忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

おめでとう

2010-01-31 | 平和を
 『 誕生日おめでとう 』を声で伝えようと何度か電話するが、通じない。またケータイを家に置いたままにしているんだとは予想できる。持って移動しなければ役にたたない。
 誕生祝いに外出して家族で楽しく食事でもしているんだろうな。わが家の愛犬も『 おめでとう 』を言うために横で待っていたのだがダメだった。家には猫だけが留守番をしていても、電話番まで頼まれてはいないと知らんぷり?
 メールでも入れておくかとここまで打った所で電話が鳴り、誕生日の本人からだ。別の部屋に居ただけでどこにも出かけず夕食も終わっていた。ごちそうは子どもの希望でラーメンとケーキこれもイチゴは子ども食べられた残りと聞いて、主役はどっち?と言っておく。
 ほんとは昨日、子どもの希望で外食していて今日はラーメンとは、あの年齢で家計を考えるいい子か気まぐれ。家族揃って仲良く明るい家庭の年月を積み重ねて行って欲しいと願う。もう一度『 誕生日おめでとう 』

黙ってられない

2010-01-30 | 共に
 『またそんなの着てる。もっといいのが有るでしょ。早く着替えて』外出前によく言われるが、滅多に着替えはしない。部屋のどこにあるのか探すのも困難な状態だから、上着などは同じものか数枚を繰り返して着ることになる。
 『みんなの前や人に、変なこと言わない。黙ってるのがいいの。わかった』とも前もって注意してくれる。元々がどちらかと言えば無口の方、会話は苦手で知らない人に私から話しかけるなど珍しかった。
 だが最近はしゃべりたい自分を、どうコントロールして良いのか戸惑うことがある。冷静に考えて話すとなれば、ただでさえ鈍い頭が働くまでに相手は遠くなっている。
 昨日の夕方は久しぶりに2人で温泉施設まで行きお湯に浸かり、そこでついでに夕食もの予定で出かけた。レストランでの昼食はまだ満腹感を維持しており、途中でたこ焼きにとランク落ちする。
 2軒目がまだ営業中で、私が注文して寒い外で待っていた。ちょっとだけ運転手も立ち話と様子見に来た。たこ焼きと一緒に車に乗ると『遅いじゃない』これと50円と10円玉だけのおつりを見て納得。
 店の若い女性が謝った時に私は「お金は多いほうがいいから」そして帰り際に「これが今晩の夕食なんよ」と正直にばらすと。かわいい笑顔のおまけ付きだがそれは内緒。
 温泉の男湯は多い客だがゆっくり入れた。ロビーの自動販売機で商品を買った男性と豆知識を立ち話。花2鉢の支払いをする妻の『これ持って帰って』に「はい!」と元気に答える笑顔の私に、受付女性の明るい笑顔が見えた。

僕の特別室

2010-01-29 | 日々
 家族で泊まりがけでやって来たのだが、まるで『 借りてきた猫 』を演じていた。 あちらの家では私たちにも擦りより抱かれたのに、わが家に来ると居間でみんながいても避けようとする。
 廊下は寒いだろうとの心配が猫には通じない。一匹だけになっても、自分の家族が持って来た荷物などのある二階の部屋が好きらしい。たまに抱けるが、すぐ逃げたがるので嫌いにしても困ると自由にする。
 居間の寒いコタツの中なら少しは我慢でき、帰る間際になりやっとそのコタツに入っていた3人の足から私の足を選んで眠ってくれたのがうれしい。

ガッシャーンドサッ

2010-01-28 | 日々
 夜土間に降り玄関戸の前でかなりそわそわしているのを見て、気になり声をかけた。「 シッコ? 散歩? 」すぐ近寄って私のあごを舐める。もう一度尋ねると『 ワン! 』と返事した。
 一緒に外に出て庭を通って家の角を曲がるまではいつもと同じ歩き方。ところがそこで犬は急に暴走、リードを握ったまま私はいきなり横倒しになる。ガッシーャン !!とドサッ ! は暗闇でのほぼ同時の音だ。
 猫かイノシシの気配を感じての急な高速を止められなかったのはわかる。だが音は‥‥私の片肘は低いブロック塀の上にあり、植木鉢を押さえた状態で塀にもたれて座っていた。
 外灯が点灯し内側から『どうしたの』の声に、「なんでもない」と答える。明るいままの周囲を見て、危なかったと胸を撫で下ろす気分。下を覗くと傾斜のあるコンクリート舗装の道に砕け散った植木鉢があった。
 うまくクッションの役目を2つの植木鉢が果たしてくれたおかげだ。直接塀にぶつかっていれば片肘を傷めるどころか、道まで落ちて大ケガをするところを土の汚れで済んだのだ。
 ガッシャーンの音に犬も驚いたのか、引っ張るのを止め待っている。犬にも責任はある鉢の落ちた場所に行き、外灯をたよりに証拠隠滅をすませてから散歩。「よかったね」仲良く帰って、まだそのままの外灯を私が消した。

捕っていたのはお前

2010-01-27 | 日々
 庭などあちこちにメダカを飼っていた。もらって数年間で数の増えるのを楽しみにもなり、昨年はビンに入れたメダカたちに長距離ドライブを初体験させ娘たちの家にも孫のためにと持って行く。
 そのころからメダカの数が減ってはいたが、昨年末には数匹にそして今日『水飲みに来たネコが食べるんだって。友だちが言っていた』と妻が話ながら確認すると1匹も見つけられなかった。
 野鳥もよく来る場所なので、私たちはまず鳥を疑っていた。そうだたぶんどこかの飼いネコだろうが、まるでわが家のようにぶらついているのを知っている。猫ならメダカを食べても不思議はない。
 猫がメダカを盗るのは遊びのためか食べるため?食欲を満たすのならもっと大きな魚を捕ればいい。猫のメダカ泥棒の犯行現場を見たいとも思うが、警察の隠れての一時停止違反やシートベルトなど交通違反取締まりのようで嫌な気分になる。
 まずはメダカを飼うことにして、今後は猫や鳥の犯罪予防に網を張るとか考えている。わが家に来る猫や鳥に、話しかけることはあっても脅かしはしない。いたずらさえしなければ来るのは歓迎なのだから。

まさかこんなはずでは

2010-01-26 | 追憶
 イチョウの枝が周囲を邪魔しているので、昼までに切っておいてと言われた。道具を準備し行こうとすると他にも頼んでるとの言葉を聞くが、私もなにか手伝うかと肩に担いで歩きはじめる。
 枝はノコでかなり切り落としてあった。チェーンソーに燃料とオイルと工具は必要なく、太枝切りハサミも使えず木の下で私は鉈と剪定ノコとハサミを使って枝片づけ。
 前回までは私が登って毎回低めに切っていた。枯れて良いので短く根元から切り倒せれば1番といつも言われるが、元は庭にあった木で思い出もあり風避けにもなると枯らさずにいた。
 見上げこれで無理かな‥‥の気持ちになるのは後回しにした私の責任。1人になってどうせならまだ残っている枝だけでも自分で切ろうと木にぶら下がる。幹の太さは両手を伸ばして2人分以上、どこかに手足を掛けるしかないのにその手の握力が弱わすぎる。
 こんなはずではと頑張るが危険を感じやっと諦めた。だが見上げると最後の部分を切りたくて、借りて来たハシゴを使ってイチョウに登り仕上げる。自分の力で木登りできなかったのはショックのまま。

入り口だった

2010-01-25 | 追憶
 村から合併後に町と変わるが、上の地名はそのままに名も同じで残っている。またその各ごとに、地区とか班や組と言った幾つかの名前で分けられている。
 下から次々と延長し枝分かれする道路や生活環境の変化もあり、の上の方から家が減って行った。市道は1本で他は関係者で土地を提供しお金を出して作る私道とも言える道路。
 最初はわが家までの短い道路も、モッコを担いで土運びするのも人力途中でやっとブルトーザーを使用し始める頃の工事だ。それから先の山林や農地の各所有者まで道路は不要、ここで住み続ける気は無いと言う人で参加者数人だけだった。
 は傾斜地で点在する住宅にさえ地形など無理もあり、そばまで道路は入らなかった。いつしか昔は人家のなかったの下の方に宅地が増えた。祖父から聞いた話では、20数軒あったという近所の住宅は私の生まれる前に無くなっている。
 隣り村やこの村の入り口から隣りを歩き、わが家のそばを横にしばらく行くとお堂や神社などもあるこのの中心部だった。道路ができて歩く場所も変わった。里道などもそうだが時間の流れがゆっくりした時代がこのにもあったことさえ忘れられようとしている。

新着から入る

2010-01-24 | 共に
 『こんばんは』だけになるか『初めまして』と続くのかはその時の偶然に合わせ、表示された新着ブログを順序は気まぐれで開いて見るのを楽しみにしている。お気に入りにはできるだけ移さない出会いにも再会はある。
 人気ブログよりも新着ブログの幅広さが好き。時には訪問先でタイムマシンを操作して過去との移動を繰り返し戻るのが遅くなることも。弘兼憲史の劇画に次々登場する人間交差点までは行かなくても、近くのブログでたくさんの人間模様に会うこともできる。
 ほとんどが一方通行なのに、出会えば 同じ町内の人たちやご近所さんのような気分にすぐになる。私のブログを見ている人たちはどう思っているかとも考える。

500円玉貯金で

2010-01-23 | 共に
 自分で買い物や用事に町に出ることがなくなって、自動販売機の利用などが減り500円硬貨の入って来るのも少なくなる。おつりにもらえばわが家で、夫婦別々に500円玉貯金をしている。
 競争しているわけではなく、しても勝負は決まっている。妻の貯め始めた目的は聞いてはいたがもう忘れた。妻は広口ビンの中身を重さで楽しんでもいたが、10数万円にもなると使い方が心配になり小出しで日常の買い物に使用で落ち着いた。
 財布のお金も使う回数も少ない私は500円玉の手に入る機会も滅多になく、カメラフィルムの小さなケースに1杯にするのさえ最近ではさて何ヶ月かかるやら。
 前回もそうしたが数個が貯まるのを待てず、ケース1個で使おうと考えている。これまでたくさんの人に支えられ生きて来て、これからもどれだけの人々のおかげで生きられることか。
 家族やその延長上の人たちにはたとえ気持ちだけでもおかえしできても、見えない会えない人々と共にも私はいる。たまにはそれを思い出そうと、行動できない気弱な私は送金などするだけ。恥ずかしいけど500円硬貨プラスを続けて生きたい。

懐かしいキズに

2010-01-22 | 追憶
 車庫と倉庫の間にある通路を歩るきながら、何気なくさわった手の指と甲にちょっとざらざらした感触。ゴミが付いたかと撫でるが変わらず見ると、皮膚の1部分が白く細かく逆立って赤いキズまでできている。
 いつなったのかわからないが、一昨日夜は雪で手を洗い昨夜は雨で今日は久しぶりに午前中は布団の中で休む。ああ、薬を飲めば眠れたのにとは帰宅してから気づいたことで何回も水で手は洗った。
 霜焼けの手を見て何十年ぶりだろうかと懐かしくうれしくなるのは、まだ初期で痛くも痒くもないからだけではない。私が孫たちのような子供だった頃、冬には毎年30~40㎝の雪は何回も積もり1週間から10日は解けずにあった。
ー5~6度の年も覚えている。今日テレビで北海道の人たちがー10度は普通と話していたが、近年わが家で水道が出なくなったり外のエンビパイプが裂けたことはない。
 昔は私も雪を待っていた。仲間や兄弟で雪との遊びに汗をかく楽しさと笑い。手袋や長靴もあってないも同じ、霜焼けやあかぎれには誰もがなった。祖父母や母の手は冬には太く傷だらけ、ガマの油かクジラの油をたまにすり込むだけだった。暖かくなれば自然に治る。