忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

お城があって

2006-11-30 | 追憶
 城跡と言ってよいのか砦跡なのだか、この地域に限っても数多くあるようだ。少々足を延ばせば、本物や再建された城を見ることもできる。
 時季外れではあるが『夏草や兵どもが夢の跡』戦国時代にまで遡っての繋がりが、今になっても話題になる。
 先日その時代この地を治めた城主についての話を聞きに出かけた。どこから来てどこに行ったか、この地での討ち死には真実なのか。古い昔の疑問を聞いた。
 興味はあるが深くはないと思いたい。戦が続いた悲しく辛い日々があったのではないのか。当時の城主が領地の住民たちにとってどのような存在だったかに関心がある。
 その山城跡まで、昔の道を歩いて何度か登ったことがある。そこに城を築いたのは今は名も無き領民たち。城主や侍たちの生活の品々を運び上げるのもそして年貢を治めさせられるのも領民たちだ。
 他で城を見学してももちろん城の形や景色もいいが、古い柱や階段や木組みとか石積みが好きだ。建て方や職人たちの技に目が行く。城主や侍が造ったのではないと思ってしまう変り者。

芋つぼに

2006-11-29 | 追憶
 各地を紹介するテレビ番組である農村の芋つぼを見た。小さい簡単に建てられた山小屋の戸を開けると、中に掘られた穴に芋が囲われている。
 収穫された寒さに弱い芋たちの冬を越す場所だ。穴はビニールシートで被われ、籾がらかオガ屑が詰められ、ふとん代わりに潜っている。その地方では昔から、庭角などの小屋に保存したのだろうか。
 私の生活があった山村では芋は住宅の中にあり、母屋の居間でもある板の間の床下が芋つぼだった。2メートル四方以上はあったが、地下室と言えるほど深くはなかった。
 茶の間の上がりがまちの前にある、踏み台の板を外し出入りした。籾がらに埋もれた食用の芋と、翌年植える種芋がある。
 芋を運び入れたのは、祖父母と母だ。私が中に入るのは、蒸かし芋の準備を祖母に頼まれた時。しばらくするとホッカホカの湯気の出る美味しい芋をいっしょに食べた。
 祖父といっしょに入るのは、もう少し大きくなってから。そして種芋として家を出て、再び畑に里帰りする。あきるほどたくさん食べたあの頃を思い出す芋つぼだった。

信を問うのか

2006-11-28 | 平和を
 「選挙で国民に信を問う」?今更あれは郵政民営化だけの選挙だとまたも聞かされるとは。国政とはそんな一部分のことなのか。詭弁が罷り通る場所であって欲しくはない。
 今になれば復党問題にしても、どちらに義があるとも思えない。だが発端は政権党が、あのような選挙にしてしまったことか。
 党の組織内でのわずかな政策の違いだけの仲間にさえ刺客を送る。たとえとはいえ政権党によるテロにも通ずる。
 党内問題と言うのも国民を無視するご都合主義だ。政党だけの問題ではなく、すべて全国民の問題だろう。報道番組でも言っていたが、来年の選挙での当選狙いと政党交付金狙いだとの見方は納得できる考えだ。
 国の心が痩せていくようで寂しさを感じる。ある人たちが富み太り、その他は貧しく痩せるためへの国造り。知られても平気になって来たようにも見える。
 政策で当選できる政党と議員なら、国民から年間317億3100万円も上乗せで、政党助成金だと手に入れる仕組みなど作る必要もなかったのではないか。

やっとイルミネーション

2006-11-27 | 日々
 まだ完成ではないが、やっと点灯することができてほっとする。でもこんなに気分と体力に疲れを感じたのは初めてだった。
 毎年遊びで気楽にイルミネーションを飾り付けてきた。我が家の庭の点滅では、見物人は主に私の家族。暖房費の削減とまではいかないが、自分を暖かくするためでもある。
 先に他家のプレゼントが夜を明るくしている横を通っての帰り道。あせりではなくゆとりの点灯。やはり早めがよかったか。
 予定している日は雨が降り、季節が来ても気温が下がらないので落葉しない。イルミネーションを初めて点灯した年からでも、地球の温暖化が見えてくる。
 今年は初めてハシゴを使って木に登る。明日は雨かも、暗くて足元も手元ももちろん枝まで見えにくい。時間はかかるが無事取り付けることができた。
 コンセントに差し込み明かりの確認をする。たくさんの葉っぱに囲まれ、淡い光が瞬きしている。長続きする変化を見れる楽しみができた。

遊んだ場所から

2006-11-26 | 追憶
 ゆるやかなUの字の内側どうしの向い合わせの地形。こちら側のすぐ上には、で一番高い場所の人家だった廃屋がある。
 向こう側はずっと下るが、高いところの数軒は、どれも空き家になった。ただ人が住まなくなっただけ、わずかの利用はされている。
 それらの家の横を歩いて山仕事や遊びに通った道は今もある。途中急な坂道があっても、その土地に暮らす者にとっては当たり前で平気な道だ。
 遊びのためでも歩くには小さい子供にはかなりの距離だが、仲間と一緒の楽しい道になる。家の上の方にあった広い田んぼまで頑張ったあの頃。
 離れた場所から現在のその場所を見る。田んぼは遠い過去となり緑になった。手前の斜面の白さはなになのか、しばらくの疑問。
 まさかと思うほどの白い野菊の広さだ。奥には真っ赤に紅葉した大きな木が見える。溜池の土手にあったハゼの木だろうか。
 黄色はツワブキや雑木の見せる変化。地元の山の紅葉が進んでいるのを気づかずにいたが、むかしの遊び場が教えてくれた。

おかあさんは

2006-11-25 | 共に
 このところなかっことだ。「おかあさんはいらっしゃいます?」電話は妻の知人から。息子と誤解しているようだが、まあいいかとそのまま聞いた。
 「もうすぐ帰ると思います」と丁寧な言葉で話を終えた。ふざけるつもりなどない。以前もよく間違えられたが、あのころは夫婦だけの生活だった。
 今はほんとに息子もいる。今夜は代理で電話を受けたつもりになる。この歳でまた変声期に入ったかのような声だと自覚する。
 間違えられても腹の立つことではなく、楽しみになる程度だ。妻が帰ってきたので、電話があったことだけ伝えた。
 すぐ掛け直しての長電話が始まった。なにも言わなくてよかった。妻の子供と母の子供か、たいした間違いでもなかったのだ。

ムラの暮らし

2006-11-24 | 共に
 【被差別の青春】角岡伸彦著 講談社文庫で読了する。[丹念な取材を通して語る結婚、ムラの暮らし、教育。しなやかな視線で「差別と非差別の現在」に迫るルポ]と帯にある。
 被差別のルポルタージュは何度も読んだが、どれも同じような書き方と感じがちだった。本の内容と同じ考えに近く集会に参加しても、現状の地域差を知る機会は少なかった。
 この町の『』さえ意識しなくなっている。最近も中の道路を往復して知人を見ても感じない。これでよいのかと考えるのは、差別の話題に会ってからのこと。
 仕事仲間にも『』の感覚などない。それを意識するのは、本人がいないときの話題の中か。上手なことばに差別が隠されていたりする。当人と直接『』を話したこともあるが、それより家族とか生き方などを二人のときに話すようになって親しさが増した。
 関西弁のしゃべりが次々でてくるこの本には、本名での話も多い。明るく知ることができる被差別の青春。変わりつつある、新しいムラを見ることができた。他と変わっている言われた私に似た人も登場した。

いたずらへの戸締まり

2006-11-23 | 共に
 関心をもって見ていたホームページの掲示板というかBBSが閉鎖された。嫌がらせか悪意の侵入が続いたためとのこと。
 本人だけでなく、そのページを訪れるファンにとっても悲しいことだ。親しみや新しい感情を求めの出会いもあっただろう。
 まったく無関係の書き込みや画像に驚くことがある。子供たちのいじめにも携帯メールなどを使った方法があるようだが、その子たちが大きくなったら、同じことをするのかと心配にもなる。
 他でそんなことを見せられた後には、このブログに入るコメントやトラックバックにさえ、いたずらではないかとドキドキすることがある。めったにない貴重なお客さんとは、嬉しさのドキドキだけがいい。
 だがたまには歓迎できない訪問者もいる。安心のためにも毎日確認して、できるだけ早く居なくなってもらう。
 不法侵入気分なら、同様の趣味者たちとでやりあう方が面白いのではと思う。万年初心者としてはのんびりできるだけでよいのだから、歓迎はできない。

上がりがまちの木

2006-11-22 | 追憶
 『その木なんの木 気になる木』のCMが好きだった。テレビを見る時間が短くなって、今はあの歌が聞けるかどうかもわからない。
 ある大工さんの作業場を覗いて見ると長方形の木口の、長い木材が一本だけ台の上に置いてある。何に使うのかと尋ねてみた。
 上がりがまちだと言う。玄関を入って履物を脱ぎ上にあがる場所に、床の端を押えて横になっている木材だ。
 長さが3メートルはある。土間のある古い民家の上がりがまちが、白蟻に傷んだので取り替える。だからこんなに太く長いかまち(框)を使うのだ。
 昔の家なら珍しくはないと大工さんが言う。そう以前の古い我が家も同じだったか。入り口を入ると土間があり、また引き戸があって土間がある。その正面に踏み台と上がりがまち。
 長さも3メートルはあった。他の柱も部屋も、日々のかまどからの煙で黒くなっていた。白木のかまちで黒いかまちの温かな想いも見れた。



やらせはどこでも

2006-11-21 | 共に
 国の教育方針の変更まで、やらせでやってしまうのか。なにも今に始まったことでは無いとわかっていても、当然で済んでしまう社会は怖い。
 力を持つ者のやらせで世の中を操っていくのは、国から地方や地域に小さな集まりにもあるだろう。自由や民主主義から程遠い、人権を無視したやりかたでもある。
 人権同和の集まりでさえ、やらせを見たり感じたりは毎度のことともいえるほどだった。公共の呼び掛けがある集会など、それに近い各種団体からの参加者がほとんどだったりする。どこかに偏った考えが見え隠れして、本音は違うだろうと思ってしまう。
 普段の発言や態度との使い分けを上手に見せる人たちと、それに合わせる人で会は進行する。毎回当たり障りのない発言で、ただ時間の消化役かと思う人もいる。
 過去に小さな『』集会ではあったが、やらせの段取りが組まれているのを知り、結果は先回りになったが、少し長めに自分の知識を話した。すると後から講師料だと届けられた。お金は受け取らなかったが、そういうことかと裏を見せられた気がした。