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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

妙なこと

2023-11-20 10:23:33 | 日記・エッセイ・コラム
本当は・みょうなこと・ではなく、
・たえなること・と言いたかった。
みょうとは不思議なことという感じかな。
たえとは普通でないことという感じかな。
そこに素晴らしいという趣きをも含んで。
妙とはそんな文字であるかと。
そこで奇妙という二字熟語である。
これも同じ意の文字を重ねて、
そこに深みを与えるとの、
漢字の得意技の一つ。
それがどうした、
すいません、
・・・・・
宇宙は運動振動波動でなっている。
それをひとことで言えば波動だと。
今まで度々言っているが、
運動とは物(塊り)そのものが動くこと。
振動とは物(塊り)の内での動きのこと。
波動とは物ではなくすぐれて事であるが、
それは物(媒体)を次々と動かしていく、
という感じかな。
この三つを一言で謂えば波動かと。
波動は先の二つともを含んでいる。
世界は宇宙はそれらで満ちている。
前にそれをまた別の言葉で響きと言った。
なかなかに良い命名だと思う。
てか自画自賛。
さてこれからが本題。
人の声音は波動を発生させる。
それはそも共振共鳴そのもの。
だから人の心魂に響くのです。
それが人をして動かさしめる。
その波動を声と言う。
しかもそれは人だけのことではない。
すべての物はそも波動で出来ている。
だからあらゆる音は声だとも謂える。
まあそういうことで、
自然とはそういうものであり、
つまり声音であり共振共鳴で満ちており、
つまり響きで出来ている。
人はそれを真似たのです。
そしてそれを手に入れた。
それが大いなる力となる。
だからヨハネは言ったのだろう、
初めに言葉があった、
言葉は神とともにあった、
言葉は神であった、
と。
まことにまことに。
ヨハネは言葉は神であったと言うが、
でもそこはちょっと微妙。
勿論ヨハネは分かっていたと。
言葉が神であるとは、
言葉の一つひとつに神はあるのだが、
その一つをもって神だとは言っていない。
すべてが声音のこの世界、
その発信元こそが神だと。
そも聖書は言う、
すべては神の口から出る、
ひとつひとつの言葉に依ると、
ヨハネは当然それを疑っていない。
すべてはそこに…。
まことにまことに。
・・・・・
ところで、
ヨハネの言っている神は、
日本人の言う言霊のことかも、
そうも思うのです。
にしても、
日本語は聖書に同期同調していると。
まずは「ことば」である。
これは言葉と記すが事端と記しても可笑しくない。
これは音読みでは違うが、
訓読みでは同じ音になる。
それが「ことば」である。
神の言葉がすべての事端を惹起する。
なら「ことば」とはまさに妙である。
欧米語では言葉を何と言うのだろう。
英語ではワードだろうがその語源成立ちは知らず。
つぎに「かみ」である。
英語ではゴッドである。
これは固有名詞である。
それにギリシャ神話の神々、
これらはそれぞれ固有名詞があるが、
一般名詞(総称)としての神はあるのか、
そこはよく分からない。
でも日本の「かみ」はあきらか。
それは上下の上の意もあろうが、
てかそれはまさに神と記す。
示す偏に申すで、
すなわち示して申すである。
それは声音を発するものなのである。
つまり「かみ」に上でなく神を当てたのです。
ここにあきらかかと。
だから聖書のまんまである、
しかも神とは単数でも複数でもない。
一にして全なのです。
全体をひとつと見做せば一神であり、
それが多数の集まりなら多神となる。
ヨハネの言葉や日本の言霊を想えば、
それは多神的であるが、
その奥に潜むものを思えば究極の一神かと。
ただそこに固有名詞を宛てるのはどうかと。
それはスーパースターを連想させる。
そこに誤解と災いの種がある。
現に争いの絶え間なく、
収集がつかない。
・・・・・
基より言葉がすべての始まり。
日本語は一音一意で音に拘る。
響きを大切にする。
共振共鳴を求める。
だから歌うのです。
歌会始めのごとく。
それに漢字を使用する。
これは絵字であり一字一意である。
これは見るもので光とともにある。
ここにあるのは美しさを求める心。
しかも正しさ清さなども含まれる。
だから美はそれらすべてを包含す。
その心を育てるのが日本語であり、
それが日本の文化なのであります。
比べて欧米の言葉は、
子音が多くて発音がやっかい。
日本人にはであるが。
しかもその文字は記号的に過ぎる。
それは心魂には響きにくく、
すぐれて脳で処理するもの。
だから何事も理屈でケリを付けようとする。
そこはすぐれており、
それが近代文明をつくり且つ大きく発展させた。
それが宇宙の神秘を解き明かすと思えるほどに。
そんななか人格神的唯一絶対神を信仰する。
だからか、
ニーチェは神は死んだと言い、
ニコラ・テスラは神はいない、
法則があるだけと言ったとか。
ここに誤解があると私は思う。
人の言葉は人の創作。
神に替わるものを見つけたとして、
神を捨てる必要などない。
それを神とすればいいだけのこと。
現にヨハネは言葉は神だと言った、
それなのに…。
日本人ならそんな風にはならない。
あなたが日本人なら分かるだろう。
大日本(おおやまと)は、
言霊の幸はふ神の国です、
敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花。
私は確信する、
彼らが日本を知っていれば、
そうは言わなかったろうと、
あのアインシュタインを想えば尚。
世界はあきらかに妙である。
うん!