ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

言挙げする者

2015-02-18 12:39:43 | 日記・エッセイ・コラム
以前にも言ったが、
現実が先で言葉はその後に在る。
言葉はあくまでも現実の投影である。
・・・・・
自分の命に替えても子供を守りたい。
親なら普通そういう気持ちになる。
これは人間だけではない。
でも人間はそれを言葉にする。
愛という言葉である。
愛という言葉は「命に替えても守りたい」という思いを表象したものである。
だけどもちろん、
愛という言葉があるから愛があるのではない。
愛という現実が在ってこそである。
現実の投影である言葉は、
現実を離れれば嘘になる。
悲しいかな、
人間は、
愛がなくとも「愛してる」とは言えるのだ。
・・・・・
当然在るものを在るとは言わない。
言う必要がないから。
在ると言うのはそれが怪しいからだ。
在るかどうか怪しいからだ。
そういうふうに思うのが日本人である。
だから、口にすれば嘘っぽくなると思うのである。
これは「あえて口に出す」ことを嫌う日本の歴史・伝統・文化である。
すなわち「言挙げせず」である。
これは私の解釈である。
別の解釈がある。
これが本来だろう。
それは、
口に出せばそれが実現してしまう、
というものだ。
どちらにしても、
つまりは、
人間は言葉に左右されるということだ。
現実がどうあれ。
・・・・・
前回の続きではあるが、
だから私は「世に聞こえるもの」を信用しない。
特に愛や平和を声高に語る者を信用しない。
耳障りの良い言葉を言い、
それに従わない者は徹底的に否定し、
現実を顧みない。
そんな言挙げする者を信用しない。
注意しよう。
言葉に真のある者は必ず実を伴っている。
そこを見よう。
そして、しっかり聞こう。