスピリチュアルな問題の解決が、その最重要課題。緩和ケアの目標は、患者とその家族にとってできうる限り最高の人生の質、生活の質、を実現すること。後略)や在宅ホスピスの時間も期待できる。

白い旗に

2010-08-23 | 平和を
 [ 玉砕か、降伏か、 人間の尊厳を問う 衝撃の問題作 ! 戦記ドキュメンタリー 完全復刻! 講談社文庫 最新刊 ] 【 白い旗 】 水木しげる 発行所/講談社 を読んだ。
 [ 「硫黄島は、その名のごとく硫黄の島であった。井戸を掘っても、硫黄臭い海水まじりの湯が出る」。昭和20年2月、米軍に包囲されながらも、日本軍は必死に戦っていたが、押し寄せる物量の前に徐々に攻略されてしまう。やがて弾薬も食料も尽き、決断の時が迫る。 … ]
 戦争好きは総員玉砕を美談とすり替えるが、硫黄島でも生還し真実を語る人はいた。白い旗を持つ人物は水木さんの兄の親友で、そこから作品となった。兵隊にも国民にも無駄死にを強要した、軍国主義教育の大日本帝国。
 その他、山本一十六連合艦隊司令長官の死を描いた 【 ブーゲンビル上空涙あり 】 は英雄伝説の戦記物との感じがした。 【 田中頼三 】 は第二水雷戦隊(駆逐艦部隊司令官の海戦記。 【 特攻 】 (日本軍の体当たり攻撃部隊、特別攻撃隊) ▽米軍沖縄に迫る/葬送行/父母の国/海と空との死闘/がんばれ「大和」/特攻/意外な面会人/悲しき少年兵/散りゆく花/魔鳥の如く▽
 『特攻』の最後に[昭和二十年八月十五日 この戦いはやんだのである だが特攻を命じた宇垣中将の胸中はいかばかりであったか 彼は十五日艦爆十五機をひきつれて空母に体当たりを敢行して果てた
こうして悲劇の戦いは終わった しかし死んだ人間は再び生きてかえれない 過ぎさったあやまちは二どとくりかえしてはならない と同時に戦争で苦しんだ人人の事も我々は永久に忘れてはならないであろう ] の文がある。 戦地から帰還後の貧乏な貸本漫画時代の作品。

涼しさ探して

2010-08-22 | 日々
 昨夜『高い山に登りに行かない? 』と尋ねられたが、不眠続きに昼寝はできず疲れるのも嫌で黙っていた。今朝になりせっかく乗り気なのにと、考え直す。
 車内で目は閉じていても、うたた寝をできたのは短時間。山の中腹の神社裏手に山頂への登山口がある山岳信仰の山だが、山登りの服装の人が大半で普段着は私たち他僅かな数。子供連れの家族とよく出会えたのもうれしい。1982mは霧も流れ、別の景色を楽しめたが、涼しさはなく汗をかく。