星野監督からのメッセージ
6日、朝7時のNHKニュースが、「星野仙一元監督が、70歳で4日に亡くなった。」と伝えた。一月ほど前、野球殿堂入りのパーティーで、「野球と恋愛してよかった。野球に恋してよかった。」と笑顔でスピーチされていたのを見ていたからびっくりした。郷土の英雄があまりにも突然に。70歳、まだ早すぎる。
星野監督が、中日のエースで活躍していた頃、野球解説者の秋山登さん(岡山東商業―明治大学―大洋ホエールズのエースとして活躍)が、「今の球界でエースと呼べるのは、星野しかいない。」と発言したことがあった。当時は堀内(巨人)平松(大洋・岡山東商業)松岡(ヤクルト・倉敷商業・星野の一年後輩)江夏(阪神)外木場(広島)等。エースピッチャーは各球団にもいたのに。
星野監督は、お母さんのお腹にいた八ヶ月の時、三菱重工業・三菱青年学校の教官・現場職方のトップだったお父さんを癌で亡くしている。お父さんの部下だった岡部さんが上司に掛け合って、お母さんは三菱の寮の舎監の仕事に就くことが出来た。舎監をしながらお母さんは二人の娘と星野を育てたという。
大学を卒業するとき、「プロには行かずに、倉敷に帰って恩がある三菱に入れ」「プロ野球に行かせてくれ」お母さんは、星野がプロ野球の世界に入ってからも、舎監の仕事は続けたという。「お袋から度々言われたことは、人を大切にしなさい。お袋からよく言われたなあ」 (NHKファミリーヒストリーから)
星野監督の小学校5~6年生の時のエピソードが紹介された。病気(筋ジストロフィー)で体が不自由になった同級生に「学校へ行きたいんか?」「学校へ行きたい。」「それじゃあ、待ってろ、俺が連れて行ってやる!」翌日から2年間、毎日、学校まで30分の道のりをおんぶして通ったという。
「ガキ大将は、威張っているだけじゃダメなんだ。それだけのことをやらないと。みんなが、ガキ大将だと認めてくれることをちゃんとやらないと。」
「人生の1%をボランティアに使いたい。そうすれば社会が良くなるでしょ」
「男は、有言実行!男は黙ってなんて言うけど、俺に言わせれば、それは逃げ。自分にプレッシャー掛けなきゃ、言って出来なかったらどうしよう、考えてる暇なんかないでしょ。男は言い訳はしない!出来る、出来ないよりも、挑戦する姿勢が大切なんだ。その姿にみんなが感動するんだ。」
「御大(明治大学野球部故島岡吉郎監督)は怖かったなあ。ここに居る若い奴ら、逃げだすだろうな・・・誰も耐えられないだろうな・・・」(倉敷秋期キャンプの楽天の選手を見ながら)
「名古屋ドームが完成して、パンフレット用の写真を撮る日、午前5時、家内が亡くなった。8時には、名古屋ドームに入らなきゃならない、ユニホームを着たくなかった。笑顔で写真を撮らなきゃならない、因果だった・・・行きたくなかった、でも行かないわけにはいかない。あの時が一番辛かった・・・」
(星野仙一からのラストメッセージ・山陽放送)2018年1月26日 笹原真二
6日、朝7時のNHKニュースが、「星野仙一元監督が、70歳で4日に亡くなった。」と伝えた。一月ほど前、野球殿堂入りのパーティーで、「野球と恋愛してよかった。野球に恋してよかった。」と笑顔でスピーチされていたのを見ていたからびっくりした。郷土の英雄があまりにも突然に。70歳、まだ早すぎる。
星野監督が、中日のエースで活躍していた頃、野球解説者の秋山登さん(岡山東商業―明治大学―大洋ホエールズのエースとして活躍)が、「今の球界でエースと呼べるのは、星野しかいない。」と発言したことがあった。当時は堀内(巨人)平松(大洋・岡山東商業)松岡(ヤクルト・倉敷商業・星野の一年後輩)江夏(阪神)外木場(広島)等。エースピッチャーは各球団にもいたのに。
星野監督は、お母さんのお腹にいた八ヶ月の時、三菱重工業・三菱青年学校の教官・現場職方のトップだったお父さんを癌で亡くしている。お父さんの部下だった岡部さんが上司に掛け合って、お母さんは三菱の寮の舎監の仕事に就くことが出来た。舎監をしながらお母さんは二人の娘と星野を育てたという。
大学を卒業するとき、「プロには行かずに、倉敷に帰って恩がある三菱に入れ」「プロ野球に行かせてくれ」お母さんは、星野がプロ野球の世界に入ってからも、舎監の仕事は続けたという。「お袋から度々言われたことは、人を大切にしなさい。お袋からよく言われたなあ」 (NHKファミリーヒストリーから)
星野監督の小学校5~6年生の時のエピソードが紹介された。病気(筋ジストロフィー)で体が不自由になった同級生に「学校へ行きたいんか?」「学校へ行きたい。」「それじゃあ、待ってろ、俺が連れて行ってやる!」翌日から2年間、毎日、学校まで30分の道のりをおんぶして通ったという。
「ガキ大将は、威張っているだけじゃダメなんだ。それだけのことをやらないと。みんなが、ガキ大将だと認めてくれることをちゃんとやらないと。」
「人生の1%をボランティアに使いたい。そうすれば社会が良くなるでしょ」
「男は、有言実行!男は黙ってなんて言うけど、俺に言わせれば、それは逃げ。自分にプレッシャー掛けなきゃ、言って出来なかったらどうしよう、考えてる暇なんかないでしょ。男は言い訳はしない!出来る、出来ないよりも、挑戦する姿勢が大切なんだ。その姿にみんなが感動するんだ。」
「御大(明治大学野球部故島岡吉郎監督)は怖かったなあ。ここに居る若い奴ら、逃げだすだろうな・・・誰も耐えられないだろうな・・・」(倉敷秋期キャンプの楽天の選手を見ながら)
「名古屋ドームが完成して、パンフレット用の写真を撮る日、午前5時、家内が亡くなった。8時には、名古屋ドームに入らなきゃならない、ユニホームを着たくなかった。笑顔で写真を撮らなきゃならない、因果だった・・・行きたくなかった、でも行かないわけにはいかない。あの時が一番辛かった・・・」
(星野仙一からのラストメッセージ・山陽放送)2018年1月26日 笹原真二