庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

日本発の新産業分野を伸ばすには。まずは、鉄道産業を。 

2009-06-30 | 交通問題・自動車
日本が賢い政府をもつことが、将来の国民の健康的な生活を維持する上で必須の課題である。
しかし、現状を見るにつけ、とても賢い政府とは言えず、それは言ってみれば、有権者の大半が賢い政治家を選挙で選んでいないからである。
しかし、市長には若手の意欲ある候補者を当選させる自治体も現れて、一部には希望が持てる空気も流れ始めている。

今月は、うっとうしい国政のテイタラクぶりを嘆くのから離れて、産業界で技術開発と事業の進展に目覚ましい成果を上げている業界、企業を探してみようと思う。
このすぐれている産業を、一気に優遇することで日本の活力のもとになる「新産業」を拡大していくことで、日本は希望の持てる国になる。

昭和30年代から40年代にかけては、日本は自動車産業はよちよち歩きのとても世界には出ていけないレベルの産業であった。
当時は国産の自動車企業はトラック生産に特化して、乗用車生産はやめた方がよい、という識者?の意見もあった。
しかし起業家精神が旺盛な経営者と、世界に打って出るレベルの技術を自前で持ちたいという技術者魂で、歯をくいしばって頑張ってきた。
おかげで、昭和60年頃には、日本の自動車産業は世界の一流レベルに達し、日本の輸出の稼ぎ頭になった。

そのころ、鉄道事業は国鉄という親方日の丸の大企業病にかかった非能率の典型の国営組織で、長年にわたって赤字を垂れ流し続けている産業があった。
それを、当時の政府と産業界の見識のあるリーダーの努力で、分割民営化の大改革を行った。
これが現在のJR各社となり、その後の経営努力と技術革新へ力をいれてきたので、今では日本の鉄道システムは、世界の中では一番進んでいるレベルになっている。

しかし、明治政府の時代に当時の軌道幅の狭い規格を採用〈1047mm〉したために、高速化の面で不利であった。
その壁を破るべく、日本は標準軌といわれる軌道幅〈1475mm〉を採用し、新幹線という呼び名で高速列車のシステムを開発した。
国鉄時代であっても、新進気鋭の技術者が知恵を絞って寝食を忘れて打ち込んだ技術は陽の目をみて、いまでは世界に誇る新幹線技術システムを完成している。
さらに高速化に向けた技術研究に怠りないことは、このブログにも書いた。(4月27日)

この鉄道システムは世界中で見直される時代になっている。
今までも書いてきた化石燃料の使用削減には、自動車交通を減らす必要があり、また長距離では飛行機に頼るばかりでなく、500km程度であれば、高速鉄道の方が便利で省エネルギー性に優れるからである。

アメリカは自動車交通大国であり、大きな国土の交通流を結ぶには航空機システムは不可欠である。
しかし、これ以上の石油の使用料の増加は国の将来を危うくするとして、鉄道システムを大幅に取り入れることに方針を転換した。
自動車や航空機の燃料を「バイオ燃料」に転換することも進めているが、それとても、生産量には限界がある。
鉄道システムを革新することが不可欠になっている。

昨日のニュースで、JRの会長はアメリカで新幹線技術システムの売り込みのプレゼンテーションを行った。と報じている。
自動車交通文明最先端のアメリカですら、日本の新幹線技術導入の本格的検討に入った。
これを機会に「新産業」としての未来を構築する「国策としての支援策」を検討すべき段階である。
まずは330Km/hの世界一の新幹線鉄道をアメリカに輸出する。

それを梃子にして、世界中の鉄道交通を必要としている国に日本の技術を広め、地域社会に貢献する『希望が持てる』。

言葉のイメージで取り繕う「愚かな政府」では、国民が? 

2009-06-30 | 暮らし・健康問題
このブログで書いてきたことは、まとめて言えば、単純である。
国民が安心して豊かで健康的な生活を望むなら、まずは「雇用の確保」である。
それには「新産業を育成する」ことで、活性化された経済を維持し、発展させることが必須である。
現在の時点で「新産業の有力候補」は、脱化石燃料エネルギー社会に転換する「再生可能エネルギー」産業を重点的に強化すべきである。
そして、その投資費用は、旧産業を徐々に縮小させる「バッド課税」を新制度として、実現する。
増加した財源で、「新産業」の育成と雇用創出、労働分配率の向上に振り向ける。

濃縮した言い方にすれば、以上のような趣旨になるが、日本の現在の政府は、方針を何も示していない。
とにかく未曾有の経済危機だから、「緊急措置として財政出動」しか能がない。
そのお金で、どのような社会をつくろうとして、国民に提案しているのか、ちっとも伝わらない。
だから、経済の活性化は一時的なものに留まってしまう。

いや、政府はいろいろと未来に向けての政策を打ち出している。
という風に感じている読者もいるでしょう。
しかし、それは言葉のイメージによって、なんとなくその気にさせているだけである。

「低炭素社会」を目指す。と言いながら、陰では原子力発電の再拡大をもくろむ勢力に操られている。
「環境立国」を目指す。と言いながら、実際の誘導政策や技術開発促進に向けての予算配分はわずかにとどまり、看板を掛けるには、恥ずかしい限りの中身である。
「美しい国、日本」を目指す。と言っていた安倍内閣は、何もできずに瓦解して、何をやろうとしたのか、一向にわからない。

唯一つの評価に値する方針として、「2050年までに、世界での炭酸ガス排出を半減する」と洞爺湖サミットで、世界の首脳に呼びかけて、合意にもっていくリーダーシップを発揮した福田首相は、地味であったが、堅実な行動で目標を掲げて国民に説明をした。
その成果の延長で、2009年のサミットでは、途上国も含めた首脳会議での合意に達する見通しである。

しかし、その目標に達するためには、日本は現在よりも80%以上を削減する必要がある。
それは誰が計算しても、2020年には、20~25%の削減をしなければ、達成は苦しくなる。
にも拘らず、麻生内閣は、1990年比で8%、2005年比で15%の削減が、日本で達成できるぎりぎりの数値である、として、国際会議に出して顰蹙を買っている。
国際会議で出す前に、国民にきちんと説明しているのであろうか。

2005年までは、歴代の内閣の失政により炭酸ガスの排出は増え続けて、京都議定書の順守が危うくなり、外国からの排出量取引により税金で穴埋めをすることに追い込まれた。
これは本来は、国内に投資して削減できる産業を支援すべきであるのに、みすみす、外国への寄付になってしまった。

それにおじけついて、今回の目標数値には、外国から排出量取引購入は含まれないとして、「真水」と称して胸を張っている。
だから、「15%削減」は世界で一番高い目標である。
この数値は「野心的な目標」であるとしているが、環境立国を目指す国としての言動とは思われない。

そして、削減は「公平に分担」しなければいけない。ともっともらしい説明をしているが、それでは、次世代に対して公平な目標を出しているのであろうか?
15年間で15%削減するということは、次の30年間では・・・30%ですね。
では、2050年には、簡単に算数で計算しても45%。
これでは2050年の80%にはならない。
10歳の子供でもわかる正解は65%を次の世代でやってくれ!と言うことである。

これが公平性を力説する人の言うことか・・・・!!