忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

きっと あるはず

2012-03-31 | 日々
 役所から毎月送られて来る文書などを、それぞれに分け綴じていた。その中の数枚が昨年秋に欠けているのに気づき、何度も探したが見つけられなかった。
 年度末になるこの数日間でも駄目あるはずの場所は1部屋の片隅だけで、ほとんど全ては小さなダンボール箱に入れてある。そのそばになければとても見つけるのは無理と分かっていながら探してはみた。
 部屋いっぱいの本と紙類そこに混ざった数枚の用紙、謝る覚悟にもなって当然。今夜もここにきっとあるはずとあきらめられずに探したがやはり無駄。
 何月が欠けてたのか文書ごとに月日を確認していると綴じる月を間違えているのを見つけ出した。右上の月で重ねた他のは文書の中の日付で、連続していると分かった。
 これまでどれだけ調べたか自分に呆れる3月31日の夜 、明日は4月1日で新年度に入る。自分に信用できない部分があると認めるだけ、庶民を見捨てる現政権や政治屋に官僚や財界人など金の亡者よりはましかとやせ我慢する。

どっちもいらん

2012-03-30 | 平和を
 バイクをゆっくり走らせている夕方、もう薄暗くなった山で作業中の人を見かけて声かけた。何しよらい?」とお互いそこに居る理由から話し始める。
 「あの鉄塔は何よ」ついでに気になっていたことを尋ね、防災無線のアンテナだと知った。山里の入り組んだ地形と低い位置、どれだけ地震や水害発生時の呼びかけに役立つのかは疑問。
 「大震災の時には、マイク放送を知る前に、やられとらや」。海の大津波もだが地滑り危険のある地区で、山津波の発生も不安は強い。天災より先に人災の原発事故が起きるかも。
 原発と地震「どっちも、いらんな」本音は誰もが同じ考え。地震と同時であれば原発に近い山里は事故時避難も危険が伴い、できるかどうか。なのに方法さえ知らされてはいない。
 フクシマ原発大事故の糾明・検証と反省に脱原発の方向性も示さず、あの大事故にさえ無責任のまま原子力安全・保安院と電力会社の身内のストレステストで再稼動を政府が決定するレール。
 野田首相には消費税増税同様に原発再稼動も財界人や官僚などには誉めてもらえる一本道。原子力規制庁設置の遅れも、原発再稼動を早くするには都合が良い。
 福島第一原発で大事故を起こした東電は、公的資金1兆円の資本注入申請と新たに賠償に必要な8,459億円の追加支援を国に要請した。
 これで[政府が肩代わりする賠償費用は約2兆5千億円に増加。これに資本増強分が加わり、政府の支援総額は約3兆5千億円に膨らむ]
 なるほど消費税増税を急ぐ理由がよくわかる。原発の存在そのものが危険な日本、東電の実質国有化は発電と送配電を分離して脱原発に舵をきる良い機会。

つっぱって

2012-03-29 | 日々
 [ お昼寝用毛布に 侵入されたので 両足を突っ張って 追い出そうと 頑張っています。 ] メルが足でいくら踏ん張っても、にいちゃん何とも感じないだろうな。
 たまに運よく家を脱走しても庭から出れず、にいちゃんに捕まりぶらんぶらんされて連れ戻されるメル。狭くても守りたい縄張りはあるみたい。

ウウッ!

2012-03-28 | 共に
 真夜中に玄関近くで「ウウッ!ワン」 唸り吠えたのはわが家の犬。またかあさんにからかわれているのが分かる。せっかく気持ちよく眠っていたのを毎晩のように起こされる。
 うなり声は時々聞くが、「ウウッ!」 に「ワン」 を一緒にはめったに聞いていない。本気に怒らせてしまったようだ。何をしたのか気になる。
 寝起きが悪くても「ポテ(お手の造語)」は言われれば、仕方なくやっている。犬は夜中に起きて水飲みや背伸びなど運動もする。それでかけ布団を下に寝てしまう。
 夜中に数回起きる私がそれに気づくと体の下から引っ張り出す。犬は怒らず動かず平気で再び布団が体に掛けられるのを知っている。
 今日は犬も一緒に半日山仕事に行った。歩く人の珍しくなったお地蔵さまの前の里道で遊んでいた。そっと近づき抱っこの形を取った。
 「ウウッ!」と小さなうなり声。犬はすぐにあやまちに気づき、照れくさそうに私に飛びつき好き好き抱っこをしてくれた。

さすが

2012-03-27 | 共に
 部屋に入りケイタイを開いて、娘から数時間前に電話があったことを知る。いつも持っているのに、夕食時だとしたら音になぜ気づかなかったのだろう。
 町の家庭には遅い時刻かなと心配しながら掛けてみた。切ろうとした時娘の声、別に私への用事などなくお母さんの電話に掛けたけど出ないので、お父さんのに掛けただけ…。
 納得したが父親の存在感は薄いと思う。でもついでに家庭の現況報告のサービスがあった。激しい母子ケンカの後だと言う。もうすぐ小学2年になる孫、口だけなら負けてはいない。
 だが言い過ぎたようで「おかあさん 夕ごはんを作るの止めたがら 食べたければ 自分で作りなさい」 すると孫は人参を切りはじめ、背の届かない高い位置にあるボールはシンクを踏み台代わりに取る。
 納豆もおかずの1つに加え出来上がった料理を味見して、半生の人参をどうすればよいか母親に助けを求めた。「電子レンジに入れてみたら」
 さてどんな味だったのか、黙々と食べた。記憶にある母親のを見様見真似で初めての料理とは、なかなかやるなとほめてやりたい。
 母親は甘くなく「ちゃんと 自分でできるなら もう1人で生活できるね」 がっくりきた孫を見たような気分、「○○そこに居る?」 聞いたが「あれから知らない 見ていない」。
 「知らんじゃ いけんやろ」 布団も自分で敷けるかどうか。数分後にメールが届き、孫は母親の敷いたままだった布団に頭から潜り込み足だけ出し眠っているとのこと。それで困るのは猫のメルだけとか、メルならなんとかするだろう。

ドキッ!!!

2012-03-26 | 共に
 バックしていた車が止まって私は先に助手席から外に出た。近くの脇道に駐車した知人が「何しよ?」と問うて来た。私が返事するよりはと運転席を振り向く。
 ちょうど車のドアを閉め、急いで私の横に来て女同士の会話が始まる。声は大きいけど答え方がはっきりしないので1回では分からず、何回も問い直された。
 「おとうさん私のこと)が よいよ(ほとんど) せんけん(動かないので) ほんと 困らい」 バカにされるから外では黙っていることと発言禁止中の私、監視人の隣りでもっぱら無口を演じる。
 「家のおとうさんも ついなような(似たような)もんよ」私をかばうための知人の言葉だとすぐわかった。
 でもそれに「あんたとこの ○○さんは 家のおとうさんよりは まだましよ」 聞いいてドキッ!!!とする。その言い方って、あんたの夫もうちのと同様ダメ亭主だけど、うちのは(私のこと)も少しひどいんだから」
 自慢げにも聞こえ知人の気配りなど無関心、話題の私が知人を傷つけたのではとはらはらした。知人は大人笑顔で終わらせ、2人仲良くツクシ採りのひとときにした。

いそがしい けど

2012-03-25 | 日々
 山に行き果樹園の成木の欠けた所に苗木を植える。段々畑のあちこちはまるで菜の花畑のようにきれいだがここでは雑草、放ってもおけない。
 すぐ隣りに大きな山椿が咲き誇り近くにも花が落ちている。くぼ地に満開の桜を見つけ溝を飛び越え行ってみた。「忙しいがに 何しとらい」耳に入るが、眺めた桜に清々しい気分。

コタツに入り

2012-03-24 | 平和を
 「コタツの部屋に行かん?」ドアの外で声がした。「行ってもええけど」と返事した。外は昨夜からの雨が午後も降り続いている。どうせなら本でも読むかと1冊を持った。
 【 いま、憲法は 「時代遅れ」か 】 ――〈主権〉と〈人権〉のための弁明―― 著者/樋口陽一 発行所/平凡社 もう一つの「憲法」入門 個人と国家にとって、この天災と人災の時代を生きぬくために、いま、何が必要か?
 昨年5月の初版を私は最近買った[憲法・現代社会]の本。階段を下りコタツに入るが、誘った方が来ない。「連れて行ってもらうが、出かけんかな」 上から気まぐれな変更。「行かん」 と返事、小遣いがないのと読み始めた本が気になる。
 憲法を議論する際に/憲法が想定する「国民」とは/経済的自由とニ種類の規制/自己決定とその限界/働き・学び・育て・暮らすこと/政権交代さえあればよいのか/「市民」の二つの対処例/裁判と「国民」の関係/「象徴天皇」のむずかしさ/憲法九条をめぐって/憲法を変えるということは?/「新しい理論」vs「古い憲法学」
 [大日本帝国憲法制定にかかわる会議で伊藤博文が「そもそも憲法を設くる趣旨は、第一、君権を制限し、第二、臣民の権利を保全することにある」と語っていた]ことを知った。
 維新の会や民主党に自民党など改憲勢力の一番の狙いは9条だが、考えは明治時代よりさらに劣る稚拙で欺瞞に満ちた策略には恐怖も感じる。
 【日本国憲法 第十章 最高法規 第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。】 家族の帰りと同時に憲法全文も読めた。

おくりました

2012-03-23 | 共に
 家のポストにクロネコメール便が入っていた。ちょっと厚めと感触で本だとわかる。表側に今年度(平成24年)の「購読料振込み用紙」在中 と印刷されている。
 身に覚えもなく送り主を確認するため後ろ側を見ると、秘めだるま企画編集室 小 倉 く め とある。
 小倉くめさんはラジオ番組「くめさんの空」を聴き、冊子「秘めだるま」も読んでいる。昨年は人権問題の講演を聞きに出かけ、本を何冊も購入し話もできた。
 部屋のペーパーナイフで封を切ると「秘めだるま」春の号が入っていた。創刊29周年第113号、そんなに続いているのかと驚いた。
 年間購読を頼んだ覚えはないまま久しぶりに読み始める。講演会の日に手に入れた本もまだ2冊を読んだだけ、前払いで届いた秘めだるま冬の号も読めずにいた。
 [秘めだるまは 基本的に 一年契約です。☆が、「継続手続き」などの人手がないため、「継続」とみなす―――という方法で納得してもろうとります。
 「古参」「高齢」の読者が多くなり「手続きの簡素化」も図らせてもろております。] 読んでいてページの端にあるのを見つけた。
 そういえば昨年分の秘めだるまを開かずにいた。さて継続を止めるかどうか何日も悩んだ。障害を抱えながらも前向きなくめさんの思いが詰まった内容の冊子は国会図書館の蔵書にもなって当然。
 心の休まる身近かな話題、私も一緒を感じたい。郵便局へ乗せて行ってもらい手続きを済ませホッとした。私の悩みは今月分の小遣いが無くなることだけなのに。来年も継続できればいいのだが。

でんせんに とまり

2012-03-22 | 日々
 昨日は高知でソメイヨシノの開花したとのニュースを何度も聞いた。わが家の近所の桜も蕾をつけているようだ。今朝、食事の後に庭に出ると銀木犀の枝の茂みからウグイスの鳴き声が聞こえる。
 まるでまあるく大きな緑色の鳥かごの中にいるみたい、上手できれいな声がする。「声はすれども姿は見えぬ ほんにお前は( )のような」
 悪ふざけは無視できるが、まだ今年は見ていないウグイスは気になり探す。移動時にちらっとは見えても枝葉が邪魔して、何とか小鳥を判別できる程度。
 諦めかけた頃にウグイスは銀木犀の鳥かごを飛び出し、すぐ横に立つ電柱の電線にとまり鳴き始めた。驚いて逃げて行かないように私は動かず、その様子を見つめる。
 他の小鳥もそばを飛び、遠くでも「ホーホケキョ」そんなことなど無関心。わが家のそばでいい鳴き声を聞かせてくれる。程よい間を空け繰り返す。
 巣作りの材料だろうか、細い枯れ草のようなものを嘴にくわえた小鳥が銀木犀の上の電線にとまる。似ているのでこれもウグイス? 振り向いてくれないので口のものを落としながら飛んで行った。
 自分の美声に酔っているのか鳴きやめないウグイスに根負けし、ゆっくり歩いてその場を離れた。鳴き声に比べウグイス色はあまり目だたず、メジロの色と比べてしまった。山へ行く道に梅の花びらが落ちていて、桜の花との交代時期だとわかる。