忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

いのちの水

2005-07-31 | 日々
 この夏、炎天下での農薬散布は厳しいものがある。ゴム手袋とゴム長に防護合羽を着てマスク姿の作業は、慣れているとはいえ熱中症にもなりかねない。
 気分が悪くなると合羽の上から頭に液剤をかける。わずかの温度差でもしばらくは助かるかと、たまにやってみる。
 水の枯れた小さな谷川を越えるとき、水の存在を半分予感し作業を中断し藪の中へ入って行った。
 昔の場所にやっと手で掬える程度の水溜りがあった。水が姿を見せているのはそこだけで、水は動いていてきれい。
 砂を驚かせないように、そっと口をつけすすった。のどを通ると生き返ったようで、おいしかった。以前の大雨で水脈も洗われたのか、昔の味が蘇っていた。
 帽子も濡らしもう一度水を飲んで作業に戻った。水をくださいと言いながら死んでいったという被爆者たちのことを、ふと思い出した。
 

あやまちを

2005-07-30 | 平和を
 《 安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから 》と広島平和公園の原爆慰霊碑には刻まれている。

 碑文を書いたのも被爆者の一人。当時の広島市長が述べた「この碑の前にぬかずく一人一人が過失の責任の一端を担い、犠牲者にわび、再び過ちを繰り返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ一つの平和の道であり、犠牲者への手向けとなる」との考えがもとにある。
 過ちの文字が気に食わないと、慰霊碑を疵つけた男性が捕まった。してはならないことさえ判断できないとは哀れでもある。闇に紛れてこそこそやる行為は、過ちではなく犯罪だ。昼間一人でゆっくり原爆資料館を見学し、平和公園を散策し市内の墓地を巡って欲しい。あなたにもヒロシマの心が見えてくると思う。
 「再びヒロシマを繰り返すなという悲願は人類のものである。主語は『世界人類』であり、碑文は人類全体に対する警告・戒めである」と別の広島市長(当時)も言う。

カブトムシを

2005-07-29 | 日々
 日も暮れてからの犬の散歩は、申しわけ程度に近場ですませることが多いが犬も納得しているようだ。
 用を済ませてふと見上げると、木にカブトムシとカナブンがいる。2年ほど前に枯れはじめもうだめかと諦めていた木が、緑の葉を茂らせた。
 カブトムシがやって来る木に回復したのが嬉しかったが、ムシキング大好きの孫のためにもカブトムシも見逃すことはできない。
 長いパイプを取りに帰って、そっと突ついて落とす。一時見失ったが、元気なオスを捕まえることができた。
 蓋に穴を開けた容器に入れて木の葉といっしょに入れた。玄関脇の濡れ縁に置いていたら、かみさんが夜捕りに行くと言いだした。
 ほんとに夜中の同行を強く求められ、一緒に出かけてまた捕まえた。見せなければよかったと思った。孫の来るのは暫らく先なので、必要以上に集める必要はない。彼女がその気になったら捕り尽くしかねない。
 罪滅ぼしに、餌を買ってくるように頼んだ。せめて虫たちにはご馳走を食べもらって、元気で孫たちと遊んで欲しいから。
 

ルビのおかげ

2005-07-28 | 平和を
 戦時体制下で消えるルビの秘密との新聞記事を読んだ。日本語のようなルビ(ふりがな)が付いている文字は世界に一つもない。劣っている。という発想からふりがなを追放することになっていったとか。
 生まれて初めて読んだ小説は、直木三十五の【大阪落城】だった。小学生になるかならないかの頃より、拾い読みをしていた。
 家に小説本など他に無かったかもしれない。本自体が希少価値で誰もが活字に飢えていた。こっそり箱から取り出しだいじにページをめくった。
 戦前の大衆小説が子どもでも読めたのは、ふりがなが付いていたからだ。大人の本への興味もあったが、なにより丁寧に描かれた大きな挿絵は子どもの好奇心を膨らませてくれた。
 戦前の新聞や単行本はふりがなのついていることが多かったが、ある時を境になくなったという。まだまだ文字を読めない人のいた時代、ふりがなまで奪われる庶民の気持ちなど冷たく踏み躙ってまっしぐら。こんなとこにまで戦争の影響があったのか。
 

砲兵だった

2005-07-27 | 平和を
 結婚を前提とした付き合いになって、親父さんに初めて会った。背は高くないががっしりと骨太で色黒、眉は太く目も大きく渋い声に恐そうで緊張した。
 だが第一声のことばは意外にも温かみがいっぱいでほっとした。中国戦線で砲兵だったと聞いたが納得できた。
 大八車の大きいのに大砲をのせたようなもの。それをただでさえ困難な道無き道を人力で押しての行軍は、よく耐えられたと思えるほど。
 のちに大砲との記念写真も見せてもらったが、軍隊の話を聞けた時間はほんの僅かだった。戦争の話は聞けなかった。
 父に軍隊経験がなかったので、親父さんと戦争を話せると期待していたのだが、早く逝ってしまったのが今でも心残り。

自分を生きた

2005-07-26 | 共に
 数十年に及ぶ大きな権力への抵抗を持続してきた人生の終わりではあるが、闘士の死との表現はしたくない。
 九十歳を過ぎるまで運動の要として現役を通したのだが、だれからも柔らかいさん付けで呼ばれた地元のおっちゃんとかじいちゃんのイメージが強い。
 住民が中核となった地元のおっちゃんおばちゃん若者たちの自前の運動だったからこそ、今まで続けてこれたのだと思う。
 最初はただ納得できない力への反発からか?それにしても自分の生き方を貫いた人生には頭がさがる。
 支持するしないは別にしても、彼が地域に大きなものを残したのは確かである。面識はないが、なぜか親しみを感じる人だった。お疲れ様でした。

鬼百合

2005-07-25 | 日々
わが家の庭というか通路の脇に、何年前からなのか覚えていないがこの時季になると咲いている。この辺ではゴオロとよばれているが、ムカゴをつけているので本名を鬼百合だと最近知った。
 人の背丈ほどもあり、花びらに暗紫色の斑点があって怖くも見える夏の花だが身近で見慣れてくると好きになっている。鬼百合には黒アゲハが似合うようだ。

ついでの声

2005-07-24 | 日々
 電話に出るが先方は名乗らず、こちらのことだけ聞いてくる。送信元表示になにもないので用心する。お父さんをと言われても、親父は三十数年前にあの世に行ったっきりだ。
 お互いに判ってきたら、電話で話をしたことがないだけでよく知っている人だった。でも用件が終ったあと、ついでといってはなんなんだけど・・と言って始まったのは選挙への支援依頼。どうやらこちらが本題のよう。
 検討対象候補には入っていても積極支持の材料は無いし、他の数人からも聞いており身動きできない現状に困惑しているところでもあった。
 だいたい行き当たっての選挙公約や挨拶だけで議員を選べるほど、そんなに選挙は軽いものなのか。選挙までに何をしてきた人なのか、どう動いてきたのかで見極めるしかないだろう。
 声をかけてもらえるのも選挙前だからこそ、また新たな親戚関係も判明した。それほどまでしてなろうとする議員さんたちにとっての、議会とは国会とはさえ見えてこない。
 
 
 

生き残った

2005-07-23 | 平和を
 生き残った元日本兵【戦争証言110】新風舎文庫戦後60年企画 歴史教科書には絶対書かれない事実がある。『戦争聞き歩き 生きています』の文庫版を読んでいる。
 米沢新聞に連載されたルポ・ドキュメンタリーである。遅すぎた帰来との感もあるが、よくこの証言を文字に残したと感謝している。
 奪われた青春を自覚しているのかいないのか、一人一人に焼きついた戦争を語っている。各人1ページを使った写真での現在の本人の顔も載る。
 私が体験者から戦争を聞いた時同様の口調に引き込まれていく。ローカル紙ならではの身近な両者の信頼感が見えるようだ。
 何日も、何時間もの話が、本では僅か2・3ページになっている。しかたないけど残念だ。もうこの文庫本になる時点で、数人が亡くなっていた。淋しい、長生きして伝えて欲しい。

龍王に

2005-07-22 | 日々
 県境の高い尾根には、カルストが広がり牛が放牧されている。夏場は特に、涼と景観を求めて訪れる人たちも多い。
 名物の地元のミルクとミルクアイスを味わうために、麓の売店に立ち寄った。駐車場の近くに赤い鳥居の龍王神社があった。
 何度も来ている場所なのだが、前を走り抜けるだけで境内に入るのは今回が初めてだった。かたわらには寄進された大きな木造船が置かれていた。
 思ったより小さい神社の裏手には、龍が住んでいるのか蓮の葉で覆われた池があった。我家から百kmはないとしても、かなりの距離はある。
 孫のことで厳しく辛い心配事が持ち上がった時、祖母は身内の人を連れ孫のためにと歩いてお参りにやって来たのだ。
 明治15年生まれで乗り物が苦手だった。どこでも歩いて出かけるのだが、物見遊山ではないこの時の急ぎ旅には疲れたようだ。
 ばあちゃんっ子の私もよくいっしょに歩いた思い出がある。龍王様も今回は軽く手を合わせただけ、いつかゆっくり祖母のお礼を兼ねてお参りをしたい。