●注意事項
本記事は本文でも画像でも全てにおいて引用、転載を一切、禁止します。
本記事はリンクのみ許可します。
ツイッター、フェイスブック、他ツールからでも、本記事に飛べば許可します。
気楽非活さんから本文と画像の転載許可をいただきました。
私、気楽非活さん、日本小学館書籍の史料提供者、これら3者への無用のトラブルを防ぐためですので御理解の上、厳守をお願いします。
ブログの性質上、私しか編集できませんが、文章や構成、画像配置等々、気楽非活さんから要望や追加情報があれば私はその都度追記修正したいと考えています。
●史料名
昭和16年発行の『小国民日本』第3号
戸田城聖が出版した「小国民日本」第3号は、戦争賛成、大政翼賛していることがわかります。
●以下、「気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆」より。
ブログ掲載日付
2018-10-20
タイトル
戸田城聖氏の帝国海軍への賛辞。
以下は本文と画像です。画像は順に、表紙、目次、巻頭言、奥付です。
----------------------------------
いつもみなさん、ありがとうございます。




さて創価学会の第2代会長・戸田城聖氏は戦時中に15年戦争に対してどのような認識を持っていたのか、当時の史料から考えてみたいと思います。この当時の貴重な史料を提供してくださった方に感謝申し上げます。ありがとうございます。
冒頭画像に挙げたのは昭和16年発行の『小国民日本』第3号の巻頭言と目次、表紙です。この巻頭言を戸田城聖(当時は戸田城外)氏本人が書いています。
ここでの戸田氏の巻頭言全文を引用してみます。なお漢字の旧字体は適宜改めました。
「我が国土の成立ちをたづねると、天御中主神が天瓊鉾(あめのぬぼこ)を霧中に振り給ふて、その刃先より滴りたる水滴が、大和島根の大八洲国を造ったと伝へ、また神武天皇建国創業の歴史も、南海より大和へ御東征の水師を進められたのに始まっている。
このやうに我が日本は、太古よりその母なる海に育まれ、海に親しんだ時代は進歩発達し、海に疎い時代は進展が歩みを止めつつ、今日まで成長してきたことを私達は歴史によって知っている。
海は我が国運進展の母体である。海は、太平洋は、我が生命線である。その太平洋いまや波高からんとする時、私達に心から安心を与へてくれるものは、沈黙の我が無敵海軍の厳たる姿である。朝に夕に、波濤を衝いて我等の祖国を護る輝く帝国海軍に、心からなる感謝を捧げようではないか。」
(戸田城聖「巻頭言・海国日本の海軍」『小国民日本』第3号より、日本小学館、昭和16年6月1日)
一読すればわかる通り、日本の帝国海軍を讃嘆し、「心から感謝を捧げよう」という内容です。ここから考えれば戸田城聖氏は15年戦争(当時は日中戦争)に明確に賛意を示していたということができるでしょう。
この年代は昭和16年であり、治安維持法及び明治神宮への不敬罪で牧口氏とともに逮捕される2年前のことであり、この時の戸田城聖氏は明確に戦争に賛意を示しており、なんら戦争反対の意志を示していなかったことはここからも明白であると思います。
追記:
今回の記事を書くにあたり、投稿者から日本小学館の当時の数少ない史料を提供して頂きました。本当にありがとうございます。
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以上
2019年7月22日 追記修正 タイトル、日付
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昭和16年発行の『小国民日本』第3号
戸田城聖が出版した「小国民日本」第3号は、戦争賛成、大政翼賛していることがわかります。
●以下、「気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆」より。
ブログ掲載日付
2018-10-20
タイトル
戸田城聖氏の帝国海軍への賛辞。
以下は本文と画像です。画像は順に、表紙、目次、巻頭言、奥付です。
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いつもみなさん、ありがとうございます。




さて創価学会の第2代会長・戸田城聖氏は戦時中に15年戦争に対してどのような認識を持っていたのか、当時の史料から考えてみたいと思います。この当時の貴重な史料を提供してくださった方に感謝申し上げます。ありがとうございます。
冒頭画像に挙げたのは昭和16年発行の『小国民日本』第3号の巻頭言と目次、表紙です。この巻頭言を戸田城聖(当時は戸田城外)氏本人が書いています。
ここでの戸田氏の巻頭言全文を引用してみます。なお漢字の旧字体は適宜改めました。
「我が国土の成立ちをたづねると、天御中主神が天瓊鉾(あめのぬぼこ)を霧中に振り給ふて、その刃先より滴りたる水滴が、大和島根の大八洲国を造ったと伝へ、また神武天皇建国創業の歴史も、南海より大和へ御東征の水師を進められたのに始まっている。
このやうに我が日本は、太古よりその母なる海に育まれ、海に親しんだ時代は進歩発達し、海に疎い時代は進展が歩みを止めつつ、今日まで成長してきたことを私達は歴史によって知っている。
海は我が国運進展の母体である。海は、太平洋は、我が生命線である。その太平洋いまや波高からんとする時、私達に心から安心を与へてくれるものは、沈黙の我が無敵海軍の厳たる姿である。朝に夕に、波濤を衝いて我等の祖国を護る輝く帝国海軍に、心からなる感謝を捧げようではないか。」
(戸田城聖「巻頭言・海国日本の海軍」『小国民日本』第3号より、日本小学館、昭和16年6月1日)
一読すればわかる通り、日本の帝国海軍を讃嘆し、「心から感謝を捧げよう」という内容です。ここから考えれば戸田城聖氏は15年戦争(当時は日中戦争)に明確に賛意を示していたということができるでしょう。
この年代は昭和16年であり、治安維持法及び明治神宮への不敬罪で牧口氏とともに逮捕される2年前のことであり、この時の戸田城聖氏は明確に戦争に賛意を示しており、なんら戦争反対の意志を示していなかったことはここからも明白であると思います。
追記:
今回の記事を書くにあたり、投稿者から日本小学館の当時の数少ない史料を提供して頂きました。本当にありがとうございます。
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以上
2019年7月22日 追記修正 タイトル、日付