ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

どん詰まり

2024-01-22 08:42:05 | 日記・エッセイ・コラム
もうどん詰まりだな。
15日からダボス会議が始まった。
まあどうでもいいか。
丁度その頃アメリカでは、
トランプが圧倒的多数で共和党予備選に勝ったとか、
アイオワ州だったと思う。
ダボスお婆さんは苦虫を嚙み殺してるだろう。
欧州リベラルは、
そもグローバリズムの巣であり、
それは植民地奴隷経済の震源地、
表向き否定しているがその実巧妙に隠してる。
会社は株主のものだとしてお金で支配し、
労働者は事実上低賃金に留められる、
為に移民難民を奨励するばかり、
それも偽善チックにである。
チン!
・・・・・
そも嘘ばかり。
コロワクポリコレ地球温暖化脱炭素電気自動車てかてか。
彼らは言葉を知らないのか。
てか逆で言葉を知り尽くしているのです。
そしてそれを利用している。
それに騙されていたのが大衆であったが、
いよいよ気づいて徹底的に抵抗している。
だからどん詰まりなのだ。
そも聖書を残した人たちは知っていたと。
言葉に毒があるのを。
だから楽園を追放されたことにしたのだ。
神の名を借りて徹底的に。
でも薬が効きすぎたのか。
言葉に取り込まれてしまった。
心魂(意識)が言葉に憑りつかれたのだ。
言葉にはそれほどの力があるのです。
それに気付かないのです。
それを知ってほしい。
言葉は現実に張ったレッテルである。
それが現実を切り分ける。
そして分かるのです。
ここまでは良かった。
でも言葉は現実を飛び越える。
それは概念を創り出す。
概念とは現実ではない。
謂わば脳内の妄想です。
お化けや幽霊の類なのである。
それを現実にすり替えるのだ。
その方途は簡単である。
未来の現実と混同させるのだ。
そして曖昧模糊にしてしまう。
そうではなく未来の灯りとするならいいのだが。
でもそれを目の前の現実にする替える。
言葉巧みにすり替える。
それがリベラル的言辞の数々。
かくて亡霊が現実になる。
そして現実が雲隠れする。
そうなればもう処置なし。
これがどん詰まりを招く。
それでもそれを仮想や方便とするなら、
そこにはまだ救いがある。
それがなぜできないのか。
すべてが欲に支配されるから。
だからこの世界は近々に終る。
何しろこの世界は実に現実しかないのだから。
妄想は結局妄想なのです。
覚悟しておこう。
・・・・・
これまでも言ってきたが、
日本人は実に聖書的だと。
それは言葉に対する向き合い方のこと。
言葉を「まこと」とする。
それを漢字では一つに誠と記す。
嘘とは真逆の思想である。
これは言が成るであるが、
まさに神の創造に通ずる。
ここにあきらか。
だから言霊が幸はふ国であり、
だから大日本は神国であると。
でも聖書とは相容れないところもある。
それは未だ楽園にいるところ。
欧米人らは追放されてるようだが。
彼らによれば追放されたのは人間だけ。
でも人間は現に他の生き物とともに生きている。
場としては追放されていない。
追放されたのは霊的にということ。
欧米人らはそこが分からないのだ。
でもご存知でしょう、
日本人は未だ霊的に繋がって生きていると。
それが日本人の生き方であり、
生き方の総体としての文化であり、
それが日本文明である。
それにだから罪を背負っていない。
だから生みの苦しみも労働の苦役もありません。
生みは喜び働きも喜び。
「まこと」の国にウソはない。
でも世界はウソで満ちている。
それも決定的なウソで。
それをもう一度。
コロワクポリコレ地球温暖化脱炭素電気自動車てかてか、
と謂うことで、
どん詰まりのどん詰まり、
ハイ!