忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

振り返る

2006-03-31 | 日々
 書きたいことがあっても、気をつけないと忘れている。昨夜も風呂から出たらと思っていたのに、洗い流してしまっていた。
 きれいさっぱり消えると、もうどうしようもない。ブログも、できれば毎日書けたらと思うが、何を書こうか困ることもある。
 逆に書いておきたいことが、幾つもあったりもする。時には題名だけでもメモするのだが、それでも忘れる。振り返れば見えるものではない。
 題名に加えて内容を少しでも入れて置けば何とかなる。始めに考えていたのと別の文にはなっても、続けることはできる。
 私自身の心の迷いではない許せる範囲として変更することが時々ある。歳をとれば昔のことは覚えているが、最近のことは忘れやすい。気楽には行かないものだ。

寒かろうに

2006-03-30 | 日々
 桜が七分咲き八分咲きだというのに我が家付近で少し雪混じり、高い集落やその山の向うの町では雪だったと聞いた。
 桜もびっくりしただろう。時期としては桜が散ってもおかしくない、雪が舞っているのか花びらなのか迷ってしまう光景。
 日中の気温も冷たいまま続いた。夜遅くなって広島の親戚から、明るい声の電話が入った。その町では雪が降らなかったが、別の親戚の町では7センチも積もっていると教えてもらう。
 本人が入院していたころ、曾孫が三人になったとうれしそう。昔こちらで住んでいた町の、神社横を流れる川土手の桜の花や菜の花の情況を伝える。
 風も強く寒い日だったが、夜に届いた明るい声に、暖かい気分に包まれる。雪のおかげで桜の花も長く楽しめるだろう。

専用でも

2006-03-29 | 追憶
 家にあるデスクトップ・パソコンは無理させずに使ってきた。そしてこの数年はインターネット専用にしている。
 相性は良いと喜んでいた。それが昨年中頃より、パソコンの性格が変わった。ふて腐れた態度の日があるかと思えば、眠ったまま起きても来ない日がある。
 呼び起こしても知らんぷりをしてたり、時には目を覚ますのに一時間半以上かかってしまう。目覚めてすぐに活動を開始する気もないようだ。
 どうやらパソコンさんインターネットが嫌いになったようだ。歳かもしれない。98では、もともとひ弱なからだ。
 一週間に二・三日働いてくれるのも無理があるようだ。私が出会った最初のパソコンでもある。よく力になってくれたが、インターネットは使えそうもないか。

逆でしょう

2006-03-28 | 共に
 夜の帰り道、街灯の無い歩道がある場所で運動のための散歩中をしている人に気付いてスピードを落とす。
 歩道ではなく道路を歩いている。黄色の蛍光に光るたすきを着けているおかげだ。追い越そうとして、びっくりする。
 たすきの女性の横に並んで、それもより道路側にもう一人の女性が一緒だったのだ。昼間なら目立つ服装でも、この暗闇状態では役立たない。
 懐中電灯も持たない二人、せめて道路側の人がたすきを着けていれば安全さが随分と増すのにと気になる。
 運動よりはおしゃべりのために、夜の道路を歩くのは危険すぎる。夜だけではない。昼間だと幼児の手を引いたお母さんやおばあさんに出会う。時に幼児が道路側を歩いている。
 安全なのはお母さんやおばあさんの方。小さい子供よりも、自分の命が大事というわけでもないだろう。幼い子供や孫から、危険を遠避けることにも気を使ってほしいものだ。

四本のトンネル

2006-03-27 | 追憶
 街に行くのに、舗装されていない道路や細く危険な道を歩くのが当然だと思っていた頃。街に着くまで自動車を見ないことが何度もあるほど、自動車が少なかった。
 一本目のトンネルが開通しても歩きながら上の道から、下の新しい道路の様子を眺めていた。しばらくしても、たまにバスでトンネルを抜ける程度の利用だけ。
 自転車で通るのは高校生になってから、自動車は免許を取り家に中古車が来てからのこと。そのトンネルの隣にもう一本追加されたのはずいぶんと経ってからだ。
 その状態が長く続き通行量も増していった。そして離れた場所に大きなトンネルが二本造られ、便利になった。
 安心と速さはプラスしても、個人として利用するのは、片道一ヶ所あればよい。帰りに別のトンネルを通っても二ヶ所で足りる。
 街にとって増えるトンネルが、出口専用になる空想なんて冗談にもならない。穴が空き痩せていく街がある。
 トンネルが一本しか無かったあの頃は、いつでも街への入口気分だった。四本目もできたこれからは、よその人たちのやって来る入り口となれるのか。

杏の花

2006-03-26 | 日々
 植えて五・六年は経つのだろうか。でも木はまだ少し大きくなっだけ。春になるときれいな花を咲かせるが、肝心の杏は昨年でも数個実っただけ。
 食べるよりも花を楽しむために有り、ある場所と人を思い出す木。もとはあの小さな森の水族館の近くで仕事をした人が、持ち帰った苗木だ。
 杏の木を見たら、なぜか無数の淡水魚が浮かんでくる記憶の重なり。花はたくさん咲いているけど、今年の実は何個だろうか。

二羽のカラス

2006-03-25 | 日々
 今朝も車でいつもの道を行く。途中の橋の欄干に二羽のカラスがとまっていた。ゴミ収集前に朝食を済ませておこうと、馴染みの食堂までやって来たのか。
 こちらとしては見慣れた顔だが、どのカラスもあまりに似ていてその違いを判別できない。もしかして双子のカラスだろうか。
 そばを走ると飛び去った。そうだそれが無料で食べる朝食の、生ゴミを置いた人間たちへの礼儀というものだ。
 少しよい気分で通り過ぎ振り向くと、カラスは反対側の欄干で「早く行けよ」と景色を眺めて時間待ちしている。
 「このゴミを、いやごちそうを捨てるなんてもったいないと思わないのかな」?「わざわざ袋を破ってまで人間のゴミを減らすために協力しているのを少しは感謝しろよ」?カラスの言葉は分からない。

音がない

2006-03-24 | 日々
 長年売り地の看板があった場所に、造成が始まり基礎工事が行われていた。毎日車や人の動きがあり、作業が進んでいると分かっていた。
 ある朝も平地のままの状態だった。それが何時間か後に見ると家が建っていて、クレーン車がそばにいる。
 ガラス窓まで付いた壁ごと立てて行くプレハブ工法だ。見る場所が変われば、映画の撮影セットの裏側が見える。
 通る機会に幾度か見たが、少し離れているにしても建前の音が聞こえてこない。また地域に馴染まない家になるのだろうか。
 建前も木の柱が組み立てられていく音が少なくなり、町の特徴を残す建物が減っていく。時が経てば町に溶け込む家もにもなるが、中にはいつまでも地域に違和感を持ち続けさせる家もあるのも寂しさを感じる。
 トントンタンタン和風の建物も建ってもらいたい。地域の環境や風景を受け継いで行くことに、家の新築や改築も 大切な役目を果していることに気付く。

歩道の声

2006-03-23 | 追憶
 なぜだろうと思ってしまうほど、その日の午前中の人通りは特に多いようだ。歩道を利用する人は、朝晩の高校生さえ少なくなっているのに。
 ヘルメットを被り自転車に乗った中学生たちばかり、にぎやかな明るい声も聞こえる。行く方向はグループでまとまっている。
 しばらくしておそらく時間としては帰り道だろうか、もっとはしゃいだ声と早くなった自転車が走る。それでやっと高校の合格発表の日だと気付く。
 ほとんどの生徒が数校を受験して、どこかに合格するのだろう。本命かどうかは別にして、まずは合格おめでとう。
 過去の、進学より就職予定の生徒たちの方が元気だった頃を思い出す。もう半々にはなっていたが、就職は先に大人の仲間入りをすることでもある。家のため自分のために、就職を選ぶ時代でもあった。
 進学受験も一校だけが当たり前、落ちてもいいなとの程度の気持ち。汽車に乗り就職先へ向かう友人たちの見送りにも行った。いまのような明るさやはしゃぐ声がうらやましくもなる思い出だ。

いつか来る

2006-03-22 | 共に
 年齢としてはまだ若い女性だろうが、ラジオの番組の中で、父母や他の身内だけでなく自分自身の死についても考えると話していた。
 いつか来るその日が、いつになるかはわからない。それまでをどう生きて、どのような気持ちで最後を受け入れられるか。
 自ら障害者でもあるが幾つものボランテア活動に積極的な行動をされている人。人々の『生きる』のためにも、自分の死について考えてみることは必要かもしれない。
 共に生きるを感じあえる人たちとの出会いが広がっているのがわかる。真似さえできないけれど、社会というかこの世に生きたという部分を持ちたいと思う。
 人に認めて欲しいのではなく、自分も生きたと思えればいい。この世に生まれ生きて死を迎える。人によって違いはない。どう生きれるかの違いだけ。
 先日、歳がそんなに変わらない身内が亡くなった。通夜の席でまるで眠っているようなきれいな顔をじっと見るのに躊躇した。
 「病院から家に帰って、とてもいい顔になった」と家族から聞いた。悲しいけれど想いの残る別れとなった。