創価学会の信仰に功徳はあるか?

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日蓮の本尊観

2007年05月31日 18時31分12秒 | 創価学会
未完成

唱法華題目抄
P012
 問うて云く法華経を信ぜん人は本尊並に行儀並に常の所行は何にてか候べき、答えて云く第一に本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり、又たへたらん人は釈迦如来多宝仏を書いても造つても法華経の左右に之を立て奉るべし、又たへたらんは十方の諸仏普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし、行儀は本尊の御前にして必ず坐立行なるべし道場を出でては行住坐臥をえらぶべからず、常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱うべし、たへたらん人は一偈一句をも読み奉る可し助縁には南無釈迦牟尼仏多宝仏十方諸仏一切の諸菩薩二乗天人竜神八部等心に随うべし愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず其の志あらん人は必ず習学して之を観ずべし。

早勝問答
P0166
 問う法華宗は何れの経に依つて仏の印契相好を造るや顕教には無し但真言の印を盗むと覚えたり如何、答う之に依つて法華を謗ずるか、一義に云く汝盗むの義相違せば亡国は治定なるか、一義に云く汝法華宗の建立する所の大段の妙法蓮華経をば本尊と落居して問うか、一義に云く釈尊を三部に依つて建立する故に驢牛の三身と下すか若し爾なりと云わば返つて汝は真言を誹謗する者なりと責む可し、一義に云く三世の諸仏の印契相好実に妙法蓮華経に依つて具足するの義落居せば亡国は治定なるか、又盗人は治定なるか、一義に云く竜女霊山に即身に印契相好具足し南方に成道を唱えしは真言に依つて建立するか若し爾なりと云わば直に経文を出せと責む可きなり。

行敏訴状御会通
P0181
又云く年来の本尊弥陀観音等の像を火に入れ水に流す等云云、此の事慥なる証人を指し出し申す可し若し証拠無くんば良観上人等自ら本尊を取り出して火に入れ水に流し科を日蓮に負せんと欲するか委細は之を糾明せん時其の隠れ無らんか、但し御尋ね無き間は其の重罪は良観上人等に譲り渡す、二百五十戒を破失せる因縁此の大妄語に如かず無間大城の人他処に求ること勿れ、又云く凶徒を室中に集むと云云、法華経に云く或は阿練若に有り等云云、妙楽云く東春云く輔正記云く此等の経釈等を以て当世日本国に引き向うるに汝等が挙る所の建長寺寿福寺極楽寺多宝寺大仏殿長楽寺浄光明寺等の寺寺は

開目抄上
P0204
千二百無量の声聞は法華経ましまさずば誰か名をも、きくべき其の音をも習うべき、一千の声聞一切経を結集せりとも見る人よもあらじ、まして此等の人人を絵像木像にあらはして本尊と仰ぐべしや、此偏に法華経の御力によつて一切の羅漢帰依せられさせ給うなるべし、諸の声聞法華をはなれさせ給いなば魚の水をはなれ猿の木をはなれ小児の乳をはなれ民の王をはなれたるがごとし、いかでか法華経の行者をすて給うべき、諸の声聞は爾前の経経にては肉眼の上に天眼慧眼をう法華経にして法眼仏眼備われり、十方世界すら猶照見し給うらん、何に況や此の娑婆世界の中法華経の行者を知見せられざるべしや、設い日蓮悪人にて一言二言一年二年一劫二劫乃至百千万億劫此等の声聞を悪口罵詈し奉り刀杖を加えまいらする色なりとも法華経をだにも信仰したる行者ならばすて給うべからず、譬へば幼稚の父母をのる父母これをすつるや、梟鳥が母を食う母これをすてず破鏡父をがいす父これにしたがふ、畜生すら猶かくのごとし大聖法華経の行者を捨つべしや、されば四大声聞の領解の文に云く「我等今は真に是れ声聞なり仏道の声を以て一切をして聞かしむ我等今は真に阿羅漢なり諸の世間

開目抄下
P0214
 此の過去常顕るる時諸仏皆釈尊の分身なり爾前迹門の時は諸仏釈尊に肩を並べて各修各行の仏なり、かるがゆへに諸仏を本尊とする者釈尊等を下す、今華厳の台上方等般若大日経等の諸仏は皆釈尊の眷属なり、仏三十成道の御時は大梵天王第六天等の知行の娑婆世界を奪い取り給いき、今爾前迹門にして十方を浄土とがうして此の土を穢土ととかれしを打ちかへして此の土は本土なり十方の浄土は垂迹の穢土となる、仏は久遠の仏なれば迹化他方の大菩薩も教主釈尊の御弟子なり、一切経の中に此の寿量品ましまさずば天に日月の国に大王の山河に珠の人に神のなからんがごとくしてあるべきを華厳真言等の権宗の智者とをぼしき澄観嘉祥慈恩弘法等の一往権宗の人人且は自の依経を讃歎せんために或は云く「華厳経の教主は報身法華経は応身」と或は云く「法華寿量品の仏は無明の辺域大日経の仏は明の分位」等云云、雲は月をかくし讒臣は賢人をかくす人讃すれば黄石も玉とみへ諛臣も賢人かとをぼゆ、今濁世の学者等彼等の讒義に隠されて寿量品の玉を翫ばず、又天台宗の人人もたぼらかされて金石一同のをもひをなせる人人もあり、仏久成にましまさずば所化の少かるべき事を弁うべきなり、

開目抄下
P0214
 而るを天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり、倶舎成実律宗は三十四心断結成道の釈尊を本尊とせり、天尊の太子が迷惑して我が身は民の子とをもうがごとし、華厳宗真言宗三論宗法相宗等の四宗は大乗の宗なり、法相三論は勝応身ににたる仏を本尊とす天王の太子我が父は侍とをもうがごとし、華厳宗真言宗は釈尊を下げて盧舎那の大日等を本尊と定む天子たる父を下げて種姓もなき者の法王のごとくなるにつけり、浄土宗は釈迦の分身の阿弥陀仏を有縁の仏とをもうて教主をすてたり、禅宗は下賎の者一分の徳あつて父母をさぐるがごとし、仏をさげ経を下す此皆本尊に迷えり、


観心本尊抄
P0239
 問うて曰く百界千如と一念三千と差別如何、答えて曰く百界千如は有情界に限り一念三千は情非情に亘る、不審して云く非情に十如是亘るならば草木に心有つて有情の如く成仏を為す可きや如何、答えて曰く此の事難信難解なり天台の難信難解に二有り一には教門の難信難解二には観門の難信難解なり、其の教門の難信難解とは一仏の所説に於て爾前の諸経には二乗闡提未来に永く成仏せず教主釈尊は始めて正覚を成ず法華経迹本二門に来至し給い彼の二説を壊る一仏二言水火なり誰人か之を信ぜん此れは教門の難信難解なり、観門の難信難解は百界千如一念三千非情の上の色心の二法十如是是なり、爾りと雖も木画の二像に於ては外典内典共に之を許して本尊と為す其の義に於ては天台一家より出でたり、草木の上に色心の因果を置かずんば木画の像を本尊に恃み奉ること無益なり、疑つて云く草木国土の上の十如是の因果の二法は何れの文に出でたるや、答えて曰く止観第五に云く「国土世間亦十種の法を具す所以に悪国土相性体力」等と云云、釈籤第六に云く「相は唯色に在り性は唯心に在り体力作縁は義色心を兼ね因果は唯心報は唯色に在り」等云云、金・論に云く「乃ち是れ一草一木一礫一塵各一仏性各一因果あり縁了を具足す」等云云。

P0246
 夫れ以れば釈迦如来の一代顕密大小の二教華厳真言等の諸宗の依経往いて之を勘うるに或は十方台葉毘盧遮那仏大集雲集の諸仏如来般若染浄の千仏示現大日金剛頂等の千二百尊但其の近因近果を演説して其の遠因果を顕さず、速疾頓成之を説けども三五の遠化を亡失し化導の始終跡を削りて見えず、華厳経大日経等は一往之を見るに別円四蔵等に似たれども再往之を勘うれば蔵通二教に同じて未だ別円にも及ばず本有の三因之れ無し何を以てか仏の種子を定めん、而るに新訳の訳者等漢土に来入するの日天台の一念三千の法門を見聞して或は自ら所持の経経に添加し或は天竺より受持するの由之を称す、天台の学者等或は自宗に同ずるを悦び或は遠きを貴んで近きを蔑みし或は旧を捨てて新を取り魔心愚心出来す、然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏木画二像の本尊は有名無実なり。

P0247
 此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず何に況や其の已外をや但地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う、其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏多宝仏釈尊の脇士上行等の四菩薩文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり、

P0248
是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し八年の間にも但八品に限る、正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉阿難を脇士と為し権大乗並に涅槃法華経の迹門等の釈尊は文殊普賢等を以て脇士と為す此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず、末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか。
 問う正像二千余年の間は四依の菩薩並びに人師等余仏小乗権大乗爾前迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由之を申す、此の事粗之を聞くと雖も前代未聞の故に耳目を驚動し心意を迷惑す請う重ねて之を説け委細に之を聞かん。

P0253
 地涌千界正像に出でざることは正法一千年の間は小乗権大乗なり機時共に之れ無く四依の大士小権を以て縁と為して在世の下種之を脱せしむ謗多くして熟益を破る可き故に之を説かず例せば在世の前四味の機根の如し、像法の中末に観音薬王南岳天台等と示現し出現して迹門を以て面と為し本門を以て裏と為して百界千如一念三千其の義を尽せり、但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず所詮円機有つて円時無き故なり。

P0254
 問うて曰く仏の記文は云何答えて曰く「後の五百歳閻浮提に於て広宣流布せん」と、天台大師記して云く「後の五百歳遠く妙道に沾おわん」妙楽記して云く「末法の初冥利無きにあらず」伝教大師云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り」等云云、末法太有近の釈は我が時は正時に非ずと云う意なり、伝教大師日本にして末法の始を記して云く「代を語れば像の終り末の初地を尋れば唐の東羯の西人を原れば則ち五濁の生闘諍の時なり経に云く猶多怨嫉況滅度後と此の言良とに以有るなり」此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆西海侵逼の二難を指すなり、此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し月支震旦に未だ此の本尊有さず、日本国の上宮四天王寺を建立して未だ時来らざれば阿弥陀他方を以て本尊と為す、聖武天皇東大寺を建立す、華厳経の教主なり、未だ法華経の実義を顕さず、伝教大師粗法華経の実義を顕示す然りと雖も時未だ来らざるの故に東方の鵝王を建立して本門の四菩薩を顕わさず、所詮地涌千界の為に此れを譲り与え給う故なり、此の菩薩仏勅を蒙りて近く大地の下に在り正像に未だ出現せず末法にも又出で来り給わずば大妄語の大士なり、三仏の未来記も亦泡沫に同じ。

撰時抄
P0280
又天台宗の人人広修惟・等にならはせ給いしかども心の内にをぼしけるは真言宗は天台宗には勝れたりけり、我が師伝教大師はいまだ此の事をばくはしく習せ給わざりけり漢土に久しくもわたらせ給わざりける故に此の法門はあらうちにをはしけるやとをぼして日本国に帰朝し叡山東塔止観院の西に総持院と申す大講堂を立て御本尊は金剛界の大日如来此の御前にして大日経の善無畏の疏を本として金剛頂経の疏七巻蘇悉地経の疏七巻已上十四巻をつくる、此の疏の肝心の釈に云く「教に二種有り一は顕示教謂く三乗教なり世俗と勝義と未だ円融せざる故に、二は秘密教謂く一乗教なり世俗と勝義と一体にして融する故に、秘密教の中に亦二種有り一には理秘密の教諸の華厳般若維摩法華涅槃等なり

P0281
慈覚大師は本朝にしては伝教弘法の両家を習いきわめ異朝にしては八大徳並に南天の宝月三蔵等に十年が間最大事の秘法をきわめさせ給える上二経の疏をつくり了り重ねて本尊に祈請をなすに智慧の矢すでに中道の日輪にあたりてうちをどろかせ給い、歓喜のあまりに仁明天王に宣旨を申しそへさせ給い天台の座主を真言の官主となし真言の鎮護国家の三部とて今に四百余年が間碩学稲麻のごとし渇仰竹葦に同じ、されば桓武伝教等の日本国建立の寺塔は一宇もなく真言の寺となりぬ公家も武家も一同に真言師を召して師匠とあをぎ官をなし寺をあづけ給ふ、仏事の木画の開眼供養は八宗一同に大日仏眼の印真言なり。

P0306
此れは偏に善無畏金剛智不空の造りたる大日経の疏の心のごとし、然れども我が心に猶不審やのこりけん又心にはとけてんけれども人の不審をはらさんとやおぼしけん、此の十四巻の疏を御本尊の御前にさしをきて御祈請ありきかくは造りて候へども仏意計りがたし大日の三部やすぐれたる法華経の三部やまされると御祈念有りしかば五日と申す五更に忽に夢想あり、青天に大日輪かかり給へり矢をもてこれを射ければ矢飛んで天にのぼり日輪の中に立ちぬ日輪動転してすでに地に落んとすとをもひてうちさめぬ、悦んで云く我吉夢あり法華経に真言勝れたりと造りつるふみは仏意に叶いけりと悦ばせ給いて宣旨を申し下して日本国に弘通あり、而も宣旨の心に云く「遂に知んぬ天台の止観と真言の法義とは理冥に符えり」等と云云、祈請のごときんば大日経に法華経は劣なるやうなり、宣旨を申し下すには法華経と大日経とは同じ等云云。

報恩抄
P0311
智証大師の本尊の慈氏菩薩もやけぬ慈覚大師の本尊大講堂もやけぬ現身に無間地獄をかんぜり、但中堂計りのこれり、弘法大師も又跡なし弘法大師の云く東大寺の受戒せざらん者をば東寺の長者とすべからず等御いましめの状あり、

P328
 問うて云く天台伝教の弘通し給わざる正法ありや、答えて云く有り求めて云く何物ぞや、答えて云く三あり、末法のために仏留め置き給う迦葉阿難等馬鳴竜樹等天台伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり、求めて云く其の形貌如何、答えて云く一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだひろまらず一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり、


報恩抄送文
P0330
 御状給り候畢ぬ、親疎と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ御心得候へ、御本尊図して進候此の法華経は仏の在世よりも仏の滅後正法よりも像法像法よりも末法の初には次第に怨敵強くなるべき由をだにも御心へあるならば日本国に是より外に法華経の行者なしこれを皆人存じ候ぬべし、

法華取要抄

「末法太有近」の五字は我が世は法華経流布の世に非ずと云う釈なり。
 問うて云く如来滅後二千余年竜樹天親天台伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや、答えて云く本門の本尊と戒壇と題目の五字となり、問うて曰く正像等に何ぞ弘通せざるや、答えて曰く正像に之を弘通せば小乗権大乗迹門の法門一時に滅尽す可きなり、問うて曰く仏法を滅尽するの法何ぞ之を弘通せんや、答えて曰く末法に於ては大小権実顕密共に教のみ有つて得道無し一閻浮提皆謗法と為り畢んぬ、逆縁の為には但妙法蓮華経の五字に限る、例せば不軽品の如し我が門弟は順縁なり日本国は逆縁なり、疑つて云く何ぞ広略を捨て要を取るや、答えて曰く玄奘三蔵は略を捨てて広を好み四十巻の大品経を六百巻と成す羅什三蔵は広を捨て略を好む千巻の大論を百巻と成せり、日蓮は広略を捨てて肝要を好む所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり、九包淵が馬を相するの法は玄黄を略して駿逸を取る支道林が経を講ずるには細科を捨てて元意を取る等云云、仏既に宝塔に入つて二仏座を並べ分身来集し地涌を召し出し肝要を取つて末代に当てて五字を授与せんこと当世異義有る可からず。

下山御消息
P0353
然れども本師の跡を紹継する人人は叡山は唯七宗にてこそあるべきに教大師の第三の弟子慈覚大師と叡山第一の座主義真和尚の末弟子智証大師と此の二人は漢土に渡り給いし時日本国にて一国の大事と諍論せし事なれば天台真言の碩学等に値い給う毎に勝劣浅深を尋ね給う、然るに其の時の明匠等も或は真言宗勝れ或は天台宗勝れ或は二宗斉等し或は理同事異といへども倶に慥の証文をば出さず、二宗の学者等併しながら胸臆の言なり然るに慈覚大師は学極めずして帰朝して疏十四巻を作れり所謂金剛頂経の疏七巻蘇悉地経の疏七巻なり此の疏の体たらくは法華経と大日経の三部経とは理は同く事は異なり等云云、此の疏の心は大日経の疏と義釈との心を出すがなを不審あきらめがたかりけるかの故に本尊の御前に疏を指し置て此の疏仏意に叶へりやいなやと祈せいせし処に夢に日輪を射ると云云、うちをどろきて吉夢なり真言勝れたる事疑なしとおもひて宣旨を申し下す日本国に弘通せんとし給いしがほどなく疫病やみて四ケ月と申せしかば跡もなくうせ給いぬ、

本尊問答抄
P0365
弘安元年九月 五十七歳御作

 問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし、問うて云く何れの経文何れの人師の釈にか出でたるや、答う法華経の第四法師品に云く「薬王在在処処に若しは説き若しは読み若しは誦し若しは書き若しは経巻所住の処には皆応に七宝の塔を起てて極めて高広厳飾なら令むべし復舎利を安んずることを須いじ所以は何ん此の中には已に如来の全身有す」等云云、涅槃経の第四如来性品に云く「復次に迦葉諸仏の師とする所は所謂法なり是の故に如来恭敬供養す法常なるを以ての故に諸仏も亦常なり」云云、天台大師の法華三昧に云く「道場の中に於て好き高座を敷き法華経一部を安置し亦必ずしも形像舎利並びに余の経典を安くべからず唯法華経一部を置け」等云云。
 疑つて云く天台大師の摩訶止観の第二の四種三昧の御本尊は阿弥陀仏なり、不空三蔵の法華経の観智の儀軌は釈迦多宝を以て法華経の本尊とせり、汝何ぞ此等の義に相違するや、答えて云く是れ私の義にあらず上に出だすところの経文並びに天台大師の御釈なり、但し摩訶止観の四種三昧の本尊は阿弥陀仏とは彼は常坐常行非行非坐の三種の本尊は阿弥陀仏なり、文殊問経般舟三昧経請観音経等による、是れ爾前の諸経の内未顕真実の経なり、半行半坐三昧には二あり、一には方等経の七仏八菩薩等を本尊とす彼の経による、二には法華経の釈迦多宝等を引き奉れども法華三昧を以て案ずるに法華経を本尊とすべし、不空三蔵の法華儀軌は宝塔品の文によれり、此れは法華経の教主を本尊とす法華経の正意にはあらず、上に挙ぐる所の本尊は釈迦多宝十方の諸仏の御本尊法華経の行者の正意なり。

P0366
 問うて云く日本国に十宗あり所謂倶舎成実律法相三論華厳真言浄土禅法華宗なり、此の宗は皆本尊まちまちなり所謂倶舎成実律の三宗は劣応身の小釈迦なり、法相三論の二宗は大釈迦仏を本尊とす華厳宗は台上のるさな(盧遮那)報身の釈迦如来、真言宗は大日如来、浄土宗は阿弥陀仏、禅宗にも釈迦を用いたり、何ぞ天台宗に独り法華経を本尊とするや、答う彼等は仏を本尊とするに是は経を本尊とす其の義あるべし、問う其の義如何仏と経といづれか勝れたるや、答えて云く本尊とは勝れたるを用うべし、例せば儒家には三皇五帝を用いて本尊とするが如く仏家にも又釈迦を以て本尊とすべし。
 問うて云く然らば汝云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや、答う上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり、末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり、其の故は法華経は釈尊の父母諸仏の眼目なり釈迦大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり故に今能生を以て本尊とするなり、問う其証拠如何、答う普賢経に云く「此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり十方三世の諸仏の眼目なり三世の諸の如来を出生する種なり」等云云、又云く「此の方等経は是れ諸仏の眼なり諸仏は是に因つて五眼を具することを得たまえり仏の三種の身は方等より生ず是れ大法印にして涅槃海を印す此くの如き海中より能く三種の仏の清浄の身を生ず此の三種の身は人天の福田応供の中の最なり」等云云、此等の経文仏は所生法華経は能生仏は身なり法華経は神なり、然れば則ち木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし而るに今木画の二像をまうけて大日仏眼の印と真言とを以て開眼供養をなすはもとも逆なり。
 問うて云く法華経を本尊とすると大日如来を本尊とするといづれか勝るや、答う弘法大師慈覚大師智証大師の御義の如くならば大日如来はすぐれ法華経は劣るなり、問う其の義如何、答う弘法大師の秘蔵宝鑰十住心に云く「第八法華第九華厳第十大日経」等云云是は浅きより深きに入る、

P0373
 此の御本尊は世尊説きおかせ給いて後二千二百三十余年が間一閻浮提の内にいまだひろめたる人候はず、漢土の天台日本の伝教ほぼしろしめしていささかひろめさせ給はず当時こそひろまらせ給うべき時にあたりて候へ

P0374
日蓮は其の人に候はねどもほぼこころえて候へば地涌の菩薩の出でさせ給うまでの口ずさみにあらあら申して況滅度後のほこさきに当り候なり、願わくは此の功徳を以て父母と師匠と一切衆生に回向し奉らんと祈請仕り候、其の旨をしらせまいらせむがために御不審を書きおくりまいらせ候に他事をすてて此の御本尊の御前にして一向に後世をもいのらせ給い候へ、又これより申さんと存じ候、いかにも御房たちはからい申させ給へ。


顕仏未来記
P0507
爾りと雖も仏の滅後に於て四味三教等の邪執を捨て実大乗の法華経に帰せば諸天善神並びに地涌千界等の菩薩法華の行者を守護せん此の人は守護の力を得て本門の本尊妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか、例せば威音王仏の像法の時不軽菩薩我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も其の意是れ同じ彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ彼の不軽菩薩は初随喜の人日蓮は名字の凡夫なり。












省略
真言七重勝劣事
八宗違目抄
観心本尊抄送状
諸宗問答抄

2007-03-02 21:52:30 → 2007-05-31 18:31:12
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200.ドコモと関連会社元社員と元創価大職員の2人に計10万円の支払い命令

2007年05月31日 00時30分41秒 | 創価学会
ドコモと関連会社元社員と元創価大職員の2人に計10万円の支払い命令
Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <携帯通話記録>不正操作でドコモなどに10万円支払い命令
5月29日23時13分配信 毎日新聞より。

 携帯電話の通話記録を不正に引き出されたとして、ジャーナリストの乙骨正生氏が、NTTドコモなどに3000万円の損害賠償を求めた訴訟がありましたね。

 東京地裁は29日、ドコモに加え、関連会社元社員と元創価大職員の2人に計10万円の支払いを命じ、判決は元創価大職員の依頼で不正アクセスが実行されたと認定したとのこと。
 さてこれ、自分たちの都合のよい勝利した裁判の記載はしても負けた裁判や問題を起こした裁判は聖教新聞に記載されるんでしょうかね?
 すでに日蓮正宗信徒のハンドル名「れいな」さんとの裁判が”学会側の勝利として”聖教新聞に記載されたのはご存じの通り。「れいな」さんは学会員ではないのに創価側の勝利と言うことで記載されています。

元創価大学職員とのことなので今でも学会員なのか元会員なのかは知りませんが、元会員だとして「ウチは関係ありません」ということで、一般のニュースとしても扱われないのではないでしょうか?
今は学会員でなくても元々創価学会の事件ですから”””会員でない「れいな」さん”””同様、記事があって当然でしょう。

どうせ創価(聖教新聞)は都合の悪いことは書かないで都合のよいことだけを書くダブルスタンダードですからね。
こうしたダブルスタンダードの姿勢が末端の会員にとって創価勝利!!!正義!!!の原因となるCMCといえるでしょう。新聞や裁判の”勝利という結果”を悪用しているわけですね。

創価学会&公明党の事件簿
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1157445760/134

新・創価学会からの脱会を考える会

FORUM21ドコモ通信記録窃盗事件は学会の組織的犯罪か

異常
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198.創価学会の迷信(その2)

2007年05月31日 00時14分54秒 | 創価学会
創価学会の信仰に功徳はあるか? 創価学会の迷信

上記記事に書いた「溜め息」はhttp://soka.8oji.netから消えてしまっていますね。
http://soka.8oji.net/index.php
ここから消えていて
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/
ここからも「溜め息」「ため息」は検索できませんね。どこにあるんでしょうかね?


めずらしく学会員さんによる創価学会?の迷信についてのHP
エセ科学にだまされず客観的な判断力を!!
 最近、MC論をブログに書いているので誤解無いように書いておきます。このHPに「心理学」という単語は記載されていますが、心理学言及内容が批判対象や問題ではありません。一番の問題は創価の迷信です。


「利根川進博士が宇宙のリズムは7.5ヘルツと言った。」
「南無妙法蓮華経も7.5ヘルツ。」
「だから題目を唱えると成功者になる。」


「疑わないで信じることが大切」と教えられた創価学会だけに通用する”毒矢の例え”もそうですが、「戦い続ける」「創価の絶対正義」「創価の絶対勝利」「悪を攻め抜け!」「選挙を戦って功徳がある」こうしたCMCが無数にありそうですね。( ´Д`) <はぁー

( ´Д`) <はぁー。
ため息の原因は創価だよね。
コメント (25)
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