忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

添い寝して

2009-06-30 | 日々
 降るはずで降らなかった雨は、夕方になってようやく天気予報と同じになった。水不足が重大問題と地方版でも連日報道されていた。
 雨の予報が外れるのはよくあること。範囲内の地域でも海と山の地形と長距離間の違いであてにできず、雨の欲しい時期など実際に降るまで期待は少しだけにする。
 それでも地域の気象情報には関心をもっている。夕方よりやっと降り出した雨も、多少でも大地に湿りの残る時間が続くのを願っていた。
 だが程度がある。久しぶりに雨らしい雨と思っていたら、雨音が次第に強くなる。なのに犬は散歩をせがむ。玄関の廊下に布団を敷いて寝ている犬だ。帰ると家に入ってブルブルっと体の水を跳ね飛ばしてくれる。
 遅い食事も終わってカーテンの隙間から外で瞬間明るく光、すぐドーン!大きな雷の音。玄関から犬の動き回る音がする。雷が大嫌いな犬、私がそばに行っても興奮状態は収まらない。
 声をかけながら顔を撫でたり抱っこをしたり、それでもダメで動きは止まらない。布団の上に「お座り!伏せ!」言うと実行するのは1~2秒だけ。
 大きな稲妻と雷はあの一度だけ、老犬でもその後の人間に聞こえない音を聞いているのだろうか。それにしても長すぎる。落ち着かせるため添い寝をするか。
 「お座り!伏せ!」を繰り返すが、私も一緒に寝転んで両手でずっと撫でてやる。犬の緊張はそのままに、私が先に眠くなる。待ち人来るに、逃げ出し先におやすみ。
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私の家です

2009-06-29 | 日々
 帰り道でいつもの大きな果物屋さんに立ち寄る。「出て来なさいよ」と警察の犯人逮捕のような呼びかけにも応じず、私は一人頑固に駐車場の車内で一休み。
 やがて一人が車に戻って来た。二人揃って待っているのもと私が外に出た。黄色い壁のくだもの屋さんの屋根越しに見える家の屋根が、さっきから気になってもいた。
 以前新築中の屋根の上で、大工さん二人が垂木を打っていたあの家かと見に行きたくなる。確かめる時間くらいは大丈夫と勝手に考えた。
 やはり屋根から笑顔の家だった。道路側に電気工事だろうか脚立に上がった人の背中が見える。通り過ぎると裏側で子供たちがにぎやかに遊んでいる。
 丁寧な木造りの格子が遊び道具、近所の子供でなければよいが。それとも作業している人が、仕事を見せるために子供を連れて来たのかも。
 引き返すとさっきの人は脚立から下り角材を手ノコで見事に加工している。振り向いた笑顔であの時の大工さんだとわかる。
 「ええ、私の家なんですよ。屋根には特に凝ってみました」私が見上げていたのも知っている。「子供たちが居たでしょう。もう住んでるんですが、どうぞぐるっと見てください」
 庭は工事中そのものだが、玄関やベランダから家族の幸せな暮らしがある。職人のお父さんは休日返上で、より良い家に。「どうぞまた見に来てください」家を建てるならこんな大工さんに頼みたい。
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いっしょが大好き

2009-06-28 | 共に
                  一緒に笑って
                  一緒に泣いて
                  一緒に歩いて

                  ずっとずっと
                  一緒
                  一緒。

 小さめの額に入った詩の下側には、四葉のクローバーが並んで描いてある。短い詩の言葉と文字が好きでよく見ていた。
 子供と別れた後に誰の詩なのか、また聞き忘れたのを思い出し車内からメールを送った。『ケンカした次の日にショッピングモールで買った』矛盾のある返事で、私には作詩者不明が残ったまま。
 飾っているのはひょっとして皮肉、それとも反省、もしかして出会いの頃のお互いを思いやる純粋なやさしさを想い出し復活させるために。
 人との付き合いが下手で人見知りする私だからか人が好き。一緒とか共にの言葉や気持が好き。そういう気分でありたいとは思っている。
 いつでも落ち着いて見れる場所に一人ではなく、いつもあなたと一緒みんなと一緒を考える詩がある。平和な幸せは身近な人への思いやりから始まる。
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どう育てるか

2009-06-27 | 平和を
 地元有志で力を合わせ長年かけて育て、人々にも知られ季節には他県からも大勢が訪れるあじさいの里に今年も行った。
 明日が祭りの最終日、今までで一番大勢の見物客とたくさんの紫陽花だった。満開の見所を少し過ぎていて残念だったが、地元の美味しいうどんは食べた。
 祭りの幟旗はいいのだが、国政選挙候補者ポスターの数は多すぎて邪魔も感じた。選挙前になると普段と異なる政策や自分を過剰に売り込み始める、議員に候補者に政党関係の別の面を見せられるかのよう。
 離れてはいるが同じ町の川に架かる歩道橋を渡ると、いくつもの観光施設があった。敷地の外だか自動車道のすぐ下に、大きな観音石像があった。
 近づくと本体はよくわからないので、横に建つ石碑等を読む。過去に村だった頃、村長二代で建立した観音像が住民から憲法の政教分離に違反していると訴えられた。
 村長側が裁判に敗訴し、代金を支払った。その後存続を願う有志により公有地から移転したのが現在の場所。日本国憲法の政教分離が地方では観世音菩薩の姿となって生きている。
 当時は全国的な問題としてニュースにもなった。今回初めて本物に会えた。拝みはしなかったが、離れて見ると確かに個性的な姿だ。
 誰をも拘束しない政教分離の姿。地方でできるのに国となると大きな矛盾を抱えたまま。本来、政党を選ぶ自由と信仰を持つか持たないかを含めどちらも別の問題で、各個人にとっての重要な自由。
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手のひらの想い出

2009-06-26 | 追憶
 川の流れや溜池の水もずいぶんと減少し、水不足が気になる。稲作地帯ではあるが減反政策のせいか他の農作物も多くなりはじめた県北の町でのこと。
 数日前に豪雨が降ったと聞いてはいた。だが前回干上がりかけていた溜池に、少しだけ水が増えているのを見た。他所でもほっとするがまだまだ雨は欲しいだろう。心配しながら留守にしているわが家のある県も、雨待ちの日々が長く続いている。離れていても無関心ではいられない。
 夜は、みんなと二階でごろ寝した。家の周囲からカエルの鳴き声が聞こえて来る。雨の降ったせいだろうか、カエルの声も元気に感じる。
  昼間も歩けば時には場所によってカエルの鳴き声を聞ける。でもあれほど鳴くカエルなのに、一度も姿を見かけないのは不思議なくらい。
 信号機のそばで田んぼを眺めていて、国道横を流れている水路に何かいるのに気がついた。コンクリートの水路で、流れの一部分に四角い深みがある。
 そこだけにオタマジャクシが何匹もいた。足は無いのに太りすぎのもいる。水ごとすくって手のひらで泳がせたいけど我慢した。
 オタマジャクシを家に連れて帰りたい。顔と動きにあいきょうがあり好きだ。オタマジャクシはカエルの子、両方の可愛いさを手のひらが覚えている。
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気になる隣の席

2009-06-25 | 日々
 また急にドライブ決行と知らされた。朝の新聞記事が原因で昼前出発、家の都合があり愛犬同伴だ。まあまあの長距離で、犬にとっては他県の捨て犬からわが家に到着した最長距離の時以来。
 軽乗用車に前の席に2人と後部座席に私1人でその後に犬が乗るのかと思っていた。だが横の背もたれが倒され犬と私は相席になる。
 犬は久しぶりの自動車に興奮気味で、外の景色も気になりっぱなしでおとなしくできない。家の中には入れても、部屋では飼っていない中型犬で抱っこは犬が好まない。洗ってあるが毛も抜ける。
 横で動くだけで私の横は毛だらけだ。途中のスーパーマーケットで買い車で食べる昼食も、犬はすぐに済ませた上にみんなのお裾分けを待つ。
 目当ての高山に咲くツツジの群生地は満開だけど斑があり70点。地面に下りた犬の様子は90点。花より団子と車の中での立ちっぱなしの疲れからか落ち着いて見える。
 家族とずっと一緒に、それも半日のほとんどの時間を大好きな自動車に乗っていた犬。今夜はぐっすり眠るだろう。その逆に私は今朝の目覚めから頭が痛いのに、じっとしない犬と並んで休息どころか集まりから帰った今でも頭痛。でも犬と一緒に行けたのはうれしい。
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恋 火

2009-06-24 | 日々
 【 天国の本屋 恋火 】 著者/松久 淳 + 田中 渉 小学館文庫 発行所/小学館 孫に借りて帰り読んで、また今回来てから読み終えた。
 [ ある日突然、ピアニスト健太は謎のアロハシャツ男ヤマキに声をけられ、天国の本屋に短期バイトとして連れてこられた。そこで彼は、運命の女性ピアニストに出会う。 ]
 [ 一方、飴屋の娘香夏子は商店街復興のため、花火大会開催に向け奔走していた。そこで彼女は「その花火を見ればふたりの恋は成就する」という伝説の花火師に出会う。 ]
 [ 天国と現世。ふたつのストーリーが同時進行するなか、花火大会当日、ついにある“奇蹟”が訪れる――。 ]
 自分では選ばない本を読めるのは孫娘のおかげ。天国の一時体験は本屋でのバイトで、朗読サービスをする。この世にもあればいいなと思う、ゆとりの時間。
 朗読書籍として何冊もの本が紹介される。その中でも「椿姫」は特に大切なお話となっている。椿姫、馴染みのある題名だがこの本を読み、初めてかもと思い始めた。
 幻想との交差した軽い物語だとの気持は、読むまでのことで読みごたえがあった。ラブストーリーも年齢に関係ないよい出会い。
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握手でまたね

2009-06-23 | 共に
 「どうして準備ができんの!もう時間が無いんよ!」少々大きい声で注意されても、孫はあわてず自分の世界を維持したままだ。
 幼稚園を休むつもりはないのだけれど、急がず朝のひとときを趣味の遊びで楽しみたい元応接間が子供部屋。「来てはダメ」と玩具を隠して背中を見せる。
 説得役が代わっても、部屋から出て来ない。強力な母親の出現に、孫はようやく居間に移動させられた。それでもうじうじやっている。
 みんなで一緒の見送り予定も、孫に拒否されそれを無視した私と母親だけになる。途中までは半泣きおんぶ、それから歩いて友だち親子にも出会う。
 次第に元気な明るい孫になる。「おはようございます!」何人もと挨拶して園長さんに手を振り園に消える呆気ない別れ。
 また同じ道を娘と一度家まで帰り、今度は車で出かけ昼食を済ませて駐車場の車の所まで行く。娘も一緒に乗るものと思っていたのに「ついでに買い物して帰るから、ここでお別れ‥‥」
 えっ、そうなんだ。付き合うには時間が無いからしかたがない。「また来てね」の言葉に窓ガラスを下げ、手を伸ばす。娘もすぐに手を出して握手する。
 近年この娘と握手したことなどあっただろうかと考えた。孫の代わりも握手して、ずうっと長めに手を振った。
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ひとり残って

2009-06-22 | 平和を
 広島市平和記念公園での用事を済ませて、市内の端にある家までバスで帰る。こちらの雨は朝から降ったり止んだり、幼稚園の迎えやプールもあり昼食だけで原爆資料館の見学もできなかった。
 バスの中で娘から昨日孫が選んだ150円で買った【 ひろしまのピカ 】 記録のえほん1 え・文/丸木 俊 発行所/小峰書店の話を聞いた。
 4歳の子供が読みたい本だろうか、でも今朝幼稚園に行く前に『ひろしまのピカ』を一人で見ていたという。「読んであげようか」と母さん。「うん」で読み聞かせをしてもらっている。
 あの丸木位里さんと共に『原爆の図』を描いた、丸木 俊さんの絵と文だ。熱心に聞いていて「どう思った?」に「面白かった」ははっきり表現できない孫にとっての誉め言葉だと思う。
 「いつになればわかるか‥‥」と娘は言う。でも夜になって孫にちょっと尋ねてみると「人がたくさん死んだ」「お父さんが死んだ」「お母さんも死んだ‥‥」
 はっきり言える。こんなに覚えているのか。幼くても感じる部分はある。絵の中の原爆ドームが現実のドームと同じと知っていた。
 今日、時間がなくて歩けなかった平和公園内のあちこちや市内の原爆が投下かされた日の前後の状況を、孫の本で見れた。私も同じ本を持っている。
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島根のサブロウ

2009-06-21 | 追憶
  初めての島根でヤギの太文字が気になり行ってみた。アイスクリームと牛乳を売る店の横。土手を上がって来てくれた。小ヤギは悪戯っ子か、二本の角削れている。
 長いアゴ髭。人懐っこい表情といい匂いのヤギが好きなのは、わが家にヤギ飼っていた頃からのこと。餌やり乳搾り散歩に山羊小屋の掃除も小学低学年にはやっていた。
 なのに蹴られたり、頭突きをよくやられた。今日出会った小ヤギサブロウは指を咬み甘えん坊だが、顔や頭を撫でたが頭突きの角には注意が必要。孫たちもたくさん遊べた。
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