環境問題として大きく取り上げられている「温室効果ガスの削減」は、実は脱化石燃料社会への転換という、大きなエネルギー革命の一貫の中で、経済問題としてとらえる必要がある。
この視点について何回か書いてきたが「環境か経済か」というと対立でとらえる時代から、すでに、「環境こそ経済の活性化」という段階になっている。
そして、「経済の活性化」の基本には、雇用を生み出し安定した生活を望んでいる圧倒的多数の国民が原点であることを忘れてはいけない。
近年の「構造改革路線」「自由市場重視主義」は、この雇用の安定ということを軽視してきた。
そのツケが今、大きな問題となって経済停滞の原因を招いている。
ここ数回にわたって、雇用問題を取り上げて書いてみよう。
景気の停滞を引き起こした世界同時不況の対策で、各国はいろいろな施策を打ち出している。
そのなかで、「ワークシェアリング」という、見慣れない言葉がでてきている。
これは、ヨーロッパなどでは以前から取り入れている制度があるが、日本ではなじみがない。
直訳すると、「仕事の分かち合い」。
雇用の維持・拡大に役立つ多様な取り組みを指す言葉で、幅広い意味で使われている。
この中身は多様な論議があるので、すぐには触れないが「21世紀の働きかた」という視点で重要な検討課題である。
しかし、日本の現状では、そんな21世紀型の雇用を論議する以前の、お粗末な20世紀の遅れた制度によって、雇用不安や賃金水準の停滞を招いている。
まずは、その問題点を明かにしておく必要がある。
日本は正規の労働時間は週40時間と決められている。
その枠を超える労働をした場合は、超過勤務手当が支払われる。しかし、これが問題の根源である。
超過勤務時間が労働組合との間で、上限や制限が決められている場合はよいが、ほとんどの企業、特に中小の場合は労働組合もなく、あっても弱体なので、超過勤務時間の制約、上限がない。
そこで、過労勤務の状態が発生したり、労働者扱いではない見かけ管理職にして超過勤務制度の対象から外したりして、とにかく、健康を損ねるくらいに長時間労働を強いる。
これは、政治の問題に尽きる。
この遅れた「超過勤務時間無制限」状態を、まずなくすべきである。
業態によっていろいろと事情があるであろうが、1か月で50時間以内が妥当ではないか?
時折、マスコミなどで見かける過労死問題では、1か月で200時間を超えるような勤務をしている実態もある。
こんな19世紀的な働き方を強いるのは、近代国家とはいえない。
そして、超過勤務をさせないと仕事がこなせないならば、人員を増強すべきなのである。
なぜ、増員をしないで、長時間の超過勤務でこなそうとするのか?
これは、今の制度の立ち遅れに原因がある。
超過勤務の手当ては、正規勤務時の時給の25%増の手当てでよいとなっている。
これでは企業側から見れば人員増で賄うよりも超過勤務で対応させた方が、経費は少なくて済むから事業者側の都合からすれば、当然の対応である。
これを許している日本の労働条件の大きな立ち遅れである。
ヨーロッパの先進国では、この超過勤務手当の割増率は、50%以上が当たり前である。
なぜ、前世紀の遺物のような低い超過勤務手当割増率が、いまだに残っているのであろうか?
以下、次回に。
この視点について何回か書いてきたが「環境か経済か」というと対立でとらえる時代から、すでに、「環境こそ経済の活性化」という段階になっている。
そして、「経済の活性化」の基本には、雇用を生み出し安定した生活を望んでいる圧倒的多数の国民が原点であることを忘れてはいけない。
近年の「構造改革路線」「自由市場重視主義」は、この雇用の安定ということを軽視してきた。
そのツケが今、大きな問題となって経済停滞の原因を招いている。
ここ数回にわたって、雇用問題を取り上げて書いてみよう。
景気の停滞を引き起こした世界同時不況の対策で、各国はいろいろな施策を打ち出している。
そのなかで、「ワークシェアリング」という、見慣れない言葉がでてきている。
これは、ヨーロッパなどでは以前から取り入れている制度があるが、日本ではなじみがない。
直訳すると、「仕事の分かち合い」。
雇用の維持・拡大に役立つ多様な取り組みを指す言葉で、幅広い意味で使われている。
この中身は多様な論議があるので、すぐには触れないが「21世紀の働きかた」という視点で重要な検討課題である。
しかし、日本の現状では、そんな21世紀型の雇用を論議する以前の、お粗末な20世紀の遅れた制度によって、雇用不安や賃金水準の停滞を招いている。
まずは、その問題点を明かにしておく必要がある。
日本は正規の労働時間は週40時間と決められている。
その枠を超える労働をした場合は、超過勤務手当が支払われる。しかし、これが問題の根源である。
超過勤務時間が労働組合との間で、上限や制限が決められている場合はよいが、ほとんどの企業、特に中小の場合は労働組合もなく、あっても弱体なので、超過勤務時間の制約、上限がない。
そこで、過労勤務の状態が発生したり、労働者扱いではない見かけ管理職にして超過勤務制度の対象から外したりして、とにかく、健康を損ねるくらいに長時間労働を強いる。
これは、政治の問題に尽きる。
この遅れた「超過勤務時間無制限」状態を、まずなくすべきである。
業態によっていろいろと事情があるであろうが、1か月で50時間以内が妥当ではないか?
時折、マスコミなどで見かける過労死問題では、1か月で200時間を超えるような勤務をしている実態もある。
こんな19世紀的な働き方を強いるのは、近代国家とはいえない。
そして、超過勤務をさせないと仕事がこなせないならば、人員を増強すべきなのである。
なぜ、増員をしないで、長時間の超過勤務でこなそうとするのか?
これは、今の制度の立ち遅れに原因がある。
超過勤務の手当ては、正規勤務時の時給の25%増の手当てでよいとなっている。
これでは企業側から見れば人員増で賄うよりも超過勤務で対応させた方が、経費は少なくて済むから事業者側の都合からすれば、当然の対応である。
これを許している日本の労働条件の大きな立ち遅れである。
ヨーロッパの先進国では、この超過勤務手当の割増率は、50%以上が当たり前である。
なぜ、前世紀の遺物のような低い超過勤務手当割増率が、いまだに残っているのであろうか?
以下、次回に。