いよいよ8月である。
原爆投下から終戦に向かった暑い日々である。
お盆という行事と重なっているのも因縁か。
鎮魂の8月である。
とは言え学校は夏休みであり、
子供たちにとっては行動と解放の日々である。
それも大いに結構。
・・・・・
私の親戚には靖国神社に祀られている者はいない。
それでも参拝には何度も行った。
ただ参拝の為だけに行ったことも数回あり。
経済的にも苦しく、
昨今の宿泊事情もあり、
今は行っていない。
その代わりでもあるが終身会員になっている。
それに近所の護国神社にお参りしている。
まあそんなとこです。
・・・・・
靖国神社の由来は少しは知っている。
いわゆる賊軍の人は祀られていない。
官軍であれ賊軍であれ、
日本の為に死んだのなら、
祀られていいと思うのだが。
そうもいかないらしい。
そこは残念である。
さはさりながら、
日本の為に亡くなった武人を祀っているのが、
この神社である。
大東亜戦争では武人といえども、
その多くは庶民であった。
欧米の理不尽に対する怒りはあったろうが、
それは憎悪などではない。
憎悪を持って人を殺すのは殺人である。
それは武人の戦いではない。
覚悟を持って戦うのが武人である。
その典型は硫黄島の戦いだ。
そこには覚悟と祈りがある。
神風特別攻撃隊と同じだ。
まったく変わらない。
・・・・・
にしても、戦争はしてはならない。
言わずもがなである。
靖国に参拝するのは亡くなった方々への鎮魂であるが、
それは彼らの覚悟・祈りへの応答であり、
国を守る覚悟でもってする返礼でもある。
その最良の方法は戦争をしないことです。
だからこそ不戦の誓いでもある。
ことわっても平和ボケの誓いではない。
その底には徹底した覚悟がある。
それが靖国神社への参拝である。
と私は思っている。
原爆投下から終戦に向かった暑い日々である。
お盆という行事と重なっているのも因縁か。
鎮魂の8月である。
とは言え学校は夏休みであり、
子供たちにとっては行動と解放の日々である。
それも大いに結構。
・・・・・
私の親戚には靖国神社に祀られている者はいない。
それでも参拝には何度も行った。
ただ参拝の為だけに行ったことも数回あり。
経済的にも苦しく、
昨今の宿泊事情もあり、
今は行っていない。
その代わりでもあるが終身会員になっている。
それに近所の護国神社にお参りしている。
まあそんなとこです。
・・・・・
靖国神社の由来は少しは知っている。
いわゆる賊軍の人は祀られていない。
官軍であれ賊軍であれ、
日本の為に死んだのなら、
祀られていいと思うのだが。
そうもいかないらしい。
そこは残念である。
さはさりながら、
日本の為に亡くなった武人を祀っているのが、
この神社である。
大東亜戦争では武人といえども、
その多くは庶民であった。
欧米の理不尽に対する怒りはあったろうが、
それは憎悪などではない。
憎悪を持って人を殺すのは殺人である。
それは武人の戦いではない。
覚悟を持って戦うのが武人である。
その典型は硫黄島の戦いだ。
そこには覚悟と祈りがある。
神風特別攻撃隊と同じだ。
まったく変わらない。
・・・・・
にしても、戦争はしてはならない。
言わずもがなである。
靖国に参拝するのは亡くなった方々への鎮魂であるが、
それは彼らの覚悟・祈りへの応答であり、
国を守る覚悟でもってする返礼でもある。
その最良の方法は戦争をしないことです。
だからこそ不戦の誓いでもある。
ことわっても平和ボケの誓いではない。
その底には徹底した覚悟がある。
それが靖国神社への参拝である。
と私は思っている。
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