道・・・夢の跡
32年前、瓦の仕事に入るにあたって、瓦はどのようにして作られるかを学ぶため江津市にある石州瓦販売協業組合の、丸八窯業に2カ月の間お世話になった。当時は、浜田道も無く江津までは、府中、世羅を通って、三次から中国道に乗り千代田で降りる、国道261号線を北上、邑南町から川本町を経て江の川を左に見ながら江津に入るというルートを5時間かけて走った。しかし今では、尾道から松江に抜ける「やまなみ街道」を通れば3時間を切って江津まで行くことができる。
14日土曜日正午前、応援に行った浜田の真光寺ののし選別を終え、江津からの帰路についた。どのコースを通って帰ろうか少し迷ったが、9号線を東へ、太田から国道375号線を南下し、三瓶山の西南を横切って国道54号線に出て三次に出て帰るルートにした。
丸惣の倉庫から見える江津市津都野津町、二宮町。初めて来た頃は、赤茶けた来待瓦の家並がいっぱい。その素朴さが、ある意味日本の美、地域の文化を感じさせてくれた。しかし今では、その赤茶けた来待瓦に変わって銀黒の瓦、板金、スレートを含む洋風の屋根がこの地域でも増えてきている。当時30社近くあった石州瓦の窯元も、倒産、廃業、統廃合を繰り返し、今では5社しか生き残っていない。荒れ果てた瓦工場の跡地は、「つわものどもが夢の跡」。
左に山陰の海を見ながら東へ。9号線は何度か通った道、温泉津温泉、仁摩のサンドミュージアムがある、そして太田の町へ入ると右折して375号線を南下、粕淵付近の道はバイパスも通りずいぶん変わっていたが、それでも54号線の赤名に入るまで記憶をたどりながら車を走らせた。一時は雨も上がり窓も開けた、山陰の自然を風で感じながら30年近く前に思いを馳せた。
広島県に入る少し手前、赤名峠の「ドライブイン54」はかつて、観光バス、自家用車がいっぱいで、イカ焼き、ソフトクリーム、お土産を買い求めるお客さんでにぎわっていた。ところが行ってみるとロープは張られ、ここも「つわものどもが夢の跡」一抹のさみしさを感じながら54号線を南下、江の川沿いに三次へと車を走らせた。
色んな所にきれいな「道の駅」はあるものの・・・しかし、かつて行ったことのある印象に残っているお店が、閉店している。津山から鳥取に抜ける国道53号線黒尾トンネルを抜けたところにあるドライブインも、2年前まで営業していたのに閉店していた。新見から米子に抜ける明智峠を越えたところにある小さなお店も、ここで大山(だいせん)を一望しながら一息ついていた。そこも「夢の跡」になっていた。街道沿いの自然も風も変わらない。しかし、少しずつ街の風景が変わっていく。江津からの帰路は、時代の流れを感じながら、30数年前の「夢の跡」をたどっていくことになった。 2015年11月27日 笹原 真二
32年前、瓦の仕事に入るにあたって、瓦はどのようにして作られるかを学ぶため江津市にある石州瓦販売協業組合の、丸八窯業に2カ月の間お世話になった。当時は、浜田道も無く江津までは、府中、世羅を通って、三次から中国道に乗り千代田で降りる、国道261号線を北上、邑南町から川本町を経て江の川を左に見ながら江津に入るというルートを5時間かけて走った。しかし今では、尾道から松江に抜ける「やまなみ街道」を通れば3時間を切って江津まで行くことができる。
14日土曜日正午前、応援に行った浜田の真光寺ののし選別を終え、江津からの帰路についた。どのコースを通って帰ろうか少し迷ったが、9号線を東へ、太田から国道375号線を南下し、三瓶山の西南を横切って国道54号線に出て三次に出て帰るルートにした。
丸惣の倉庫から見える江津市津都野津町、二宮町。初めて来た頃は、赤茶けた来待瓦の家並がいっぱい。その素朴さが、ある意味日本の美、地域の文化を感じさせてくれた。しかし今では、その赤茶けた来待瓦に変わって銀黒の瓦、板金、スレートを含む洋風の屋根がこの地域でも増えてきている。当時30社近くあった石州瓦の窯元も、倒産、廃業、統廃合を繰り返し、今では5社しか生き残っていない。荒れ果てた瓦工場の跡地は、「つわものどもが夢の跡」。
左に山陰の海を見ながら東へ。9号線は何度か通った道、温泉津温泉、仁摩のサンドミュージアムがある、そして太田の町へ入ると右折して375号線を南下、粕淵付近の道はバイパスも通りずいぶん変わっていたが、それでも54号線の赤名に入るまで記憶をたどりながら車を走らせた。一時は雨も上がり窓も開けた、山陰の自然を風で感じながら30年近く前に思いを馳せた。
広島県に入る少し手前、赤名峠の「ドライブイン54」はかつて、観光バス、自家用車がいっぱいで、イカ焼き、ソフトクリーム、お土産を買い求めるお客さんでにぎわっていた。ところが行ってみるとロープは張られ、ここも「つわものどもが夢の跡」一抹のさみしさを感じながら54号線を南下、江の川沿いに三次へと車を走らせた。
色んな所にきれいな「道の駅」はあるものの・・・しかし、かつて行ったことのある印象に残っているお店が、閉店している。津山から鳥取に抜ける国道53号線黒尾トンネルを抜けたところにあるドライブインも、2年前まで営業していたのに閉店していた。新見から米子に抜ける明智峠を越えたところにある小さなお店も、ここで大山(だいせん)を一望しながら一息ついていた。そこも「夢の跡」になっていた。街道沿いの自然も風も変わらない。しかし、少しずつ街の風景が変わっていく。江津からの帰路は、時代の流れを感じながら、30数年前の「夢の跡」をたどっていくことになった。 2015年11月27日 笹原 真二