忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

たくさんの穴

2010-04-30 | 日々
 今年初めてタケノコ掘りをする。昨日、別の用事で山に行きタケノコが生えているのはこの目で見て報告済み。今日は3本もあればいいと頼まれた。道具と入れ物を肩に、マムシの用心に長靴を履き竹林に。
 昨日は1本確認していただけのイノシシ被害のタケノコは何本もある。家のためにきれいで短いのを選んで掘るつもりで来たのに良いのがない。太くて新しくおいしそうなのをイノシシは選んで食べている。やられた。先をこされて悔しいがイノシシの食べっぷりの見事さには感心した。他の餌も探したのか、たくさんの浅い穴も掘っていた。

かなりのとくちょう

2010-04-29 | 日々
 地区集会があるので遅れないよう早めに家を出て歩きながら行く。川沿いの葉桜並木はわずかだが、ぽつぽつと白く小さな桜の花を残してくれている。見慣れた場所とはいえ、歩いて往復する機会はめったになく時季外れの桜の花に会えただけで嬉しくなる。
 下って行くと私が渡るつもりの川に架かる橋の低い欄干に、腰をおろしている人の背中を見た。赤っぽい上着を羽織っているようだけど、男女の区別はわからない。
 近づくとタバコの煙りが見えた。前まで行ってようやく男とわかるが、うつむいた顔はタバコをはさんだ片手が邪魔で、でも誰だ?相手も人の気配を感じたのか私を見上げた。
 そばの住民でベランダか庭感覚で居るみたい。「挨拶はこんばんはだろうか、こんにちはかな」私の問いに知人も迷う夕方の時刻だ。その足元で動いているのを「これは猫? 犬?」答えは犬だ。
 気づいて見れば小さなパグ?の動くこと動くこと、少しもじっとしていない。いつもちょこまか走っている。かわいい顔だがかなり歯並びが悪いのに気づき、「もしかして指しゃぶりの癖が‥」と聞いてみた。
 この顔で生まれた犬。私は最初から歯並びの乱れが気になるが、彼は鼻の曲がりばかり言う。ペットショップで血統書付きだけど兄弟でこの犬だけが売れ残り、処分すると聞き室内犬になった幸せな犬にバイバイを言って会場に急いだ。

かわいい嘘

2010-04-28 | 共に
 夕方に仕事から帰った私をまず喜んで迎えてくれる犬だが、すぐおねだりを態度に見せる。一緒かまたは別々に仕事の場所に出かけた日も、留守番をしていた日もそれは同じ。
 犬にとっては本宅の庭に鎖でつながれたのが数分前でも他の人との散歩から帰ってすぐでも、私との散歩はまた別で早く連れて行ってと懸命にせがむ。リードを持って犬に見せるとうれしそう。
 散歩・シッコ・ウンチの言葉を理解している犬にごまかされないように尋ねてからだ。シッコかウンチのどちらかで強く吠えるとか、両方のこともある。散歩に行きたいだけの時はちょっと控えめなのでわかる。
 夕方はほとんど欠かさず私の運動も兼ねて連れて行く。1日1回夕飯を食べた後にもそわそわし始める。風呂に入る前とかさあ寝ようかと思うと、いままで寝ていた犬が起きて外に出してと合図することもよくある。
 2人で1日数回は行くのだが、もしかしてと一応聞いてみる。「シッコ?」に夜は吠えずに反応し玄関の外を嗅いでいる。夕方も夜もただ私と歩きたくての嘘の日がある。「シッコないの」と言えば私のあごを舐め答え、「じゃあもう帰るか」で素直に家に向かって先を行く。疲れや体調の気がかりな夜はあるが、そのかわいい後ろ姿に叱れない。

新たな坂道

2010-04-27 | 共に
 トンネルを抜け工事の進む自動車専用道路の下をくぐりながら、8時までにとわが家を目指す。運転手が好きで毎週見ているNHKの番組、鶴瓶の家族に乾杯に間に合わせるためだ。
 次のトンネルを抜けるまでは坂道を登る。昼間だと小さな海も見えるが夜、港町の夜景はすぐ下にある総合病院の窓の明かりが特に目立つ。片側は山の道路に沿って海側にだけ歩道が設置されている。
 自転車での通行はできるが、暗くなると歩く人も含め利用者を見ることは少なくなる。山越えのような坂道区間で上り下りは昼間でもたいへんな場所で自転車と歩行者、自転車と自転車の事故や犯罪への注意が必要。
 その歩道を自転車を押しながら上って行く、部活か塾の帰りだろう3~4人の女子高生の姿を見た。遠回りかもしれないが高校から海まで出ると、ほとんど平らの道路を走る方法もある。
 そちらを利用する高校生が多いはず。山と海側、トンネルを抜けた向こう側にも高校はあり登下校では生徒たちが擦れ違う。範囲は広く平地よりは入り組んだ山がつながる地形は、高校生たちを鍛える。
 日常自転車に乗るのは高校に進学して自転車通学をえらんでから、それまでは自家用車での送迎かバスに乗ればよかったはず。あの女子高生たちはたぶん1年生、それは自動車のライトが照らした自転車の金具部分がどれもピカッと光ったのでわかる。
 女生徒が往復の坂道をペダルを踏んで上れるまでには数カ月はかかる。押して上るだけでも最初は疲れるあの坂道を自転車に乗っていつかは平気になって行く。声援する必要などない、自分の目的に向かい進んでいる。

今月から・・・

2010-04-26 | 追憶
 の定例会の開始時刻が今月より夜7時30分からと変更になる。4月~9月がこの時間で、10月~3月の半年間は夜7時開始となっている。数軒の専業農家と多数の兼業農家に他の業種の経営とか勤めの家庭など。
 その時季夜の7時か7時30分、農作業や勤めから帰って早めの夕食を済ませ部落集会所に集まるのにはちょうどいい時刻だ。昔、提灯から懐中電灯にと変わる誰もが歩いて集合した時代は、30分や1時間遅れて当然で先に来た人たちは雑談しながらのんびり平気で待っていた。
 それに比べて現代は時間厳守、ほとんどの人が定刻10分~15分前には座って待っている。集金とか配布物があれば定刻前に済ませて、開始時刻は守られ議題となる。
 定刻開始で次々に片づけて行くので終了時刻も早くなった。まず全戸に関する議題が済むと集会は一応終了で帰っても良い。他に関係する者だけが残って同じ日その後も幾つか集会の続く月もある。
 それでも8時の間を過ぎる月は、よほど特別な問題が起こらない限りなく9時前には家に居る。なぜだか距離に関係なく、男に車で来る人が多い。今月も私はマムシが不安な山道を歩いて行き、帰りはいつもと違って舗装道路を長く歩いて運動がてら寄り道をしたがまだ9時には余裕があった。

感謝状まで

2010-04-25 | 平和を
 先日ある家の座敷に通され座っていると、前側の床の間隅に額に入った賞状が立てかけてあるのに気づいた。掛け軸の斜め下の位置には違和感がある。訪問者に賞状の最後にある『 厚生労働大臣 舛添要一 』の名前を見て欲しいのかなと思う場所。
 感謝状の次に書かれた名前の人の行為には、私も少し関わっている。昨年に舛添要一さん他からの賞状など見たが、特に政治家の名前入りにはただの売名行為かコマーシャルと思ってしまう。
 社会へのCMに知人の意志を使うのだったら、知人もどうぞご自由にと利用を許すだろう。人に役立つのならと協力したまでで、賞状など欲しくておこなった行為でないのは誰もが知っているはず。
 感謝状をもらった本人は無関心なのに、別の人たちが喜んでいるようにも思える。たかが紙きれ1枚を人がどう思おうと勝手だが、当時の自・公連立政権での厚生労働大臣 舛添要一 で朱印を使うなら政治家としてもっと国民に責任を持つべきでは。
 権力の座から落ちた自民党ピラミッドは基盤も頂上付近もガタガタで、内部から立て直すと叫んで脱党者を批判していたはずの舛添さん急に路線を切り替え飛び出した。タレントじゃあるまいし舛添流パフォーマンスにはがっかりする。
 おまけに新党といっても自民党との国会会派を組む改革クラブに移籍した上で党名改称手続きを取り、政党助成金受け取り資格を継続とは恥も外聞もない小賢しさを残念に思う。感謝状に恥ずかしくない行動は難しいだろうか‥。

どう見てもこれは

2010-04-24 | 平和を
 この猫のポーズを見て、アッ!童話の『長ぐつをはいた猫』だと思った。それから長ぐつをはいた猫が頭から離れずにいる。同じ牡猫だがもしかして一家に幸せを導いてくれる猫だったらいいな。
 野良猫で食べ物不足の痩せ猫より飼い猫の暮らしがしたいと、自分であの家を選んだ猫だ、ただ者ではない。私たちが行くと毎回出迎え帰り際には見送りを欠かさない。これからも一家の幸せ守り猫くん頼むよ。

いつも一緒に

2010-04-23 | 共に
 新聞のお悔やみ欄の喪主名で知り、葬儀業者に電話で場所を確認してからお寺へと急ぐ。当主との過去の関連はあるが、故人との出会いはない。『葬儀は生きている人のためにする』と聞いたことがある。
 今回は私も故人を送る気持ちより、残った知人家族への思いからの参列だった。長年両親を介護されて来たのは本人から以前聞いていたので私も無関心ではいられない。そのたいへんさは生きているからこそ、命の長く続いてくれた親へのありがたさ嬉しさ想いを語れば山ほどある。
 親族代表での挨拶も形式的でなく亡き両親と祖父母の時代までさかのぼっての話をされた。こんなにも両親を家族を大切に思えて幸せだと思う。93歳を越えての大往生とはお経の中でもあった。死後も想い癒される人の存在は、残された人たちの強い支えでもある。
 海と島々の見える寺に来て良かったと思う。亡くなる年齢にかかわらず大切な人の死は悲しい。だがいつまでも悲しさだけを引きずり、悔やみ続けていても故人は浮かばれない。葬儀の日は残され人たちの新たな一歩を踏み出す日でもある。
 いつかは区切りをつけて受け入れ、良い想い出と共に歩んでいきたい。亡くなっても家族や親族であるのは変わることなく、心や体の中では想いやDNAで結ばれ 気持ち次第でいつも一緒に居ることもできる。

痛さを知っていた

2010-04-22 | 平和を
 『危なくてしょうがない』娘が孫のことを言う。幼稚園児の年代は友だちからテレビやゲームからの知識を実行して親に心配かけたくなる歳ではある。だが少し間違えば大けがか命を失う危険に気づいてはいない。
 大人をびっくりさせて楽しんでいる。私もコンクリート階段横のブロックの急斜面を駆け上がるとか、別の場所でニヤニヤしながらレンガの階段を次々高くから飛び降りるなど見せられヒヤヒヤさせられたことは何回もある。
 親も少々のことでは『気が済むまでやらせなければ、止めないから‥』孫は自分の失敗で転んでも、泣かずに歯を食いしばり我慢する。時にはもしかして痛さを感じないのかと心配になったり。
 『僕はこんなことが できるんだ』と見せて自慢したい気持ちもあるだろう。最近でもいきなりガードレールの1回転に挑戦して通行人を驚かせ、母親にはアアッ! 落ちた!! とショックを与えている。
 落ちずに無事だったから話せるが、聞いてびっくりちょっと間違えば大けがでも済まない行為だ。変な自信を持つのは大人でも危険、まして用心深く行動するなど考えず頭より体が動く年齢は怖い。
 ケガをすること血を流すことの苦痛や危険度を、幼い頃から体験し注意して来た私の年代には孫を理解し難い部分がある。私は戦争帰りの元兵士や戦争犠牲者などから聞き見て半自己体験として戦争の悲惨さを捉え、孫たちにその心の苦痛の危険を防ぐためにも怖さ痛さを知り忘れずにと注意している。平和憲法が守る平和な国で生きられることを願う。

おぼえているか

2010-04-21 | 追憶
 入園して2年目になる孫が通う市営幼稚園の、2年後閉園を聞いた時には驚いた。大都市?の外れとはいえアパート群を含む住宅地域だ。高齢化による年齢層のかたよりと住民流出は都市の過疎化、少子化の影響それとも市の経費削減か。
 あちらに行ったさいには孫の送迎や運動会などたびた訪問している。孫が卒園して小学校入学する年に閉園と決まっているのがまだ救われる気分。その後は建物がどうなるのか知らないが、もうすぐ思い出深い場所が役目を終える。
 歩いて通っている幼稚園だけど少し見上げる場所にあり、正門を入ってすぐの建物が運動場や遊び場などまで見えなくしている。通園時に一緒に行っても石段をかけ上がり、園長先生の『おはよう』に答え後ろを振り向くことなくすぐ消える。
 たくさんの思い出の詰まった場所、将来も目的を変えて建物の維持活用が続けばいいと、よそ事ながら思う。私の通った幼稚園は子供たちも通った100年以上の建物も古いまま、現在も元気でにぎやかな園児達の声を響かせている。
 だが車で走っていると 廃園や廃校になった建物をあちこちで目にする。地域のにぎやかさの減少を表しているようで淋しくもある。うるさいくらいの音や明るく楽しい声の戻って来る平和な将来であって欲しい。