創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

93.会合の様子や違和感などは書けない (^_^;)(^_^;)

2006年05月31日 20時00分42秒 | 創価学会
予定外の記事。予定は後一つか2つ?今度こそ更新停止?(^^;)

 ここはアンチブログですが、私にも書けないことがあります。

実を言うと会合の様子や違和感などは書けないこともないのですが、洗脳、MCがあって微妙に学会擁護をしてしまうので書けません。

 創価班だけでなく、座談会の司会や裏方。会館の裏方や男子部の地域の会館の小さな会合の司会とかもしていたので、 「元気ですかっ !!!!!!!(by猪木風)」 (ですかー、じゃなくて、「ですかっ」がポイント。学会の会合に出たことのある人は分かるでしょう。(笑) )
 何々支部元気ですかっ!!!!とか何々地区元気ですかっ!!!!とかね。こう言って男子部の結束や勢いをつけようとする「しゃべり」は実は今でも出来ると思います。(笑)(^_^;)(^_^;)(^_^;)(^_^;)もちろん幹部ではありませんでしたので、指導でなくて、地区や部の決意発表というレベルです。旗持ったり鳴らし物持ったりして信仰体験発表する人の応援とかしてきましたし。(笑)

 創価の会合やしゃべっている内容は私も理解していて、さらに理由も説明出来ます。その理由は御書だったり、創価学会の歴史や伝統だったりします、それで、ああいう会合になっているのです。これを書き出すとアンチブログにならないので書きませんが、一応、過去にそれで上手くいった人たちがいたから、当然と言えば当然ですが、その言い方や方法を踏襲しているのです。厳しい指導や会館運営、組織運営、連絡事項、家庭訪問など細かなところに渡ってそうだと思います。

 ですが、どっぷりとつかっていた私です。上記のように理解もしています。微力ながらも創価を支える側にいたので書けないのでしょうね。嘘やごまかしや厳しい指導はした事は無いのでそれらの罪悪感みたいなものはありませんが、地区の会員を発心させようと行動はしていた(つもり?)ので、上手くいかないときは残念な気持ちは確かに当時はありました。

 なので、皆さんが期待している違和感は折伏を受けた当時なら書けたかもしれませんが、今はすっかり洗脳&MCされていて、この辺の感覚は私にも、もう書けません。(笑)違和感の記憶はあるんですけどね。上手に書けるならいつの日かUPするかもしれません。思い出していないことや一般の人とは違ってさほど違和感を感じていないだけかもしれません。だから洗脳、MCなのでしょう。

 他の理由も「創価の人は悩んでいる人や頑張っている人もいて、そのうえで信心している人がいる」「新聞やリアルでの体験発表がある」のをもちろん今でも理解してます。それと創価の人たちは私のリアル周りはいい人が多かったので、それも理由の一つかも。この辺の感覚は学会員で私のコメントまで読んで頂いている人には分かって頂けると思いますが。
(若干一名、コメントを読んでいても理解してない人がいましたね。)

なので、その辺を知りたい、その辺の自分の感覚が間違っていないかどうかは、
創価学会は本当に正しいのか? ここや 創価学会の彼女との関係 ここをご覧ください。

アンチの皆さんにはHPやブログをそのまま残しておいて欲しいです。 

一応、上記のことをふまえた上で、それでも、なおかつ、1-21(68)の記事になっていますので、読んでくださいね。

いじょ。
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3 コメント

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管理人さん  (Unknown)
2006-06-01 10:23:18
座談会に参加して、分かってあげたいけど分かりたくないことがあります。



「創価学会はこんなに世間から疎まれているのにどうして学会員は活動を続けるのか。」「価値観の多様性を認識しているはずの現代人がどうして全体主義に陥るのか。」



座談会に参加しても内部の人の本音が伝わってこない。綺麗な言葉だけを並べて問題点を隠しているように感じてしまう。

前を見続けることで過去の反省点や今の問題から目を背けて、ただお題目を送ることで今の状況をよい方向に変えていけると信じている。そう感じてしまう。



誤りを認め、問題点を改善することが最初にあるはず。法人としての創価学会は何十年、そこに触れずに隠してきた。トップも幹部も自分の過去の良いところしか振り返らない。謝罪も出来ず、反省もできない。指導を受けた信者さんも同じ様になっていく。よき思い出しか語らず間違いには目をつぶっている様に見えます。



もう一つ。

時として自分を変えることより周りを変えることに重きを置いている学会員さんが多いのでは・・・。

折伏も新聞啓蒙も選挙依頼も信仰初期から積極的に行う。自分を変えるために他人も変えようとする。そしてお題目を何時間も上げ続ける。自分と他者の境界線はもうそこにはないのでは・・・。



祈りは叶うと信じて願い続けた学会員の行動は必ず他者を悩まし傷つけると思う。

小さな支部の座談会で何人もの学会員さんに「あなたが入信できるようにお題目上げるから。」と言われました。「ここに入って幸せになるか、ならないかは分かりませんが、決めるのは私ですからね。」そう返すことしか出来ません。入信してもらうことがその人たちの願いなら、私の幸せは何処にあるのでしょう。

「あなたのために。」と上げ続けるお題目が入信を前提に唱えるのなら、それはもはやその人の思惑・我欲でしかないと思うのです。そしてその行動や発言が相手の考え方や価値観を傷つけるものでしかないのなら、どんなに綺麗な言葉でも受け入れることは出来ないし、共感も得られない。と思います。

宗教とはそんなものと言われるとそれまでですが・・。



支離滅裂ですね。はずかしい。

ではでは。

返信する
名無しでオクチャッタ。 (ひまわり)
2006-06-01 10:25:40
上記のコメントは私です。またまた恥かしいですね。

返信する
ひまわりさん (創価学会嘘つき)
2006-06-01 20:24:38


>疎まれているのに活動を続けるのか。



それが教えてです。迫害があるという経文もあり、それを乗り越えることで功徳があるとされています。



>どうして全体主義に陥るのか。



これは創価の教えてですね。2代会長の「学会の組織は戸田の命よりも大事だ」といったそうです。



>本音が伝わってこない。

>綺麗な言葉だけを並べて問題点を隠している

 一般の人がそう思うのなら、それが創価学会であり問題点でしょう。それが変わらない限りは一般受けは悪いでしょう。



>過去の反省点や今の問題から目を背けて、ただお題目を送る

>誤りを認め、問題点を改善することが最初にあるはず。

それが日蓮の教えてもあり、創価の教えでもあります。

「退転者の屍を乗り越えて」と言う戸田氏の指導があります。



>周りを変えることに重きを置いている学会員

それも教えです。創価に入れば「困ったことがあったら自分が変わるか周りを変えるしかない」そう指導されます。



>自分と他者の境界線はもうそこにはない

 学会活動して困った人や不幸な人を助ければいいのですが、その過程で幸福な人や一般の人に迷惑をかけるのが問題でしょうかね?不幸な人、悩みある人を捜すのが折伏と言えます。



>「あなたが入信できるようにお題目上げるから。」

>「あなたのために。」と上げ続けるお題目が入信を前提に唱える

 入信する→自分で信心する→幸福になる という創価の理論です。また、人のためにお題目を送ることは自分にも功徳があるとされています。



>その行動や発言が相手の考え方や価値観を傷つけるものでしかない

 そうなんでしょうね。



>宗教とはそんなものと言われるとそれまでですが・・。

 創価はそんなものです。



>支離滅裂ですね。はずかしい。

 いえ、一般の人の貴重な意見有り難う御座いました。それでも創価は変わりませんけどね。



ではでは。
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