忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

徴用工

2018-10-31 | 画像
 新日鉄住金に対し 韓国最高裁は賠償判決。【徴用(ちょうよう)】=[①戦時などに国家が国民を強制的に動員して、兵役以外の一定の業務につかせること。日本では1939年(昭和14)国民徴用令が制定され、敗戦まで行われた。「− 工」「徴用船舶」「軍需工場の工員としてーされる。」②強制的に物品を取り立てて使用すること。挑発して用いること。]
 賠償は解決済みと日本。従軍慰安婦もそう被害者の心の傷に解決はない。侵略・占領の支配下、反省点は日本側。

不公平な社会

2018-10-30 | 画像
 「世の中不公平ばかり」NHK朝ドラ まんぷく(即席めん誕生家族物語)での言葉。要領よく生きる力や力のある者だけが生き延びれた敗戦後すぐの闇市社会。闇市(やみいち)は知らないが、同じ画面上に母親に生活費の足しをと靴磨きする子どもたちも。
 だが、勝手に靴磨きができる場所ではなく、靴磨き道具など借りるお金は?と違和感も。朝ドラに戦中戦後はよくでるが安倍政権になり、ぼかす描き方が多過ぎる。消費税増税も軍事費流用の懸念が拭えない。

お休み!!

2018-10-29 | 画像
 診察予定は昨夜聞いていたが、週1の訪問者は「都合で休み」と今朝電話だと。前回の訪問後痛みが走り、歩行に注意を必要となり訪問者の助け?を待っていた。「風邪」と聞いたはずが、医師に話すと連れ合いに否定される。
 まあ風邪でないのは良いとして…?もしかして出産か。予定日には近いはず、薄曇り気味の晴天?元気な第二子誕生おめでとう。次回の出会いの話題もできた。

大きな目でいつも

2018-10-28 | 画像
 「持って帰っていいよ」と孫娘に冗談半分で言ってはいたが忘れたのか置いたまま。これに本の部屋の仏像?を加えると20㎏近い重さ。「森の魚が私の代わりに見守ってると思って」とのメールに承諾。

新たに追加

2018-10-27 | 画像
 使えなくなりそうとは昨夜伝えていて、新しいのを今朝見てほっとする。だが、練り歯磨きは全て使うまでに意外に残っている。終わりかけるとチューブ?に空気を入れ振ると、中に残っている中身を出口に集められる。
 繰り返すと使い切るには約1週間延びることも。練り歯磨きの買い置きがない時は塩で代用もした。最初はしょっぱい がそのうちなれた。あっ、今私は塩分注意か。

あたりまえが

2018-10-26 | 画像
 子どものころ、貧しさも寂しさも気にならなかたった。似た者どおし、年齢は違うが温もりを感じる誰かがいた。トラックも自動車もなく、バスも通わず(限られた現金収入)片道2〜3時間の歩きは平気で楽しかった。
 山々に大分まで見える海と空、夜空、あの頃空気も自然もきれいで見飽きなかった。今、安全性を繰り返し宣伝しても信用できない危険の見えない核発電も稼動中で不気味。

おはよう

2018-10-25 | 画像
 気づいて目覚ましは二階の音だとわかる。誰のか、長過ぎ、止まって鳴るを繰り返す。一回止めたのは代わりに隣りに寝ていた叔母、その後、孫娘も無意識に止めた。結局叔母が止め、姪を目覚めさせた。
 若いとは言えスマホ目覚まし設定を、枕元に置いても自分で消しては役立たない。一階の私が目を覚ましたのにと、あきれ心配になる。ネジ式振り子時計にネジ巻き時計、乾電池時計で目覚めたが日の出が私には一番気持ち良かった。

演奏を

2018-10-24 | 画像
 調律をしないまま何年経っただろうか、音を止めていたピアノが昨夜孫娘の手でよみがえった。この家にピアノの音がするのは初めてのこと。孫娘の母親が一番弾いたピアノをその子ども孫娘が、本来静かな山里の家に響く音は懐かしくもある。
 他県北部の娘が暮らした家でも、娘と孫娘がピアノを弾くのをよく聞いた。故郷に帰ると今もピアノを弾いているのが分かる曲も聞けた。音は違うが今朝はスマホの目覚まし音がなり続けた。

思い出が

2018-10-23 | 画像
 もう会えないかもと思っていた娘が顔を見せてくれた、それも姉の子供も一緒に!孫娘と会える期待は持ってもいたが早くてびっくり。このところ娘んちの猫ともご無沙汰してるが代理人も歓迎だ。
 欲張らないけど優しさを感じる少しの会話も記憶に残り、嬉しい。体の不自由な今、私にできないことを代わりに頼めてありがたかった。明日は帰ると聞いているが、ありがとう感謝する。

骨折しても

2018-10-22 | 画像
 どこの誰が何位にも私にはあまり関心のないことなのだが、福岡女子駅伝?でけい骨骨折の四つんばいで200?㍍、執念のたすき渡しの場面は何度も見せられた。
 岩谷産業 飯田選手 道路に血痕 監督は棄権を大会本部に伝えていたが「行かせてやりたい」審判員、「あと少しだから走らせて欲しい」と自発的選手。全治3〜4ヵ月のケガ、選手生命復活を見守りたい。