環境問題と経済問題は対立する構図だと思っている知識人はいまだに多い。
一般国民も環境と経済を両立して欲しいというのが、今の社会の中では一般的であろう。
しかし両立させるのは難しい、と思っている。
この意識を改革することが、日本の経済力の向上につながり、それによって日本の力が復活していく原動力になる。
これは、環境産業を活性化し世界をリードする地位に上がることこそ、経済活性のキーポイントになる。という認識に転換することである。
小泉内閣は構造改革に取り組みながら、エネルギー産業の改革、今流にいえば「低炭素エネルギー化」への転換政策には失敗している。
将来性の見えない、そして経済の活性にも役に立たない原子力エネルギー拡充政策に惑わされたからである。
それを推進しようとした電力関係者と政策を進めた経済産業省の官僚たちは誰も責任を負わないで、いまだに原子力発電にこだわり続けている。
本来の再生可能エネルギーへの転換政策は、1997年に京都議定書を締結した時点から、すぐにとりかかるべきであった。
その時点では太陽光発電の技術は世界一のレベルであったし、その他の風力発電、バイオマス発電、バイオマス熱エネルギー利用技術などは、まだ、揺籃期の技術であるので、日本の優れた技術人を動員すれば、世界の一流レベルに達することは十分にできる実力があった。
しかし、小泉内閣とそのブレーンは、このことに気が付かずに原子力族に言い込められて、再生可能エネルギーへの取り組みを最小限に抑えてしまった。
電力会社幹部は「太陽光発電などの電力は不安定なので、大きな期待はしないながらも、現行に電力系統に組み込んで安定供給するための制御g術を確立することは、日本が世界に貢献できる分野だと思います。」
などと今頃になって、世界の動きや空気を読んでの発言に切り替わっている。
1997年頃には、再生可能エネルギーの電力は、安定しない邪魔者電力であり、ゴミのように少量しか発電しない「環境オタクの電力」とバカにしていた。やっと宗旨替えしてきた段階である。
日本の電力供給を長期的に責任を負うならば、とっくに、系統の技術課題に取り組んでいなければならない。
それを邪魔ものとして、技術の開発課題に取り組まないできたことは、経営者として失格であり、技術者本来の役割を放棄してきたようなものである。
10年遅れているのだ!
そのような実態を見抜けずに放置してきた歴代内閣の責任もある。
今の時点ではっきりしてきたことは、日本の経済停滞、新産業の立ち遅れである。国民生活の貧困化と弱者の急増は、政策判断ミスであったと言える。
失われた10年といえる金融業界の不祥事と内弁慶体質。
これは、2005年位まで続いてきて日本を停滞させた。
そして、さらに失われた10年と言えるエネルギー産業の「低炭素化」への転換の遅れ。原子力発電業界の不祥事と失敗の連続。
まさに失われた20年である。
自動車産業においては、ガソリン多消費型の商品による利益構造の企業(アメリカのビッグスリー)は、はっきりと脱落している。
環境に有利な商品を開発して主力にしてきた企業(トヨタ、ホンダ、など)は、業績は悪い中でも健闘している。
他の自動車企業も相次いて環境対応商品〈電気自動車など〉を発表して後を追いはじめた。
環境商品を重点的に取り組んで活性化してこそ、将来の企業存続と発展の可能性に挑戦ができる。
いまからでもエネルギー産業の転換に取り組むことこそ、経済活性化のみちである。
以下、次回に。
一般国民も環境と経済を両立して欲しいというのが、今の社会の中では一般的であろう。
しかし両立させるのは難しい、と思っている。
この意識を改革することが、日本の経済力の向上につながり、それによって日本の力が復活していく原動力になる。
これは、環境産業を活性化し世界をリードする地位に上がることこそ、経済活性のキーポイントになる。という認識に転換することである。
小泉内閣は構造改革に取り組みながら、エネルギー産業の改革、今流にいえば「低炭素エネルギー化」への転換政策には失敗している。
将来性の見えない、そして経済の活性にも役に立たない原子力エネルギー拡充政策に惑わされたからである。
それを推進しようとした電力関係者と政策を進めた経済産業省の官僚たちは誰も責任を負わないで、いまだに原子力発電にこだわり続けている。
本来の再生可能エネルギーへの転換政策は、1997年に京都議定書を締結した時点から、すぐにとりかかるべきであった。
その時点では太陽光発電の技術は世界一のレベルであったし、その他の風力発電、バイオマス発電、バイオマス熱エネルギー利用技術などは、まだ、揺籃期の技術であるので、日本の優れた技術人を動員すれば、世界の一流レベルに達することは十分にできる実力があった。
しかし、小泉内閣とそのブレーンは、このことに気が付かずに原子力族に言い込められて、再生可能エネルギーへの取り組みを最小限に抑えてしまった。
電力会社幹部は「太陽光発電などの電力は不安定なので、大きな期待はしないながらも、現行に電力系統に組み込んで安定供給するための制御g術を確立することは、日本が世界に貢献できる分野だと思います。」
などと今頃になって、世界の動きや空気を読んでの発言に切り替わっている。
1997年頃には、再生可能エネルギーの電力は、安定しない邪魔者電力であり、ゴミのように少量しか発電しない「環境オタクの電力」とバカにしていた。やっと宗旨替えしてきた段階である。
日本の電力供給を長期的に責任を負うならば、とっくに、系統の技術課題に取り組んでいなければならない。
それを邪魔ものとして、技術の開発課題に取り組まないできたことは、経営者として失格であり、技術者本来の役割を放棄してきたようなものである。
10年遅れているのだ!
そのような実態を見抜けずに放置してきた歴代内閣の責任もある。
今の時点ではっきりしてきたことは、日本の経済停滞、新産業の立ち遅れである。国民生活の貧困化と弱者の急増は、政策判断ミスであったと言える。
失われた10年といえる金融業界の不祥事と内弁慶体質。
これは、2005年位まで続いてきて日本を停滞させた。
そして、さらに失われた10年と言えるエネルギー産業の「低炭素化」への転換の遅れ。原子力発電業界の不祥事と失敗の連続。
まさに失われた20年である。
自動車産業においては、ガソリン多消費型の商品による利益構造の企業(アメリカのビッグスリー)は、はっきりと脱落している。
環境に有利な商品を開発して主力にしてきた企業(トヨタ、ホンダ、など)は、業績は悪い中でも健闘している。
他の自動車企業も相次いて環境対応商品〈電気自動車など〉を発表して後を追いはじめた。
環境商品を重点的に取り組んで活性化してこそ、将来の企業存続と発展の可能性に挑戦ができる。
いまからでもエネルギー産業の転換に取り組むことこそ、経済活性化のみちである。
以下、次回に。