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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

大きな反響

2020-10-26 09:57:43 | 日記・エッセイ・コラム
漫画本ではもう終わったと聞く。
「鬼滅の刃」である。
そう言えば以前から、ネットでは話題になっていた。
頭の隅にはあったが、それほど気にしていなかった。
それが只今映画館で上映されている。
これが初めてではないようだ。
今回の上映に合わせて、
過去の作品がテレビで放映されていた。
実はそれを見たのです。
これが大変面白かった。
アニメ大国・日本にはいろんな作品があって、
私も結構見ているのだが、
スタジオジブリはもとより、
最近では新海監督の作品や、
それにドラえもんやワンピースなど。
でもこの映画は知らなかった。
それにしても日本のアニメは世界的である。
この作品群も大きな反響があると聞く。
そんなこんなで、
久しぶりに映画館で見ようと思った。
ちょうど時間を持て余していたので。
ところがである。
ほぼ満員であった、平日だと言うのに。
このコロナ騒動の中でもだ。
席は相当間引かれていたが。
仕方なく後日ということにした。
当分は上映してるようだし。
・・・・・
物語の背景は大正時代であり、
鬼と人間の戦いの物語である。
鬼とはつまり心を失った人間であり、
それは皆悲しい過去を背負っている。
もともと日本では鬼と神は別物ではなく、
同じもの(の別位相)と捉える。
すべては神に返るのだが、
返りそこねたものを鬼と言い、
祟り神もその一つだろう。
しかして退治されれば神に返る。
日本人にとって、
世界とはつまり神の世界であり、
人間世界はその一面に過ぎない。
死生観もその中にある。
地獄も極楽もなく、すべては神に返る。
生まれる前にいた場所に必ず帰る。
じっちゃんばっちゃんやご先祖様もいる。
千年万年後の子孫らもそこに帰る。
そこから来て、そこに帰る。
しかして今いる世界もまた神の世界なり。
そういう感覚である。
これは宗教ではない。
むしろ文化(生き方の総体)と言うべきか。
この映画には神社もお寺も出てこない。
少なくとも意味あるものとしては。
つまり宗教的ではないのです。
あくまでも人間の物語なのだ。
てか、
作者の意図は知らず、
勝手に思っているだけです、
御免なさい。
・・・・・
それにしても日本人は、
地獄とか極楽とかは信じていない、
たぶん。
それは方便だと見抜いている。
方便とは生きる上のやむを得ずの知恵である。
そういう知恵は持っている。
そして方便は方便として仕舞っている。
それを真理だとは言わない。
ここが大事です。
言葉を得た人間にとって、
初めの頃は赤子のごとく、
言葉と現実は密接不可分であったろう。
でもそこには隙間がある。
それが言葉の本質だから。
その隙間を己が存在の核心をもって写す。
明鏡止水、歪みなき曇りなき心(魂)で。
そのとき言葉は「まこと」となる。
さりながら往々にして歪みが入る。
それも又やむを得ぬ仕儀なのです。
だから注意が必要なのだ。
だがさらに問題が起こる。
その歪みが不可抗力ならまだしも、
故意に歪みが加えられる。
嘘の始まりです。
そして嘘にまみれてしまう。
神(現実)を冒涜するのだ。
聖書を残した人々はそれを知っていた。
だから諫めたのです。
楽園からの追放という物語で。
それは罪だと。
大きな罪だと。
・・・・・
アニメーションの語源はアニマだと謂われる。
アニマとはラテン語で魂を意味する。
日本人にとって、
この世界は神の世界であるから、
存在のすべてが神的であり、
だから当然すべての存在にアニマは宿る、
つまり森羅万象(物事)にアニマは宿る、
と考える。
それが日本です。
そんなアニマ(魂)に満ちた日本である。
アニメ大国になるは必然か。
私の勝手な妄想ではあるが、
結構自身のある妄想なのだ。
エヘン!