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忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

この有様は

2008-08-31 | 日々
 坂道を歩いて果樹園までやって来た。中に入ると猪の悪戯した跡がある。先日は他の園で私が疑われたほど、何本もの樹の根本を上手に耕してくれていた。
 ここの猪は別のだろうか、やり方が荒っぽく下手だ。でもそれはまだいいほうで近くに凄い場所を見た。まるで濁流の後。
 台風で倒れた杉を積み上げていたのに、左右に分け溝にしている。モグラやミミズの食料目当てか、それとも日々のトレーニング。終わった後はもとに戻せよ。
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お手本には

2008-08-30 | 平和を
 テレビで見た園児のことばに、正直で意外と冷静に大人の言動に関心を持っていると嬉しくなった。大人もしっかり見られている。
 何になりたいですか。‥‥政治家は?との問いに園児は答えた。「政治家にはなりたくない。悪い人になるから」
 政治家だと言っている人たちにも見て欲しい場面だった。苦笑いもできない議員だと、国民の代理人としての資格も疑いたくなる。
 またとなる事務所費疑惑は、太田誠一農水相。食の安全に関して「消費者としての国民がやかましいから、さらに徹底していく」との問題発言。
 過去には「集団レイプをする人はまだ元気があるからいい。正常に近いんじゃないか」との迷言を残す先生だ。大臣任命後に疑惑発覚があっても納得できそうになる。
 今までにも例はあるが民主離党組や無所属議員よる、任期中の「改革クラブ」の発足となると納得できない。
 選挙結果を無視する行為で今後は不明だが、姫井議員が離党を撤回しなければ廃止が当然の政党助成金まで手に入る人数だった。園児に教えられることもある。
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考えないことに

2008-08-29 | 日々
 気楽に暮らせる能力はないが、いい加減な生き方ならやって来た。今も助けてもらって生きているようなもの。いつの頃から深く考えなくなったのか覚えてもいない。
 自分自身の死後よりは今を多少は考える程度だ。死後は骨と灰になるだけと知っている。『千の風になって』も生きている時間の気持。
 行動が伴わないのが欠点だが、離れている人も、会えなくなった人たちのことも思っている。私にとって『千の風になって』はお互いの同じ気持と考え、距離感はない。
 登録している献体の実行を除けば、葬儀も納骨や散骨などと特別な形式的希望もない。後に残った人の自由に任せる。
 ただたまには想いだしてもらったらの期待は少しあるが、それも現在思うこと。笑って話せる私を遺せるかどうか、それが問題だ。
 今日もお地蔵さんの前を通る里道を往復した。帰りは久しぶりに手を合わせる。いつも私たちを心に留めて見守っている優しい存在。お地蔵さんとの距離感もない。
 大きい平石の屋根があるのに、お顔は百年以上の年月を経て微笑んでいるかに見える。
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好きなわけでも

2008-08-28 | 追憶
 机の横の本棚に7個のお地蔵さんを置いている。その一つは「お父さんはお地蔵さんが好きだから」と娘からもらった。
 信仰でなくても、仏像やお地蔵さんは見ているだけでどこか安らぎを感じる。本棚に居るのは代用で土の人形。
 別の本棚には仏像もあるが、代理の小さなお地蔵さんはそれより身近にある。時たま前を通る。祖父母や母とも一緒によく拝んだ思い出の地蔵さん。
 孫たちも遊んだ山のお地蔵さんの代わりに、部屋のお地蔵さんにみんなを思ったり真似して祈ることもある。
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町か山か

2008-08-27 | 共に
 住んでいるのは川の左右に山のある地域で、途中幾つかに分かれいる。川沿いの道路や山々の中腹に、集落が点在する。
 一応町と名が付いてはいる。他所から初めて来た人は山の中とも言う。海岸通りを走ればそこまで思わなくても、自動車道や本道とか電車にバスなどだと山の中には違いない。
 普段暮らしていると住めば都で、田舎とも山の中とも考えもしない。歩けば別だが車だと、すぐに隣町や市内に行ける。ただ通り過ぎて距離を伸ばすことも多い。
 今年子供たちの家まで行った。一ヵ所は狭いか広いかの違いはあるが、こちらと同じ空気の農村地帯の親しみを感じる。
 もう一ヵ所は大都市郊外の山ごと住宅街。家の中とか庭やその近くに居ると何でもないが、離れると寂しさを感じる。
 方向によっては立ち並ぶ家々と縦横に走る道路があるのに、静か過ぎる。人の姿や車も見ない。時間の止まった町の雰囲気がした。
 こちらの山の方が町のようでもある。騒音代わりにセミが鳴き、カラスや鳩も飛んでいる。夜のネオンは月に星、鈴虫の音色も響く。
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いまだ消せない

2008-08-26 | 共に
 先日は待ちかねていた恵みの雨が降り、会う人ごととの会話で繰り返せる青空の日の仏事だった。お寺の近くも車でいっぱい。
 大勢人が訪れる。陽の当たる駐車場から石段を上り、山門の日陰に立つと救われたような涼しさを感じる。もう1段上がった庭にも心地よい風の意外さがある。
 どうせなら本堂に入ろうか。端の後ろの方に座っていると、知った人たちも近くになる。場違いだが世間話で時間待ち。
 「○○さんは‥」と一人が私の名前を間違えて話した。ああ忘れられてるとは思ったが、でもよくあることと聞き流す。
 だが後ろでちょっと待った「○○さんて誰」「○○さんはどの人」「○○さんてどこにいる」表情は見ないが冗談で間違いを気付かせようとしているのはわかる。
 間違えたまま彼は「□□□の○○さんよ」と『』名を出して答えた。それでみんなの会話は終わった。腹は立たない。当人は冗談のつもりだろうが、今までもそれを言うかと驚いた。
 誰もが黙った訳が理解されたかどうか、後で私の前を通る時緊張しているように見えた。私がお辞儀をすると彼も丁寧に頭を下げた。人権・同和教育が根を張っているとは思っていないが‥。
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かわいいけれど

2008-08-25 | 日々
 家の近くで私を呼ぶ妻の声が聞こえる。急ぐかゆっくりか、考えるほどの距離でもない。外に出て角を曲がると「なあに」と尋ねる。
 「そこに猪(イノシシ)が」と姿の見えない妻が言う。予想し腰を屈めて隣の果樹園を覗くと、すぐそばの樹の間に猪がいた。
 親猪で結構大きい。2メートルほど前でこっちを見ている。「おい」と声をかけ手招きすると、尻尾を振りながら近づいて来る。
 あと少しで手を伸ばせば猪の頭を撫ぜれる間隔になって、私が遠慮し下がった。撫ぜたい気持にさせるほどに人馴れした動作を見せる。
 私が相手をしなかったからか、家の畑に降りて断りもなく勝手に野菜など食べ始める。上から見下ろすが平気。
 見物人の数など気にしない。ケータイやデジカメのフラッシュの光に驚き、上の段に登るが直ぐ戻る。音にも同様。
 猪の食事に付き合っても、分前はない。私も夕食に家に入る。食事を済ませて行って見ると、まだ食べていた。
 夜に出かけて思い付く。ほぼ真上にしばらくいたあの時、横のブロックを投げれば必ず命中していたはず。今後も荒らされる心配はなかったのに。
 猪は獰猛で危険な動物でもある。長年農産物の被害に困っている。でもあの時はずっとかわいいなと思っていた。
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間に合った

2008-08-24 | 日々
 今年はダメかなと半分諦めていた。子供たちも帰郷して、この機会でなければ行ける雰囲気ではないと気になっていた。
 森の水族館のペンギンや鯉たちと遊んだ後で、二ヵ所に別れることになる。私は美術館組、みんなを誘ってダメだった。
 時間内に到着できるかは無視して、会話と景色優先で走る。私は助手席、運転手さんありがとう。入館時間に間に合った。

         [山の中の
         小さな美術館に届けられた
         かまぼこ板の天使さん
         ワイワイガヤガヤ集まって
         小さな町の
         大きな夢になりました。]

絵はこころの手紙です。第13回 【 全国「かまぼこ板の絵」展覧会 】 発行・西予市立美術館「ギャラリーしろかわ」 昨年の作品集も購入した。
 もう私たち以外は数人。早めに観て回るが、気に入る絵は向こうからこちらに飛び込んで来る感じがする。
 入賞作品の展示された部屋に入ると、さすがと納得させられる。小さなかまぼこ板に描かれた作品が、大きく見える。ゆっくりできないのとみんな一緒でなかったのは心残りだが、娘と話もでき行けてよかった。
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おだんご――!

2008-08-23 | 追憶
 先日まで娘が孫を連れて帰郷していたおり、孫の育て方から始まり子供の頃の思い出話になる。私と子供の記憶の違いが面白い。
 まだ小さかった娘が悲しそうにしているのを見ると、私はふざけて覆い被さり抱きしめた。くすぐったり転がったり、笑顔が戻るまで一緒に遊んだ。
 「知らない。それより、ズボンやスカートをよく下げられていたのは覚えているけど」えぇっ、そんなことしてたっけ今度は私の驚く番だ。
 他の子供にもしたようだ。言われれば孫たちにしたのはまだ覚えているから事実だろう。これは姉弟みんな同じにしたこと。
 中の娘だけと主に遊んでいた名前がどうしても思い出せない。数年続いたはずなのに、方法も娘の温もりや笑い声まで浮かぶのに…。
 娘たちが帰って行って数日後、そうだ最初に娘の名前を入れて「○○だんご―!」と「みのむし―!」だったと忘却の扉が開いた。
 ちょっとだけ遊びを変えて、名をかえた。他にもあったが忘れてしまった。どれも丸めて抱きしめた。泣きたいのだとわかった時、お前が大好きと伝えるために。
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とも子の冒険

2008-08-22 | 平和を
 アニメ版【つるにのって】「とも子の冒険」 原案/ミホ・シボ 発行/金の星社 有原誠治監督、虫プロダクション制作のアニメ映画の絵本。
 「この本、読んでもいい」と本棚から孫が選んで私のそばで読み始めた。その前に二階にも本があるからとは言っている。
 二階には子供向けの本もある。一階は子供に読めても戦争に関係した本が多い。この部屋のでいいのかなとは思ったが黙っていた。
 静かなまま気がつくと「読んだよ。ありがとう」と言って出て行った。感想でも聞けばよかったなとも思うが、孫は広島の子だまた時間を空けて機会があればでいいだろう。
 とも子の住む広島県福山は、私の伯母たちの町でもある。小学校6年生は孫とも近い。とも子の夏休みの宿題は「わたしの冒険」がテーマ。
 とも子は一人で平和記念公園にやって来た。資料館を見学するが疲れ帰りたくなり電話すると、父親にせっかくだからと「原爆の子の像」を教えてもらい見に行った。
 そこでふしぎな出会いがあり、ふしぎな体験をする。大人の私が読んで現実と感じたのはなぜなのか。本をめくっていて、資料館の観覧券が挟まっているのを見つけた。
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