頭を下げるとその人も笑顔を添えた挨拶を。「〇〇さんですか?」お互い歩きながら橋の上ですれ違ってから、声かけた。ある説明会の要件を早く切り上げ、携帯で迎えを頼もうとして、午前中に乗っていた車の中に置き忘れたことに気づく。近年極端に減少した公衆電話が近くにあり、家にかけるが呼び出し音だけで通じない。
次の公衆電話は元中学校のそば、距離はあるけど久しぶりに歩くことにする。会社勤めのころ、雪が積もると国道と県道の融雪剤散布に早朝出社をした。 積雪状態によっては歩いたのも懐かしい。
あの人に声掛けしたいと思い始めて20年以上は経つだろうか。前を通ることはよくあるが、近年は主に助手席か後部座席で、バイクで走ることも減った。県道沿いの庭のある住宅は女性の一人暮らし。鉄柵は開いていても姿を見ないで訪れるのは躊躇した。
キリスト教系幼稚園に通ったのころ、日曜学校で〇〇さん(男性)の聖書読み聞かせを楽しみにしていた。大きく丈夫な本をめくり、指先で点字を追いながらの言葉と優しい表情を思い出す。
女性にあのころの気持ちを伝えた。男性は40過ぎに若くして天国に召された…と。だとすれば、私の日曜学校当時はまだ結婚前だったのかも。歩いたからではの出会い。「子どもは海外に区生活し、私は一人暮らし。また、出会ったときには、話しかけてください」。ありがとうございました。うれしい気分をもらう。
【 「学芸員はがん」発言 耳疑う 】 松山市 男性( 62・無職 )
◇郷土史研究が教員中心だった従来に比べ、近年は学芸員が重要な役割を果たしていると感じていた。そんな折、山本幸三地方創生担当相の「学芸員はがん。一掃しないとだめ」との発言が飛び出した。撤回、謝罪したものの、耳を疑った。
◇観光振興に役立たない学芸員は無意味といいたかったようだ。学芸員は博物館法に定められた専門職員。そのきちんとした理解もなく、何でも「人寄せ」のため、「もうけ」のためとせっつく政治家は退場してもらいたい。プロフィールを調べてみると、山本氏は日本会議、神道政治連盟などに関係する、安倍晋三首相の「お友達」らしい。また、これまでも稲田朋美防衛相や、今村雅弘復興相、金田勝年法相らが問題発言を行って撤回、謝罪に追い込まれたが、いずれも「お友達」のようだ。
◇芸術や歴史、科学の専門的見地から研究調査、収集、保存管理に当たり、来館者に分かりやすく説明していく学芸員の役割は重要だ。大きな期待を持って見守りたい。]
《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より
( 忘却への扉 ) 安倍首相の「お友達」今村雅弘復興相が再び暴言。「…これがまだ東北で、あちらの方だから良かったけど、これがもっと首都圏に近かったりすると莫大な甚大な被害があったと思っている」と語った。
東日本大震災の犠牲者や被害者を傷つける発言だとの認識さえないのだろう。その程度の人物、撤回、謝罪はしたものの、安倍首相も同席するパーティーでの発言ではかばいようがない。首相、自らお詫びの言葉。
復興相辞任では済まず、更迭された。一人が責任を取らされ済むことではない。山本幸三地方創生担当相発言他数々、更迭、辞任もなく居座る閣僚もいる。議員辞職が当然だろう。
政党所属議員の責任を、各個人の判断で決めることだと党上層部が逃げるのもおかしなこと。党は除名で、任命責任は首相にある。そういえば「森友学園」への国有地低額払い下げに絡む、首相夫妻の忖度問題はどうなったのか。
閣僚の職務に精通した能力で任命されるのではなく、日本会議、神道政治連盟など、安倍首相の「お友達」かどうかが判断材料?。
【 地 軸 】 2017/4/19 地方紙1面下段コラムより
[ 73歳は引退すべき高齢者か。自民党が内規で定めている衆院比例代表候補の定年制を巡る議論が再燃しそうだ。小選挙区の「0増6減」を柱とする区割り案が今日示される。
▲1減となる6県のうち、自民は4県で全小選挙区に現職がいる。同志打ちを避けるには、誰かが比例代表に回るしかない。ネックとなるのが定年制。ベテラン議員は「国民の平均年齢は上がっている」と年齢制限の撤廃を訴える。
▲確かに、世界には73歳で国のトップに立った人がいる。西ドイツの初代首相アデナウアー氏。荒廃した敗戦国を率い「奇跡」と呼ばれる経済復興を実現させた。西側諸国での地位を確立、かつての敵国やユダヤ人との和解にも努めた。
▲退任時は87歳で、在任14年はコール氏の16年に次ぐ歴代2位。91歳で亡くなるまで政治家として活躍した。今でもドイツ国民には絶大な人気がある。きょうは没後50年。
▲なぜアデナウアー氏だったのか。ドイツのジャーナリスト、故セバスチャン・ハフナーさんは当時の人材の枯渇を理由に挙げる。40代や50代のナチス世代は政治生命を奪われ、威信が失墜。30代の若手は「戦没者の墓地に横たわるか、捕虜収容所でうずくまっていた」。
▲今の自民に人材がいないとは思いたくない。ただ「世代交代」を掲げる若手も、小選挙区で敗れた場合の比例復活枠を残しておきたいのが本音のようだ。ベテランと若手。どっちもどっちというしかない。]
( 忘却への扉 ) 過去3回の衆院選を「違憲状態」とした最高裁判決。抜本的改革を議論せず、今回もまた、自民「1強」の議席数を狙う、党利党略優先の区割り改定の小手先で現行の小選挙区制度にこだわる作戦。
「死に票」が明確に表れる小選挙区制度の1人区。だが落選しても比例代表で復活当選する可能性大、これも安倍「1強」の力に。
小選挙区1人区候補と比例復活枠、自民党名とカネで立候補するには、政治家ではなく政治屋に徹するほかないのかも。比例代表制と中選挙区制の組み合わせなど、あくまでも「死に票」を生まない有権者の選択の自由を確保する制度でなければ、一時逃れの繰り返し。
【 桜楽しめる平和守りたい 】 宇和島市 男性( 88・無職 )
◇春を迎え、らんまんと咲く桜に日本中が沸き立った。と同時に、進学や就職で親離れ子離れの時季でもある。私は花を見ると、思い出したくないのに脳裏を離れない、つらい経験がよみがえる。
◇私は昭和17年に国民学校高等科を卒業した。前年の日本軍によるハワイ真珠湾攻撃の戦果を糧に、日本中が神風魂で高潮していた時期でもある。「産めよ増やせよ」政策の下、10人以上の子どもができると表彰された。大家族だと進学できるのはまれで、学費無用の軍関係に志願することになる。同級生は幼年学校、戦車学校、予科練へと進んだ。桜の下での再会を誓った級友の何人かは4年後には靖国神社の桜となっていた。
◇近ごろ、学校法人「森友学園」や共謀罪に関する報道で、教育勅語の活用や軍国主義の台頭を感じる。日本人は本当に根性があるのだろうか。あの平和への誓いも核兵器の怖さも忘却し、奈落の底への道をたどっている気がする。安心して花を楽しめ、若い人たちが新たな人生をスタートさせられるよう、全国民で平和な日本の春をいつまでも守りたい。]
《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より
( 忘却への扉 ) 24日のドライブの際、品種によるがまだあちこちで咲く桜の花を見た。先日、花見の席で、軍国主義教育を受け、軍国少年だった人から「現人神天皇がいて、いざという時には神風が吹くので、絶対に日本が負けることはないと教わった。なのに、神風を吹かせられなかった。あの責任をだれも取らない」と怒るのを聞いた。
貴様と俺とは同期の桜 同じ兵学校の庭に咲く
咲いた花なら 散るのは覚悟
見事散りましょ 国のため
軍歌「同期の桜」の1節だが、私の年代も若いころ、満開の桜が咲き乱れる野外の花見の席などで、みんながよく歌った。
「同期の桜」のような、戦争を美化し、戦意高揚を煽(あお)る軍歌は多かった。大本営発表の噓は当然で、自分の意志で選んだ死ではなく、大日本帝国のために天皇陛下のためにとの洗脳だったと知っていた。靖国神社にも責任がある。満開の桜をきれいだと思う反面、戦争での死につながる思い。
国立公文書館が旧日本軍の従軍慰安婦問題に関連する公文書19件182点を内閣官房に提出したことが17日、分かった。専門家は「軍の関与と強制連行を示す記述が随所にある」と指摘。
[一方、内閣官房は取材に「強制連行を示す記述は見当たらないという政府認識は変わらない」としている。]
[「バタビア裁判25号事件」資料には、日本海軍のインドネシアの特別警察隊元隊長が戦後、法務省関係者に「200人くらいの婦女を慰安婦として奥山部隊の命によりバリ島に連れ込んだ」と証言した記述があった。「ポンチャナック裁判13号事件」の判決文には「多数の婦女が乱暴な手段で脅迫され強制された」との内容が書かれていた。]
公文書館で資料の大半を見つけた関西学院大の林博史教授(近代史)は「軍が強制的に慰安婦にしたことを明確に示している」と述べた。
「軍の関与と強制性」を認めた93年の河野洋平官房長官談話を安倍政権は踏襲するとしている。ならば、今回の資料価値を重視し、政府認識を改めるべき。河野談話には「軍当局の要請により設営され」「本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、官憲が直接加担したこともあった」とした。
[民間で調査を続ける小林久公さんは「安倍政権は白を黒と言い換えている。資料を基に強制性を認め、改めてお詫びを表明すれば、問題解決に一歩近づくのでは」と話している。]
森友学園への国有地低価格での払い下げ問題同様、資料は廃棄したとかないと言うか、見つかっても記述を否定する汚いやり方だ。軍が関わる従軍慰安婦や慰安所での性的暴力、南京大虐殺他、あの戦争犯罪の数々を認識した上での確信犯的行為そのもの。
占領地で、それらの行為に加わった元兵士たちから直接私も聞いている。元A級戦犯が首相になった日本、政府が知らないはずがない。証拠隠滅と隠しても、数限りなく戦争犯罪を犯した過去の事実は消せない。
【 首相 北朝鮮攻撃自制要求を 】 伊予市 女性( 68・無職 )
◇米国はシリアのアサド政権が化学兵器を使用したとしてシリアを攻撃した。ところでトランプ大統領は、北朝鮮の核兵器とミサイル開発を抑止するため北朝鮮への軍事行動をする可能性に言及しているが、シリアを攻撃したことでこれが現実味を帯びてきた。
◇一部の報道では、このシリア攻撃が核兵器やミサイル開発を進める北朝鮮への警告になるとも伝えられた。しかし、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長がこれを警告と捉えるだろうか。むしろ挑発を強めるかもしれない。トランプ大統領も金正恩委員長も何をしでかすか分からない予測不能な人物である。米国による北朝鮮攻撃が現実のものになるかもしれないと思うとゾッとする。
◇米国が北朝鮮を攻撃した場合、その反撃の対象となる可能性が高いのは日本にある米軍基地などである。安倍晋三首相はトランプ大統領にただ追随するのではなく、北朝鮮攻撃の危険性を指摘してトランプ大統領に自制を求めることも必要であると考える。]
《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より
( 忘却への扉 ) 日本独自の外交政策を展開する能力が、今の安倍政権には欠如しているのではないだろうか。平和憲法を持つ日本でありながら、トランプ米国大統領に追随する危険な方法を選択するしかできないとは。
北朝鮮にとっては日本などどうでもよい相手。だが、米国が実際に北朝鮮を攻撃したら、反撃の目標は米国本土ではなく、より的確な破壊対象となる日本を狙うだろう。
米軍基地を攻撃するより、日本各地に点在する核発電所を破壊するのが、全土に放射能汚染を拡散させ壊滅的打撃を与える。原発地元住民として、南海トラフ巨大地震で予想される、大震災で発生する核発電所の人災事故もだが、ミサイル攻撃の危険に強い不安がある。
北朝鮮でなく、米軍機や日本の軍用機他の飛行も増加する一方。(四国電力)伊方原発のすぐ近くに、米軍機が墜落したのも記憶に焼き付いている。
子どものころ、若者だったころ、周りにたくさんの人がいて、いつも一緒と感じていた。時の流れはゆっくりだった。貧しさを感じないほど、村人の暮らしは似たり寄ったり。空をわがもの顔に飛ぶ米軍機へのおびえはあったが、戦争に負け、つかの間の幸せを得ていた。
よその子もわが子と同じ、悪いことや酷いいたずらをすれば、普段は優しい大人も本気で叱ると知っていた。スイカや柿泥棒の現場を見つかり、怒鳴られ追いかけられ捕まった自慢話?を遊び仲間から聞いた。
大人も子どものころには体験したこと、多少は見逃し、「おい、これ食べや」と手渡すことも。私も何人かの人に時々もらった。
また1軒、住宅が解体された。集落で隣近所で家庭内で、会話の機会が減っていく。周りに大勢の人を感じていたころ、一人遊びも大好きだった。だが近年、私の方から話し相手を求め声かける。
顔なじみの減っていくのは過疎化もあり、国政が生んだ時の流れと諦める?が、言葉を交わせる大切さを強く意識するようになった。寂しさかと自問自答。今日も一回り以上歳上の人と立ち話。生きてきた時代は重なるので、歳の差は意識しない。
懐かしい楽しい想い出の場面も多いNHKの朝ドラ「ひよっこ」を見始めて、なぜか寂しく思うことが増えたようだ。安倍政権と仲間たちは驕り高ぶリ(相手を見下し高慢な態度をとる)、強権に胡坐(あぐら)をかき安泰。一般庶民にとっては世知辛く、長生きすることがうれしいと思えない今の社会。
【 朝ドラ主人公に自ら重ねる 】 宇和島市 女性( 66・主婦 )
◇「私がいる!」。新しいNHKの連続テレビ小説「ひよっこ」の主人公みね子を見てそう思った。同じ思いの人はたくさんいると思う。
◇あのころは子どもも重要な働き手。中学生や高校生ともなると立派な戦力だった。私は母が病弱なこともあって「みね子スタイル」で働く青春だった。その傍ら、片道12㌔の定時制高校に自転車で通った。「お前が男やったらなー」が父の口癖で、末っ子の弟はまだ幼かった。花も恥じらう乙女に対する父の酷使は容赦なく、鬼かと思う時もあった。現金収入の少ない山村の自給自足に近い暮らし。ドラマの中でボロボロの運動靴をつくろう場面があったが、あれは本当のことだ。私はランドセルを何度もつくろって使った。
◇そんな貧しい暮らしの中で、私が中学1年の時、集落の山に共同アンテナを立て、わが家にもテレビがやってきた。東京五輪の開会式を、二度とないだろうと仕事を休んで皆で見た。あれから半世紀余り、2度目の五輪が迫り、日本は大きく変貌した。原点かもしれない「ひよっこ」を見て、大切なもの探しをしてみたい。]
《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より
( 忘却への扉 ) もうNHKの連続テレビ小説を見るのはやめたと、思っていたのに「ひよっこ」を何日か2人で見て、今も続いている。
夫婦といってもお互いの考えは別、まだドラマは最初の部分だけだが、私たちは「ひよっこ」と同じような時代を体験した。
わが家でも小学生の頃から、休みの日や学校から帰ると、ふかし芋を食べながら鍬(くわ)や背おいを肩に祖父母や母が仕事をしている畑へ手伝いに行くのが当たり前。
幼稚園から小学校の頃の山仕事の履物は祖父がわらで編んだ草履。すぐ駄目になるので裸足も多く、畑だけでなく山道でも裸足で平気、学校への行帰りや運動場でも裸足が恥ずかしくもなかった。
山が入り組む地形から、共同アンテナがあちこちに立った村だが、離れたわが家は個人で電波の入る場所を探し線を引き、テレビを見た。住んでいる県のテレビ電波は入らず、主に大分、そして広島のテレビがやっと入った。
「私がいる!」と共感を覚え懐かしく「ひよっこ」を見ているが、私にとっても原点であるのかも。大切なものを探し当てられるかどうか…。