goo blog サービス終了のお知らせ 

ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

武田先生の科学

2019-07-22 17:40:01 | 日記・エッセイ・コラム
少し前だが武田邦彦先生が、
科学について解説していた。
私にしてみれば、至極尤もなことで感心して拝聴した。
世間で言われているものとは少し違うようだが。
でも考えて見れば当然のことかも。
第一線で活躍している科学者にとっては。
例えば先のノーベル賞受賞者の本庶佑先生なども…。
たぶん同じだと。
・・・・・
第一線(最先端)では、
未知のものや何か分からないが何かある、
というものを追求するのだ。
未だ言葉で著わせないものを言葉にしようとするのである。
すなわち言葉のない世界を見るのだ。
ここに少し誤解があるかも。
科学的に証明されていないものは認められない、
と一般的には言われる。
それは勿論そうで尊重されるべきだろう。
だがそこに凝り固まったら先に進めない。
完全否定すればそも科学は成り立たない。
未知を追求するのが最先端の科学なのだ。
我々生活者のレベルでは科学的知見を重視すべきだが。
だから死後の世界や魂なども科学の対象にしてもいい。
今は分からないから、そこは文学的表現に頼ってるが。
そも文学も科学も数学も、すべて言葉によって成り立っている。
言葉を取り扱う学問を文学というなら、
すべてが文学なのだ。
・・・・・
問題は言葉だ。
人間は言葉の生物で言葉に決定的に左右される。
言葉を持たない虫などは只ひたすらに場(現実)に生きるのみ。
もとより彼らの感知できる場は狭いかも知れない。
でもその場は宇宙に繋がっている。
そこに境界はないのだ。
だから彼らは全宇宙を生きているのだ。
翻って人間は…。
言葉を持ってしまった。
どうしても言葉の世界を生きてしまう。
言葉に囚われて生きるのだ。
現実(場)を言葉に置き替えて、それを脳内で再構成する。
その再構成された世界を生きる。
つまり脳内の仮想空間を生きるのだ。
このことを免れない。
これが人間の特徴である。
でも武田先生の科学は、そこに希望がある。
最先端の科学は言葉のない世界を追求する。
そこでやっと虫達と同じ位置に立てるのだ。
現実をまんまに生きられるのだ。
だから武田先生の話に感心したのです。
・・・・・
ついでにだが、
日本人は言う。
「三歳の稚児には神が宿る」と。
つまり言葉を持つ前の人間には神が宿ると謂うのだ。
神の世界から来たものの、未だ神の質を持つのです。
言葉を身に付けて成長するのだが、
それは神性を失うということです。
人の成長をそう捉えている。
虫たちはどこまでも神性を持つが、
人間はそれを失うのです。
人間だけが除け者になると謂うことか。
これは聖書に言う、楽園からの追放に同じだ。
私はそう思うのだが、だから不思議なのです。
聖書を持たない日本人が、なぜ聖書の民のごとく在るのか。
でもこれが日本人です。
だから勿論世界は人間が支配するものではない。
まんま神の世界だから、それを尊重して生きる。
随神(かむながら)の道、自然(じねん)の道。
日本人の思想です。