一番、明確な問題点として、「トイレなきマンション」の商売を上げたが、人間の排せつ物や生物関係の排せつ物の処理は、最後は微生物によって自然のメカニズムで還元された状態に戻り、次世代に対して何も弊害は残さない。
「高レベル放射性廃棄物」は、地下の奥深くに貯蔵するにしても、無害になることは人類の生存期間中にはなり得ない。
永久といえる超長期間の有害物を作りだして、負の遺産を次世代に残してしまう、「倫理感の欠如」を問題とされるが、ここでは触れないことする。
もうひとつの「電力コストの長期安定」の問題である。
良い面だけを見てのコストを出したがる傾向は、電力会社だけに限らないが、原子力発電は特にその傾向が強い。
一番の懸念は燃料費の長期安定よりも、事故や事件に対する安全保障の問題に行きつく。
そのために必要な経費が、電力の製造費用として合理的に組み込まれているかが問われる。
近年では、新潟沖地震により東京電力の原子力発電所の全基が一斉に停止してしまった。その期間に
休眠の火力発電設備や他の電力会社から電力を買いまくって、綱渡りの電力供給を行ってきた。
このような不測の事態(地震による停止などは、本来、予測の範囲にすべきだが)に対する経費は、専門家の言うところの電力価格に入っていない。
つまり、想定外はコストに入らない。という説明である。
しかし、日本の様に地震による被害は当然の如く予測される。
想定外にする方がおかしいといえる。
住宅や建物でも、地震に被害に対する保険をかけることが広まってきている。
保険をかけない場合は、地震が来て被害を受けたら、公的な税金の援助に頼るしかない。と考える人たちである。
経済的に余裕のない人たちや、小規模の事業者に対しては、ある程度は割りきらざるを得ないから、保険加入の義務はないと理解できる。
しかし、大企業であり長期的に営業をして利益を配分する体質の民間企業では、それは許されない。
予測できる範囲の事故や被害に対して保険をかけて、その経費は販売する商品のコストとして計上し、適正な価格を評価したうえでの商売をすべきである。
素人が言うような話ではないが、小規模企業並みのことしかしていないのが電力会社である。
事業所の損壊に対して保険を掛けること。
当たり前のことが原子力発電関係ではできていない。なぜか?
聞いたところの話であるが、その被害の最大金額の想定ができない規模になるので、世界中のどの損害保険会社も引き受けない。というのが現状の様である。
つまり、世界最大の保険企業でも、引き受け手がないくらいにリスクの高い事業である。
このことは、最大規模の事故については、最後の損害補償の引き受け手は政府、つまり国民の税金であることは明瞭で、国民に責任を転嫁することになっている。
電力会社の「原子力発電部門」は、儲けが出れば自分たちの功績であるとする。
(発電コストの安い電力を作っている部門の手柄。)
しかし、いったん事故が起きたら自分たちでは対応できない事態だから、国に面倒をみてもらう。
(事故は想定外だからツケは国に回す。)
何やら最近に起こった金融企業の大崩壊に似ている。
儲けは自分たちの功績であり、相当の報酬を受けとる。
しかし、金融恐慌が起きて倒産の危険にさらされたら、その損失は国の責任に回す。
これと同じようなことをしながらも、原子力発電は安定的にコストは安い電力という言い分は理解できるだろうか。
以下、次回に。
「高レベル放射性廃棄物」は、地下の奥深くに貯蔵するにしても、無害になることは人類の生存期間中にはなり得ない。
永久といえる超長期間の有害物を作りだして、負の遺産を次世代に残してしまう、「倫理感の欠如」を問題とされるが、ここでは触れないことする。
もうひとつの「電力コストの長期安定」の問題である。
良い面だけを見てのコストを出したがる傾向は、電力会社だけに限らないが、原子力発電は特にその傾向が強い。
一番の懸念は燃料費の長期安定よりも、事故や事件に対する安全保障の問題に行きつく。
そのために必要な経費が、電力の製造費用として合理的に組み込まれているかが問われる。
近年では、新潟沖地震により東京電力の原子力発電所の全基が一斉に停止してしまった。その期間に
休眠の火力発電設備や他の電力会社から電力を買いまくって、綱渡りの電力供給を行ってきた。
このような不測の事態(地震による停止などは、本来、予測の範囲にすべきだが)に対する経費は、専門家の言うところの電力価格に入っていない。
つまり、想定外はコストに入らない。という説明である。
しかし、日本の様に地震による被害は当然の如く予測される。
想定外にする方がおかしいといえる。
住宅や建物でも、地震に被害に対する保険をかけることが広まってきている。
保険をかけない場合は、地震が来て被害を受けたら、公的な税金の援助に頼るしかない。と考える人たちである。
経済的に余裕のない人たちや、小規模の事業者に対しては、ある程度は割りきらざるを得ないから、保険加入の義務はないと理解できる。
しかし、大企業であり長期的に営業をして利益を配分する体質の民間企業では、それは許されない。
予測できる範囲の事故や被害に対して保険をかけて、その経費は販売する商品のコストとして計上し、適正な価格を評価したうえでの商売をすべきである。
素人が言うような話ではないが、小規模企業並みのことしかしていないのが電力会社である。
事業所の損壊に対して保険を掛けること。
当たり前のことが原子力発電関係ではできていない。なぜか?
聞いたところの話であるが、その被害の最大金額の想定ができない規模になるので、世界中のどの損害保険会社も引き受けない。というのが現状の様である。
つまり、世界最大の保険企業でも、引き受け手がないくらいにリスクの高い事業である。
このことは、最大規模の事故については、最後の損害補償の引き受け手は政府、つまり国民の税金であることは明瞭で、国民に責任を転嫁することになっている。
電力会社の「原子力発電部門」は、儲けが出れば自分たちの功績であるとする。
(発電コストの安い電力を作っている部門の手柄。)
しかし、いったん事故が起きたら自分たちでは対応できない事態だから、国に面倒をみてもらう。
(事故は想定外だからツケは国に回す。)
何やら最近に起こった金融企業の大崩壊に似ている。
儲けは自分たちの功績であり、相当の報酬を受けとる。
しかし、金融恐慌が起きて倒産の危険にさらされたら、その損失は国の責任に回す。
これと同じようなことをしながらも、原子力発電は安定的にコストは安い電力という言い分は理解できるだろうか。
以下、次回に。