以前にも言ったが、
現実が先で言葉はその後に在る。
言葉はあくまでも現実の投影である。
・・・・・
自分の命に替えても子供を守りたい。
親なら普通そういう気持ちになる。
これは人間だけではない。
でも人間はそれを言葉にする。
愛という言葉である。
愛という言葉は「命に替えても守りたい」という思いを表象したものである。
だけどもちろん、
愛という言葉があるから愛があるのではない。
愛という現実が在ってこそである。
現実の投影である言葉は、
現実を離れれば嘘になる。
悲しいかな、
人間は、
愛がなくとも「愛してる」とは言えるのだ。
・・・・・
当然在るものを在るとは言わない。
言う必要がないから。
在ると言うのはそれが怪しいからだ。
在るかどうか怪しいからだ。
そういうふうに思うのが日本人である。
だから、口にすれば嘘っぽくなると思うのである。
これは「あえて口に出す」ことを嫌う日本の歴史・伝統・文化である。
すなわち「言挙げせず」である。
これは私の解釈である。
別の解釈がある。
これが本来だろう。
それは、
口に出せばそれが実現してしまう、
というものだ。
どちらにしても、
つまりは、
人間は言葉に左右されるということだ。
現実がどうあれ。
・・・・・
前回の続きではあるが、
だから私は「世に聞こえるもの」を信用しない。
特に愛や平和を声高に語る者を信用しない。
耳障りの良い言葉を言い、
それに従わない者は徹底的に否定し、
現実を顧みない。
そんな言挙げする者を信用しない。
注意しよう。
言葉に真のある者は必ず実を伴っている。
そこを見よう。
そして、しっかり聞こう。
現実が先で言葉はその後に在る。
言葉はあくまでも現実の投影である。
・・・・・
自分の命に替えても子供を守りたい。
親なら普通そういう気持ちになる。
これは人間だけではない。
でも人間はそれを言葉にする。
愛という言葉である。
愛という言葉は「命に替えても守りたい」という思いを表象したものである。
だけどもちろん、
愛という言葉があるから愛があるのではない。
愛という現実が在ってこそである。
現実の投影である言葉は、
現実を離れれば嘘になる。
悲しいかな、
人間は、
愛がなくとも「愛してる」とは言えるのだ。
・・・・・
当然在るものを在るとは言わない。
言う必要がないから。
在ると言うのはそれが怪しいからだ。
在るかどうか怪しいからだ。
そういうふうに思うのが日本人である。
だから、口にすれば嘘っぽくなると思うのである。
これは「あえて口に出す」ことを嫌う日本の歴史・伝統・文化である。
すなわち「言挙げせず」である。
これは私の解釈である。
別の解釈がある。
これが本来だろう。
それは、
口に出せばそれが実現してしまう、
というものだ。
どちらにしても、
つまりは、
人間は言葉に左右されるということだ。
現実がどうあれ。
・・・・・
前回の続きではあるが、
だから私は「世に聞こえるもの」を信用しない。
特に愛や平和を声高に語る者を信用しない。
耳障りの良い言葉を言い、
それに従わない者は徹底的に否定し、
現実を顧みない。
そんな言挙げする者を信用しない。
注意しよう。
言葉に真のある者は必ず実を伴っている。
そこを見よう。
そして、しっかり聞こう。