庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

わずか2か月前の国際交渉を忘れる安倍内閣ではない筈だ。

2016-02-13 | 環境問題

今回の環境大臣の【石炭火力発電の新設容認】は、国民への裏切りと同時に、次世代の人たちに、多くの負の遺産を残す事態になる。

このことは、環境省や経済産業省の内部でも大きな誤解をしている幹部がいるから、「お飾りの大臣」はそれに引きずられているだけの様である。

まして、「地球環境問題」には疎い安倍首相は、役人の言いなりで『挑戦を意味する環境イノベーション』には、素人同然のお坊ちゃん感覚の状態である。

そこで、もう一度、2015年12月に採択された『パリ協定』のおさらいをする。

日本国内では、業界も含めて誤解だらけの削減目標の内容を明確にしよう。

 

1997年12月に採択された『京都議定書』は、2012年に約束期間を終了した。

これには、日本は前向きな削減目標を掲げて、先進国の義務付け量を交渉で受け入れ、2012年度末までの成果で、国際公約を達成している。

これは重要な役割を、日本国民と政府は、確実に守ったことで、国際的にも評価されるべき実績である。

ところが、日本の安倍政権のもとでは、「京都議定書」の次の重要な国際協定である『パリ協定』では、後ろ向きの削減目標の提出に終始し、最後には、しぶしぶ、協定の数値目標を守ることで、最後発でやっと賛成にまわった。

 

「国連気候変動枠組み条約」を締結した196カ国・地域のうち、189が採択に賛成したのである。

「自主的な削減目標」であっても、この様な世界の96%が参加している協定は、国際社会では画期的な挑戦であり、大きなイノベーションの機会になるのだ。

その重要さを理解できない愚人は、「京都議定書の数値目標は、国際的義務であったが、『パリ協定』は自主的目標で、義務ではない!」と言い張っている。

義務ではないから、守らなくても非難は受けないとでも言いたい様だ。

世界の劣等国になり下がっても、恥も外聞もない様な、愚人の言い草であろう。

 

さらに、忘れてならないのは「各国が掲げた削減目標」は、長期の温度上昇目標を達成する様に、『5年毎に目標を更新する』仕組みになっている。

つまり、今回の日本の削減目標は、2030年までの固定的な数値目標ではなく、

各国の自主的な削減目標の上積みが、必須の努力事項に規定されている。

2016年に掲げた目標を2020年には見直して、2021年に上積みした削減目標を世界に対して、提出する必要性があるのだ。

世界で3番目の経済大国を標榜していて、これを逃げることはあり得ない。(続)


安倍政権の無責任の言動が早くも本格化して挑戦を放棄。

2016-02-12 | 経済問題

安倍政権は「地球温暖化対策は、新しいイノベーションを生み出すチャンスです。」と施政方針演説で打ち上げている。

「温室効果ガスの排出量を2030年までに2013年比で26%削減する目標」のもとに、「再生可能エネルギーの大胆な技術革新、最大限の導入を進める。」

表向きだけは、果敢にイノベーションを引き起こす意欲とみれるが、実際の政策では全く、「従来の技術に埋没した既得権擁護」の方針である。

その典型が、温室効果ガスの削減政策に責任を負う【環境相が早々と白旗】を上げて、「石炭火力発電の大増設」を容認してしまった。

 

日本の電力業界は1998年に締結された「京都議定書の削減目標」には、後ろ向きの[CO2排出]削減しか実施せずに、海外の削減分の購入に依存していた。

国内の石炭火力発電所からの排出削減の努力はしないで、海外への資金援助などによる削減分を日本の削減量として組み入れて、やっと達成できた有様だ。

つまり、日本の電力消費者の【余分の電気料金分】で、削減義務をクリアーしたのであり、電力業界の努力分はゼロに等しい。

今回の『パリ協定』の削減目標では、既存の10電力業界という組織は解体されているので、達成目標に対して何も効力がなくなってしまう。

 

これは、電力自由化が進行して、現時点でも160社以上が参入しているから、どこがどのような削減義務の責任があるか、まったく不明になってしまう。

この事態を懸念して昨年には、環境大臣名で、石炭火力発電の新設計画には、[CO2排出]削減の計画ができていないことで、「是認できない」と警告した。

そこで経済産業省は、「電気事業低炭素社会協議会」を設立をして、そこが削減目標の実行計画をつくる仕組みで、[CO2排出]削減することにした。

しかし、計画の内容も説明できない段階であるのに、5回に渡って「環境省」の警告を発していた建設不許可方針を、「是認する」と大転換してしまった。

 

つい先だっての環境大臣は、「放射線の被ばく量」の無責任にも7日に講演した数値を、9日の国会質問で追及されると、12日にはあっさり撤回している。

「理解不足の失態」だが、政治的見識や人間性の欠損が疑われる事態だった。

これよりも、はるかに重要な国際的な合意の『パリ協定』の経過と、[CO2排出]削減の重要さを認識できていない閣僚は、失格としか言いようがない。

安倍首相は、この政治的欠陥を持った人物を、重要な「環境大臣」に任命した責任を負うべきであろう。

ことは国内問題なく国際的信用につながるのだ。(続)


政府も自民党国会議員も逃げ腰の先送り根性で挑戦はゼロ。

2016-02-11 | 国創り政治問題

安倍内閣は、経済の再生を国民に約束して「アベノミクスの三本の矢」で挑戦を開始したが、3年経っても「デフレ脱却の見通し」は、たっていない。

2016年初頭に姿勢方針演説では、一億総活躍の目標に挑戦すると宣言し、安倍内閣は「挑戦を続けてまいります。」と言い切った。

「皆さん、共に挑戦しようではありませんか。そして【結果を出して】いこうではありませんか」と国民に呼びかけている。

「それが私たち国会議員に課せられた使命であります。」と強く言明している。

 

演説は高い理念と強い決意を述べていて、これを実行する内閣であるならば、日本の将来には希望が持てる。

しかし、それからわずか1カ月程度で、おひざ元の自民党国会議員は、早々と挑戦をなし崩しに止めてしまった。

民主党と合意していた国会議員の定数削減は、2021年以降に先送りの【なし崩し妥協策】で、国会議員の挑戦はしないことになっている。

つまり、安倍政権の施政方針は、身内の自民党からも否決されたのである。

これを安倍首相は「ゴマカシの妥協策」で、「成果が出た」と言いたい様だ。

 

こんな実現可能な政策すらも、出来ない様な腑抜けの政府では、あとの難問である「挑戦課題」の具体策が実行できる可能性はほぼゼロになる。

これで、挑戦を謳った「一億総活躍の目標」は、国会議員が率先して逃げ出すのでは、民間企業に要請している「賃金に引上げ」にも挑戦から逃げられる。

ましてや、20年以上に渡って広がっている「正社員と非正規雇用社員の待遇の格差是正」や、「同一労働・同一賃金」の目標など、一番に先送りだろう。

つまり、安倍政権の掲げる「日本の挑戦課題」は、成果を出さない先送りにすることで、「挑戦する姿勢」を示したことだけを評価してもらいたいのだ。

 

政府や国会議員は、日本の課題の克服には逃げ腰なのだから、せめて【地方自治体の挑戦】を期待し、デフレ脱却に成果を出す、大手の民間企業の『賃上げの実績』を期待するしかないのだろう。

ところが、日本の地方自治体の現状は、非正規公務員の割合が増える一方で、2012年6月の時点では、33.1%に達している。

それから3年以上経つが、【3人に一人が「待遇、賃金に格差がある非正規職員」】では、地方経済の疲弊を率先している有様だ。

【ブラック自治体】が増える様では、【民間ブラック企業】は野放しになる。(続)


政府の前向きな政策目標があると新規投資が活性化する。

2016-02-10 | 経済問題

安倍政権の「温暖化対策」の内容は、世界の中でも「最も後進的な妥協の政策」になっている。

特に火力発電の中で[CO2排出]の割合が、もっとも大きい「石炭火力発電」の温存を主眼として、新規の石炭火力発電所を増設する方針と採っている。

2030年における削減目標は、先進国の中では消極的な数値であり、それすらも達成は危うい状況にあるというのに、石炭依存を強める愚策を実行する。

何故、その様な選択をするかと言えば、目先に火力発電コストでは、石炭火力が最も安いから、という理由である。

 

世界の潮流をみれば、アメリカの「温暖化対策」は挑戦的な目標を掲げ、その具体策には、【石油に1バレルあたり10ドルの石油税】を課す方針である。

石油会社に負担させる税金で、今後の10年間に高速鉄道など、環境に配慮した交通網の整備に3200億ドル(約37兆円)投資する計画だ。

つまり、「温暖化対策には多くの投資を必要とする」から、これを積極的に実行する方針とすれば、設備投資や研究開発投資が活発になるのだ。

既存の石油火力発電所も、石油の課税することで経済性は不利になるので、市場競争の場からは退出して行く事になる。

 

旧時代の設備や産業には、退出させることで、新時代に適合する産業への投資が活性化するので、新旧の産業の後退が活発になるから、経済に有利である。

アメリカがリーマンショックの大不況から抜け出すために、異次元の金融緩和を実施して、ドル安の誘導によって、一部の製造業がアメリカに復帰した。

また、エネルギー調達の国内比率を改善するために、石油の代替となる「オイルシェールガス」の採掘を支援して、ついに商業レベルで普及拡大した。

この普及促進策により、アメリカの石油の輸入依存が減少して、ついに、輸入の必要性がなくなっている。

 

さらに、「地球温暖化対策」にも力を注いで、「再生可能エネルギー関連」の新産業が大幅に伸び始めている。

こうして、アメリカの経済は、超金融緩和を実施している期間中に、「エネルギーの自給化」を言う大きな国策のもとで、新産業の育成を図ったのである。

その成果は、国内の石油輸入関連産業を退出させ、中東への莫大な軍事費関係の産業も縮小を図ることで、経済の再生の成果に結び付けている。

政府の確固とした国策があるから、民間企業の投資が活発になるのである。(続)


大企業だけは利益が最高でも他の大多数は低迷するだけ。

2016-02-09 | 経済問題

安倍首相の経済の認識は、都合の良い数値指標だけを採りあげて、政権の経済政策の成果と誇る様だが、大多数の働く人の生活の実情が掴めていない様だ。

大企業に働く人の給与増額は、春闘の機会に統一的な運動で実現できるが、中小企業の従業員、非正規雇用社員、パート従業員には恩恵が届かない。

経済の好循環を目指すと言い出しているが、循環する様な経済構造にはなっていないのが実態であることに、気がつかないのが嘆かわしい。

 

大企業の労組も、自分たちの給与の増加だけでは、大企業労組エゴと言われかねないのを懸念し始めた。

系列の下請け企業の従業員や、非正規雇用の社員の賃上げも要求するとしているが、どこまで実現性があるかは疑問である。

大企業は取引上の優位な立場を利用して、下請け企業の納入価格を据え置きにするのが通例である。

それどころか、毎年の様に、納入価格の低下を要求するのが常態化しているので、下請け企業の苦労は並大抵のものではない。

 

生産性を上げるのが、受注を継続するためには必須であり、それが追い付かない場合は、従業員の給与を下げる方向に行ってしまう。

そうは言っても、正社員の従業員の給料をダウンさせるのは、通常では困難だから、できるだけ臨時雇用的な派遣社員やパート従業員に切り替えている。

こうして相対的に下請け企業の正社員は減り続け、生産力の大半を非正規社員に依存する様にならざるを得なかったのである。

それに呼応して、非正規社員の職種を広げる様に【規制緩和を実施】し続けて、ついに4割に近い人が非正規の状態で働かざるを得ない状況になった。

 

大企業が儲けることを優先したために、下請け企業の体力が衰えて、それを補う非正規社員を低い待遇のママに増やし続けてきたのが、デフレの原因である。

それに対して、安倍政権は、【大企業の利権集団にすぎない経団連に賃上げのお願い】をしているだけで、これで「経済の好循環を期待」するのは幻想だ。

資本主義経済の市場競争原理を重視するだけでは、一番の弱者である非正規従業員の待遇改善と給与の引上げに、具体的な政策手段を用意できていない。

その様な実情に対して「政策手段の真剣な創出の努力」を全くしない状態で、「次期選挙を目当てに聞こえの良いスローガン」だけを打ち上げている。

「同一労働・同一賃金」との美辞麗句を掲げる安倍首相の蛮勇にシラケル。(続)


新自由主義の経済ではブラック企業を生みだす最悪の制度だ。

2016-02-08 | 経済問題

日本がバブル崩壊以後に、「国の将来像を見失って」からは、経済政策のほとんどは誤りを繰り返してきた。

技術力は世界の一流であり、国民は世界最高レベルの勤勉さでありながら、なぜ経済停滞を繰り返して「長期のデフレ」に陥ったのか。

それは、政治家と経済専門家の盲目的な新自由主義経済の信奉である。

その理論のもとに、企業の経営のベースを短期的な収益の追求と、株主利益と優先する潮流に流されてしまったことによる。

つまり、日本の企業経営の目指す方向を、【ブラック企業を最強にする制度】を作ってしまったからである。

 

企業競争を活発にして、収益性の良い企業を勝ち残らせるのが、「新自由主義経済」のベースの理屈である。

従業員の待遇などはお構いなしに、「生産性の向上」を最大限に追及する企業経営が優れていると、カン違いをしていたのだ。

いや、「生産性の向上」の意味と、完全に誤った意味に捉えていたのが、政府と経済専門家の愚かさである。

前にも説明した様に、「生産性向上は、一人の人が生みだす付加価値が増加する」ことに、本当の意味がある。

それを、稼ぎだす金額と思い込み、人件費を下げる間違いを犯していたのだ。

 

企業経営者は、同じ土俵で競争させられているから、株主への利益が最大になる様に、従業員はの配分を減らすのが役目とカン違いしていた。

今でも、もうけが出ても内部留保の蓄えることで、景気の変動や先行きの低迷に備えることが、最善の道と判断している。

この内部留保を、従業員への配分に充てることは、企業経営の判断では起きないのが通常である。

だから、異次元の発想によって、内部留保を従業員の給料増加に充てない企業には、累進課税をかける制度をつくるのが、政府の仕事になるのだ。

 

それなのに安倍政権は、内部留保が十分にある上に、利益を最大にした企業には、ご褒美として「法人税の減税」を実施すると、大間違いの政策を実施する。

つまり、【できる限り人の価値を下げる=給料を抑制する】企業をたたえ、新規投資をしないで内部留保する企業経営者が、株主に信任される様にし向けた。

これで、「デフレ脱却を目指す」と言うのは、完全に間違っている。(続)


働く人の待遇を優遇する掛け声だけに終始するニゲノミクス。

2016-02-07 | 経済問題

安倍政権の「一億総活躍への挑戦」という看板は、太平洋戦争に向けての【大本営の鼓舞】を連想させる、ブラック企業の感覚に近い。

つまり、寝る間も惜しんで、[お国のためなら倒れるまで奮闘せよ]との、人を酷使するイメージが付きまとう。

2014年の総選挙での政権公約には、「人手不足問題の解消」を掲げて、「適正な労働条件の確保を図る」と謳っている。

この適正な労働条件とは、説明もなしで、2015年初頭の施政方針演説では、画一的な枠をはめない【フレックスタイム制度】を拡充すると言い出している。

つまり、仕事をさらにきつくして、24時間フルに働ける環境を作りたいのだ。

 

その一方では、「時間外労働への割増賃金に引き上げなどにより、長時間労働を抑制します。」言い出している。

さらに「年次有給休暇を確実に取得できる」仕組みを創り、働き過ぎを防ぎ、「ワーク・ライフ・バランスが確保できる社会をつくる。」と宣言している。

この字句は、2015年に打ち出された施政方針演説にあるが、ほとんど、そのまま2016年初頭の施政方針演説にも繰り返されている。

この1年間で、何をしたかの説明もないので、成果はゼロなのであろう。

 

安倍政権の特性は、大企業のお友達経営者の言い分を聞くだけで、働き方をできるだけ自由にさせて、企業のお役に立つ人だけを重点活用したいのだ。

その反面で、ブラック企業的な人を酷使する企業体質に批判があるので、体面上では、働き過ぎの残業を減らす方向や、有休取得と奨励するポーズを採る。

体面を繕うだけと見られるので、改革は全く進む気配もなく1年が過ぎる。

安倍首相の本質は、人をやる気にさせる環境作りよりも、酷使して人手不足をなくせば、生産性が向上すると思っている様である。

 

その反面では、企業は儲けが増えても、人の価値を上げる給与増加は、最小に抑えることに専念している。

それで、非正社員の賃金を引き上げる具体策もないまま、「同一労働・同一賃金」やら、「均等待遇」を言いだして、カッコだけは挑戦する意欲をみせている。

実現への検討会は、挑戦の意欲もない「ヒラメ政治家」と「事なかれ主義官僚」ばかりだから、時間をかけて検討している実績だけを出す姿勢にとどまる。

こうして時間が経過して、賃金デフレに逆戻りをする流れが安倍路線なのだ。

春闘の賃上げ要請だけをしていても、消費購買力の上向きは限定的だ。(続)


格差是正に挑戦する意欲はあっても論戦だけに終わりそう。 

2016-02-06 | 経済問題

安倍政権の経済再生政策の骨子である「アベノミクス」は、完全に色あせてボロボロの錦の御旗になってしまった。

超金融緩和では円安にできても経済再生の恩恵はゼロであり、生活苦だけが押し寄せる層の方が増えるばかりである。

そこで今度は、[一億総活躍]と称して、奮い立たせいる「国民総動員法」に匹敵する制度改革を目指そうという魂胆で、賃金の引き上げに挑戦する様だ。

賃金の引上げを労働組合にまかせていたら、またまた、デフレに戻ってしまうと考えたからであろう。

 

それで、「同一労働・同一賃金」の謳い文句で、十年一日のごとくに「看板だけは掲げてきた連合」では、安倍首相がいいだしたので、動くしかなくなった。

だが、政権交代を果たして公約には、民主党政権では「同じ職場で同じ仕事をしている人の待遇を均等に」とうたったが、何もできなかった。

自民党の公約では、「労働時間に画一的な枠をはめる従来の労働制度を変える」と言いだしていた。

枠をはめないで働く制度が、日本の経済再生と「働きがいに通じて社会で活躍できる」とのご託宣であった。

 

そして今度は、同一労働であれば同じ賃金を保障する「均等待遇」に踏み込んで検討する、と言いだしている。

民主党は、政権交代後からすでに6年半も経っているのに、具体的な法制度を詰める作業もしていないので、今回も与党の案を批判するだけになりそうだ。

自民党のプロジェクトチームも、「何をもって同一労働とする」かも、認識できていないありさまだ。

「出羽の守」の出番かもしれないが、欧米では、「同一労働同一賃金」は定着しているとして、産業別労使の話し合いで決まる。

 

これを安倍政権が目指すわけはないし、働き方に枠をはめないで、「働きがいのあるフレックス制」を目指す様な、甘い想定しかできていない状況だ。

豊かな生活を求める基本は、価値のある有価物を生産、提供して、ゆとりのある生活ができる労働対価を得ることが、経済のベースである。

しかし、自民党政権は、国の未来の目標すらも、幻想的な美しい国と夢見ているだけで、[具体的な政策立案]の基本認識すらも共有できていないのだ。

議論だけに明け暮れる様にせず、まずは非正規社員の給料を上げるのだ。(続)


経済再生が最重要とするが、やるべきことから逃げている。

2016-02-05 | 経済問題

安倍内閣の発足時には、経済の再生はおカネの流通量を異次元の緩和で増やせば、企業の投資が活発になると想定していた。

この認識は、今や完全に誤りであったのが判明しているが、未だに、その流れから抜け出せないで、GDPはマイナス成長に落ち込む寸前である。

これでは、インフレターゲット政策は水泡に帰すとの危惧から、日銀はついに「超金融緩和」からさらに異次元の「マイナス金利政策」に移行した。

この政策によって、金融業の収益は悪化する懸念で、全体の景況感はマイナスに転じて、株価は下落傾向になるばかりで、消費マインドを冷やす。

 

イノベーションの下地が冷えたままでは、新規投資が増える要因は全くないのだから、おカネの供給を多量にしたり金利を下げても需要は減少する。

需要が増える下地をつくりだすのは、大多数の働く国民の収入を上げることから始まるのが、すべてのスタートラインである。

安倍政権は盛んに「経済の好循環を引き起こす」と言いだしているが、このスタートラインを、1番目がお金の流通を潤沢にする、としたのが、間違いだ。

お金の流通が増えれば、企業の投資マインドが上向く、との幻想は捨て去ることが始まりだ。

 

消費者である『一般国民の収入が増える』ことが、消費マインドを増加させて、需要が上向く流れができるので、企業は借金してでも投資に踏み切るのだ。

民間企業の懐が増えたから、投資するのではないの明確だ。

それでも安倍首相は、最初に企業を儲けさせなければ、企業は賃上げには応じないから、儲けさせるのが最初の仕事だと思い込んでいる。

そうではなく、[最初の賃金の引き上げを誘導する]ことこそが、政府がやるべき役割なのである。

これは、新自由主義経済では、あり得ないと考えるスジミチである。

 

安倍首相は、経済再生を最重点に取組み、デフレ脱却なくして日本の将来は描けない、と危機感を表明している。

その割には、、国民が望んでもいない【安保法制の憲法違反気味の改訂】には、蛮勇をふるって強行採決への熱意を注ぎこんだ。

『挑戦する意欲』を向ける対象を、「賃金デフレ」からの離脱に向けて、「できることは何でもやる」との決意をするべき時期に、逃げていたのだ。

今年になってから、「挑戦」を繰り返して言い出したが、まだ挑戦していない。


多様性を重視するとの言葉が浮き上がってしまう独裁制。

2016-02-04 | 国創り政治問題

安倍首相の施政方針演説は、3年前の政権発足時に比べると、違う人が政権を担っているのではないか、と思えるくらいに豹変している。

しかし、実際の政策段階の話になると、3年前の時の様に「この道しかない」とわき目も振らずに、超金融緩和による株高政策まっしぐらと変わりがない。

お題目の超金融緩和による市場への資金を豊富にすれば、企業の投資が活発化して、設備投資が活況と呈して、景気が上向くので消費マインドも上がる。

だが、現実に3年経っても、企業の新規投資は国内には向かない。

 

この道しかない、と言いきっていたのを、今度は多様性を大事にしてのイノベーションが起きることを期待する路線に、言葉だけは乗り換えた。

しかし、多様性の重視と言うのとは正反対に、独断的な価値基準を押し付ける体質は、まったく20世紀の遺物、イヤ太平洋戦争以前の国粋主義に近い。

お国の方針に異を唱えるモノは、排除の対象にしか思わない思考が、与党、自民党の思考停止を招いて、活性化を抑えているのが分からない様だ。

安倍政権のお友達内閣の方針に異論と唱えるなど、ご法度の潮流である。

 

安倍首相の2015年初頭の施政方針演説では、「改革断行」の言葉が目だっていたが、「多様性」や「イノベーション」の言葉は、見あたらない。

ホンの一部に、「日本を世界で最もイノベーションに適した国」にすると宣言しているが、「日本から医療のイノベーションを起こします。」とあるだけだ。

これは、[iPS細胞]の応用発展を意味しているが、基本の研究や技術は、国の功績でもなく、むしろ中央集権の弊害を乗り越えてきた非主流の研究である。

主流の研究や技術開発に、反旗を翻して果敢に挑戦してきた「研究:開発」こそが、次世代のイノベーションの芽になることを、安倍首相は知らないのだ。

 

それで、やっとのことで、多様性が重視される環境が必要と気がついた様だ。

それまでの様な、「独裁的な環境」、「中央集権による集中の効率化」を強めることが、多様性を損なう最大の害毒である。

いろいろが発想とアイデア、そして、主流の研究や技術に反骨精神で取組む研究や新規事業への挑戦こそが、イノベーションを生み出す源泉なのである。

自民党の主流を歩いて、若いころから御神輿に乗る習性がついた人には、残念ながら多様性もイノベーションも、縁が一番遠いのが現実である。

ならば、二世政治家でもせめて「挑戦する意欲、姿勢」だけはもてるから、回りにお友達を集めるのではなく、異色の多様性ある人材を登用するのだ。(続)


国創りの将来像もなく多様性とイノベーションの幻想を抱く。

2016-02-03 | 国創り政治問題

安倍首相の今回の施政方針演説には、「挑戦」と言う言葉が目立つ。

「経済成長」には、挑戦する。【少子高齢化】にも挑戦する。

そして、いかなる困難にも果敢に「挑戦」して行く、と宣言している。

経済が成長した社会では、【より安い】にではなく、「より良い」の挑戦する「イノベーション」型の経済成長に転換する、と言いきっている。

イノベーションを次々と生み出す社会へと変革するカギは、多様性にある、として、「一億総活躍」は、新しい経済システムを創る挑戦である、と宣言した。

 

多弁の安倍首相の中身は、自分の考えに自信がないので、言葉を繰り返して行かないと、判断の基準が揺らいでしまい、従来に路線に戻ってしまうのだろう。

わずか3年前には、「挑戦」も、「多様性」も、「イノベーション」の考え方もできなかったのだから、演説で繰り返して自分に言い聞かせているのだ。

本心のところでは、多様性は否定しているし、「挑戦」とはウラハラに従来の既得権構造に順応して、妥協ばかりを繰り返している実績に安住している。

これは、成長してきた環境が育てた性格だから、本人には判らないのだ。

 

今回の経済再生担当大臣の、旧態依然たる「口利き政治体質」の醜聞が露呈しても、逃げ腰の姿勢で引き留め、ダメになると、二世体質の後ガマに渡す。

どこが挑戦的であるのか、どこに多様性を重視する姿勢が見えるのか、ホンネのところは、従来の枠からは一歩も出たがらない、臆病な補修体質である。

経済再生の問題は、「最後は金目の問題」だから、おカネの扱いが順当な人に引き継ぐのがスジかもしれない。

しかし、若いころから周囲に祭り上げられて、日のあたる道ばかりを進んできた政治家には、「イノベーションを巻き起こすセンス」は、全くないのだ。

 

経済学者シュンペーターの有名な理論では、『創造的破壊を伴うイノベーション」を引き起こすコトで、資本主義社会は発展できる。

既存の成功してきた枠組みの延長では、格差拡大の不満によって社会は崩壊するか、無気力になって停滞する社会になるのだ。

ヨーロッパ社会は、移民政策によって安い労働力を充当し、最近では東欧や南欧の地域の犠牲の上に、経済成長を果たしてきたが、ついに破綻して行く。

日本では、中央集権の弊害が顕著で、なんでも中央の言うとりに習性が浸みこんで、創造的破壊をする革新実行者は、排除されてきたのが停滞の原因だ。

指示待ち人間の集団によって、総活躍からフルイおとされて多様性は悪に。(続)


イノベーションに適した国というならば目標を確実にせよ。

2016-02-02 | 国創り政治問題

安倍首相の施政方針演説では、「挑戦という言葉を連呼」して、経済停滞に沈み込む日本のデフレ状態を、上向かせるためのリップサービスが目だっている。

「新自由主義的な経済政策」に頼ってきた「自民党政権の成長路線」は、富裕層に有利な制度改革ばかりで、肝心の国民の収入は減るばかりであった。

それにやっと気がついたのか、成長に合わせて「適正な分配」を言いだしているが、「同一労働、同一賃金に踏み込みます。」と言い出しただけである。

民主党の政権公約の真似でも良いから、本当にデフレ経済から離脱できる具体的な政策を打ち出してもらいたい。

 

もう一方で最重要なのは、「世界で最もイノベーションに適した国」にしていく決意であると、言い出している。

どこの国の話かと思うほど、安倍政権の既得権擁護路線からは、かけ離れている空想的な願望である。

「日本がこれからも力強く成長を続ける。その成否は、イノベーションにかかっている。」との断言は、安倍首相の施政方針演説である。

規制緩和をすれば、イノベーションが湧きおこるなどと、甘い想定をしていた2000年代に路線では、世界から大きく立ち遅れてしまった。

 

イノベーションは、大きな革新を必要とする「世界の潮流」「社会的要求」が、発生した時期を捉えなければならない。

しかし、日本の自民党政権は、再生可能エネルギーへの転換期を見誤り、2000年代に重要なチャンスを完全に逸してしまった。

何故、この重要な時期に、世界のエネルギー転換の潮流から大きく遅れてしまったのか、その原因を掘り下げて対策を打たなければ、掛け声だけに終わる。

日本では、既得権勢力を守ることばかりに、制度も予算も重点が置かれている。

これを大胆に転換できるのは、政権の確固として意思を示すのが基本である。

 

エネルギー政策でいえば、政府目標で未だに石炭火力依存を大きくしている様では、民間企業は戸惑うばかりで、大胆な投資は決断しない。

再生可能電力の普及量の目標設定を高くして、主力になるまでの間の、【リリーフ電源として原子力発電である】と明確に定めれば、民間投資は活発化する。

そして、次世代の燃料となる水素エネルギー技術の拡大策に向けて、明確な国策を設定して、あらゆる人材と資源を導入する決意を固めることだ。

ゆるぎない目標ができれば、イノベーションは活発化するのである。(続)


挑戦の言葉を連呼することで逃げ路線をごまかす安倍首相。

2016-02-01 | 国創り政治問題

エネルギー問題では、2011年3月11日の「原発大事故」という稀に見る事態によって、それまでの馴れ合い的な原子力族の利権体質が、あらわになった。

この機会に長年の不明朗な体質を、一気に転換する挑戦に取り組むべきであったが、安倍政権はなし崩し的に、旧体質の継続に逃げ込んでしまった。

国民の意思が「脱原発依存社会」に向かって合意ができつつあったのに、一部の電力企業の利益と、立地地元の利権事業者たちを守る方向に逃げたのだ。

それの影響で、将来性のまったく見えない「高速増殖炉」の無益な継続を選択し、放射性廃棄物の再処理路線の無目的な放浪に進んでしまった。

 

21世紀の主流となる「再生可能エネルギー」への、国家的な挑戦の機会を失して、今や欧州、アメリカ、中国に大きく遅れる事態になってしまった。

小泉元首相は、挑戦的に国の方向を転換するには、トップの決断次第で可能になると、最大限の助言をしたのだが、臆病モノの安倍首相は逃げ続けている。

原発への依存路線から転換するには、経済界の既得権勢力の多くを敵にまわす覚悟が必要であるが、その決断ができないで先送りばかりしている。

昨年の世界190カ国以上が集まって『パリ協定』が成立したが、各国での批准が進むかの様子見をしているだけだ。

 

日本の2030年に26%削減(2013年比)する目標には、安倍政権の具体策では、原発への依存度が22~24%としていて、国民の意向からは、大きく離れている。

その一方では[CO2排出量]が最大の【石炭火力発電】を最大限に導入する計画にしている。

しかし政権として、この石炭火力発電を無理してでも実現するには、矛盾が多すぎるのに、その対策にも先送り路線で逃げ腰のママにしている。

石炭火力発電を継続するならば、[CO2排出量]を削減するための追加の設備や施策が必要だが、国民にはキチンと説明をしていく意思もない。

 

石炭火力発電によって[CO2排出量]を増やしておいて、その分を最大限に「原子力発電」への依存量を増やして、[CO2排出量]を削減する魂胆である。

これが、挑戦的な『地球温暖化対策』と言い続けるのは、欺瞞も甚だしい。

石炭火力発電を削減することができない理由は、火力発電のなかで「石炭の価格が最も安い」からだとしているが、単細胞の発想しか出来ない。

近い将来において、炭素税の導入や、[カーボンクレジット制度]の活用が世界的に広がることを想定するなら、もっとも経済的に不利な路線になる。(続)