甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

真っ白な雪の世界に、誘われて 北へドライブ 塩カルまみれ

2018-01-27 22:36:28 | Weblog
    星野監督からのメッセージ

 6日、朝7時のNHKニュースが、「星野仙一元監督が、70歳で4日に亡くなった。」と伝えた。一月ほど前、野球殿堂入りのパーティーで、「野球と恋愛してよかった。野球に恋してよかった。」と笑顔でスピーチされていたのを見ていたからびっくりした。郷土の英雄があまりにも突然に。70歳、まだ早すぎる。

 星野監督が、中日のエースで活躍していた頃、野球解説者の秋山登さん(岡山東商業―明治大学―大洋ホエールズのエースとして活躍)が、「今の球界でエースと呼べるのは、星野しかいない。」と発言したことがあった。当時は堀内(巨人)平松(大洋・岡山東商業)松岡(ヤクルト・倉敷商業・星野の一年後輩)江夏(阪神)外木場(広島)等。エースピッチャーは各球団にもいたのに。

 星野監督は、お母さんのお腹にいた八ヶ月の時、三菱重工業・三菱青年学校の教官・現場職方のトップだったお父さんを癌で亡くしている。お父さんの部下だった岡部さんが上司に掛け合って、お母さんは三菱の寮の舎監の仕事に就くことが出来た。舎監をしながらお母さんは二人の娘と星野を育てたという。

大学を卒業するとき、「プロには行かずに、倉敷に帰って恩がある三菱に入れ」「プロ野球に行かせてくれ」お母さんは、星野がプロ野球の世界に入ってからも、舎監の仕事は続けたという。「お袋から度々言われたことは、人を大切にしなさい。お袋からよく言われたなあ」 (NHKファミリーヒストリーから)

 星野監督の小学校5~6年生の時のエピソードが紹介された。病気(筋ジストロフィー)で体が不自由になった同級生に「学校へ行きたいんか?」「学校へ行きたい。」「それじゃあ、待ってろ、俺が連れて行ってやる!」翌日から2年間、毎日、学校まで30分の道のりをおんぶして通ったという。

「ガキ大将は、威張っているだけじゃダメなんだ。それだけのことをやらないと。みんなが、ガキ大将だと認めてくれることをちゃんとやらないと。」

「人生の1%をボランティアに使いたい。そうすれば社会が良くなるでしょ」

「男は、有言実行!男は黙ってなんて言うけど、俺に言わせれば、それは逃げ。自分にプレッシャー掛けなきゃ、言って出来なかったらどうしよう、考えてる暇なんかないでしょ。男は言い訳はしない!出来る、出来ないよりも、挑戦する姿勢が大切なんだ。その姿にみんなが感動するんだ。」

「御大(明治大学野球部故島岡吉郎監督)は怖かったなあ。ここに居る若い奴ら、逃げだすだろうな・・・誰も耐えられないだろうな・・・」(倉敷秋期キャンプの楽天の選手を見ながら)

「名古屋ドームが完成して、パンフレット用の写真を撮る日、午前5時、家内が亡くなった。8時には、名古屋ドームに入らなきゃならない、ユニホームを着たくなかった。笑顔で写真を撮らなきゃならない、因果だった・・・行きたくなかった、でも行かないわけにはいかない。あの時が一番辛かった・・・」

(星野仙一からのラストメッセージ・山陽放送)2018年1月26日 笹原真二
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つい忘れ 思い出しだし まとめ書き 還暦迎え 今年の一歩 

2018-01-21 13:44:48 | Weblog
今年、初めてブログを書きます。正月明けには「ブログ書かなきゃ」という思いがあったのですが、箱根駅伝のこと、2日に行われた還暦同窓会(芳井中学校)のこと、郷土の英雄星野仙一元監督が亡くなられたこと、仕事が始まったこと等、書くことはいっぱいあったのですが、途中から、すっかり忘れてしまって今日にいたりました。掻い摘んで思い出しながら書いてみようと・・・

 元旦。深夜の初詣から帰って、ついテレビをつけると、千鳥が漫才をしていたのをつい見てしまって、布団の中に入ったのが深夜2時,
こんなに遅く床に就くのは本当に久しぶりでした。
 朝起きたのは8時前でしたかね。ニューイヤー駅伝を見ながらお雑煮を頂いて、11時頃、歩いて事務所へ例年通りの大掃除にかかる。一人でボツボツするから進まない。それでも三分の一くらいは終えたでしょうか?

 二日。起床は7時半くらい?やはりお雑煮を頂きながら、箱根駅伝。母校大東文化大学の1区は、大きく遅れることなくまずまずの滑り出し。2区の途中で、昨日と同様歩いて事務所へ11時過ぎまで掃除して、結果約半分の掃除は終わったかなというところ。
 12時からの同窓会へ。卒業してから45年。あと5年すれば半世紀が過ぎるんだと。5年後に思えばいいようなことが頭をよぎる。出席者25名どうにか名前と顔が一致。93名いた同級生のうち、鬼籍に入った人が9名。出席していた医師の山成先生曰く「10%は多い」
 箱根駅伝は2区でレース圏外に、芦ノ湖では18位。ガッカリ!

 三日。起床はやはり7時半。やはりお雑煮を食べながら箱根駅伝。大東文化大学は当然レース圏外で展開。7区に入ったところで、もはやテレビを見ている状況ではないと、天神社に行って。仕事の安全祈願と厄払いをしてもらう。その後、事務所の掃除に。家内の応援もあってどうにか大掃除終了。掃除はやはり大晦日までには終えておかないと正月が全く休めなくなる。

 四日。 机、本棚等、この一年見もしなかったものを焼却炉で焼く。段ボール箱2杯分くらいを処分した。午後から数件あいさつ回り。午後3時頃、笠岡の導通神社へお参りに行って、大きな熊手を購入。これでわんさかわんさか仕事が・・・そんなことは自助努力なしではありえない。成羽へ見積もりに行く。早速ご利益が?・・・

 五日。 この日も何軒か、新年のあいさつ回り。

 六日。 仕事始め。朝のニュースで星野監督の訃報が流れる。午前中あいさつ回り、午後から来週から入る高屋の現場に、屋根足場を取り付ける。

 七日。 朝7時過ぎに家を出て、岡山の運転免許センターへ、免許の更新講習を受けに行く。帰って見ると家内が「大失態をした」と。なんと、今日の朝、お宮の掃除当番だったことをすっかり忘れてしまっていた。特に若い人には、山の上にある聖霊山の掃除へ行ってくれとお願いを年末にしていたことをすっかり忘れてしまっていた・・・午後から謝りに歩いた。

 14日。 親友の柳本益裕と、多賀浩二の3人で新見の新井さんへホルモンうどんを食べに行く。旨い。

 20日。 5時まで屋根の上で仕事。帰って速攻で着替えて福山駅へ。新幹線に乗って広島へ。大東文化大学陸上競技部OB会へ出席。

 21日。 3回目の成人の日。まさか自分が還暦を迎えるなんて・・・
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