少し前だが武田邦彦先生が、
科学について解説していた。
私にしてみれば、至極尤もなことで感心して拝聴した。
世間で言われているものとは少し違うようだが。
でも考えて見れば当然のことかも。
第一線で活躍している科学者にとっては。
例えば先のノーベル賞受賞者の本庶佑先生なども…。
たぶん同じだと。
・・・・・
第一線(最先端)では、
未知のものや何か分からないが何かある、
というものを追求するのだ。
未だ言葉で著わせないものを言葉にしようとするのである。
すなわち言葉のない世界を見るのだ。
ここに少し誤解があるかも。
科学的に証明されていないものは認められない、
と一般的には言われる。
それは勿論そうで尊重されるべきだろう。
だがそこに凝り固まったら先に進めない。
完全否定すればそも科学は成り立たない。
未知を追求するのが最先端の科学なのだ。
我々生活者のレベルでは科学的知見を重視すべきだが。
だから死後の世界や魂なども科学の対象にしてもいい。
今は分からないから、そこは文学的表現に頼ってるが。
そも文学も科学も数学も、すべて言葉によって成り立っている。
言葉を取り扱う学問を文学というなら、
すべてが文学なのだ。
・・・・・
問題は言葉だ。
人間は言葉の生物で言葉に決定的に左右される。
言葉を持たない虫などは只ひたすらに場(現実)に生きるのみ。
もとより彼らの感知できる場は狭いかも知れない。
でもその場は宇宙に繋がっている。
そこに境界はないのだ。
だから彼らは全宇宙を生きているのだ。
翻って人間は…。
言葉を持ってしまった。
どうしても言葉の世界を生きてしまう。
言葉に囚われて生きるのだ。
現実(場)を言葉に置き替えて、それを脳内で再構成する。
その再構成された世界を生きる。
つまり脳内の仮想空間を生きるのだ。
このことを免れない。
これが人間の特徴である。
でも武田先生の科学は、そこに希望がある。
最先端の科学は言葉のない世界を追求する。
そこでやっと虫達と同じ位置に立てるのだ。
現実をまんまに生きられるのだ。
だから武田先生の話に感心したのです。
・・・・・
ついでにだが、
日本人は言う。
「三歳の稚児には神が宿る」と。
つまり言葉を持つ前の人間には神が宿ると謂うのだ。
神の世界から来たものの、未だ神の質を持つのです。
言葉を身に付けて成長するのだが、
それは神性を失うということです。
人の成長をそう捉えている。
虫たちはどこまでも神性を持つが、
人間はそれを失うのです。
人間だけが除け者になると謂うことか。
これは聖書に言う、楽園からの追放に同じだ。
私はそう思うのだが、だから不思議なのです。
聖書を持たない日本人が、なぜ聖書の民のごとく在るのか。
でもこれが日本人です。
だから勿論世界は人間が支配するものではない。
まんま神の世界だから、それを尊重して生きる。
随神(かむながら)の道、自然(じねん)の道。
日本人の思想です。
科学について解説していた。
私にしてみれば、至極尤もなことで感心して拝聴した。
世間で言われているものとは少し違うようだが。
でも考えて見れば当然のことかも。
第一線で活躍している科学者にとっては。
例えば先のノーベル賞受賞者の本庶佑先生なども…。
たぶん同じだと。
・・・・・
第一線(最先端)では、
未知のものや何か分からないが何かある、
というものを追求するのだ。
未だ言葉で著わせないものを言葉にしようとするのである。
すなわち言葉のない世界を見るのだ。
ここに少し誤解があるかも。
科学的に証明されていないものは認められない、
と一般的には言われる。
それは勿論そうで尊重されるべきだろう。
だがそこに凝り固まったら先に進めない。
完全否定すればそも科学は成り立たない。
未知を追求するのが最先端の科学なのだ。
我々生活者のレベルでは科学的知見を重視すべきだが。
だから死後の世界や魂なども科学の対象にしてもいい。
今は分からないから、そこは文学的表現に頼ってるが。
そも文学も科学も数学も、すべて言葉によって成り立っている。
言葉を取り扱う学問を文学というなら、
すべてが文学なのだ。
・・・・・
問題は言葉だ。
人間は言葉の生物で言葉に決定的に左右される。
言葉を持たない虫などは只ひたすらに場(現実)に生きるのみ。
もとより彼らの感知できる場は狭いかも知れない。
でもその場は宇宙に繋がっている。
そこに境界はないのだ。
だから彼らは全宇宙を生きているのだ。
翻って人間は…。
言葉を持ってしまった。
どうしても言葉の世界を生きてしまう。
言葉に囚われて生きるのだ。
現実(場)を言葉に置き替えて、それを脳内で再構成する。
その再構成された世界を生きる。
つまり脳内の仮想空間を生きるのだ。
このことを免れない。
これが人間の特徴である。
でも武田先生の科学は、そこに希望がある。
最先端の科学は言葉のない世界を追求する。
そこでやっと虫達と同じ位置に立てるのだ。
現実をまんまに生きられるのだ。
だから武田先生の話に感心したのです。
・・・・・
ついでにだが、
日本人は言う。
「三歳の稚児には神が宿る」と。
つまり言葉を持つ前の人間には神が宿ると謂うのだ。
神の世界から来たものの、未だ神の質を持つのです。
言葉を身に付けて成長するのだが、
それは神性を失うということです。
人の成長をそう捉えている。
虫たちはどこまでも神性を持つが、
人間はそれを失うのです。
人間だけが除け者になると謂うことか。
これは聖書に言う、楽園からの追放に同じだ。
私はそう思うのだが、だから不思議なのです。
聖書を持たない日本人が、なぜ聖書の民のごとく在るのか。
でもこれが日本人です。
だから勿論世界は人間が支配するものではない。
まんま神の世界だから、それを尊重して生きる。
随神(かむながら)の道、自然(じねん)の道。
日本人の思想です。