忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

若者の目を向けさせないように

2016-09-30 | 共に

 《 県内参院選10代投票率 全国ワースト3 》 【 若い心にどう発信 】 《 住民票問題・届け出制影響か 》

[ 総務省が公表した7月の参院選の投票率調査で新たに有権者に加わった18、19歳は愛媛選挙区で35・78%となり47都道府県でワースト3位だった。全国平均の46・78%を11・0%下回る結果に県内政党関係者らは「愛媛は合区されたわけでもなく全国的に注目を集めた激戦区だったのに」と首をかしげる。](地方紙1面トップ記事より)
 県全体の投票率は56・36%。47都道府県で19位につけた。一方、18歳はワースト4位の41・43%(全国51・28%)、19歳はワースト3位の29・90%(42・30%)。徳島と合区された高知は全てがワースト1位となった。
 県立高校生の郊外での政治活動を、事前届け出制とし束縛したのは全国で唯一愛媛県だけ。初めての投票を前に政治に関心を持つことを規制するとは、圧力そのもの。
 これまでの古びカビの生えた選挙運動にどっぷりと浸かり、うまい汁を吸おうとしている大人たちにとっては、若者たちが目覚め自立し活動するのを恐れているるのだろう。
 高知県と徳島県の合区にも、特に高知のいごっそう(気骨のある・頑固者)気質の弱体化を図るのが、権力者側の目論見を感じる。


実効性のない再発防止

2016-09-29 | 平和を

 【 地 軸 】 2016/9/24 地方紙1面下段コラムより

[ 「まさか」ではなく「またか」が浮かぶほど、危険が常態化している。沖縄本島の東海上に、1972年の本土復帰後、県内での米軍機墜落は47件目。年1件以上のハイペース。
 ◇「負担軽減は口だけか」—人々は怒りや不安を募らせる。県側は墜落したAVハリアーの飛行を原因解明まで中止するよう訴えた。一方、日本政府は「そこまでは求めない」という。寄り添うべきは、沖縄の切実な声のはず。
 ◇愛媛もひとごとではない。上空には米軍の訓練ルートがある。88年には四国電力伊方原発近くに大型ヘリが墜落した。少しずれていたら…、考えただけで背筋が寒くなる。
 ◇ハリアーは構造が特殊だ。側面の噴射ノズルの向きを変え、垂直に離着陸したり空中で止まったりできる。沖縄では18件の事故を起こし、うち6件が墜落。低速時の制御が難しいとされる点と無関係ではあるまい。
 ◇軍用機の愛称は猛禽(もうきん)類が多い。ハリアーはチュウヒの英名。中型のタカで冬鳥として愛媛にも飛来する。翼を浅いV字に保って滑るように飛ぶさまは、よく目につく。採用理由は、時折風に乗って停止しているように見えるからか。
 ◇日米政府が示すべきは、沖縄の負担軽減を実現する強い意志だ。既定方針に固執するあまり思考が停止し、実効性のない「再発防止」を繰り返すようでは「またか」と失望を招くだけ。]

 ( 忘却への扉 ) 沖縄はいまだ米軍占領下にある戦中かと思わせる、米国政府と米軍側の言いなりの政府の対応には開いた口が塞がらない。
 沖縄の基地軽減を言いながら、実際は基地拡大に日本政府が国税と権力を米軍のために行使しつづけるのでは、米軍機墜落事故など再発防止策など、あり得ないのはわかりきったこと。
 大型ヘリが墜落した伊方核発電所は私たちにも身近な場所で、当時、あんなに核発電所に激突しかねない位置を、日常飛行していたのかと驚きいつ何時またと不安になったが、沖縄県民の不安はあまりに酷過ぎ比較になるまい。


できなくてもいいよ

2016-09-28 | 追憶

 【 子どもに寄り添った教育を 】 八幡浜市 女性( 62・非常勤講師 )

 ◇昨春、教員を定年退職した後、買って出て自宅で指導している教え子がいる。その子に言った。「忘れてもいいよ。できなくてもいいよ。わかるまで教えてあげるよ」。すると、とたんに表情が明るくなった。学校では決して見せたことのなかった笑顔だ。
 ◇指導を始めて9か月になるが、その子は変わった。学習が楽しいという。質問もするようになった。「ああ、そういうことか」と納得する。でも、トイレに逃げる時もある。それは、もう入らなくなったサインだなと受け止める。私も指導がとても楽しい。現職当時の自分の足りなったところがよく分かる。
 ◇私は、教育はわからないことやできないことを許容することから始まる、と思うようになった。学力向上は大切であるが、学力テストだけを評価の指標としてはいけない。「子どもを豊かに育てる」という原点に返り、子どもに寄り添った教育を目指すべきではないだろうか。子どもたちが何をいかに学んでいるかが問われる。]
                                    《 こだま 読者の皆様 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 戦後もしばらくは、大卒や師範学校卒で教員資格を取得した人を戦争で失ったせいもあり、私の教わった先生の中にも教員資格を持たない代用教員と呼ばれた人が幾人かいた。
 この投稿文を読み、あのころ担任だった先生を思い出す。代用教員だったということは後に知ったのだが、今でも「お前(あんた)らの担任は良かったなぁ」と同級会などで他の学級だった友から話題になるほど。
 子どもの心を見て共に生きようとの気持ちがはっきり表れていた。日曜日など隣り町の自宅に招き、貧乏な田舎暮らしの生徒と共に決して贅沢ではない食事を共にしたり、紙芝居見物を自腹でさせた先生もいた。
 同級会で母校見学をした際話題になった先生は、「裏を流れる川で裸になり皆で水遊びをしたり、アヒルの卵を集めたりしてたな」とほかの教室から丸見えだっただけにうらやましがられた。ほかにも、村でも高い山へ登ったり、昼休みには食後希望者には本を読んでもらったことをよく覚えている。どれも子供が熱心に授業を受けたくなる気持ちを、呼び起こす人間味があった。。
 あれが平和憲法の下での民主主義教育の心髄だったのかと、ずっと後になり気付かされた。あらためて「子どもに寄り添った教育を目指す」ことの大切さを感じる、今日この頃である。


互いの目が合った

2016-09-27 | 追憶

 【 いのしし君との出会い 】 大洲市平野町 ( 男性・70 )

[ 早朝、イノシシの捕獲折を見に行き手入れをしていると、後方でガサガサ音がする。振り向くと80㌔程の大イノシシが2、3㍍後ろで私を見上げていた。互いの目が合った。何と、イノシシは人懐っこい目で私を見上げている。おまけにかわいい尻尾をクルクル回しながら、おりの手入れが終わるのを待っている。
 10㍍ぐらい離れた軽トラックに入って見ていると、ゆっくりおりの周囲の餌を食べ、おりの中のごちそうには目もくれず、目の前を悠々と去っていった。私はそのイノシシが友達のような不思議な気持ちになり「おりに入らなくてよかったね。早く山奥に帰って、もう田畑を荒らさないでくれよ」とつぶやいた。
 もともと殺生嫌いの私がイノシシの捕獲を始めたのは、農業委員となって農地の現地調査をするたびに、丹精した作物が収穫直前に荒らされて次々と農地が荒廃していく現実に直面し「イノシシの被害を何とかしてほしい」という農家の要望からだった。それで狩猟免許を取得し、わなを掛けたり農地をメッシュで囲ったりしている。今では人間がおりの中に住んでいる感じだ。
 今まで相当数のイノシシを殺処分したが、早く殺生しなくてよい暮らしに戻りたい。いのしし君にも山奥で平和に暮らしてほしいが、まだまだこの悩みは終わりそうもない。。]

 ( 忘却への扉 ) この地方でもイノシシ捕獲用の罠が仕掛けられ、檻(おり)も多数設置されてている。年間相当数のイノシシが殺処分されるのだが、いっこうに頭数は減少せず、農地は荒らされている。
 ワイヤーメッシュに電気柵、いろいろ防御対策も取っているのだが、イタチごっこで、人間の負け。段畑の石積みを壊し開墾前の傾斜地に戻したり、畑の中のどこにあったのか、2人で抱えることができるかどうかの重い石まで掘り起こす悪さもする。
 イノシシにタヌキどちらも農林業等に被害を与えなければ、乾くもある。だが、今は害獣、人に危害を与える危険もあり死者まで出る現実。
 檻に入らなければいいがと思う気持ちはよく分かる。昔、私が役をしていた時、イノシシではないが野犬が増えて危険ということで、役所から野犬狩りの檻を借りていたことがあった。新しい餌に取り換えるため見に行くたび、入っていないことにほっとした覚えがある。結局野犬は1匹も捕獲できずに終わった。他の地区では毒餌をあちこちに置いてもいたが、それは食べて死ぬ犬や猫などいたので、私の地域の住民が毒餌を選択しなかったこともありがたかった。
 


金食い虫が利権亡者の巣窟に

2016-09-26 | 共に

 日本原子力研究機構の高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)について、21日夕、首相官邸で原子力関係閣僚が閣議を開き、菅義偉官房長官は「廃炉を含め抜本的見直しを行う」と表明した。
 もんじゅには1兆円以上の国費が投じられたが運転実績はほとんどない。安全管理上の問題が相次ぎ、原子力規制委員会も見切りを付ける有様だった。
 再稼働には約5800億円の追加投資が必要、廃炉の場合でも約3千億円の経費が必要と試算もある。どちらにしても国民負担の増大は避けられないが、古びた無用の長物で金食い虫は早急に廃炉にして当然のこと。
 もんじゅ廃炉問題に関して、四国電力伊方原発の地、愛媛新聞第1面は【 核燃サイクル堅持 政府 代替えの高速炉研究へ 】と大見出し記事。
 第3面にも【 薄い危機感 文科省孤立 】・【 相次ぐトラブル 看板掛け替え許されず 】として、「高速増殖炉もんじゅの廃炉が確実になった」として、「今回も可看板張替えでしのげると楽観していた所管の文部科学省は、経済産業省を中心に通常の原発の再稼働を重視する政府内で孤立し、国が長年夢見てきた核燃料サイクルはほころびが決定的となった。」と
 【経産省はすでに、核燃料サイクルの主軸を、使用済み核燃料から取り出したプルトニウムを含む混合酸化物(МOX)燃料によるプルサーマル発電に移している。プルサーマル発電を行う原発の再稼働が進み、もんじゅの前段階の実験炉「常陽」の再稼働やフランスとの共同研究でサイクル政策は破綻しないとのスタンスだ。]
 「日本が国内外で保有する約48トンのプルトニウムをめぐる国際社会の視線は厳しい。」 住民の安全を無視し、伊方核発電3号機を再稼働を強行させた意図を見透かす。大量のプルトニウムを保有し続けてきた日本、核兵器保有の野心を疑われても仕方ないこと。
 同じもんじゅ廃炉について、朝日新聞第1面が大きく、もんじゅ廃炉だけを取り上げた大見出しには、長年購読者であっただけに、やはり安倍首相の軍門に降(くだ)ったかと、苦々しく違和感を覚えた。同日の紙面には創価学会会長の全面記事?もあり、安倍政権与党への心配り急斜面を思わせる。


喜んだのは

2016-09-25 | 日々

             [ 寒いので カーペットを出してみました。喜んだのは 猫と子供。]

 フローリングの床といっても、普段はソファーかイスにクッションなど利用しているはず、わが家はこの夏もエアコンは停止したまま。21日に届いたメールの続きを23日に受信する。
 「 メル届いた? 今日 日中は暑かったらしく 床の上でバテていた 」 気温差に注意を。丸い穴あきカーペットと思っていたが、どうやらかん違いしていたようだ。


叫びのようなメールに

2016-09-24 | 共に

 【 再稼働と暮らし 】 《 取材 最前線  》・報道部 地方紙記事より

[ 四国電力伊方原発3号機の再稼働を前にした7月下旬、伊方町の住民から1通のメールが届いた。「非難など到底、無理です。再稼働は焦り過ぎ。住民など無視ですね」
 メールの送り主にお願いし後日、三崎地域の集落間の道を案内してもらった。車で進むと、斜面のみかん小屋が崩れかかっていたり土砂が完全に道をふさいだりしていた。6月の大雨の爪痕だった。
 「こういう現状です」とつぶやく案内人。多くを語らなくとも、懸念や憤りが伝わってきた。ただ車内は地域の手作りイベントの話題で盛り上がった。過疎化に伴い活気が失われていく古里を何とかしたいという思いがにじんだ。
 かつて訪れた小学校は、廃校となっていた。雑草が茂ったグラウンドには、原発事故など緊急時に放射線量を測定する電子線量計がぽつんと立っていた。響いていた子供たちの声とは結びつかない光景だ。
 地域に根差した暮らしの中で、重大事故となれば住民が避難しなければならない原発は、再稼働によって「存在感」を増している。叫びのようなメールに込められた思いを、現地で改めて胸に刻んだ。]

 ( 忘却への扉 ) 無理やり再稼働させた伊方原発3号機のある核発電所は、細長い佐田岬半島の付け根に近い。重大事故が起これば特に西側の住民は避難路を断たれる。
 車でバイクで私も通ったことは何度もあるが、地震はもとより津波や長雨に台風などと同時にそれも夜間に核発電所人災事故の複合災害となれば、海岸沿いや中腹に点在する集落の住民が避難できても少人数だろう。
 伊方核発電所の東側に暮らす私たちでさえ、逃げ場を失うと諦めている。大規模の避難訓練実施といっても、実際は伊方町の住民でも一部の人たちの参加で形式的なもの。町外から参加する警察や消防などやお役所などの人員の方がはるかに多いのでは、実質的には何の役にも立たない。
 核発電所建設計画の時点で、関係住民の安心安全は生活保障はもちろん、もしもの事故時の避難対策とその後に万全を期す全責任を、電力会社に課すべきなのは、当然のこと。
 欧米では実行されていることが日本では、住民の命よりも電力会社優遇の政策は納得できない。それを抜きにした再稼働も60年延長などありえないこと。


貧困バッシングのささくれた心根

2016-09-23 | 共に

 【 地 軸 】 216/9/18 地方紙1面下段コラムより

[ 貧しいのはお金がない人ではなく、ささくれた心根なのだろう。「貧困たたき」という言葉がやりきれない。
 ▲「本当の貧困ではない」 「趣味をがまんしたら進学できたはず」。NHK番組で困窮体験を語った女子高生への批判がインターネット上で噴出した。所持品を「高価」と勝手に推測、自民党国会議員も非難に加わり、中傷やウソが飛び交った。
 ▲問題なのは、普通とされる生活が送れない「相対的貧困」で6人に1人と驚くほど多い。日々を懸命に生きる人の、わずかな希望や楽しみも許さないと言わんばかりのバッシングは互いの孤立を深め、傷つけ合うだけ。
 ▲「人間裁判」と呼ばれた約60年前の訴訟を思い出す。憲法25条の生存権—健康で文化的な最低限度の生活の補償を求めた「朝日訴訟」。生活保護の日用品費は月600円で「肌着2年に1枚、チリ紙1日1枚半」という基準を低すぎると断じた一審勝訴は、保護費引き上げの大きな契機になった。
 ▲近年再び保護費が減額され、老齢加算廃止を違憲と訴える「第2の朝日訴訟」も相次いだ。人間らしく生きる権利の保証は、福祉国家の責務。批判すべきは、より弱い立場の人ではなく国。
 ▲明日は敬老の日。生活保護受給世帯の過半数、83万世帯が高齢者世帯という過酷な現実を省みる。「戦後積み重ねてきた諸制度が崩れ、国全体が老化している」(駒村康平慶応大教授)今、老いてゆく国の政治の貧困が気に掛かる。]

 ( 忘却への扉 ) 会社を裏で操り、私物化し絶対的権限を勝手に握り独り占めパワーハラスメントも日常的、右腕となり実質会社を支えている幹部も例外どころか特に目の敵にした。
 その加害行為と被害者とをよく知っているが、被害者はそのつらさと悔しさのうらみを忘れることができないでいる。「やはり病気の元はストレスから来ていたと分かる。会社を辞めて病院で再検査すると病気がなくなっていた」。と先日聞いた。
 彼の気持ちは理解できるが、私はそのような加害者に対して、(財産や権限を持ってはいても)心の貧しい人だという目で見ていた。
 「貧困バッシング」に自民党の片山さつき参院議員も、自身のツイッター上に攻撃側で参戦するとは、世も末かと思わせる。
 [母子家庭に育ち、母親の仕事もアルバイトで経済的に厳しいこと、キーボードだけを購入してパソコンの練習をしたこと、専門学校進学をあきらめたことなどが報じられた。
 片山さつき議員は「チケットやグッズ、ランチ節約すれば中古のパソコンは十分買えるでしょう」 「NHKに説明を求め、みんなにフィードバックさせていただきます!」と女子高生バッシングに加担した。] (「 」内週刊誌記事より)
 途方もない巨額の借金を抱えながら、無謀な額の国家予算を組む政府。国民の税金から政党交付(助成)金の名で流用、止めるはずの企業・団体献金という名の実質賄賂の二重取りを続けているのはどこの誰。まさか、片山議員はどちらも受け取ってはいないだろう。社会保障に活用すれば、この社会もう少しは楽になるのではないか。


都合よく名称を変え

2016-09-22 | 平和を

 参院選に絡み、大分県警別府署員が野党の支援団体が入る建物敷地に2台の隠しカメラを設置(プライバシー侵害)した事件で、大分県警は建造物侵入(計7回の無断侵入)した事件で、4警官を書類送検した。
 公になったので仕方なく送検しただけのことで、表ざたにならなければ隠されていた事件。政権に都合の悪さを国民に隠すため「秘密法」はすでに存在する。盗聴法も電話やメールをの傍受など対象犯罪?が拡大された。
 「共謀罪」も早急に成立させ、権力側の意のままに拡大解釈と乱用できる体制にと焦りが見られる。過去3回も廃案となった悪法を、五輪テロ対策だと強調する。
 罪名は「組織犯罪準備法」に変更。対象を単なる共謀だけでなく「準備行為」も要件に加える。だが、「犯罪集団」も「「準備行為」もあまりに曖昧すぎる。
[ ジャーナリストの斎藤貴男さんは「犯罪捜査が目的なのは分かるが、一度法律ができてしまえば、政権や捜査機関が監視や思想の取り締まりなどのために都合よく運用するのが目に見えている。海外でテロが頻発し、自民党が選挙で圧勝していることを口実にしても、乱用の恐れは消えない。今は「東京五輪のため」といえば何でも許される風潮があるが、こうした法改正は安倍政権が憲法改正を目指す際に、表現の自由を制限したり、緊急事態条項を新設したりするための地ならしになり得る。 ]
 市民運動弾圧を目的に共謀罪の被害者となりかねない国民の側から言えば、拡大解釈と憲法改悪に手を染め、戦争法はじめ悪法乱立を強行する、現政権と付随組織こそが真っ先に共謀罪の調査対象となるはずではないだろうか。 


おぉいっ、来いや !!

2016-09-21 | 日々

 もう誰も山にはいなくなったと思われる時間を見計らって帰り支度を始めていた。そんな日に限って先輩に離れた場所から「おい、仕事し みたいな恰好するな、こっち来いや」と引き留められる。「今日は行くとこがあるけん」との言い訳も先輩には通用しない。
 倉庫の中から持ってきた缶コーヒーをの煮ながら話し始める。特に決まった話題があるわけでもなく、何かと話していると主題のできることもある。
 昼間だと時には飛び入りが入り、人によってはそれまでの話題ががらりと変化するのも楽しめる。おのおの、考え方も生き方も全く違う者たちが、お互いの人間性を認めているからこその長続き。
 先輩には青年時代から、木にかけてもらっている射てもう数十年間の付き合い。私の携帯が鳴る「早よ帰って来んかな。行かないけんが分かっとろ!」のお叱り。
 「もう、帰るか。かあちゃん怒っとったら、かまんけん、わしを悪者にしとけや」とお見通し。帰宅後先輩に言われたことは黙ったまま、急ぎもう1人の友人宅に向かい、こちらもぎりぎり制限時間に間に合った。