忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

たまっている

2004-10-31 | 日々
 DVDの映画も見ていないのが、棚に5・6本並んでいる。市内に映画館が無くなって久しい。昔は、この町にさえ2軒もあったのだ。場所柄、映画はテレビかDVDを買って見るようになった。
 見終わってから次を買っていた。でも側に見てないのが無くなると淋しい。だからいつも数本残しているのだが、たまりすぎると安心するのか見なくなる。
 見たい気持ちは強いのだが、手が伸びないのだ。このところ見ない期間はかなり長い。時に以前のを時間がないので一部を、見ることがあるくらいだ。ため過ぎると見れなくなるので購入自粛中である。良さそうなものを後に残しているのだから、早く見たい。
 本のほうは、未読が1000冊単位でたまってしまっているので、どうしようもない。これも自粛中だが、今買っておきたい本は買う。全部は読めないが、安心感は得られている。こちらは、一日わずか数ページであっても本を開かない日はない。

決めたところ

2004-10-30 | 日々
 式に行った同僚と結婚が話題になった時、気づいた。私が結婚を意識したその場所に、天守閣が建ったのだ。まだ結婚など考えていなかった頃、急に父が亡くなる。その父の友人達の気配りもある出会いからだった。
 城山でもその後も、気持ちをことばでは伝えないまま現在に至っている。今でも何も言わないと叱られるが、きつく言われると話せなくなることもある。訂正、あの頃に限ればきつい言葉を、あまり聞かない時代もあったのだ。優しいなと周りからからからかわれるほど、私もやさしかった。今では二人、同じようなものだ。
 思いでの場所を覆ってしまって建った城。見下ろす景色も変わってしまった。替わりに新しい天守閣を私の記念碑と思ってみようか。
 

本音でなければ失礼では

2004-10-29 | 平和を
 「やはり、強制になるということではないことが望ましいですね」

 28日の園遊会での天皇の言葉である。米長邦雄さんの「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」との発言に天皇が述べたことばに、畏れ多くも身近さを感じた。

 米長さんは「そうもちろんそう、本当にすばらしいお言葉をいただき、ありがとうございました」と答えたという。東京都教育委員会委員として、日の丸・君が代問題での職務命令に従わないと、教職員を大量に処分するなどの方針を推進して来た立場の米長さんだ。天皇にどちらが本心として話をしたのだろうか。     矛盾

共同風呂

2004-10-28 | 追憶
 別府に伯母の家族が暮らしていた。その家に一度だけ、祖父と泊まった事がある。緩やかな上り坂になった道路の両側に、小さな家が点在していた。こんもりとした林があちこちにあり、従弟たちと畑や田んぼの畦道を駆け下り砂浜のある海に行った。
 家に風呂は無く、共同風呂に入って来たらと勧められ出かけた。家から少し離れた場所に見つけた風呂は、道路からは見れない程度の、目隠しの板塀と屋根のある湯気の出る池だった。
 昼間で入っている人もいないのに、湯船に蓋もしてなく、湯が溢れ出ていたのに驚いた。一方は仕切ががないので外が丸見えだが、子供だし気にならない。地域の住民なら月僅かの料金で家族全員入り放題だいの、広い温泉に一人貸切で浸かった。

 思いでの場所も、今ではビルが建ち並ぶ町だ。石を投げた砂浜は別府観光港になっている。我が家に従姉弟たちが来ていた頃も、風呂のふたをしないで、よく祖父母に注意されていたものだ。
 

湯船にに浸かる

2004-10-27 | 日々
 昨夜は、久しぶりに浴槽に湯を張った。シャワー派ではないのだが、暖かくなると手軽さと倹約?も兼ねてシャワーで済ませるようになってしまう。
 でも風呂にはゆっくり入りたいと思う時候になった。以前は洗うのには時間を掛けるが、熱い湯に短時間浸かる入り方だった。 
 湯に浸かって本を読むようになったり半身浴が良いとか聞いたりで、次第にお湯の温度も下がって行き長風呂になって来た。とは言っても本はもっと読んでいたくても身体が我慢できず、合計二十分か三十分が限界。読書は数ページしか進まない状態だ。
 風呂で読む本については、もっと読みたいとの心残りが毎回溜まる。身体は十分なのに気持ちは満足していない半端な入浴の季節が始まった。 

週末帰宅 でも

2004-10-26 | 日々
 もっぱら会社で使っているノートパソコンを、週末には持ち帰る。万年未熟者だし、時間も取れず会社でもたいして使う機会もないので、ほとんど進歩停止というより忘却への道を歩みかねない状態。

 家で練習とかしたいことも幾らでもあるのだが、開けることなく月曜日には再び会社の机の上にある。仕事で使い始めると、すぐ用事が入り出なければならないことが多くて、諦める日も多い。
                                 
 古いデスクトップはインターネット専用となっている。触らないよりましだが、実用向きの実践をしないとだめになりそうな、不安な予感を削除したい。
                                  

秘めだるま16号読了

2004-10-25 | 共に
 小倉くめさんの話を聞きに行ったつれあいからの、土産の小冊子3冊の内2004増刊第16号をやっと読み終えました。”編集室”道しるべに次の文があります。

       秘めだるまは、全ての人間に法の下の平等が保証される社会を、
       理想ではなく現実のものとするために発行している小冊子です。
      
       一方法として、私たちは、それらがもっとも阻害されていると
       考えられる”社会的弱者”の現実を世に問うことにしました。

 障害者である小倉くめさんのこまやかな暖かさと力強さと、久万弁での語り。そして出会った人たち。たくさんの温もりをもらった本でした。南海放送ラジオ『くめさんの空』で毎週声も聞けるようです。goo検索でも秘めだるまが覗けました。楽しみが増えました。

以前は別々だった

2004-10-24 | 共に
 村祭りに『』が参加できなかった過去を町民のどのくらいが知っているのだろう。悲惨な敗戦の後迎える村の祭りに、青年達の中から同じ村なのに一緒に祭りを祝おうとの話になり、やっと実現できたのだった。
 先輩から聞いた。祭りで『』へ初めて唐獅子を踊りに入った日、中の歓迎を受けたこと、一緒になって良かったと思ったことを。 
 私が踊りに行っていた頃は、そんな過去があったなど知りもしなかった。の手前、中、奥とかに分けて、4・5ヶ所で踊って回る。どこでも温かく迎えてもらった。見物人も多く狭い場所でも、自然と力が入り気分良く踊った。
 の中央を流れる川にかかる細い橋でも、踊りの最後は走り抜け家の中まで獅子が舞いこむ。そのあとの振舞い酒はよく利いた。だがほどほどにしておかないと次が踊れなくなるのだ。祭りの一日は長い。

解夏(げげ)を読んだ

2004-10-23 | 日々
 長女が貸してくれたさだまさしの文庫本、その一作目をやっと読んだ。歌手が書いた本との先入観からか、短編なのに手間取っていた。
 別の本を先に読み終えた充実感の流れもあり、解夏を読めた。失明の不安の中で長崎へ帰ってからは引き込まれて行った。
 私も片方ではあるが、目に少々不自由を感じ始めた。青年の頃二度ほど行った長崎の街。思いが伝わって来た。映画は見ていないが、情景が浮かんできた。

今日はやめて

2004-10-22 | 共に
 その人が昔社会運動をしていた頃、抗議行動をしようとしたことがあった。その時仲間の『』の人たちから、「今日はやめてくれ」と止めが入った。
 なぜかと問うと、今日は皇族に関る祝日だからと言うのだ。なっとくはできないが、緊急行動は取りやめとしたことがあったという。
 私も問題の懇談会でずっと以前に一度だけだが、天皇や皇族のある矛盾を聞いたことがある。橋のない川ではないが差別問題では避けては通れない道だと思うが、その後も取り組みは継続されているのだろうか。いまの本音が聞きたい。