安倍首相の今回の施政方針演説には、「挑戦」と言う言葉が目立つ。
「経済成長」には、挑戦する。【少子高齢化】にも挑戦する。
そして、いかなる困難にも果敢に「挑戦」して行く、と宣言している。
経済が成長した社会では、【より安い】にではなく、「より良い」の挑戦する「イノベーション」型の経済成長に転換する、と言いきっている。
イノベーションを次々と生み出す社会へと変革するカギは、多様性にある、として、「一億総活躍」は、新しい経済システムを創る挑戦である、と宣言した。
多弁の安倍首相の中身は、自分の考えに自信がないので、言葉を繰り返して行かないと、判断の基準が揺らいでしまい、従来に路線に戻ってしまうのだろう。
わずか3年前には、「挑戦」も、「多様性」も、「イノベーション」の考え方もできなかったのだから、演説で繰り返して自分に言い聞かせているのだ。
本心のところでは、多様性は否定しているし、「挑戦」とはウラハラに従来の既得権構造に順応して、妥協ばかりを繰り返している実績に安住している。
これは、成長してきた環境が育てた性格だから、本人には判らないのだ。
今回の経済再生担当大臣の、旧態依然たる「口利き政治体質」の醜聞が露呈しても、逃げ腰の姿勢で引き留め、ダメになると、二世体質の後ガマに渡す。
どこが挑戦的であるのか、どこに多様性を重視する姿勢が見えるのか、ホンネのところは、従来の枠からは一歩も出たがらない、臆病な補修体質である。
経済再生の問題は、「最後は金目の問題」だから、おカネの扱いが順当な人に引き継ぐのがスジかもしれない。
しかし、若いころから周囲に祭り上げられて、日のあたる道ばかりを進んできた政治家には、「イノベーションを巻き起こすセンス」は、全くないのだ。
経済学者シュンペーターの有名な理論では、『創造的破壊を伴うイノベーション」を引き起こすコトで、資本主義社会は発展できる。
既存の成功してきた枠組みの延長では、格差拡大の不満によって社会は崩壊するか、無気力になって停滞する社会になるのだ。
ヨーロッパ社会は、移民政策によって安い労働力を充当し、最近では東欧や南欧の地域の犠牲の上に、経済成長を果たしてきたが、ついに破綻して行く。
日本では、中央集権の弊害が顕著で、なんでも中央の言うとりに習性が浸みこんで、創造的破壊をする革新実行者は、排除されてきたのが停滞の原因だ。
指示待ち人間の集団によって、総活躍からフルイおとされて多様性は悪に。(続)