忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

ストーブを点けた

2004-12-31 | 日々
 居間では、エアコンは一年を通してほとんど使わない。この冬もコタツだけで済ませていた。遠くから孫たちがやってくるので、ストーブを用意する。

 この辺りにくらべ寒い地方に暮らす孫たちは、寒さはへっちゃら、雪が降り積もるのを待っている。雪への期待には添えないが、これでも地元人には寒いのだ。だから孫たちに託けて我慢?していた暖房の追加だ。
 湯上りに裸のままあちこちするのを見ると、こちらの身体が冷えそうだ。寒い町から少々騒々しいが、気持ちの温もりをいっぱいみやげに持って元気な孫たちはやって来た。
 お正月の間だけだが、おじいちゃんおばあちゃんにとっては、元気で暖かくなる一番うれしいお年玉である。外は雨だが、山の上の方はうっすら白くなっていた。今年最後の日、今夜は孫も横に並んで日記を書いている。居間のほうでは紅白歌合戦が聞こえている。
  

たけくらべ

2004-12-30 | 共に
 ラジオの本の朗読で、円地文子・現代語訳の樋口一葉のたけくらべを聴き終えた。旧仮名遣いの本は何度か読もうとしたことは覚えているのだが、読み終えたかどうかはっきりしない。
 吉原の遊女になることが決まっている少女。貧しい家族を助けるために身売りした姉のおかげで、裕福な暮らしができている。
 当時の吉原を支えた人々の暮らしへのイメージはかなり違ってくる。女性の声で耳から聴くたけくらべは、東京の下町の明るさや活気も見せる。
 本を通して読むのは今は無理だが、気になって取り敢えずと開いて見る。一度は読んでいるようだが、受ける感じはかなり異なる。
 やはり樋口一葉で近い内に読みたくなった。『娘売ります』と書かれた農村?での張り紙の写真が載った本が、本棚にあったはずと探すのだが見つけられずにいる。これも気になったまま年越しとなりそうだ。

首相へのはがき

2004-12-29 | 共に
 今年の最後になるアムネスティのはがきを出した。小泉首相へ人身売買をなくす日本の政策を、お願いしたのだった。
 定期に届くアムネスティからのニュースレターの表紙に、太く『人身売買』の文字を見たとき最初少々違和感があった。現代日本の闇と横に書かれてあり戸惑ったのだ。
 外国からの女性が日本で働いているのは知っていた。だが女性たちを騙し売り買いするするブローカーが存在し、パスポートを取り上げられ架空の借金を背負い拘束され働かされている人たちが多くいることには関心が薄かった。
 米国務省の人身売買に関する報告書で日本は「監視対象国」と見られているようだが、政府の取り組みは消極的とか。 
 マスコミ等で見ても、反面被害者と言える女性たちは犯罪者として罰を受けるが、働かせた側はあまり捕まらないし罪も軽いようだ。被害女性への日本人の誤解も、苦しみを大きくしているのか。 恥ずかしい。

先のことは

2004-12-28 | 日々
 昨日川のそばの家に、御歳暮代わりの品を持って行った。下を覗くと川底は今もきれいだが、積みかけた数個の石が気になった。
 チャイムを鳴らし勝手口から入ると、奥さんの様子が違う。4・5日前に橋の上で倒れ、救急車で運ばれ入院したと言うのだ。
 一週間か十日前には元気な姿を見ているし、朝には二人宛の年賀状をポストに入れているのに分からないものだ。早く仕事ができるようにと、頑張り急ぎ過ぎたようだ。
 まさかの展開にしばらく動揺を隠せなかった。先が見えない事は不安でもあり、自分の気持ちも伝えられなかった。
 今朝病院に行くと、呼び掛けが分かってきたようで回復に向かっているようにあり一安心だ。今度こそゆっくり休んで、回復したら無理せず庭で好きな盆栽や野菜を作って欲しい。そうまだ積みかけの石垣も残っているのだから・・。どうか来年が良い年で有りますように。

出せなくなった

2004-12-27 | 日々
 今年は年賀状をいつもより早めに出せた。お正月に届いた賀状も見ながら書いたが、例年になく喪中のはがきが多く淋しかった。
 正月には本人の手書きでもらっているのも数枚ある。味のある好きだった文字と文は、もう届けられる事はなくなった。その一人は一月、大雪のあとの別れだった。
 同じ町内にいて、知人の身寄りが亡くなられたことも知らず失礼してしまった。賀状と喪中はがきに人生が見える。
 元々賀状を書かない人もいるが、それはその人の自由。届かない人にも出している。毎年の、元気でいますか。私も元気です。あなたのこと忘れていませんよの確認のためにも、年賀状はいいなと思い始めている。
 できることなら昔のように、手書きで、版画など彫ってと思うのだが年内に出すのがやっとの現状では、ただの願望だ。

ワリ木割り

2004-12-26 | 追憶
 細いたきぎはそのままかまどで燃やすが、長いものは鋸で切断し太い木は斧で手ごろに割った。ワリ木割りと言ってはいたが、割り木作りだ。
 年中やってはいたが、冬になると特に焚きものが余計にいる。小さい頃から祖父の真似してワリ木を割った。ごほうびなど当てにすることも無い。するのが当り前だ。木によって違う匂い木の中にいる虫、そんな発見も楽しみだ。祖父のうれしそうな顔を見るのが好きだった。
 最初のうちは、鋸でも斧でも大きすぎ身体に合わず、ぐらつき上手くは使えない。少しやれるようになっても、時には刃や柄をこわしてしまう。失敗しても叱られはしなかった。ただ間違えば大怪我をしかねない。そこだけは注意された。祖父の鋸や斧の使い方が、そのまま今でも私の使う形になっている。
 寒い冬でも、汗をかくワリ木割りで作ったたきぎは、木小屋に運び積み上げられた。湯気の立つご飯や味噌汁、そして温かいお風呂のために準備ができた。家族が見える。

一家に一つ

2004-12-25 | 平和を
 一家に一つ作らないといけなかった。と聞いた時えっ!ほんとにと思い聞き直した。小学校の正門前に車を止めた折り、同乗者に過去そこに有った防空壕の事を話した時のことだ。
 するとその後あそこにもあったここにもあったと、次々に出てきたのだ。その人の家は山の方なので、さつま芋を貯蔵する床下の芋つぼを代用したという。
 爆弾や焼夷弾にやられたら一たまりも無い蒸し焼きだと空襲体験のある母から聞いた話をすると、機銃掃射なら大丈夫かの気休め程度と分かってはいたらしい。
 我が家にも、祖父が掘りかけたところで、敗戦となり中止した後が残っていた。その後も世界で、核シェルターを造るのが個人でも流行った?時代もあり日本でも作ったというが、大金持ちでなければどうしようもない。庶民は命を金で守れない人が大半だ。平和であることが命を守ることである。反省から生まれた日本国憲法は戦争への歯止めとなっている。憲法を遵守するのは国民の義務であるはず、なのにこの国はどうしたことか。

国産のかみさま

2004-12-24 | 日々
 遠くの神社に幟を寄進したと言う。まだ四十過ぎだが、前から神様を大事にしてはいるようだ。名前も神様が名付け親のとで二つある。地元氏神様のお札も買って、新年への準備も後少しで完了とか。

 神様に助けてもらったと感じたら、灯明を上げ神や先祖にお礼をする。繊細な心の持ち主である彼には神様が必要だと思う。でも現在の、神に溺れない関係のままがいい。求めればいつでもそばに現れるのだから、今以上の深入りをする必要もないだろう。夢中になると重荷になることがあるかも知れないから。

 神を信じる事のできる彼が羨ましくもある。信じる者は救われる。クリスマスイブに、国産の小柄な神様の話が聞けた。彼の家をサンタは覚えているだろうか。我が家にはケーキはなかったが、家族が増えるというプレゼントが前渡しで届いている。

おとすために

2004-12-23 | 共に
 表現の仕方は柔らかくなっているが、自分と異なる考えを持つ人たちに対し『赤』とか『』という言葉を使って、その個人やグループ活動の力を小さく制限させたり無視されるように仕向けるやり方が、いまだに生きているかの話を聞いた。以前には、人を攻撃したり陥れるためによく使われた一般的方法?だったが、どっこい今でもご健在とはどこに隠れているのだろう。
 「それなりにまじめに取り組んでいる人たちが、アレをやられたら言う方に力があるだけに潰されてしまいかねない。あの人たちを甘く見てはいけない。おそろしいことだ」と
 わからない部分もあるが、異なる考えもまずは認めて、成り立つ議論ではないか。まあ昨今、あの国会でさえ議論の軽視が当り前のようだし、危ない傾向の再来かもしれないが、なんでもありを上手く使いこなす強い力を持っている人々が、社会を動かしているともいえる。我々下々の者は、ただ黙っておとなしく・・・あれっどっかで話がずれてきた。
 

香りが浮かぶ

2004-12-22 | 日々
 昨夜は年賀状作りなどに手間取り、遅くなって風呂に入った。ふたを開けると、湯船に5・6個の柚子が浮かんでいて好い香りがした。
 冬至?昼間は今夜は柚子湯かと気にしていたのに、すっかり忘れていた。少し温くなりかけた湯だが、いつもよりゆったりと自前の柚子の香りに浸かっていた。ときにはこんな気分もいいもんだ。