庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

低炭素社会はごまかしのための合言葉。  

2009-06-22 | 核エネルギー・原子力問題
温暖化問題の話題が世の中の潮流になっている。
誰もが自分たちの未来は、化石燃料の大量消費によっては明るい展望が開けないことを認識した。
問題は、どのようにして化石エネルギーから抜け出して行くかの手段の議論となっている。
そして、いつから出て来たのか「低炭素社会」という言葉が前面に出てきている。

確かに化石燃料は炭素の塊のようなものである。
それを使わないエネルギーという表現であるが、私は大きな違和感を持っている。
「再生可能エネルギー」で将来に発展させる分野としてバイオマス(生物由来)エネルギーの利用が重要になる。
これは、太陽光のエネルギーを一時的に炭酸同化作用によって、固体エネルギー(食物、燃料にできる)に転換されたものを持続的に利用することで、人類は生存・発展してきた。
これにはたくさんの炭素を含んでいる。

自然からの搾取的な化石燃料と違って、バイオマスは適切な管理のもとで、節度を持って利用することが、将来の明るい未来につながる重要なテーマである。
それを「低炭素社会」の言葉にしてしまうのは、明らかにおかしい。
これは、化石燃料を使わないエネルギーはすべて正しい、と思わせる「言葉によるイメージ」のごまかしが含まれている。と筆者は推測している。

以前に、気候変動条約の審議の段階で、日本の原子力発電の推進派は、内心では、いや、かなりあからさまに歓迎の意を表していた。
原子力発電は炭酸ガスの排出削減には、もってこいの技術であり、復活の好機ととらえていたのである。
今になって、京都議定書の1990年比で6%削減は厳しい、とか不公平だと騒いでいるが、当時は原子力発電を大幅に拡充すれば、達成可能との見通しをたてて、産業界はそれに乗っかっての自主行動計画によって達成できるとしていた。

その後、原子力発電をめぐる不祥事の多発や、燃料製造時の放射能反応事故、そして、新潟沖地震などによる原発の長期停止と、明かに技術の不足、事業の未熟が明確になっている。
それで、もう原子力発電は日本ではいらない、という世論ができつつあった。
そこにきてポスト京都議定書(2013年以降)では、途上国も含めての炭酸ガス排出の削減が世界に潮流になってきた。
またまた、復活の好機とばかりに、原子力発電の関係者は新たな事業拡大に向けて動き出している。

その第一に、世界的な「低炭素社会」を作ろうという潮流を作り出すことである。
それの主流には、原子力発電が最適であるとして、各国に売り込みをかけ始めている。
功を奏したかのように、世界的に原子力発電推進する動きが広がってきている。
現在、建設・計画中の原発は約30カ国で150基もある。
このうち新規参入を目指す国は20カ国以上ある。(朝日新聞、6月16日.朝刊)

原発の燃料にはウラニウムの濃縮技術が必要である。
そして、濃縮ウランを核兵器に転用することを禁止し、危険が予測される場合は査察などの体制で、違反を取り締まらなければならない。
しかし、現実の世界の状況で、それは可能なことであろうか?
まず、北朝鮮やイランは間違いなく、その査察を拒否するか隠ぺいするであろう。核兵器の拡散の危険性が大幅に増大する懸念が大きい。

産業界は、うまくいっている場合は自分たちの手柄にして儲けにつなげる。
しかし、いったん、事件が起きると、自分たちの領域ではないとして、政府や外国のせいにする。
原子力族はその典型であり、国策の名のもとに、やりたい放題にやってきた。

そのツケは誰にまわすのか?以下、次回に。