忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

削除します

2009-12-31 | 平和を
 このブログにさえ、迷惑コメントや変なトラックバックが入って来ることがある。これだけを狙うなど考えらないから、他にもたくさん送っているのだろう。自分の恥を晒すのを趣味にするしかない可哀想な人。
 もちろん気づけばすぐに削除する。消されるのを承知しながらの無責任さに熱中するしか他にないのだろうか。年によっては年末年始に新しさを感じてみるように、自分の切り替えをできればと私は思う。私の記憶は削除どころか、まず忘れずにいること。 それがむつかしい。

何もしないで

2009-12-29 | 共に
 帰郷した夜にそばを通り過ぎた、たくさんのイルミネーションでとてもきれいな個人住宅の庭を見に母親の誘いで娘と孫は昨夜も出かけた。直前まで私も同行しようかと迷っていたが、結局留守番とした。
 イルミネーションは私にはちょっと完璧すぎるできばえで行くのにつき合うかどうか、車の中で待っているつもりではいた。年末で自動車の往来は多く、疲れている妻の夜間運転が心配だった。
 気のせいならばいいのだが、助手席に乗っていて最近の妻の運転に不安を感じることがある。私が運転方法などに関して、口出しできる現状ではないがペーパードライバーの娘よりは事によっては役立つかも。
 そのようなだいそれたことでなく同乗すれば経過はわかり、数日間内の限られた時間のわずかでも共に一緒を感じたい気持ちはあった。留守番をしていても、電話がかかって来るわけでもなくほんとうは年賀状でも始めるかと思っていた。
 時間はあったが、結局何を始める気にもならずブログさえ途中で眠ってしまう。ぐっすりも寝れず中途半端な夜が開ける。もう何もできずに、ふわあ~。疲れ気分の日々が数ヶ月たっていた。

免許証返上

2009-12-28 | 日々
 玄関にいる犬が吠え始めて「出て、誰か来たみたいだから」だが車の止まる音は聞いていない。言われたように立ち上がり、廊下を歩きながら外を見ると誰かの姿。
 「は~い!、ちょっと待ってよ」こんなに激しく犬が吠えているので、まさか戸を開けるはずはないと思うが念のため。外灯のスイッチを押し犬を私の後ろで押さえ玄関の戸を開けた。
 『こんばんは、○○さんに配達を頼まれたのですが‥』とビールを1ケース抱えた酒屋さん。あっけにとられる私に『先ほどはお世話になりありがとうございました。奥さんにもお礼をとの伝言も聞いて来たのです?』
 心当たりがなければ人違いかと心配そうな酒屋さん。身に覚えはなくはないが、お礼の言葉で済んでいた。こんなにたくさんをこんなに早く追加されたのが驚きだった。
 祖父や父に私も酒類が好きではあった。でも私はいつまでと期限は切らず休んでいる。受け取りを断れば私は楽だが、せっかく配達した酒屋さんや贈り主に迷惑をかけるのも気になる。もらって私がお礼の電話をしたが、気持ちだけで十分それが私の本音。
 お礼に疲れて今も眠すぎ。高齢者の運転免許証返納問題なかなか難しい、私だったらどうするかいつかは決断すべき日は来る不便な地形な地域に暮らしている。

明るい声を

2009-12-27 | 共に
 林道なのか農道部分なのか知人が軽トラで走って行ったのを見て、戻って来るのを待っていた。上での用事にどのくらいかかるのからず、気をつけていないと帰ってしまう。
 「早く、自動車が下りている」教えてもらいすぐ道路に出て、トラックを止める合図をしようとしたのと軽トラが止まるのはほぼ同時。窓ガラスが下り年上の彼の方から私たちへの話題を提供する気くばり。
 ちょっと響く感じの声と笑顔が好きだ。以前手術をされた時「よく○○さんにはいい話を聞かせてもらってる、このにいつまでも必要な人‥」と奥さんにも本気でお礼を言った。
 『おとうさんは話すのが好きだから、誰とでも話すんよ‥』それもわかっているが、私もその中の1人で一緒に話ができるのがうれしい。明るい声で内容も自分の意見の詰まった話だが、押し付けでない友だちを感じさせこちらも自由な話をする。
 このような年上の人が昔はたくさんいたと思う。今日はすれ違いの時間を少々、明るい声のそれだけで元気が出る気分。呼び止めようとした目的さえ忘れそうになる ありがとう 。

今年はどちら

2009-12-26 | 平和を
 昨年まではサンタクロースを信じていた孫娘、クリスマスイブのプレゼントのお願いはお母さんに希望を言付けサンタさんの配達する夜を待っていた。手紙にされると中身が見れず、何が欲しいのか聞き出すのにも苦心する。
 小学3~4年頃になると『まだ本当にサンタさんのプレゼントだと本気で信じているなんて、もう本当のこと話したほうが‥‥』毎年そう聞いてもおじいちゃんおばあちゃんは「心配しなくてもいつかはわかるんだから、それまで黙っていたほうが楽しみが長続きする」
 さて今年はサンタクロースの配達するプレゼントはもらったのかどうか。私たちからは前回あった時に孫たちが自分で選んだ品物を「少し早すぎるけど○○のサンタさんより」と地名を言って前渡し済み。
 クリスマスの後渡しなのかサンタさんか両親からか、ディズニーランド行きをプレゼントされ大喜びで冬休みの宿題を片付けていた。そうか今夜は向こうのホテル?
 町の教会より私にも今年は、クリスマス礼拝の案内が届いた。体と心の疲れがかなり溜まっているのを感じるので、礼拝に参加したかったが前日まで覚えていたのに、25日には忙しくて夜中まで忘れていた。もしプレゼントをもらえるなら、平和な笑顔の暮らしを全員に。

声だけ笑って

2009-12-25 | 平和を
 かなり離れた場所から短い笑い声が聞こえて来る。どうも会話の最初の言葉に続けて笑うのが、その人の癖。元気な声の主は知人で、声がしない話し相手もたぶんあの夫婦のどちらかだ。
 誰のでもいいから、朗らかな笑い声を聞きたいと思う。意外と本物の笑い声は聞いていそうで出会えない。私自身は笑顔は忘れていないが、笑い声はいつからか休んだままになっている。
 話す時に必要以上にたくさん笑い声を加える人に出会って、ずっと明るい人だなと思っていた。しかし他の人からあの人は、会話の緊張感などを笑いで隠していると聞く。
 相手によっては『ふざけているのか!』と誤解される場合もあるそうだが、本人は癖なので笑いながら謝りそしてまた‥。その話を聞いてあの人を見る目が少し変わった。
 あの人なりに職場環境での自分に合った生き方を努力している結果なのだ。そう考えれば同様の笑い声をときに見せる知人を何人か知っている。作り笑いとは違うと分かっていても、ついふだんの癖が出てくるのか。
 やはり自由な時の明るい笑いが本物だろう。どこかねじれた社会のせめて1部分に対してでも、声だけの笑いで抵抗しているのだとすればけっこう皮肉たっぷり批判方法のようにも思えてくる。

開かずの扉

2009-12-24 | 追憶
 苔むした石段にも、門と扉にもツタが絡んでいる。昔の隠居の出入り口だろうか。漆喰壁の剥げ落ちた土塀にもどこか自然と一体になった年期を感じ、気づかないまま通り過ぎかねない。
 漆喰壁だけでも修理すればよいのに最初は他人の屋敷によけいなことを思ったが、壁を塗り替えれば違和感は拭えない。どうせまたツタが覆うだろうから機会があれば見てみたいが、屋敷の主が旧さを保存する人であればと願う。

突然のお便りを

2009-12-22 | 平和を
 たまに届く郵便物だが封筒の表には宛先の次に私の氏名があるのはあたりまえ。JAPANの文字も今までの封筒にもあったはずなのに気にせずにいて、ユニセフ(国際連合児童基金)本部のニューヨークからの発送だとようやく知った。
 【あなたの力で子どもの命を守ることができます。ぜひ、ご一読ください。――― ユニセフは、世界の子どもたちのために活動する国連機関です。】手紙には[ 世界中の子どもたちが すこやかに育つように! ]の願い。
 [ 突然のお便りをお許しください。 あなたの力を必要としている子どもたちがいます。どうかユニセフからのメッセージを聞いてください。 ] [ ○○様 3秒に1人―――今この瞬間も失われつつある小ささ命。 あなたの力で、クラシャのような子どもたちに生きる力を届けることができます。 ]
 ‥‥[ いまだ毎年880万人 ― 約3秒に1人 ― の乳幼児が次々に命を落としているという事実‥‥ ] 私の知人にも募金の協力者がいる。関心はあるのだが、国連という強い味方が後押ししているのだから私のわずかお金などと思っていた。
 全国規模では非政府組織のアムネスティにだけ、協力の言葉が恥ずかしい程度だが続けて来た。生かされている感謝の気持ちの活用も、先行き不明。できる間に実行しないとのあせりもある。 そんなことより身近かな心配をの声が聞こえそうだが‥‥

この寒さにも

2009-12-21 | 共に
 細い三日月が出ている。わずかに雪の残ったいつもの散歩道でもある里道を、ゴム長靴を履き歩いて行った。集まりの場には時間前に余裕で着いたのだが、履き物は多く並んでいる。
 隅に私のを置き、忘れないため帽子をかぶせた。これなら履き物を間違えることも帽子を忘れることもない。年末のせいか報告なども少なく、いつもより先に帰る人が多い。
 横の席の人も『許可もらってるから、お先に‥‥』と議事進行の合間に帰り際に小声で挨拶しながら立った。今夜の集会の始まる前にそばの人との雑談で防波堤とか荷揚げ場の言葉を聞いている。たぶん1人か2人での夜釣りだろう。
 こんなまた雪か雨の降りかねない冷たい夜にどうして、想像するだけで身震いしそうな寒がりの私。好きなればこそだが、これからだと帰りは早くて深夜。危険ではと心配になり翌日の昼にほっとした。
 以前釣りの仲間入りを誘われ、遠慮したのは夏だった。好きも嫌いもない未体験の趣味で、ちょっぴりやりたい気持ちはあったが冬も休まずとは私には無理だ。でもそこまで好きな趣味を持つ彼をうらやましいとも思っている。

時間泥棒に

2009-12-20 | 共に
 昼間の時間を家庭では私1人の自由に使うわけにはいかない。仕事をする日は当然だが、天候や旅行などでの休みの日もどこか気分的に時間を束縛されている感じを消せないでいる。職場と家庭の時間の切り替え感覚の違いからだろうか。
 今日は雪の残りと時々の雨で、仕事は朝夕だけになる。昼間に自分の時間を作る気があれば持てたはずなのに居間で2人ずっとではないが、高校女子駅伝と高校男子駅伝の一部分その間に防府マラソンなどをテレビで見た。
 席を立つより一緒の時間もだいじと珍しく思ってのこと。夜になれば残業の日を別にして、私の自由時間があるはずなのに、毎晩のようにわずかの時間を使えるだけ。
 犬に声かけ風呂に浸かって湯冷め防止の布団に入る。その日の『忘却への扉』を始めても、その日にブログができればいい方だ。眠ったつもりはないのに何度も時間は消えている。済めばもう一度起きて使えるはずだった時間の少ない残りで諦める。
 まさか私だけ夜の時間を短くされている? 必要とする時間だけをこっそり盗んで行く時間泥棒に狙われているのかも。用心していてもいつも盗まれ、時間貧乏で心も痩せそうなのが気になる。