ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

明快な答え

2025-02-24 09:27:53 | 日記・エッセイ・コラム
明快な答えがあった。
過日のトランプ大統領の声名である。
人間の性には「男と女しかない」と。
まったくもってその通りかと。
言われてみれば最も過ぎて声も出ません。
考えて見れば、
雌雄を持って命を繋ぐものは、
すべてがそうである。
言葉では「中性」と言うこともできるが、
現実にはないのです。
それらは言葉の技である。
それを知ろう。
・・・・・
私はXは永久凍結されてるからそれは見ないが、
そこでの投稿を伝えているのを見ることはある。
そのひとつで最近気になったものが、
それはLGBTQ~の彼彼女の投稿である。
正確?かどうかは横に置きその意は、
私は朝起きたときに今日は男であるか女であるかを決める、
と言い私は男でもなく女でもなくその外にいるとか。
ここに典型的な嘘がある。
その言辞は男と女と謂う言葉抜きには成り立たない。
性を意識すればそこに在るのは男と女だけなのです。
現実に生きるときは男か女のどっちかだし、
その存在は男と女の外にいる?
そも脳内は男と女で満ちているのだ。
てかその言葉を抜きにして彼彼女の念は定まらない。
言葉は現実ではない、脳内の幻想(念)である。
しても念に捉われると謂うのが人間であり、
それが言葉と生きる人間と謂うものである。
ここで言えるのは、
彼彼女は両性を持っているということであって、
中性でもなくその外でもない。
またさらに言えば、
幻想の脳内や念とかを除けば、
現実には體は男と女しかない、
超希には両性具有もあるかと。
そも中性はありませんそれにその外も。
この当り前が実のところ分かりにくい。
このままでは言葉が人類に止めを刺す。
でも大丈夫だろう、
そこまで人間はバカではないかと、
トランプさんもいるし私もいます、
エヘン!
・・・・・
それにしても又思うのである。
體には男と女しかないのだが、
その體が持つ気には微妙な揺れがある。
当方はそう思うのだが、
これは事実でもあろう。
思うに、
地球生命の始まりに性はなく無性生殖であった。
それは命の戦略としてはリスクがあり、
進化の過程にて有性生殖となってきた。
性とは生命の永遠性を担保するもので、
これは趣味趣向の問題ではないのです。
このこと覚えておこう。
それはさておき、
当初は細胞が単に分裂して増えるもの、
ときにすべての細胞が母であるのです。
母という言葉はここでは適切ではないかも知れないが、
それでも母と言うしかなく母と言っておきます。
父はどう考えても後発なのだ。
それは人の體にも現れている。
用もないのになぜ乳首がある。
それに有性生殖の生き物には、
すべてが雌のものが存在する。
それがときに一部が雄となり生殖する。
どう考えても母が先であると。
それに何と言っても根本の細胞分裂は、
すべて母の胎の内で為される。
ところで聖書はなぜか逆になっている。
てかそれは知らず追及もしません。
まあ意味ある方便としておく。
てかここで言いたいのは、
人間の體が持つ微妙な性の揺れのこと。
女はどこまでも女であり、
男は男であるが女を経てなっていると、
生命進化的にはであるが。
現実もその様でもあると。
女の心を持った男性はいても、
その逆はほとんどいないかと。
その逆は実に體には表われず、
それはほとんど言葉の技かと、
それは念の作用であると。
私はそう思っている。
・・・・・
しかし昨今はその姓に於いて、
不見識かつ不埒が満ちている。
戦前にもあったが戦後は特にその様で。
男女共同参画に始まり男女同権はもとよりだが、
てかこんな当り前をスローガンにし鼓舞してお金を使う、
バカバカしい限りですよ。
そこへもってきてさらに、
父母の家を壊そうとしている。
それは戦後すぐの民法の改正、
その後押しの為の個人の強調、
その後押しの為の自由の誤用、
さらに更に、
ついにLGBTQ~を前面に持ち出してきた。
婚姻とは男女を父母にする社会の智慧、
これを壊そうとする魂胆としか思えず、
為にLGBTQ~の彼彼女らが利用されているのです。
さらにそこへもってきて選択的夫婦別姓である。
選択的と言うのは欺瞞であり、要するに夫婦別姓である。
これは父母の家を壊すことに。
シナ朝鮮を見れば分かるでしょう。
父母の家は一つです、それが父の姓にせよ母の姓にせよ。
それが厭なら新しい姓にすればいいだけのこと。
言っとくけど、それはひとつ、
当然でしょう。
会社合併の例を持ち出すまでもなくね。
ここで和歌を一つ、
海恋し潮の遠鳴り数えては乙女となりし父母の家。
(与謝野晶子)
私はこの歌が大好きなんです。
悠久の命を歌っているようで。
彼女の想いは知らない、
でもそこにそれを想うのです。
特にそこにある「乙女」が象徴的で感じ入る。
乙女はまさに命の基、それが母になって命を繋ぐ。
それを想うのです。
・・・・・
日本には天皇陛下がおられる。
天皇陛下には姓がありません。
皇后陛下にも当然ありません。
その御子にも当然ありません。
皇室の方々にもありませんが、
男子には宮号というものがあります。
これは称号であって姓ではありません。
ということですが、
その天皇陛下は日本の象徴である。
これは定められてるが、
むろん古より続くもの。
そこに姓はないのです。
ゆえにかたよりがなく、
まさに「しん」となる。
円環の社会の芯である。
それを想うのです、
まことにまことに、

無人レジ

2025-02-17 08:29:20 | 日記・エッセイ・コラム
私はアナログの信奉者である。
でもデジタルが嫌いなわけではない。
デジタルは非常に便利で有効なものである。
アナログは現場主義現実主義である。
これは神の事の場にある。
そこには體が受取る情報が止めどなくある。
ところがデジタルはそこに大きな抜け穴をつくる。
てか点で捉えるから当然。
でもゆえより鮮明になる。
しかもときに時と場を大きく超える。
瞬時に遠くに音と絵を届けることもできるのです。
これを利用するのは当然。
要は使い方次第なのです。
にしても肝に命じておくことがある。
すべては現場現実に帰ると。
言わずもがなだが。
・・・・・
最近は無人レジが増えている。
これはハッキリ言って嫌いである。
おもてなしの欠片もない。
だからこれを避けている。
ゆえ無人レジだけの店は行かない。
そんなこともあってネット市場も利用しない。
特にアマゾンはね。
日本的経営があるとは思えないからです。
それは売り手良し買い手良し世間良しの精神のこと。
日本企業でも有るとは限らないが。
それでもどうしても欲しいもので、
実店舗で見つけられなければそこで探す、
てか利用することもある。
そうですここでも時と場を超えられるのです。
便利は便利それはまさに。
てかそもネット市場を否定してはいない、
ただ嫌いなだけです。
でもこれは只の気まぐれではない、
そういう方針です。
でもネットで買うときは、
できるだけその商品の製造元を利用する、
てかこれは私の方針には反しない。
それはさておき元に戻り無人レジ。
無人レジとは要するに売買のこと、
これはすなわち経済のことであり、
これの始まりは「市」であろうか。
これは物々交換に始まりやがてそこに貨幣が。
以前にも言ったが経済とは助け合いであると。
それは売り手良し買い手良し世間良しである。
ゆえにそこにあるのは「おもてなし」である。
おもてなしとは一方通行ではなくそも双方向。
その精神で市は栄える。
そこにあるのは別の言葉で言えば、
それはエンターテイメントである。
つまりエンタメなのだ。
人が集まりそれが又人を呼び、
ワイワイガヤガヤの賑わいに。
それがイベントになればまさにエンタメ。
その始まりは売買にあり市にあり。
だから無人レジが嫌いなのだ。
てか必要なものを求めるだけならそれも良し。
だから否定はしないと、
ただ嫌いなだけである。
てかそれはそれとして、
欧米では無人レジはむしろ撤退しているとか。
万引きが横行して経営が為りたたないようだ。
目論見が逆転したのだ。
日本ではそれほどでもないが傾向は同じ。
やはりその対策は必要。
てかそれもあるが、
私が厭なのはそこに「市」が消えるから。
だから嫌いなのである。
理由は違ってもいづれ撤退するだろうと。
要は適材適所であると、
私はそう思っています。
・・・・・
ところで無人販売と言うのがある、
この日本には。
てかこれは無人レジに一寸似てる。
てか一寸似てるがまったく違うものです。
そこには同じ販売でもレジがないのです。
この違いは決定的なのです。
レジとはキャッシュレジスターのことで、
日本語で言えば金銭登録機。
登録つまり記録つまり言葉。
まあそう言うことです。
無人販売にはそれがないのです。
しても言葉がないわけではない。
価格の表示はあるはず。
してもそれは記録ではない。
必要最低限のお知らせです。
それにそれは相手次第です。
そこにあるのは信用信頼に基づく空気である。
そこにあるのはアウンの呼吸である。
てかこのアウンはどこから来るのか。
てかこれには私なりの存念があるが。
それは場への感謝と祈りである。
場とはそこに存在する物事のすべて、
そのすべてへの感謝と祈りです。
それがアウンをかもす。
そしてときにそこに無人販売が。
そこに言葉はない。
むしろ邪魔になる。
と謂うことだろう。
ぁうん!

知らねばならぬこと

2025-02-10 08:49:19 | 日記・エッセイ・コラム
この世界は(宇宙は)すべて繋がっている。
そこに隙や穴はないのです、と思っている。
それは在るものが有る世界であり、
無いものは「無い」のである。
とてもシンプルなのです。
てか聖書の出エジプト記にて、
モーセの問いに答えて神は言った、
私は在るものである、と。
この「もの」とは厳密には「ものごと」のこと。
これらは前回言ったこと。
私はこれを疑わない。
私の體がそれを全身全霊で感じている。
私の體はまさにその「神の事の場」により創られたもの。
そして貴方方の體も。
脳も體の一部だから脳にも問うが、
まあ普通は大抵そうだが、
ここと言うときは體に問うている。
てか、
私はこの言葉が好きです、
體に問うが。
・・・・・
ここにすべての問題が隠れている。
現下のすべての問題の本源がある、
それはヒトの言葉である。
これが人だけを神の事の場から遊離させる。
そんな力を持っているのです。
だから聖書はそれを警告した。
なのに人はそれに気付かない。
そしていまだ問えないでいる。
てか問おうとしていない。
それを罪と言うばかりで。
問えばそのヒントはある。
それは人の言葉は神の言葉を写したものと謂うこと、
である。
このことに尽きます。
つまり人の言葉は神の言葉の断片であると。
だから次々と新たな言葉を作りだすことに。
にしてもいくら作り出しても追いつかない。
ゆえに文章にして繋げて補正しようとする。
それが物語となり又論理ともなる。
でも断片であることに変わりなし。
このこと決して免れない。
神の言葉は隙も穴もない、つまりアナログなのです。
人の言葉は隙あり穴あり、つまりデジタルなのです。
これを知ろう。
てかここであらためて分かること、
それはふたつ。
一つは場がもうひとつできること。
一つはそこが穴だらけということ。
先に言ったが、
このことを問うていない。
てか問おうとしていない。
一つは既に聖書が警告してるのに。
しても人の事の場が穴だらけとは、
考えたら分かりそうなものなのに、
なぜか知らんふり。
そしてこのデジタル全盛の時代に。
これはこのままでは落し穴になる。
ちなみにこれは余談だが、
コンピュータは何で出来ているかと言えば、
それは言葉であると。
その核心は言葉であり、そも言葉の権化である。
これをずっと言っている。
だから人間とは相性がいいのです。
ゆえ危険なのです、頼り過ぎれば。
しかもそれはそも穴だらけである。
でもそれは小さければ見えません。
てかそこがミソなのです。
それはさておき、ここで、
アナログとデジタルの違いの例を。
一つは時計、
アナログの針時計はすべての時刻を表示する、
常に動いているからかときに曖昧、
デジタルの字時計は区切った時刻を示すだけ、
時に止まっているので却って鮮明、
一つは音盤、
アナログの針音盤は音の揺らぎを全て捉える、
そこにあるその揺らぎが心地良い、
デジタルの穴音盤は音を点でとらえてクリア、
大音量にも耐えてそこは迫力満点、
てかとか。
してもデジタルは道具としてはすぐれている。
それはそこにある紛れを消せるから。
てかそのこと承知の上なら。
でも少しく危うい。
・・・・・
てかすべては言葉の技である。
それが問題を惹起するとして、
それを解決するのは、言葉では出来ないと。
ならそれは何なのか。
それは言うまでもないこと…であると。
であるが…とは何なのかはよく分からない。
まあそれなりに存念はあるが。
でもその前に、
言葉でしなければならないことがある。
それは言葉の技である知るを発揮して。
そして知らねばならない。
それは言葉が持つ「質」を知ることである。
それを知らねばならない。
これは言葉の仕事である、
まさに言葉の仕事である。
ときに問題の多くは解決する。
そして人類は又その先に進む。

シンプルワールド

2025-02-03 08:03:21 | 日記・エッセイ・コラム
最近深夜のアニメに嵌まっている。
夜は苦手なので録画しておいて翌夕以降に見るのです。
そこでは異世界ものが多くあるのだが、
これがなかなか面白く好んで見ている。
似たものにパラレルワールドという言葉がある。
これは仮想世界とか並行世界とか謂うのですが、
単なる空想世界でなく現実世界と併存している、
と謂うものである。
先の異世界とはそういうものです。
だからそこでは人が行き来できる。
その範疇には幽界冥界もあります。
まあ設定は色々だが斬新で面白い。
・・・・・
世界という言葉を宇宙と言ってもまあ同じ。
人間世界とか対象を区切ればそれは違うが、
存在のすべてを包むものとすれば同じもの。
標題のワールドはそういう意で記している。
所謂ワンワールドは人間社会を指してるが。
しても思うのです。
現実の宇宙には「無いもの」は無いのです。
現実の宇宙は「在るもの」だけが有る世界。
ちょっと分かりにくいが、
でもこれがすべてである。
無いものは無い、は当り前であり、
ここにあるのは無という概念だけ、
神の事の場には現の実があるのみ。
だからです「無い」ものは無いと。
これに似たものに「0」や「マイナス」それに「虚」。
てか人の言葉はこれらに限らずすべてがそういうもの。
てかそれは神の言葉を写すことから始まる。
てかその成り立ちに思いを致せば、
人の言葉の限界はおのずと明らか。
往古の人類はそれを知っていたか、
それを想う。
だから初めにあったのが天と地で、(もの)
そしてそれは言葉とともにあった。(こと)
物は常に動いているもの、
止まってる様に見えても。
そうです物はいつも事の場にある。
物を知るとは事を知ることに同じ。
局面を区切って事を知る。
物事はそも一心同体です。
ちなみに和語の凄さはここにある。
ちなみに漢字の凄さもここにある。
それを「ことば」と言うは「こと」の「ば」だから。
それを「言葉」と記すは事の場であり事の端だから。
神を「示して申す」としるすのも。
論理は不要、ここにすべてがある。
にしても、
言葉の生き物・人間は言葉ですべてを知ろうとする。
それは無理なのだがそれが人間の性である。
ちなみに余談だが、
それを埋めようとするのが宗教である。
でもお分かりでしょうここには矛盾が。
宗教とはつまり教である。
それは人の言葉で出来ている。
言葉の限界は言葉では埋まらない。
そこを埋めるのは言葉ではないのです。
それを知ろう。
それが何かは言うまでもないかと、
……。
ちなみにまた余談だが、
精神界で言われている人類の次元の上昇や、
科学界で言われている新たな進化の階段を上るとか、
は有り得ることだが、
それは言葉に依ってではない、
言葉を越えた手段を手に入れればであろう。
それは言葉を持ちながら言葉にとらわれず、
のそういう世界である。
そう想うのです。
いま世界でも日本でも言葉が氾濫している。
メディアは嘘に塗れておりネットがそれを暴きだす、
メディアはネットこそが問題だと反論するが空しい、
そもどちらも虚構なのだから。
問題は構えなのである。
メディアは構えを失って久しく、ネットは玉石混交。
さてもどうなるのやら。
・・・・・
シンプルワールドとはなにか。
言わずもがなそれは「神の事の場」のこと。
人は神の言葉をなぞって己の言葉を作った。
それが「人の事の場」を作ることになった。
これがまさにパラレルワールドなのである。
そしてこの「人の事の場」を生きることに。
でもそれは「神の事の場」なしでは有りえない。
てかじつは「神の事の場」そのものなのだ。
だからゆえ神話がつくられる。
それもまた当然のこと。
それは言葉を持つ前から體が捉えていたものだから。
そもヒトの體は誰がつくったのか。
言わずもがなか、それは神の事の場である。
その體には器官がある、
神の事の場がつくった器官である。
その器官が神の事の場をとらえる。
目や耳や鼻それに口や他の諸々で。
その器官がとらえたものを疑う必要はない。
そのまんまでいいのだ。
虫(無私)の心のまま。
それが神の事の場の意思です。
考えればシンプルなことです。
ゆえシンプルワールドと言う。
それを日本語で記せば「神振輪有土」てか。
そこで生きることをば「神振輪有道」とか。
てかとか、
とはいつもの言葉遊び、
まあちょっと遊び過ぎ、
かな。
でも世界はシンプルである、
シンプルなワールドである。
ハイ!

亀田製菓

2025-01-27 09:34:17 | 日記・エッセイ・コラム
毎度お馴染みのネット情報、
あの柿の種で有名な亀田製菓が叩かれているとか。
青天の霹靂である。
その言い分や経緯を見れば私もそう思う。
てか事実はそれだけではなかろうが。
でも「ワンワールド」や「グローバリズム」が嫌いな私は、
少しく賛同してしまう。
いつも言ってるが言葉はマジックである。
それはいつだって現実ではなくただの看板である。
その看板が現実に添っているなら許より問題なし。
てかこれが言葉の力となる。
口に出せば現実になる、とは、
現実を口にしてるから、とも言える。
そう思うのである。
言葉の世界に生きてる人間にとって、
嘘はこの世界を破壊し人間を破滅させる。
これはあくまで真正の嘘の場合です。
てか真性の嘘は論外として、
例え嘘でなくとも思い違いや切り取りもあり厄介。
でもこの厄介は人の言葉にはついて回るもの。
それに嘘の中には悪気がないものもある。
てか思いやりから発するものもある。
これを日本語では方便とか言う。
これは言ってる内容でなく、
言うときの構えの問題。
だから言うのです、
言葉が持つそう謂う質(たち)を知ろうと。
しても私は方便と謂う言葉が好きだ、
そこはかとなく、
・・・・・
てかワンワールドやグローバリズムをなぜ嫌うか。
もし火星に人がいて彼らがそう言ったら唯々諾々と従うのか。
多分何もかも違うだろうし、
なにより目の前の生き方が、
その総体としての文化が違うだろう。
宇宙は我々には一つである。
複数あると言う人もいるが。
てか複数あってもそれを合わせれば一つです。
結局どこまでいっても一つなのです。
だが前にも言ったが、
一つとは奇形である。
それを見ている私(我)を棚に上げてしまう。
だから言ったのです一神教とは奇形であると。
一つを全体とすればこれはおさまる。
これを人間の生活に戻せば、
棲み分けによる共生である。
個人の生活から家庭の生活、町村の生活、国邑の生活、
世界の生活、宇宙の生活、てかてか。
棲み分けによる共生の上でなら世界は一つである。
その前提が欠落しているから嫌いなのだ。
その欠落の目的は如何。
それは世界の支配かと、見ている私を中心に置いての。
そも人は助け合って生きることを選んだ。
それが社会的動物と言われる所以である。
その助け合いの力をずたずたにするのだ。
その力が支配の邪魔になるから。
だから家庭を潰し町村を潰し国邑を潰す。
そこに通底している生き方の総体としての文化を。
家庭の文化も国邑の文化もそして男女の文化等も。
それが戦後ずっと行われてきた。
それは大きく言えば思想統制である。
ために目障りな言葉は執拗に消していく。
そして無味乾燥な抽象的美辞麗句で覆い尽す。
手始めに男女共同参画そして終にはLGBT~を持ち出し今やQQ。
ということですが
日本を潰すのも日本を守るのも、その鍵はふたつ。
一つは日本語であり一つは天皇陛下の存在である。
てか大丈夫でしょう。
トランプさんもいるし、
プーチンさんもいるから、
はて安倍さんはどこ、
ん?
・・・・・
ところで亀田製菓は?
社長がインド人とか、なぜそうなったのか。
たたき上げで能力を認められたのか、
元社長がお金欲しさで売却したのか、
それとも商売を広げようとの思惑か。
その間の事情は知らない。
でも私は危惧するのですグローバリズムを。
今の経済は欧米主導の奪い合いの経済になっている。
日本はそれに逆らえないが根は助け合いである。
前もに言ったが、
一は奇形、二は対立、三は安定、と。
それも三位三体ではなく三位一体である。
それぞれを立ててなお融合する。
それを商売で言えば、
売り手良し買い手良し世間良し、である。
これが助け合いを根に持つことの現われ。
皆が皆そう思ってるとは言わないが、
その心を良しとする文化がある。
ここには人類初発のこころ縄文のこころがある。
それを想うのです。
しても少なくともこの縄文のこころ、
日本の他にはあまり見られない、
個人的にはいるでしょうどこにでも。
でも文化として持っている国を私は知りません。
てかインドのことはよく分からない。
ゆえに亀田製菓の件、
批判する気はないが、
でも危惧しています。
そんなことを思うのです。
ハイ!