数回にわたって日本の国際競争力の維持を大義名分として、当然の政策として20年間実施されてきた労働分配率のダウン、「労働環境ダンピング」が日本の働く人の健康的な生活を破壊してきた、と説明した。
もう、誰でもわかるくらいに結果がでている。
企業の自由な活動に任せていては、このダンピングが起こるのは自由市場取引主義では、必然の流れであるから、これを変えることは、公的な制度・規制によるしかない。
規制強化が必要である。
しかし、その規制によって日本の国際競争力が落ちてしまい、中には海外に生産の場を移してしまう企業も出る。
結果として雇用の機会が減るので、失業が増えるのではないか。
だから規制は極力なくすべきだ!という感覚の人がまだまだ多い。
それは、海外に生産拠点を移した方が有利な製造業もある。
人件費の節約によって収益を上げる事業は、1990年代以降の生産のグローバル化の中で、すでに海外生産が有利な企業は、とっくに生産拠点を移している。
いまだに、国際競争力を表向きの理由にしている企業は、すでに日本での競争力が衰えている会社の経営陣や産業界にしがみついている人たちである。
何度も説明したように、「労働環境ダンピング」に頼らなければ、収益を上げることができない企業は、経営が遅れているのであり、それをいつまでも保護する必要はない。
むしろ保護することは、日本の産業界の構造・体質を遅れたまま引きずることになる。
経済停滞の原因を取り除く意味で、このような産業や企業は縮小していくことが必要である。政府の政策で縮小させるわけにはいかないから、労働環境の最低保障レベルを規制することで、それに合致しない企業の退出を図ることである。
そして一時的に失業する人たちを、きちんとした再雇用制度で、新しい活力のある「新産業」に積極的に切り替える政策が必要である。
それができない政府は、本来の役割を果たしていないことになる。
出来ない政権はすぐにでも変える必要がある。
日本の働く人の健康的な生活を維持・向上ができない政府は明かに失格である。
国際競争力の維持を理由にしているのは、その政府の役割を放棄して、遅れた産業界の企業のいい分にすがって、責任を逃げていると言える。
それでも「国際競争力」の低下を懸念する人たちに一言付け加えておく。
それは「企業競争力」が基本であることを怠って、経営をしてきたことに尽きる。
生産拠点を海外に移すか、国内で行うかは、経営判断そのものである。
国内の雇用を維持するためには「人件費のダウン」が必要だ。というのは、いち企業の勝手な言い分である。
それを産業界の代表の意見であるかの様に政府に言いたてるのは、ルールを変えてくれと審判に要求している選手に相当する。
決められたルールの中で最良のプレーをした選手が選ばれるのが当然である。
いち企業の言い分を産業界全体に及ぼすようにルールを変えたことで、「労働環境ダンピング」が進んでしまい、結果として働く人の収入と健康的な生活を害している。
そして本当に企業競争力のある産業と経営者の出番を奪っている。
日本はまず、働く人に夢と活力を持てる「労働環境」を作ることを最優先にすべきである。
これによって退出する企業が出るのは必然と見ていく覚悟が必要である。
一時的な痛みを伴う「構造改革路線」は必須である。
しかし、これは中途半端で誤解だらけになっている。
その最たるものは規制緩和と自由市場優先主義に陥ったことにある。
もう、誰でもわかるくらいに結果がでている。
企業の自由な活動に任せていては、このダンピングが起こるのは自由市場取引主義では、必然の流れであるから、これを変えることは、公的な制度・規制によるしかない。
規制強化が必要である。
しかし、その規制によって日本の国際競争力が落ちてしまい、中には海外に生産の場を移してしまう企業も出る。
結果として雇用の機会が減るので、失業が増えるのではないか。
だから規制は極力なくすべきだ!という感覚の人がまだまだ多い。
それは、海外に生産拠点を移した方が有利な製造業もある。
人件費の節約によって収益を上げる事業は、1990年代以降の生産のグローバル化の中で、すでに海外生産が有利な企業は、とっくに生産拠点を移している。
いまだに、国際競争力を表向きの理由にしている企業は、すでに日本での競争力が衰えている会社の経営陣や産業界にしがみついている人たちである。
何度も説明したように、「労働環境ダンピング」に頼らなければ、収益を上げることができない企業は、経営が遅れているのであり、それをいつまでも保護する必要はない。
むしろ保護することは、日本の産業界の構造・体質を遅れたまま引きずることになる。
経済停滞の原因を取り除く意味で、このような産業や企業は縮小していくことが必要である。政府の政策で縮小させるわけにはいかないから、労働環境の最低保障レベルを規制することで、それに合致しない企業の退出を図ることである。
そして一時的に失業する人たちを、きちんとした再雇用制度で、新しい活力のある「新産業」に積極的に切り替える政策が必要である。
それができない政府は、本来の役割を果たしていないことになる。
出来ない政権はすぐにでも変える必要がある。
日本の働く人の健康的な生活を維持・向上ができない政府は明かに失格である。
国際競争力の維持を理由にしているのは、その政府の役割を放棄して、遅れた産業界の企業のいい分にすがって、責任を逃げていると言える。
それでも「国際競争力」の低下を懸念する人たちに一言付け加えておく。
それは「企業競争力」が基本であることを怠って、経営をしてきたことに尽きる。
生産拠点を海外に移すか、国内で行うかは、経営判断そのものである。
国内の雇用を維持するためには「人件費のダウン」が必要だ。というのは、いち企業の勝手な言い分である。
それを産業界の代表の意見であるかの様に政府に言いたてるのは、ルールを変えてくれと審判に要求している選手に相当する。
決められたルールの中で最良のプレーをした選手が選ばれるのが当然である。
いち企業の言い分を産業界全体に及ぼすようにルールを変えたことで、「労働環境ダンピング」が進んでしまい、結果として働く人の収入と健康的な生活を害している。
そして本当に企業競争力のある産業と経営者の出番を奪っている。
日本はまず、働く人に夢と活力を持てる「労働環境」を作ることを最優先にすべきである。
これによって退出する企業が出るのは必然と見ていく覚悟が必要である。
一時的な痛みを伴う「構造改革路線」は必須である。
しかし、これは中途半端で誤解だらけになっている。
その最たるものは規制緩和と自由市場優先主義に陥ったことにある。