忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

下手だと自覚

2004-11-30 | 日々
 今日は、ほとんど一日自動車に乗っていた。車の運転はあまり好きではない。仮に仕事でなく移動手段を選択してみると、自分で運転するなら歩いても平気。町へ出るのも単車が便利、雨天や冬場はきついが年中通勤にも使っている。
 必要で自動車を運転する時は、下手を意識して走っている。下手なのだから注意を怠るなと、自分に言い聞かせながらハンドルを握る。
 他所に出かけるにしても、運転するなら行きたくないほう。でもつれあいのおかげで、あちこち連れて行ってもらう。私も交代するが二人とも田舎道ならなれているが、高速道や都市の道路は怖気付く。

 もう運転能力の低下が始まっているのに、体力と技術力が必要なチャレンジはできるならしたくない。子供たちが大きくなるまで、隣りの市より先には走ったことがなかったのだ。それからみると相当の進歩だが、他の人たちとはかなり機動力が劣っているかもしれない。わたしは気にならないことではあるのだけれど・・・。各駅停車の旅か、遍路旅がいいなとふと思った。

トム君でした

2004-11-29 | 日々
 よく行く商店の角に繋がれている、2匹の黒い大型の老犬(若かったらゴメンナサイ)と親しくなった。ダンボール箱の中とかに入ったりして、横になっていることが多い。
 今日は一匹だけでいた。近づくと起きて擦り寄ってくるが、歳のせいか動きはゆったりしている。甘えるというより、ゆだねる感じである。こちらもゆっくり撫ぜてやる。
 店の小さな姉弟が、近くで玩具の自動車に乗って遊んでいたので聞くと犬の名はトム。もう一匹は、部屋にいると教えてくれた。
 ほんの僅かな、出会いの時間だが楽しみである。トムも待ってくれているのだろうか。長生きしてな。またな。
 

ところ変われば

2004-11-28 | 日々
 今朝のテレビ番組『遠くへ行きたい』で、呉のみかん山がでていた。案内人阿藤海さんが急勾配の石垣の段畑を登り、海の見えるみかん園で話をした。
 みかんを収穫しているおじさんが、時にみかんを捨てるのを見て海さんがどうして?と聞く。「小さいから」と当り前といった返事だった。
 小さいと言っても、この辺では十分に商品価値がある太さである。みかんは小さめが美味しいと思い食べている。大きすぎると加工場行きだ。
 親戚知人にみかんを送る時、大きいほど立派と好まれる地域があるのでややこしい。少しでも美味しいものを食べてもらえたらと思うのだが、そうもいかない。

カバチタレ

2004-11-27 | 日々
 原作・田島 隆 漫画・東風孝広 監修・青木雄二 (モーニングKC)カバチタ第17巻を読む。昨日書店で渡された。
 忙しい日で夜なべ仕事も夜中までかかったのだが、そんな日に限って無性に読みたい気分が強く二夜かけたが読み終えた。前巻に引き続き手抜き車検問題を描いている。広島が舞台で身近に感じる。
 ナニワ金融道も全巻持っているが、どちらもたかが漫画とは言いがたい引き付ける雰囲気を持っている。これも手元に残しておきたい本である。
 と思って買ってしまうが、コミックは揃えると場所を取ってしまうので、置き場の無くなった近年は、購入への自主規制を弛めにくくなっている。手っ取り早く読めるし、欲しい方面ではあるのだが。
 

覚えていない

2004-11-26 | 日々
 急に代りを頼まれ、役所の窓口へ申請書を出した。代表者の生年月日が入っていないとの指摘で、事務所に電話して書き込む。
 再度受理されずまた電話する。「あれっ、お袋の誕生日だ」調べているのに、口から出たのは母親のものだったのだ。手間取ってしまったが、微笑ましいできごとを受付の人にも分けてあげた。生きていればこそ思っていればこそである。
 
 私は、父母や祖父母の誕生日も命日も覚えていない。忘れたのではなく、一度も覚えようともしないで来た。今回のような事に出会うと、親不孝かなと少しは気にすることもある。でも先祖(というほど遠くもないか)がいたから私があるとの気持ちは、いつも持っている。

聞いてもろて

2004-11-25 | 共に
 「話しは、聞いてもろてなんぼのもんだ」解放講座で広島からやって来た講師のことばが、強く心に残っている。三度その人の話は聞いたが、いまも思い出すのは聞いてもろてなんぼ。
 畳敷きの広くはない部屋で、演台として用意されていた机や椅子を片付けて、同じ参加者同士だ皆同じ目線でと話し始めた。
 一人だけでも私の話しを受け止めてくれたら、その一人の、行動へ踏み出すきっかけとなることができたら、講師のそんな思いが伝わってくる話しだった。
 大きな会場に満員の聴衆の人権に関する講演や大会などにも行くが、時に良い話し上手な話しではあっても、その時だけで心に響かない心に残らないことがある。恒例行事の時間消化のお話しではあまりにもったいない事である。
 聞いてもろてなんぼの言葉は乱暴ともとれるが、それを言える生き方をしているからこそだと話しを聞いて感じた。

蝉時雨が

2004-11-24 | 日々
 夕方、久しぶりに蝉時雨を聞いた。曇り空。今時蝉がいるはずも無いのだが、私は確かに蝉の声をこの耳で聞いた。
 今日は珍しく机に向い、不慣れな仕事に少々根を詰めたからだろうか。体調が悪くなくても聞こえる事はある。何時、聞こえるかも分からない。蝉もいろいろいるし、虫の音や雨音のその他のこともある。
 最初のころは間違えた。雨なら降っても真冬や夜中に蝉など鳴くはずもないのに、夢うつつだと騙される。だが睡眠の邪魔にはなることはない。
 長年の耳鳴りとの付き合いなので、聞こえ始めるのを期待しているところがある。こんどは何を聞かせてくれるのか楽しみでもある。
 
 

イルミネーションを

2004-11-23 | 日々
 今夜やっと点灯する事ができた。見たのはまだ私と愛犬だけだ。イルミネーションの準備を指示した本人はお出かけである。
 夜玄関の明かりを頼りに一人で、庭の高さ5~6mの木を上り下りして巻きつけた。よく見えないので後日修正が必要だ。それにもう一本残っている。
 私の趣味ではない。だが反対するようなことでも無く、始められた。最初点けたのはこの町でも2・3番目だった。人に見てもらおうなど、期待はしない。なぜなら、本通り?からだと数ヶ所でわずか数センチの高さにしか見えないのだ。
 それでも勤め帰りに、灯りが見えると気持ちが暖かく感じる。家に近づく大きなカーブを曲がると一番のお気に入りの場所、スピードを緩める。
 近所といっても一軒家のようなもの、自称隠れ切支丹気分もひそかに味わっている。毎年この時期の楽しみとなったきた。

水底の村

2004-11-22 | 日々
さだまさし著 水底の村(みなそこのむら)読了。
 小学生の頃、ダム建設で村を離れた、幼なじみの男女の別れと再会。せつなさと救い。

 十年来山魚をよく食べに行く村の、現在進行中のダム問題と重なり合った。
 いつも通りながら、当り前として見ているあの自然が人々の暮らしが、
 ダムによってどう変わってしまうのかと考えてしまう。
 水没予定地の先にその民宿がある。                

3%の笑顔を

2004-11-21 | 日々
 笑顔は活力だと実感する。あれ?誰だったかなと考えてしまうほど、見知らぬ人から自然な笑顔をもらう事がある。笑顔の余韻が私を元気にしてくれる。
 出会いに同じ笑顔を還したい。あの笑顔を持ちたいと思う。笑顔を意識してみても、本物にはならない。でも続けていると、少し自然になって来た。僅かの笑顔でいいから、気持ちの中に保っていたい。
 社会や仕事で寒くても、たとえ3%の笑顔でも残っていれば、多少は温もりを感じれるだろう。笑いは好きだが、大きな声を出して笑った記憶は無い。だから、声を出して笑うのは苦手。そこで笑顔は忘れないようにしたい。